愚助大和尚
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著者名:沖野岩三郎 

。或時(あるとき)にね、カンタイといふ人が、孔子様を憎んで、斧(をの)で斬殺(きりころ)さうとしたのさ。所が孔子様は、(天、徳を吾(われ)に為(な)せり、カンタイ夫(そ)れ吾(われ)を奈何(いかん)。)と仰(おつ)しやつて、泰然自若として坐(すわ)つていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変へて逃げたのださうな。それからずつと後に、ワウモウといふ人があつたのだよ。或時に黄巾(くわうきん)の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、(天、徳を吾に為せり、黄巾の賊夫れ吾を奈何。)と言つたが、其の言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちてゐたさうだ。」と、立て続けに申しました。
「では壺の向ふに、孔子様とカンタイと、ワウモウと黄巾の賊を描くのですか。」と、画家さんはききました。
「いいえ、孔子様だけ。孔子様が右の手をこんな風に握つて、小指をこんなに撥(は)ねてゐます。」と、言つて、学校へ行きました。そして何にも覚えずに帰つて来てみますと、本当に賢さうな孔子様の絵が出来てゐました。
 翌(あく)る朝、画家さんは尋ねました。
「孔子様の傍(そば)に何を描くのですか。」
 すると愚助は答へました。
「孔子様の隣りに、老子(らうし)様を描くのです。老子さまは、おつ母(か)さんのお腹(なか)に、七十年居たのださうな。だから産れた時、もう髪が真白(まつしろ)で、歯が抜けてゐたのだつて。」
「誰(だれ)だつて産れた時は、歯が無いんですよ。」
 画家さんは笑ひました。
「何でもいいから、其の老子様を描くのです。老子様は孔子様も感心したほど、偉い人ですよ。」
 愚助は学校へ行きました。そして教はつた事をみんな忘れて帰つて来ますと、立派な老子様の絵が出来てゐました。やつぱり右の手を握つて、小指だけ撥ねてゐました。
 翌る朝、愚助は申しました。
「今日はね、老子様の傍へ、悉達太子(しつたたいし)を描くんですよ。悉達太子といふのは、中天竺(ちゆうてんぢく)マカダ国、浄飯王(じやうばんわう)のお子様で、カビラ城にゐなすつたのだが、或時(あるとき)城の外を通る老人を見て、人間はなぜあんなに、年をとつて、病気になつて、そして死ぬのかといふ事を考へたのです。(生れて老人になつて病気になつて死ぬ)どうしても其のわけが解(わか)らない、人間が老人(としより)にもならず、病人にもならず、死なない方法はないかと考へたが、わからないので、たうとう太子様はお城をぬけ出して、雪山(せつさん)といふ所へ行つて、アララ、カララといふ仙人について、何年も何年も修行した末、やつと、わけが解つたのです。」
「どんなに解つたのですか。」
 画家さんは眼を円くしてききました。自分も年をとらないで、病気をしないで、千年も万年も生きてゐようと思つたのでせう。
「生れなかつたら……生れなかつたらいいんですよ。」
「生れなかつたら。」
「生れなかつたら、年もとらず、病気にもかからない。死にもしない。」
「何だい、そんな事……」
「だつて、それだけの事が、人間にはなかなか、わからないんだよ。それが本当に解つたので、悉達太子様は、今にお釈迦(しやか)様と云(い)つて尊敬されるのです。」
「ええ、それがお釈迦様ですか。」
「うん、さうだよ。其のお釈迦様が、かうして小指をはねてゐらつしやるんだよ。」
 愚助はそれだけ言ひ置いて学校へ行きました。今日は先生から呶鳴(どな)られた上、鞭(むち)で頭をひつぱたかれて、細長い瘤(こぶ)をこしらへて帰つて来ました。

 絵は立派に出来てゐました。
 翌(あく)る朝、愚助(ぐすけ)が学校へ行く前に、また画家(ゑかき)さんに話しました。
「今日はね、お釈迦様の隣りに、イエス・キリスト様を描(か)くんです。此の人もお釈迦様と同じやうに、ダビデ大王といふ偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になつて、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人に嫉(そね)まれて殺されたのです。其のイエス・キリスト様が右の手を高くあげて、壺の中を覗(のぞ)いてゐる絵をお描きなさい。終り。」
 画家はびつくりしました。
「それで終りですか。」
「さうです。それで此の掛軸は元の通りに出来るのです。」
 画家は、これでおしまひだといふので、一所懸命にキリスト様の絵を描きました。
 五日間で、立派な絵が出来上りました。そこで村の人達は町から表具屋を傭つてきて、それを掛物にしました。
 二十日目に出来上つた、掛軸は、高さ三メエトル、幅二メエトルでした。書院の床の間に掛けますと、実に立派なものでした。
 村の人達は、此の掛軸の説明を愚助に願ひますと、愚助は、
「宜しい、明日の朝までに見て置くから、明日の朝、お寺の鐘が鳴つたら、村の人達は、男も女も子供も、一人残らず集つていらつしやい。」と、申しました。
 村の人達は、愚助が、此の掛軸の説明をした書物を見るのだと思ひました。しかし愚助は、蒲団の中で眼を閉ぢて、和尚に教へられた説明を考へて見たのでした。
 鐘が鳴りました。村中の人は、一人のこらず集つて来て、本堂の縁側まで、ぎつしり一杯に坐りました。
 愚助は石油箱を持つて来て、其の上に登りました。そして先(ま)づ孔子と老子と釈迦とキリストの履歴を詳しく話しました。
 それは和尚に教はつた通り、一言も間違はないで話したのです。
 村の人達はみんな驚きました。
 それから愚助は、一段と声を張り上げて、
「皆さん、この絵は、四聖吸醋之図(せいきふさくのづ)と申しまして、四人の聖人が、お醋(す)を嘗(な)めてゐるのです。」と、言つた時、多勢は一度にどつと笑ひました。
「お待ちなさい。笑ひ話ではありません。右の端の孔子様は、此の壺の中のお醋を嘗めてみて、これは酸つぱいと申しました。すると其の隣りの老子様は、酸つぱいものを酸つぱいといふのは夫れは常識である。しかし能(よ)く味(あぢは)つて見ると、此のお醋は少しく淡(あは)い。水つぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、醋を酸つぱいといふのは道理だ。酸つぱいが少し淡いと云ふのも最もだ。しかし、よくよく味つてごらん、此のお醋には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、醋は酸つぱいものだ。それに此の醋は淡い。水つぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけてゐるのだ。これは打(ぶ)ちまけて、新しく醸(つく)り直すがよい。と、申しました。諸君、抑(そもそ)も此の四聖の言葉は……」
 愚助は二時間あまり詳しく説明しました。さあ、それを聴いた村の人達は、大変感心しまして、俄(には)かに愚助を「愚助大和尚」と崇(あが)め奉つて、こんな大和尚様を、こんな古寺に置くのは恐れ多いと云つて、早速お寺の改築に取かかりました。
 三年経(た)つて、お寺が立派に改築出来ました時、和尚様は、ひよつこり帰つて来ました。
 和尚様は持つて出た大きな掛物を、やつぱり肩げてゐました。
 それは何処へ持つて行つても、大き過ぎると言つて買つてくれる人がなかつたからです。
 和尚様は、お寺が立派になつたわけと、愚助が大和尚様と崇(あが)められてゐるわけとを聞いて、腹を抱へて笑ひました。
 愚助は和尚様が帰つて来たので、又た元の小僧さんになつて、小学校へ通ひました。そして毎日忘れて、毎晩思ひ出して、はつきり覚えるのでした。
 村の人達は、また愚助が、馬鹿だか賢いのだか、解らなくなりました。




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