図書館の未来像
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著者名:中井正一 

 概念は常に、技術の進展とともに変化してきた。図書館の概念もみずから、異なり発展しつつある。
 文庫時代は、それは封建領主の財宝であって、大衆へのサービスの機能は全然考えられていないのである。ギリシャ、ローマ時代も、その意味では同じである。
 図書館の名前の館の意味する、大衆の出入する意味に転化するのは、その文化様相の転換が、みずからその意味を創造してきたというべきであろう。
 これに先行して、日本の貸本屋としての、大惣本のごときは、この意味で、大衆サービスの読書機構として、まことに興味あることである。三棟の土蔵にみちみちた明暦以来の大集書が、大衆サービスの前に整理され、その中から坪内逍遥などが生まれたことなどは、明治図書館への発達史上注目すべきである。惜しくも明治三十三年ごろにたおれ、図書館協会が、その十年前にできたことと思い合わせて、感慨にたえないのである。
 今の大衆サービスとしての図書館の組織体は、まさに十九世紀―二十世紀の文化類型にふさわしい、個人主義時代の産物である。しかし、この大衆サービスはそのおもむくところやがて、より広く、より機械的になってきたのである。それは、文化類型がすでに巨大な機械時代の出現とともに、ちょうど為替機構が世界性を帯びるように、文献目録、リード様式も世界的規格統一が起こりつつあるのである。ユネスコが世界図書館の統一の運動をとりつつあるのがその例である。
 この歴史の流れに沿って、最も早くその体制をととのえつつあるのは、米国の議会図書館の行ないつつある組織であろう。ことにこれは、アーチボルド・マックリーシュの再編成で完成されたる新しい図書館のすがたである。それは、綜合目録(ユニオン・カタローグ)印刷カード等の組織によって、アメリカ民族の研究組織のインフォーメイション・センターとしてその姿をととのえつつある。また、アメリカ図書館協会のもつファーミントン・プランのごとき、または死書保存図書館のごとき、民族を単位としての大組織体としての図書館の概念が、ここに創造されつつある。
「一九五〇年は終われり」という合い言葉は、図書館界にもその波動をつたえてきたのである。
 マイクロフィルムの中にとけ込んでゆく書籍、マイクロカードの中に沈んでゆく書籍は、電話連絡のインフォーメイションとともに、もはや、単独空間の図書館概念を破壊しはじめたのである。
 アメリカにない、各省、司法の図書館を支部図書館とする国立国会図書館の支部図書館の組織は、そのもつ四百万冊の本の電話連絡による捜索、ユニオン・カタローグの操作によって、二十分以内で、たいていその本のロケーションが把握できるのである。
 かかる機構は「読書室のない図書館」の概念も決してパラドックスでなく、カードと連絡さえしっかりすれば、それは最も便利なサービス機関とさえなるのではないだろうか。
 かくて、かつての文庫形式から、図書館へ、さらにインフォーメイション・センターとしての大組織に、図書館の未来像として、それはメタモルフォーゼしつつあるのである。




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