六号室
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著者名:チェーホフアントン 

       (一)

 町立病院(ちやうりつびやうゐん)の庭(には)の内(うち)、牛蒡(ごばう)、蕁草(いらぐさ)、野麻(のあさ)などの簇(むらが)り茂(しげ)つてる邊(あたり)に、小(さゝ)やかなる別室(べつしつ)の一棟(むね)がある。屋根(やね)のブリキ板(いた)は錆(さ)びて、烟突(えんとつ)は半(なかば)破(こは)れ、玄關(げんくわん)の階段(かいだん)は紛堊(しつくひ)が剥(は)がれて、朽(く)ちて、雜草(ざつさう)さへのび/\と。正面(しやうめん)は本院(ほんゐん)に向(むか)ひ、後方(こうはう)は茫廣(ひろ/″\)とした野良(のら)に臨(のぞ)んで、釘(くぎ)を立(た)てた鼠色(ねずみいろ)の塀(へい)が取繞(とりまは)されてゐる。此(こ)の尖端(せんたん)を上(うへ)に向(む)けてゐる釘(くぎ)と、塀(へい)、さては又(また)此(こ)の別室(べつしつ)、こは露西亞(ロシア)に於(おい)て、たゞ病院(びやうゐん)と、監獄(かんごく)とにのみ見(み)る、儚(はかな)き、哀(あはれ)な、寂(さび)しい建物(たてもの)。
 蕁草(いらぐさ)に掩(おほ)はれたる細道(ほそみち)を行(ゆ)けば直(す)ぐ別室(べつしつ)の入口(いりぐち)の戸(と)で、戸(と)を開(ひら)けば玄關(げんくわん)である。壁際(かべぎは)や、暖爐(だんろ)の周邊(まはり)には病院(びやうゐん)のさま/″\の雜具(がらくた)、古寐臺(ふるねだい)、汚(よご)れた病院服(びやうゐんふく)、ぼろ/\の股引下(ヅボンした)、青(あを)い縞(しま)の洗浚(あらひざら)しのシヤツ、破(やぶ)れた古靴(ふるぐつ)と云(い)つたやうな物(もの)が、ごたくさと、山(やま)のやうに積(つ)み重(かさ)ねられて、惡臭(あくしう)を放(はな)つてゐる。
 此(こ)の積上(つみあ)げられたる雜具(がらくた)の上(うへ)に、毎(いつ)でも烟管(きせる)を噛(くは)へて寐辷(ねそべ)つてゐるのは、年(とし)を取(と)つた兵隊上(へいたいあが)りの、色(いろ)の褪(さ)めた徽章(きしやう)の附(つ)いてる軍服(ぐんぷく)を始終(ふだん)着(き)てゐるニキタと云(い)ふ小使(こづかひ)。眼(め)に掩(おほ)ひ被(かぶ)さつてる眉(まゆ)は山羊(やぎ)のやうで、赤(あか)い鼻(はな)の佛頂面(ぶつちやうづら)、脊(せ)は高(たか)くはないが瘠(や)せて節塊立(ふしくれだ)つて、何處(どこ)にか恁(か)う一癖(くせ)ありさうな男(をとこ)。彼(かれ)は極(きは)めて頑(かたくな)で、何(なに)よりも秩序(ちつじよ)と云(い)ふことを大切(たいせつ)に思(おも)つてゐて、自分(じぶん)の職務(しよくむ)を遣(や)り終(おほ)せるには、何(なん)でも其鐵拳(そのてつけん)を以(もつ)て、相手(あいて)の顏(かほ)だらうが、頭(あたま)だらうが、胸(むね)だらうが、手當放題(てあたりはうだい)に毆打(なぐ)らなければならぬものと信(しん)じてゐる、所謂(いはゆる)思慮(しりよ)の廻(ま)はらぬ人間(にんげん)。
 玄關(げんくわん)の先(さき)は此(こ)の別室全體(べつしつぜんたい)を占(し)めてゐる廣(ひろ)い間(ま)、是(これ)が六號室(がうしつ)である。淺黄色(あさぎいろ)のペンキ塗(ぬり)の壁(かべ)は汚(よご)れて、天井(てんじやう)は燻(くすぶ)つてゐる。冬(ふゆ)に暖爐(だんろ)が烟(けぶ)つて炭氣(たんき)に罩(こ)められたものと見(み)える。窓(まど)は内側(うちがは)から見惡(みにく)く鐵格子(てつがうし)を嵌(は)められ、床(ゆか)は白(しろ)ちやけて、そゝくれ立(だ)つてゐる。漬(つ)けた玉菜(たまな)や、ランプの燻(いぶり)や、南京蟲(なんきんむし)や、アンモニヤの臭(にほひ)が混(こん)じて、入(はひ)つた初(はじ)めの一分時(ぷんじ)は、動物園(どうぶつゑん)にでも行(い)つたかのやうな感覺(かんかく)を惹起(ひきおこ)すので。
 室内(しつない)には螺旋(ねぢ)で床(ゆか)に止(と)められた寐臺(ねだい)が數脚(すうきやく)。其上(そのうへ)には青(あを)い病院服(びやうゐんふく)を着(き)て、昔風(むかしふう)に頭巾(づきん)を被(かぶ)つてゐる患者等(くわんじやら)が坐(すわ)つたり、寐(ね)たりして、是(これ)は皆(みんな)瘋癲患者(ふうてんくわんじや)なのである。患者(くわんじや)の數(すう)は五人(にん)、其中(そのうち)にて一人丈(ひとりだけ)は身分(みぶん)のある者(もの)であるが他(た)は皆(みな)卑(いや)しい身分(みぶん)の者計(ものばか)り。戸口(とぐち)から第(だい)一の者(もの)は、瘠(や)せて脊(せ)の高(たか)い、栗色(くりいろ)に光(ひか)る鬚(ひげ)の、眼(め)を始終(しゞゆう)泣腫(なきなきは)らしてゐる發狂(はつきやう)の中風患者(ちゆうぶくわんじや)、頭(あたま)を支(さゝ)へて凝(ぢつ)と坐(すわ)つて、一つ所(ところ)を瞶(みつ)めながら、晝夜(ちうや)も別(わ)かず泣(な)き悲(かなし)んで、頭(あたま)を振(ふ)り太息(といき)を洩(もら)し、時(とき)には苦笑(にがわらひ)をしたりして。周邊(あたり)の話(はなし)には稀(まれ)に立入(たちい)るのみで、質問(しつもん)をされたら决(けつ)して返答(へんたふ)を爲(し)たことの無(な)い、食(く)ふ物(もの)も、飮(の)む物(もの)も、與(あた)へらるゝまゝに、時々(とき/″\)苦(くる)しさうな咳(せき)をする。其頬(そのほゝ)の紅色(べにいろ)や、瘠方(やせかた)で察(さつ)するに彼(かれ)にはもう肺病(はいびやう)の初期(しよき)が萠(き)ざしてゐるのであらう。
 其(それ)に續(つゞ)いては小體(こがら)な、元氣(げんき)な、頤鬚(あごひげ)の尖(とが)つた、髮(かみ)の黒(くろ)いネグル人(じん)のやうに縮(ちゞ)れた、些(すこ)しも落着(おちつ)かぬ老人(らうじん)。彼(かれ)は晝(ひる)には室内(しつない)を窓(まど)から窓(まど)に往來(わうらい)し、或(あるひ)はトルコ風(ふう)に寐薹(ねだい)に趺(あぐら)を坐(か)いて、山雀(やまがら)のやうに止(と)め度(ど)もなく囀(さへづ)り、小聲(こゞゑ)で歌(うた)ひ、ヒヽヽと頓興(とんきよう)に笑(わら)ひ出(だ)したり爲(し)てゐるが、夜(よる)に祈祷(きたう)をする時(とき)でも、猶且(やはり)元氣(げんき)で、子供(こども)のやうに愉快(ゆくわい)さうにぴん/\してゐる。拳(こぶし)で胸(むね)を打(う)つて祈(いの)るかと思(おも)へば、直(すぐ)に指(ゆび)で戸(と)の穴(あな)を穿(ほ)つたりしてゐる。是(これ)は猶太人(ジウ)のモイセイカと云(い)ふ者(もの)で、二十年計(ねんばか)り前(まへ)、自分(じぶん)が所有(しよいう)の帽子製造場(ばうしせいざうば)が燒(や)けた時(とき)に、發狂(はつきやう)したのであつた。
 六號室(がうしつ)の中(うち)で此(こ)のモイセイカ計(ばか)りは、庭(には)にでも町(まち)にでも自由(じいう)に外出(でる)のを許(ゆる)されてゐた。其(そ)れは彼(かれ)が古(ふる)くから病院(びやうゐん)にゐる爲(ため)か、町(まち)で子供等(こどもら)や、犬(いぬ)に圍(かこ)まれてゐても、决(けつ)して他(た)に何等(なんら)の害(がい)をも加(くは)へぬと云(い)ふ事(こと)を町(まち)の人(ひと)に知(し)られてゐる爲(ため)か、左(と)に右(かく)、彼(かれ)は町(まち)の名物男(めいぶつをとこ)として、一人(ひとり)此(こ)の特權(とくけん)を得(え)てゐたのである。彼(かれ)は町(まち)を廻(まは)るに病院服(びやうゐんふく)の儘(まゝ)、妙(めう)な頭巾(づきん)を被(かぶ)り、上靴(うはぐつ)を穿(は)いてる時(とき)もあり、或(あるひ)は跣足(はだし)でヅボン下(した)も穿(は)かずに歩(ある)いてゐる時(とき)もある。而(さう)して人(ひと)の門(かど)や、店前(みせさき)に立(た)つては一錢(せん)づつを請(こ)ふ。或(ある)家(いへ)ではクワスを飮(の)ませ、或(ある)所(ところ)ではパンを食(く)はして呉(く)れる。で、彼(かれ)は毎(いつ)も滿腹(まんぷく)で、金持(かねもち)になつて、六號室(がうしつ)に歸(かへ)つて來(く)る。が、其(そ)の携(たづさ)へ歸(かへ)る所(ところ)の物(もの)は、玄關(げんくわん)でニキタに皆(みんな)奪(うば)はれて了(しま)ふ。兵隊上(へいたいあが)りの小使(こづかひ)のニキタは亂暴(らんばう)にも、隱(かくし)を一々(いち/\)轉覆(ひつくりか)へして、悉皆(すつかり)取返(とりか)へして了(しま)ふので有(あ)つた。
 又(また)モイセイカは同室(どうしつ)の者(もの)にも至(いた)つて親切(しんせつ)で、水(みづ)を持(も)つて來(き)て遣(や)り、寐(ね)る時(とき)には布團(ふとん)を掛(か)けて遣(や)りして、町(まち)から一錢(せん)づつ貰(もら)つて來(き)て遣(や)るとか、各(めい/\)に新(あたら)しい帽子(ばうし)を縫(ぬ)つて遣(や)るとかと云(い)ふ。左(ひだり)の方(はう)の中風患者(ちゆうぶくわんじや)には始終(しゞゆう)匙(さじ)でもつて食事(しよくじ)をさせる。彼(かれ)が恁(か)くするのは、別段(べつだん)同情(どうじやう)からでもなく、と云(い)つて、或(あ)る情誼(じやうぎ)からするのでもなく、唯(たゞ)右(みぎ)の隣(となり)にゐるグロモフと云(い)ふ人(ひと)に習(なら)つて、自然(しぜん)其眞似(そのまね)をするので有(あ)つた。
 イワン、デミトリチ、グロモフは三十三歳(さい)で、彼(かれ)は此室(このしつ)での身分(みぶん)の可(い)いもの、元來(もと)は裁判所(さいばんしよ)の警吏(けいり)、又(また)縣廳(けんちやう)の書記(しよき)をも務(つと)めたので。彼(かれ)は人(ひと)が自分(じぶん)を窘逐(きんちく)すると云(い)ふ事(こと)を苦(く)にしてゐる瘋癲患者(ふうてんくわんじや)、常(つね)に寐薹(ねだい)の上(うへ)に丸(まる)くなつて寐(ね)てゐたり、或(あるひ)は運動(うんどう)の爲(ため)かのやうに、室(へや)を隅(すみ)から隅(すみ)へと歩(ある)いて見(み)たり、坐(すわ)つてゐる事(こと)は殆(ほとん)ど稀(まれ)で、始終(しゞゆう)興奮(こうふん)して、燥氣(いら/\)して、曖昧(あいまい)なある待(ま)つことで氣(き)が張(は)つてゐる樣子(やうす)。玄關(げんくわん)の方(はう)で微(かすか)な音(おと)でもするか、庭(には)で聲(こゑ)でも聞(き)こえるかすると、直(す)ぐに頭(あたま)を持上(もちあ)げて耳(みゝ)を欹(そばだ)てる。誰(だれ)か自分(じぶん)の所(ところ)に來(き)たのでは無(な)いか、自分(じぶん)を尋(たづ)ねてゐるのでは無(な)いかと思(おも)つて、顏(かほ)には謂(い)ふべからざる不安(ふあん)の色(いろ)が顯(あら)はれる。さなきだに彼(かれ)の憔悴(せうすゐ)した顏(かほ)は不幸(ふかう)なる内心(ないしん)の煩悶(はんもん)と、長日月(ちやうじつげつ)の恐怖(きようふ)とにて、苛責(さいな)まれ拔(ぬ)いた心(こゝろ)を、鏡(かゞみ)に寫(うつ)したやうに現(あら)はしてゐるのに。其廣(そのひろ)い骨張(ほねば)つた顏(かほ)の動(うご)きは、如何(いか)にも變(へん)で病的(びやうてき)で有(あ)つて。然(しか)し心(こゝろ)の苦痛(くつう)にて彼(かれ)の顏(かほ)に印(いん)せられた緻密(ちみつ)な徴候(ちようこう)は、一見(けん)して智慧(ちゑ)ありさうな、教育(けういく)ありさうな風(ふう)に思(おも)はしめた。而(さう)して其眼(そのめ)には暖(あたゝか)な健全(けんぜん)な輝(かゞやき)がある、彼(かれ)はニキタを除(のぞ)くの外(ほか)は、誰(たれ)に對(たい)しても親切(しんせつ)で、同情(どうじやう)が有(あ)つて、謙遜(けんそん)であつた。同室(どうしつ)で誰(だれ)かゞ釦鈕(ぼたん)を落(おと)したとか匙(さじ)を落(おと)したとか云(い)ふ場合(ばあひ)には、彼(かれ)が先(ま)づ寐薹(ねだい)から起(おき)上(あが)つて、取(と)つて遣(や)る。毎朝(まいあさ)起(おき)ると同室(どうしつ)の者等(ものら)にお早(はや)うと云(い)ひ、晩(ばん)には又(また)お休息(やすみ)なさいと挨拶(あいさつ)もする。
 彼(かれ)の發狂者(はつきやうしや)らしい所(ところ)は、始終(しゞゆう)氣(き)の張(は)つた樣子(やうす)と、變(へん)な眼付(めつき)とをするの外(ほか)に、時折(ときをり)、晩(ばん)になると、着(き)てゐる病院服(びやうゐんふく)の前(まへ)を神經的(しんけいてき)に掻合(かきあ)はせると思(おも)ふと、齒(は)の根(ね)も合(あ)はぬまでに全身(ぜんしん)を顫(ふる)はし、隅(すみ)から隅(すみ)へと急(いそ)いで歩(あゆ)み初(はじ)める、丁度(ちやうど)激(はげ)しい熱病(ねつびやう)にでも俄(にはか)に襲(おそ)はれたやう。と、施(やが)て立留(たちとゞま)つて室内(しつない)の人々(ひと/″\)を□(みまは)して昂然(かうぜん)として今(いま)にも何(なに)か重大(ぢゆうだい)な事(こと)を云(い)はんとするやうな身構(みがま)へをする。が、又(また)直(たゞち)に自分(じぶん)の云(い)ふ事(こと)を聽(き)く者(もの)は無(な)い、其(そ)の云(い)ふ事(こと)が解(わか)るものは無(な)いとでも考(かんが)へ直(なほ)したかのやうに燥立(いらだ)つて、頭(あたま)を振(ふ)りながら又(また)歩(ある)き出(だ)す。然(しか)るに言(い)はうと云(い)ふ望(のぞみ)は、終(つひ)に消(き)えず忽(たちまち)にして總(すべて)の考(かんがへ)を壓去(あつしさ)つて、此度(こんど)は思(おも)ふ存分(ぞんぶん)、熱切(ねつせつ)に、夢中(むちゆう)の有樣(ありさま)で、言(ことば)が迸(ほとばし)り出(で)る。言(い)ふ所(ところ)は勿論(もちろん)、秩序(ちつじよ)なく、寐言(ねごと)のやうで、周章(あわて)て見(み)たり、途切(とぎ)れて見(み)たり、何(なん)だか意味(いみ)の解(わか)らぬことを言(い)ふのであるが、何處(どこ)かに又(また)善良(ぜんりやう)なる性質(せいしつ)が微(ほのか)に聞(きこ)える、其言(そのことば)の中(うち)か、聲(こゑ)の中(うち)かに、而(さう)して彼(かれ)の瘋癲者(ふうてんしや)たる所(ところ)も、彼(かれ)の人格(じんかく)も亦(また)見(み)える。其意味(そのいみ)の繋(つな)がらぬ、辻妻(つじつま)の合(あ)はぬ話(はなし)は、所詮(しよせん)筆(ふで)にする事(こと)は出來(でき)ぬのであるが、彼(かれ)の云(い)ふ所(ところ)を撮(つま)んで云(い)へば、人間(にんげん)の卑劣(ひれつ)なること、壓制(あつせい)に依(よ)りて正義(せいぎ)の蹂躙(じうりん)されてゐること、後世(こうせい)地上(ちじやう)に來(きた)るべき善美(ぜんび)なる生活(せいくわつ)のこと、自分(じぶん)をして一分(ぷん)毎(ごと)にも壓制者(あつせいしや)の殘忍(ざんにん)、愚鈍(ぐどん)を憤(いきどほ)らしむる所(ところ)の、窓(まど)の鐵格子(てつがうし)のことなどである。云(い)はゞ彼(かれ)は昔(むかし)も今(いま)も全(まつた)く歌(うた)ひ盡(つく)されぬ歌(うた)を、不順序(ふじゆんじよ)に、不調和(ふてうわ)に組立(くみたて)るのである。

       (二)

 今(いま)から大凡(おほよそ)十三四年(ねん)以前(いぜん)、此(こ)の町(まち)の一番(ばん)の大通(おほどほり)に、自分(じぶん)の家(いへ)を所有(も)つてゐたグロモフと云(い)ふ、容貌(ようばう)の立派(りつぱ)な、金滿(かねもち)の官吏(くわんり)が有(あ)つて、家(いへ)にはセルゲイ及(およ)びイワンと云(い)ふ二人(ふたり)の息子(むすこ)もある。所(ところ)が、長子(ちやうし)のセルゲイは丁度(ちやうど)大學(だいがく)の四年級(ねんきふ)になつてから、急性(きふせい)の肺病(はいびやう)に罹(かゝ)り死亡(しばう)して了(しま)ふ。是(これ)よりグロモフの家(いへ)には、不幸(ふかう)が引續(ひきつゞ)いて來(き)てセルゲイの葬式(さうしき)の終(す)んだ一週間(しうかん)目(め)、父(ちゝ)のグロモフは詐欺(さぎ)と、浪費(らうひ)との件(かど)を以(もつ)て裁判(さいばん)に渡(わた)され、間(ま)もなく監獄(かんごく)の病院(びやうゐん)でチブスに罹(かゝ)つて死亡(しばう)して了(しま)つた。で、其家(そのいへ)と總(すべて)の什具(じふぐ)とは、棄賣(すてうり)に拂(はら)はれて、イワン、デミトリチと其母親(そのはゝおや)とは遂(つひ)に無(む)一物(ぶつ)の身(み)となつた。
 父(ちゝ)の存命中(ぞんめいちゆう)には、イワン、デミトリチは大學(だいがく)修業(しうげふ)の爲(ため)にペテルブルグに住(す)んで、月々(つき/″\)六七十圓(ゑん)づゝも仕送(しおくり)され、何(なに)不自由(ふじいう)なく暮(くら)してゐたものが、忽(たちまち)にして生活(くらし)は一變(ぺん)し、朝(あさ)から晩(ばん)まで、安値(あんちよく)の報酬(はうしう)で學科(がくくわ)を教授(けうじゆ)するとか、筆耕(ひつかう)をするとかと、奔走(ほんそう)をしたが、其(そ)れでも食(く)ふや食(く)はずの儚(はか)なき境涯(きやうがい)。僅(わづか)な收入(しうにふ)は母(はゝ)の給養(きふやう)にも供(きよう)せねばならず、彼(かれ)は遂(つひ)に此(こ)の生活(せいくわつ)には堪(た)へ切(き)れず、斷然(だんぜん)大學(だいがく)を去(さ)つて、古郷(こきやう)に歸(かへ)つた。而(さう)して程(ほど)なく或人(あるひと)の世話(せわ)で郡立學校(ぐんりつがくかう)の教師(けうし)となつたが、其(そ)れも暫時(ざんじ)、同僚(どうれう)とは折合(をりあ)はず、生徒(せいと)とは親眤(なじ)まず、此(こゝ)をも亦(また)辭(じ)して了(しま)ふ。其中(そのうち)に母親(はゝおや)は死(し)ぬ。彼(かれ)は半年(はんとし)も無職(むしよく)で徘徊(うろ/\)して唯(たゞ)パンと、水(みづ)とで生命(いのち)を繋(つな)いでゐたのであるが、其後(そのご)裁判所(さいばんしよ)の警吏(けいり)となり、病(やまひ)を以(もつ)て後(のち)に此(こ)の職(しよく)を辭(じ)するまでは、此(こゝ)に務(つとめ)を取(と)つてゐたのであつた。
 彼(かれ)は學生時代(がくせいじだい)の壯年(さうねん)の頃(ごろ)でも、生得(せいとく)餘(あま)り壯健(さうけん)な身體(からだ)では無(な)かつた。顏色(かほいろ)は蒼白(あをじろ)く、姿(すがた)は瘠(や)せて、初中終(しよつちゆう)風邪(かぜ)を引(ひ)き易(やす)い、少食(せうしよく)で落々(おち/\)眠(ねむ)られぬ質(たち)、一杯(ぱい)の酒(さけ)にも眼(め)が廻(まは)り、往々(まゝ)ヒステリーが起(おこ)るのである。人(ひと)と交際(かうさい)する事(こと)は彼(かれ)は至(いた)つて好(この)んでゐたが、其神經質(そのしんけいしつ)な、刺激(しげき)され易(やす)い性質(せいしつ)なるが故(ゆゑ)に、自(みづか)ら務(つと)めて誰(たれ)とも交際(かうさい)せず、隨(したがつ)て亦(また)親友(しんいう)をも持(も)たぬ。町(まち)の人々(ひと/″\)の事(こと)は彼(かれ)は毎(いつ)も輕蔑(けいべつ)して、無教育(むけういく)の徒(と)、禽獸的生活(きんじうてきせいくわつ)と罵(のゝし)つて、テノルの高聲(たかごゑ)で燥立(いらだ)つてゐる。彼(かれ)が物(もの)を言(い)ふのは憤懣(ふんまん)の色(いろ)を以(もつ)てせざれば、欣喜(きんき)の色(いろ)を以(もつ)て、何事(なにごと)も熱心(ねつしん)に言(い)ふのである。で、其言(そのい)ふ所(ところ)は終(つひ)に一つ事(こと)に歸(き)して了(しま)ふ。町(まち)で生活(せいくわつ)するのは好(この)ましく無(な)い。社會(しやくわい)には高尚(かうしやう)なる興味(インテレース)が無(な)い。社會(しやくわい)は曖昧(あいまい)な、無意味(むいみ)な生活(せいくわつ)を爲(な)して居(ゐ)る。壓制(あつせい)、僞善(ぎぜん)、醜行(しうかう)を逞(たくまし)うして、以(も)つて是(これ)を紛(まぎ)らしてゐる。是(こゝ)に於(おい)てか奸物共(かんぶつども)は衣食(いしよく)に飽(あ)き、正義(せいぎ)の人(ひと)は衣食(いしよく)に窮(きう)する。廉直(れんちよく)なる方針(はうしん)を取(と)る地方(ちはう)の新聞紙(しんぶんし)、芝居(しばゐ)、學校(がくかう)、公會演説(こうくわいえんぜつ)、教育(けういく)ある人間(にんげん)の團結(だんけつ)、是等(これら)は皆(みな)必要(ひつえう)缺(か)ぐ可(べ)からざるものである。又(また)社會(しやくわい)自(みづか)ら悟(さと)つて驚(おどろ)くやうに爲(し)なければならぬとか抔(など)との事(こと)で。彼(かれ)は其眼中(そのがんちゆう)に社會(しやくわい)の人々(ひと/″\)を唯(たゞ)二種(しゆ)に區別(くべつ)してゐる、義者(ぎしや)と、不義者(ふぎしや)と、而(さう)して婦人(ふじん)の事(こと)、戀愛(れんあい)の事(こと)に就(つ)いては、毎(いつ)も自(みづか)ら深(ふか)く感(かん)じ入(い)つて説(と)くのであるが、偖(さて)自身(じしん)には未(いま)だ一度(ど)も戀愛(れんあい)てふものを味(あぢは)ふた事(こと)は無(な)いので。
 彼(かれ)は恁(か)くも神經質(しんけいしつ)で、其議論(そのぎろん)は過激(くわげき)であつたが、町(まち)の人々(ひと/″\)は其(そ)れにも拘(かゝは)らず彼(かれ)を愛(あい)して、ワアニア、と愛嬌(あいけう)を以(もつ)て呼(よ)んでゐた。彼(かれ)が天性(てんせい)の柔(やさ)しいのと、人(ひと)に親切(しんせつ)なのと、禮儀(れいぎ)の有(あ)るのと、品行(ひんかう)の方正(はうせい)なのと、着古(きぶる)したフロツクコート、病人(びやうにん)らしい樣子(やうす)、家庭(かてい)の不遇(ふぐう)、是等(これら)は皆(みな)總(すべ)て人々(ひと/″\)に温(あたゝか)き同情(どうじやう)を引起(ひきおこ)さしめたのであつた。又(また)一面(めん)には彼(かれ)は立派(りつぱ)な教育(けういく)を受(う)け、博學(はくがく)多識(たしき)で、何(な)んでも知(し)つてゐると町(まち)の人(ひと)は言(い)ふてゐる位(くらゐ)。で、彼(かれ)は此(こ)の町(まち)の活(い)きた字引(じびき)とせられてゐた。
 彼(かれ)は非常(ひじやう)に讀書(どくしよ)を好(この)んで、屡□(しば/\)倶樂部(くらぶ)に行(い)つては、神經的(しんけいてき)に髭(ひげ)を捻(ひね)りながら、雜誌(ざつし)や書物(しよもつ)を手當次第(てあたりしだい)に剥(は)いでゐる、讀(よ)んでゐるのではなく咀(か)み間合(まにあ)はぬので鵜呑(うのみ)にしてゐると云(い)ふやうな鹽梅(あんばい)。讀書(どくしよ)は彼(かれ)の病的(びやうてき)の習慣(しふくわん)で、何(な)んでも凡(およ)そ手(て)に觸(ふ)れた所(ところ)の物(もの)は、其(そ)れが縱令(よし)去年(きよねん)の古新聞(ふるしんぶん)で有(あ)らうが、暦(こよみ)であらうが、一樣(やう)に饑(う)えたる者(もの)のやうに、屹度(きつと)手(て)に取(と)つて見(み)るのである。家(いへ)にゐる時(とき)も毎(いつ)も横(よこ)になつては、猶且(やはり)、書見(しよけん)に耽(ふ)けつてゐる。

       (三)

 ある秋(あき)の朝(あさ)のこと、イワン、デミトリチは外套(ぐわいたう)の襟(えり)を立(た)てゝ泥濘(ぬか)つてゐる路(みち)を、横町(よこちやう)、路次(ろじ)と經(へ)て、或(あ)る町人(ちやうにん)の家(いへ)に書付(かきつけ)を持(も)つて金(かね)を取(と)りに行(い)つたのであるが、猶且(やはり)毎朝(まいあさ)のやうに此(こ)の朝(あさ)も氣(き)が引立(ひきた)たず、沈(しづ)んだ調子(てうし)で或(あ)る横町(よこちやう)に差掛(さしかゝ)ると、折(をり)から向(むかふ)より二人(ふたり)の囚人(しうじん)と四人(にん)の銃(じゆう)を負(お)ふて附添(つきそ)ふて來(く)る兵卒(へいそつ)とに、ぱつたりと出會(でつくわ)す。彼(かれ)は何時(いつ)が日(ひ)も囚人(しうじん)に出會(でつくわ)せば、同情(どうじやう)と不愉快(ふゆくわい)の感(かん)に打(う)たれるのであるが、其日(そのひ)は又(また)奈何云(どうい)ふものか、何(なん)とも云(い)はれぬ一種(しゆ)の不好(いや)な感覺(かんかく)が、常(つね)にもあらずむら/\と湧(わ)いて、自分(じぶん)も恁(か)く枷(かせ)を箝(は)められて、同(おな)じ姿(すがた)に泥濘(ぬかるみ)の中(なか)を引(ひ)かれて、獄(ごく)に入(いれ)られはせぬかと、遽(にはか)に思(おも)はれて慄然(ぞつ)とした。其(そ)れから町人(ちやうにん)の家(いへ)よりの歸途(かへり)、郵便局(いうびんきよく)の側(そば)で、豫(かね)て懇意(こんい)な一人(ひとり)の警部(けいぶ)に出遇(であ)つたが警部(けいぶ)は彼(かれ)に握手(あくしゆ)して數歩計(すうほばか)り共(とも)に歩(ある)いた。すると、何(なん)だか是(これ)が又(また)彼(かれ)には只事(たゞごと)でなく怪(あや)しく思(おも)はれて、家(いへ)に歸(かへ)つてからも一日中(にちぢゆう)、彼(かれ)の頭(あたま)から囚人(しうじん)の姿(すがた)、銃(じゆう)を負(お)ふてる兵卒(へいそつ)の顏(かほ)などが離(はな)れずに、眼前(がんぜん)に閃付(ちらつ)いてゐる、此(こ)の理由(わけ)の解(わか)らぬ煩悶(はんもん)が怪(あや)しくも絶(た)えず彼(かれ)の心(こゝろ)を攪亂(かくらん)して、書物(しよもつ)を讀(よ)むにも、考(かんが)ふるにも、邪魔(じやま)をする。彼(かれ)は夜(よる)になつても燈(あかり)をも點(つ)けず、夜(よも)すがら眠(ねむ)らず、今(いま)にも自分(じぶん)が捕縛(ほばく)され、獄(ごく)に繋(つな)がれはせぬかと唯(たゞ)其計(そればか)りを思(おも)ひ惱(なや)んでゐるのであつた。
 然(しか)し無論(むろん)、彼(かれ)は自身(じしん)に何(なん)の罪(つみ)もなきこと、又(また)將來(しやうらい)に於(おい)ても殺人(さつじん)、窃盜(せつたう)、放火(はうくわ)などの犯罪(はんざい)は斷(だん)じて爲(せ)ぬとは知(し)つてゐるが、又(また)獨(ひとり)つく/″\と恁(か)うも思(おも)ふたのであつた。故意(こい)ならず犯罪(はんざい)を爲(な)すことが無(な)いとも云(い)はれぬ、人(ひと)の讒言(ざんげん)、裁判(さいばん)の間違(まちがひ)などは有(あ)り得(う)べからざる事(こと)だとは云(い)はれぬ、抑(そもそ)も裁判(さいばん)の間違(まちがひ)は、今日(こんにち)の裁判(さいばん)の状態(じやうたい)にては、最(もつと)も有(あ)り有(う)べき事(こと)なので、總(そう)じて他人(たにん)の艱難(かんなん)に對(たい)しては、事務上(じむじやう)、職務上(しよくむじやう)の關係(くわんけい)を有(も)つてゐる人々(ひと/″\)、例(たと)へば裁判官(さいばんくわん)、警官(けいくわん)、醫師(いし)、とかと云(い)ふものは、年月(ねんげつ)の經過(けいくわ)すると共(とも)に、習慣(しふくわん)に依(よ)つて遂(つひ)には其相手(そのあいて)の被告(ひこく)、或(あるひ)は患者(くわんじや)に對(たい)して、單(たん)に形式以上(けいしきいじやう)の關係(くわんけい)を有(も)たぬやうに望(のぞ)んでも出來(でき)ぬやうに、此(こ)の習慣(しふくわん)と云(い)ふ奴(やつ)がさせて了(しま)ふ、早(はや)く言(い)へば彼等(かれら)は恰(あだか)も、庭(には)に立(た)つて羊(ひつじ)や、牛(うし)を屠(ほふ)り、其(そ)の血(ち)には氣(き)が着(つ)かぬ所(ところ)の劣等(れつとう)の人間(にんげん)と少(すこ)しも選(えら)ぶ所(ところ)は無(な)いのだ。
 翌朝(よくあさ)イワン、デミトリチは額(ひたひ)に冷汗(ひやあせ)をびつしよりと掻(か)いて、床(とこ)から吃驚(びつくり)して跳起(はねおき)た。もう今(いま)にも自分(じぶん)が捕縛(ほばく)されると思(おも)はれて。而(さう)して自(みづか)ら又(また)深(ふか)く考(かんが)へた。恁(か)くまでも昨日(きのふ)の奇(く)しき懊惱(なやみ)が自分(じぶん)から離(はな)れぬとして見(み)れば、何(なに)か譯(わけ)があるのである、さなくて此(こ)の忌(いま)はしい考(かんがへ)が這麼(こんな)に執念(しふね)く自分(じぶん)に着纒(つきまと)ふてゐる譯(わけ)は無(な)いと。
『や、巡査(じゆんさ)が徐々(そろ/\)と窓(まど)の傍(そば)を通(とほ)つて行(い)つた、怪(あや)しいぞ、やゝ、又(また)誰(たれ)か二人(ふたり)家(うち)の前(まへ)に立留(たちとゞま)つてゐる、何故(なぜ)默(だま)つてゐるのだらうか?』
 是(これ)よりしてイワン、デミトリチは日夜(にちや)を唯(たゞ)煩悶(はんもん)に明(あか)し續(つゞ)ける、窓(まど)の傍(そば)を通(とほ)る者(もの)、庭(には)に入(い)る者(もの)は皆(みな)探偵(たんてい)かと思(おも)はれる。正午(ひる)になると毎日(まいにち)警察署長(けいさつしよちやう)が、町盡頭(まちはづれ)の自分(じぶん)の邸(やしき)から警察(けいさつ)へ行(い)くので、此(こ)の家(いへ)の前(まへ)を二頭馬車(とうばしや)で通(とほ)る、するとイワン、デミトリチは其度毎(そのたびごと)、馬車(ばしや)が餘(あま)り早(はや)く通(とほ)り過(す)ぎたやうだとか、署長(しよちやう)の顏付(かほつき)が別(べつ)で有(あ)つたとか思(おも)つて、何(な)んでも此(こ)れは町(まち)に重大(ぢゆうだい)な犯罪(はんざい)が露顯(あら)はれたので其(そ)れを至急(しきふ)報告(はうこく)するのであらうなどと極(き)めて、頻(しき)りに其(そ)れが氣(き)になつてならぬ。
 家主(いへぬし)の女主人(をんなあるじ)の處(ところ)に見知(みし)らぬ人(ひと)が來(き)さへすれば其(そ)れも苦(く)になる。門(もん)の呼鈴(よびりん)が鳴(な)る度(たび)に惴々(びく/\)しては顫上(ふるへあが)る。巡査(じゆんさ)や、憲兵(けんぺい)に遇(あ)ひでもすると故(わざ)と平氣(へいき)を粧(よそほ)ふとして、微笑(びせう)して見(み)たり、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いて見(み)たりする。如何(いか)なる晩(ばん)でも彼(かれ)は拘引(こういん)されるのを待(ま)ち構(かま)へてゐぬ時(とき)とては無(な)い。其(そ)れが爲(ため)に終夜(よつぴて)眠(ねむ)られぬ。が、若(も)し這麼事(こんなこと)を女主人(をんなあるじ)にでも嗅付(かぎつ)けられたら、何(なに)か良心(りやうしん)に咎(とが)められる事(こと)があると思(おも)はれやう、那樣疑(そんなうたがひ)でも起(おこ)されたら大變(たいへん)と、彼(かれ)はさう思(おも)つて無理(むり)に毎晩(まいばん)眠(ね)た振(ふり)をして、大鼾(おほいびき)をさへ發(か)いてゐる。然(しか)し這麼心遣(こんなこゝろづかひ)は事實(じゝつ)に於(おい)ても、普通(ふつう)の論理(ろんり)に於(おい)ても考(かんが)へて見(み)れば實(じつ)に愚々(ばか/\)しい次第(しだい)で、拘引(こういん)されるだの、獄舍(らうや)に繋(つな)がれるなど云(い)ふ事(こと)は良心(りやうしん)にさへ疚(やま)しい所(ところ)が無(な)いならば少(すこ)しも恐怖(おそる)るに足(た)らぬ事(こと)、這麼事(こんなこと)を恐(おそ)れるのは精神病(せいしんびやう)に相違(さうゐ)なき事(こと)、と、彼(かれ)も自(みづか)ら思(おも)ふて是(こゝ)に至(いた)らぬのでも無(な)いが、偖(さて)又(また)考(かんが)へれば考(かんが)ふる程(ほど)迷(まよ)つて、心中(しんちゆう)は愈々(いよ/\)苦悶(くもん)と、恐怖(きようふ)とに壓(あつ)しられる。で、彼(かれ)ももう思慮(かんが)へる事(こと)の無益(むえき)なのを悟(さと)り、全然(すつかり)失望(しつばう)と、恐怖(きようふ)との淵(ふち)に沈(しづ)んで了(しま)つたのである。
 彼(かれ)は其(そ)れより獨居(どくきよ)して人(ひと)を避(さ)け初(はじ)めた。職務(しよくむ)を取(と)るのは前(まへ)にも不好(いや)であつたが、今(いま)は猶(なほ)一層(そう)不好(いや)で堪(たま)らぬ、と云(い)ふのは、人(ひと)が何時(いつ)自分(じぶん)を欺(だま)して、隱(かくし)にでも密(そつ)と賄賂(わいろ)を突込(つきこ)みは爲(せ)ぬか、其(そ)れを訴(うつた)へられでも爲(せ)ぬか、或(あるひ)は公書(こうしよ)の如(ごと)きものに詐欺(さぎ)同樣(どうやう)の間違(まちがひ)でも爲(し)はせぬか、他人(たにん)の錢(ぜに)でも無(な)くしたり爲(し)はせぬか。と、無暗(むやみ)に恐(おそろし)くてならぬので。
 春(はる)になつて雪(ゆき)も次第(しだい)に解(と)けた或日(あるひ)、墓場(はかば)の側(そば)の崖(がけ)の邊(あたり)に、腐爛(ふらん)した二つの死骸(しがい)が見付(みつ)かつた。其(そ)れは老婆(らうば)と、男(をとこ)の子(こ)とで、故殺(こさつ)の形跡(けいせき)さへ有(あ)るのであつた。町(まち)ではもう到(いた)る所(ところ)、此(こ)の死骸(しがい)のことゝ、下手人(げしゆにん)の噂計(うはさばか)り、イワン、デミトリチは自分(じぶん)が殺(ころ)したと思(おも)はれは爲(せ)ぬかと、又(また)しても氣(き)が氣(き)ではなく、通(とほり)を歩(ある)きながらも然(さう)思(おも)はれまいと微笑(びせう)しながら行(い)つたり、知人(しりびと)に遇(あ)ひでもすると、青(あを)くなり、赤(あか)くなりして、那麼(あんな)弱者共(よわいものども)を殺(ころ)すなどと、是程(これほど)憎(にく)むべき罪惡(ざいあく)は無(な)いなど、云(い)つてゐる。が、其(そ)れも此(こ)れも直(ぢき)に彼(かれ)を疲勞(つか)らして了(しま)ふ。彼(かれ)は乃(そこで)ふと思(おも)ひ着(つ)いた、自分(じぶん)の位置(ゐち)の安全(あんぜん)を計(はか)るには、女主人(をんなあるじ)の穴藏(あなぐら)に隱(かく)れてゐるのが上策(じやうさく)と。而(さう)して彼(かれ)は一日中(にちゞゆう)、又(また)一晩中(ひとばんぢゆう)、穴藏(あなぐら)の中(なか)に立盡(たちつく)し、其翌日(そのよくじつ)も猶且(やはり)出(で)ぬ。で、身體(からだ)が甚(ひど)く凍(こゞ)えて了(しま)つたので、詮方(せんかた)なく、夕方(ゆふがた)になるのを待(ま)つて、こツそりと自分(じぶん)の室(へや)には忍(しの)び出(で)て來(き)たものゝ、夜明(よあけ)まで身動(みうごき)もせず、室(へや)の眞中(まんなか)に立(た)つてゐた。すると明方(あけがた)、未(ま)だ日(ひ)の出(で)ぬ中(うち)、女主人(をんなあるじ)の方(はう)へ暖爐造(だんろつくり)の職人(しよくにん)が來(き)た。イワン、デミトリチは彼等(かれら)が厨房(くりや)の暖爐(だんろ)を直(なほ)しに來(き)たのであるのは知(し)つてゐたのであるが、急(きふ)に何(なん)だか然(さ)うでは無(な)いやうに思(おも)はれて來(き)て、是(これ)は屹度(きつと)警官(けいくわん)が故(わざ)と暖爐職人(だんろしよくにん)の風體(ふうてい)をして來(き)たのであらうと、心(こゝろ)は不覺(そゞろ)、氣(き)は動顛(どうてん)して、□卒(いきなり)、室(へや)を飛出(とびだ)したが、帽(ばう)も被(かぶ)らず、フロツクコートも着(き)ずに、恐怖(おそれ)に驅(か)られたまゝ、大通(おほどほり)を眞(ま)一文字(もんじ)に走(はし)るのであつた。一匹(ぴき)の犬(いぬ)は吠(ほ)えながら彼(かれ)を追(お)ふ。後(うしろ)の方(はう)では農夫(のうふ)が叫(さけ)ぶ。イワン、デミトリチは兩耳(りやうみゝ)がガンとして、世界中(せかいぢゆう)の有(あら)ゆる壓制(あつせい)が、今(いま)彼(かれ)の直(す)ぐ背後(うしろ)に迫(せま)つて、自分(じぶん)を追駈(おひか)けて來(き)たかのやうに思(おも)はれた。
 彼(かれ)は捕(とら)へられて家(いへ)に引返(ひきかへ)されたが、女主人(をんなあるじ)は醫師(いしや)を招(よ)びに遣(や)られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは來(き)て彼(かれ)を診察(しんさつ)したのであつた。
 而(さう)して頭(あたま)を冷(ひや)す藥(くすり)と、桂梅水(けいばいすゐ)とを服用(ふくよう)するやうにと云(い)つて、不好(いや)さうに頭(かしら)を振(ふ)つて、立歸(たちかへ)り際(ぎは)に、もう二度(ど)とは來(こ)ぬ、人(ひと)の氣(き)の狂(くる)ふ邪魔(じやま)を爲(す)るにも當(あた)らないからとさう云(い)つた。
 恁(か)くてイワン、デミトリチは宿(やど)を借(かり)る事(こと)も、療治(れうぢ)する事(こと)も、錢(ぜに)の無(な)いので出來兼(できか)ぬる所(ところ)から、幾干(いくばく)もなくして町立病院(ちやうりつびやうゐん)に入(い)れられ、梅毒病患者(ばいどくびやうくわんじや)と同室(どうしつ)する事(こと)となつた。然(しか)るに彼(かれ)は毎晩(まいばん)眠(ねむ)らずして、我儘(わがまゝ)を云(い)つては他(ほか)の患者等(くわんじやら)の邪魔(じやま)をするので、院長(ゐんちやう)のアンドレイ、エヒミチは彼(かれ)を六號室(がうしつ)の別室(べつしつ)へ移(うつ)したのであつた。
 一年(ねん)を經(へ)て、町(まち)ではもうイワン、デミトリチの事(こと)は忘(わす)れて了(しま)つた。彼(かれ)の書物(しよもつ)は女主人(をんなあるじ)が橇(そり)の中(なか)に積重(つみかさ)ねて、軒下(のきした)に置(お)いたのであるが、何處(どこ)からともなく、子供等(こどもら)が寄(よ)つて來(き)ては、一册(さつ)持(も)ち行(ゆ)き、二册(さつ)取去(とりさ)り、段々(だん/\)に皆(みんな)何(いづ)れへか消(き)えて了(しま)つた。

       (四)

 イワン、デミトリチの左(ひだり)の方(はう)の隣(となり)は、猶太人(ジウ)のモイセイカであるが、右(みぎ)の方(はう)にゐる者(もの)は、全然(まるきり)意味(いみ)の無(な)い顏(かほ)をしてゐる、油切(あぶらぎ)つて、眞圓(まんまる)い農夫(のうふ)、疾(と)うから、思慮(しりよ)も、感覺(かんかく)も皆無(かいむ)になつて、動(うご)きもせぬ大食(おほぐ)ひな、不汚(ふけつ)極(きはま)る動物(どうぶつ)で、始終(しゞゆう)鼻(はな)を突(つ)くやうな、胸(むね)の惡(わる)くなる臭氣(しうき)を放(はな)つてゐる。
 彼(かれ)の身(み)の周(まは)りを掃除(さうぢ)するニキタは、其度(そのたび)に例(れい)の鐵拳(てつけん)を振(ふる)つては、力(ちから)の限(かぎ)り彼(かれ)を打(う)つのであるが、此(こ)の鈍(にぶ)き動物(どうぶつ)は、音(ね)をも立(た)てず、動(うご)きをもせず、眼(め)の色(いろ)にも何(なん)の感(かん)じをも現(あら)はさぬ。唯(たゞ)重(おも)い樽(たる)のやうに、少(すこ)し蹌踉(よろけ)るのは見(み)るのも氣味(きみ)が惡(わる)い位(くらゐ)。
 六號室(がうしつ)の第(だい)五番目(ばんめ)は、元來(もと)郵便局(いうびんきよく)とやらに勤(つと)めた男(をとこ)で、氣(き)の善(い)いやうな、少(すこ)し狡猾(ずる)いやうな、脊(せ)の低(ひく)い、瘠(や)せたブロンヂンの、利發(りかう)らしい瞭然(はつきり)とした愉快(ゆくわい)な眼付(めつき)、些(ちよつ)と見(み)ると恰(まる)で正氣(しやうき)のやうである。彼(かれ)は何(なに)か大切(たいせつ)な祕密(ひみつ)な物(もの)を有(も)つてゐると云(い)ふやうな風(ふう)をしてゐる。枕(まくら)の下(した)や、寐臺(ねだい)の何處(どこ)かに、何(なに)かをそツと隱(かく)して置(お)く、其(そ)れは盜(ぬす)まれるとか、奪(うば)はれるとか、云(い)ふ氣遣(きづかひ)の爲(た)めではなく人(ひと)に見(み)られるのが恥(はづ)かしいのでさうして隱(かく)して置(お)く物(もの)がある。時々(とき/″\)同室(どうしつ)の者等(ものら)に脊(せ)を向(む)けて、獨(ひとり)窓(まど)の所(ところ)に立(た)つて、何(なに)かを胸(むね)に着(つ)けて、頭(かしら)を屈(かゞ)めて熟視(みい)つてゐる樣子(やうす)。誰(たれ)か若(も)し近着(ちかづき)でもすれば、極(きまり)惡(わる)さうに急(いそ)いで胸(むね)から何(なに)かを取(と)つて隱(かく)して了(しま)ふ。然(しか)し其祕密(そのひみつ)は直(すぐ)に解(わか)るのである。
『私(わたくし)をお祝(いは)ひなすつて下(くだ)さい。』
と、彼(かれ)は時々(とき/″\)イワン、デミトリチに云(い)ふことがある。
『私(わたくし)は第(だい)二等(とう)のスタニスラウの勳章(くんしやう)を貰(もら)ひました。此(こ)の第(だい)二等(とう)の勳章(くんしやう)は、全體(ぜんたい)なら外國人(ぐわいこくじん)でなければ貰(もら)へないのですが、私(わたくし)には其(そ)の、特別(とくべつ)を以(もつ)てね、例外(れいぐわい)と見(み)えます。』
と、彼(かれ)は訝(いぶ)かるやうに些(ちよつ)と眉(まゆ)を寄(よ)せて微笑(びせう)する。
『實(じつ)を申(まを)しますと、是(これ)はちと意外(いぐわい)でしたので。』
『私(わたくし)は奈何(どう)もさう云(い)ふものに就(つ)いては、全然(まるで)解(わか)らんのです。』
とイワン、デミトリチは愁(うれ)はしさうに答(こた)へる。
『然(しか)し私(わたくし)が早晩(さうばん)手(て)に入(い)れやうと思(おも)ひますのは、何(なん)だか知(し)つておゐでになりますか。』
 先(もと)の郵便局員(いうびんきよくゐん)は、さも狡猾(ずる)さうに眼(め)を細(ほそ)めて云(い)ふ。
『私(わたくし)は屹度(きつと)此度(こんど)は瑞典(スウエーデン)の北極星(ほくきよくせい)の勳章(くんしやう)を貰(もら)はうと思(おも)つて居(を)るです、其勳章(そのくんしやう)こそは骨(ほね)を折(を)る甲斐(かひ)のあるものです。白(しろ)い十字架(じか)に、黒(くろ)リボンの附(つ)いた、其(そ)れは立派(りつぱ)です。』
 此(こ)の六號室程(がうしつほど)單調(たんてう)な生活(せいくわつ)は、何處(どこ)を尋(たづ)ねても無(な)いであらう。朝(あさ)には患者等(くわんじやら)は、中風患者(ちゆうぶくわんじや)と、油切(あぶらぎ)つた農夫(のうふ)との外(ほか)は皆(みな)玄關(げんくわん)に行(い)つて、一つ大盥(おほだらひ)で顏(かほ)を洗(あら)ひ、病院服(びやうゐんふく)の裾(すそ)で拭(ふ)き、ニキタが本院(ほんゐん)から運(はこ)んで來(く)る、一杯(ぱい)に定(さだ)められたる茶(ちや)を錫(すゞ)の器(うつは)で啜(すゝ)るのである。正午(ひる)には酢(す)く漬(つ)けた玉菜(たまな)の牛肉汁(にくじる)と、飯(めし)とで食事(しよくじ)をする。晩(ばん)には晝食(ひるめし)の餘(あま)りの飯(めし)を食(た)べるので。其間(そのあひだ)は横(よこ)になるとも、睡(ねむ)るとも、空(そら)を眺(なが)めるとも、室(へや)の隅(すみ)から隅(すみ)へ歩(ある)くとも、恁(か)うして毎日(まいにち)を送(おく)つてゐる。
 新(あたら)しい人(ひと)の顏(かほ)は六號室(がうしつ)では絶(た)えて見(み)ぬ。院長(ゐんちやう)アンドレイ、エヒミチは新(あらた)な瘋癲患者(ふうてんくわんじや)はもう疾(と)くより入院(にふゐん)せしめぬから。又(また)誰(ゝれ)とて這麼瘋癲者(こんなふうてんしや)の室(へや)に參觀(さんくわん)に來(く)る者(もの)も無(な)いから。唯(たゞ)二ヶ月(げつ)に一度(ど)丈(だ)け、理髮師(とこや)のセミヨン、ラザリチ計(ばか)り此(こゝ)へ來(く)る、其男(そのをとこ)は毎(いつ)も醉(よ)つてニコ/\しながら遣(や)つて來(き)て、ニキタに手傳(てつだ)はせて髮(かみ)を刈(か)る、彼(かれ)が見(み)えると患者等(くわんじやら)は囂々(がや/\)と云(い)つて騷(さわ)ぎ出(だ)す。
 恁(か)く患者等(くわんじやら)は理髮師(とこや)の外(ほか)には、唯(たゞ)ニキタ一人(ひとり)、其(そ)れより外(ほか)には誰(たれ)に遇(あ)ふことも、誰(たれ)を見(み)ることも叶(かな)はぬ運命(うんめい)に定(さだ)められてゐた。
 しかるに近頃(ちかごろ)に至(いた)つて不思議(ふしぎ)な評判(ひやうばん)が院内(ゐんない)に傳(つた)はつた。
 院長(ゐんちやう)が六號室(がうしつ)に足繁(あしゝげ)く訪問(はうもん)し出(だ)したとの風評(ひやうばん)。

       (五)

 不思議(ふしぎ)な風評(ひやうばん)である。
 ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風變(ふうがは)りな人間(にんげん)で、青年(せいねん)の頃(ころ)には甚(はなはだ)敬虔(けいけん)で、身(み)を宗教上(しゆうけうじやう)に立(た)てやうと、千八百六十三年(ねん)に中學(ちゆうがく)を卒業(そつげふ)すると直(す)ぐ、神學大學(しんがくだいがく)に入(い)らうと决(けつ)した。然(しか)るに醫學博士(いがくはかせ)にして、外科(げくわ)專門家(せんもんか)なる彼(かれ)が父(ちゝ)は、斷乎(だんこ)として彼(かれ)が志望(しばう)を拒(こば)み、若(も)し彼(かれ)にして司祭(しさい)となつた曉(あかつき)は、我(わ)が子(こ)とは認(みと)めぬと迄(まで)云張(いひは)つた。が、アンドレイ、エヒミチは父(ちゝ)の言(ことば)ではあるが、自分(じぶん)は是迄(これまで)醫學(いがく)に對(たい)して、又(また)一般(ぱん)の專門學科(せんもんがくゝわ)に對(たい)して、使命(しめい)を感(かん)じたことは無(な)かつたと自白(じはく)してゐる。
 左(と)に右(かく)、彼(かれ)は醫科大學(いくわだいがく)を卒業(そつげふ)して司祭(しさい)の職(しよく)には就(つ)かなかつた。而(さう)して醫者(いしや)として身(み)を立(た)つる初(はじ)めに於(おい)ても、猶(なほ)今日(こんにち)の如(ごと)く別段(べつだん)宗教家(しゆうけうか)らしい所(ところ)は少(すく)なかつた。彼(かれ)の容貌(ようばう)はぎす/\して、何處(どこ)か百姓染(ひやくしやうじ)みて、頤鬚(あごひげ)から、ベツそりした髮(かみ)、ぎごちない不態(ぶざま)な恰好(かつかう)は、宛然(まるで)大食(たいしよく)の、呑拔(のみぬけ)の、頑固(ぐわんこ)な街道端(かいだうばた)の料理屋(れうりや)なんどの主人(しゆじん)のやうで、素氣無(そつけな)い顏(かほ)には青筋(あをすぢ)が顯(あらは)れ、眼(め)は小(ちひ)さく、鼻(はな)は赤(あか)く、肩幅(かたはゞ)廣(ひろ)く、脊(せい)高(たか)く、手足(てあし)が圖拔(づぬ)けて大(おほ)きい、其手(そのて)で捉(つか)まへられやうものなら呼吸(こきふ)も止(と)まりさうな。其(そ)れでゐて足音(あしおと)は極(ご)く靜(しづか)で、歩(ある)く樣子(やうす)は注意深(ちゆういぶか)い忍足(しのびあし)のやうである。狹(せま)い廊下(らうか)で人(ひと)に出遇(であ)ふと、先(ま)づ道(みち)を除(よ)けて立留(たちどま)り、『失敬(しつけい)』と、さも太(ふと)い聲(こゑ)で云(い)ひさうだが、細(ほそ)いテノルで然(さ)う挨拶(あいさつ)する。彼(かれ)の頸(くび)には小(ちひ)さい腫物(はれもの)が出來(でき)てゐるので、常(つね)に糊付(のりつけ)シヤツは着(き)ないで、柔(やは)らかな麻布(あさ)か、更紗(さらさ)のシヤツを着(き)てゐるので。而(さう)して其服裝(そのふくさう)は少(すこ)しも醫者(いしや)らしい所(ところ)は無(な)く、一つフロツクコートを十年(ねん)も着續(きつゞ)けてゐる。稀(まれ)に猶太人(ジウ)の店(みせ)で新(あたら)しい服(ふく)を買(か)つて來(き)ても、彼(かれ)が着(き)ると猶且(やはり)皺(しわ)だらけな古着(ふるぎ)のやうに見(み)えるので。一つフロツクコートで患者(くわんじや)も受(う)け、食事(しよくじ)もし、客(きやく)にも行(ゆ)く。然(しか)し其(そ)れは彼(かれ)が吝嗇(りんしよく)なるのではなく、扮裝(なり)などには全(まつた)く無頓着(むとんぢやく)なのに由(よ)るのである。
 アンドレイ、エヒミチが新(あらた)に院長(ゐんちやう)として此町(このまち)に來(き)た時(とき)は、此(こ)の病院(びやうゐん)の亂脈(らんみやく)は名状(めいじやう)すべからざるもので。室内(しつない)と云(い)はず、廊下(らうか)と云(い)はず、庭(には)と云(い)はず、何(なん)とも云(い)はれぬ臭氣(しうき)が鼻(はな)を衝(つ)いて、呼吸(いき)をするさへ苦(くる)しい程(ほど)。病院(びやうゐん)の小使(こづかひ)、看護婦(かんごふ)、其(そ)の子供等抔(こどもらなど)は皆(みな)患者(くわんじや)の病室(びやうしつ)に一所(しよ)に起臥(きぐわ)して、外科室(げくわしつ)には丹毒(たんどく)が絶(た)えたことは無(な)い。患者等(くわんじやら)は油蟲(あぶらむし)、南京蟲(なんきんむし)、鼠(ねずみ)の族(やから)に責(せ)め立(た)てられて、住(す)んでゐることも出來(でき)ぬと苦情(くじやう)を云(い)ふ。器械(きかい)や、道具(だうぐ)などは何(なに)もなく外科用(げくわよう)の刄物(はもの)が二つある丈(だ)けで體温器(たいをんき)すら無(な)いのである。浴盤(よくばん)には馬鈴薯(じやがたらいも)が投込(なげこ)んであるやうな始末(しまつ)、代診(だいしん)、會計(くわいけい)、洗濯女(せんたくをんな)は、患者(くわんじや)を掠(かす)めて何(なん)とも思(おも)はぬ。話(はなし)には前(さき)の院長(ゐんちやう)は往々(まゝ)病院(びやうゐん)のアルコールを密賣(みつばい)し、看護婦(かんごふ)、婦人患者(ふじんくわんじや)を手當次第(てあたりしだい)妾(めかけ)としてゐたと云(い)ふ。で、町(まち)では病院(びやうゐん)の這麼有樣(こんなありさま)を知(し)らぬのでは無(な)く、一層(そう)棒大(ぼうだい)にして亂次(だらし)の無(な)いことを評判(ひやうばん)してゐたが、是(これ)に對(たい)しては人々(ひと/″\)は至(いた)つて冷淡(れいたん)なもので、寧(むし)ろ病院(びやうゐん)の辯護(べんご)をしてゐた位(くらゐ)。病院(びやうゐん)などに入(はひ)るものは、皆(みな)病人(びやうにん)や百姓共(ひやくしやうども)だから、其位(そのくらゐ)な不自由(ふじいう)は何(なん)でも無(な)いことである、自家(じか)にゐたならば、猶更(なほさら)不自由(ふじいう)を爲(せ)ねばなるまいとか、地方自治體(ちはうじちたい)の補助(ほじよ)もなくて、町(まち)獨立(どくりつ)で立派(りつぱ)な病院(びやうゐん)の維持(ゐぢ)されやうは無(な)いとか、左(と)に右(かく)惡(わる)いながらも病院(びやうゐん)の有(あ)るのは無(な)いよりも増(まし)であるとかと。
 アンドレイ、エヒミチは院長(ゐんちやう)として其職(そのしよく)に就(つ)いた後(のち)恁(かゝ)る亂脈(らんみやく)に對(たい)して、果(はた)して是(これ)を如何樣(いかやう)に所置(しよち)したらう、敏捷(てきぱき)と院内(ゐんない)の秩序(ちつじよ)を改革(かいかく)したらうか。彼(かれ)は此(こ)の不順序(ふじゆんじよ)に對(たい)しては、さのみ氣(き)を留(と)めた樣子(やうす)はなく、唯(たゞ)看護婦(かんごふ)などの病室(びやうしつ)に寐(ね)ることを禁(きん)じ、機械(きかい)を入(い)れる戸棚(とだな)を二個(ふたつ)備付(そなへつ)けた計(ばか)りで、代診(だいしん)も、會計(くわいけい)も、洗濯婦(せんたくをんな)も、元(もと)の儘(まゝ)に爲(し)て置(お)いた。
 アンドレイ、エヒミチは知識(ちしき)と廉直(れんちよく)とを頗(すこぶ)る好(この)み且(か)つ愛(あい)してゐたのであるが、偖(さて)彼(かれ)は自分(じぶん)の周圍(まはり)には然云(さうい)ふ生活(せいくわつ)を設(まう)ける事(こと)は到底(たうてい)出來(でき)ぬのであつた。其(そ)れは氣力(きりよく)と、權力(けんりよく)に於(お)ける自信(じしん)とが足(た)りぬので。命令(めいれい)、主張(しゆちやう)、禁止(きんし)、恁云(かうい)ふ事(こと)は凡(すべ)て彼(かれ)には出來(でき)ぬ。丁度(ちやうど)聲(こゑ)を高(たか)めて命令(めいれい)などは決(けつ)して致(いた)さぬと、誰(たれ)にか誓(ちかひ)でも立(た)てたかのやうに、呉(く)れとか、持(も)つて來(こ)いとかとは奈何(どう)しても言(い)へぬ。で、物(もの)が食(た)べたくなつた時(とき)には、何時(いつ)も躊躇(ちうちよ)しながら咳拂(せきばらひ)して、而(さう)して下女(げぢよ)に、茶(ちや)でも呑(の)みたいものだとか、飯(めし)にしたいものだとか云(い)ふのが常(つね)である、其故(それゆゑ)に會計係(くわいけいがゝり)に向(むか)つても、盜(ぬす)むではならぬなどとは到底(たうてい)云(い)はれぬ。無論(むろん)放逐(はうちく)することなどは爲(な)し得(え)ぬので。人(ひと)が彼(かれ)を欺(あざむ)いたり、或(あるひ)は諂(へつら)つたり、或(あるひ)は不正(ふせい)の勘定書(かんぢやうがき)に署名(しよめい)をする事(こと)を願(ねが)ひでもされると、彼(かれ)は蝦(えび)のやうに眞赤(まつか)になつて只管(ひたすら)に自分(じぶん)の惡(わる)いことを感(かん)じはする。が、猶且(やはり)勘定書(かんぢやうがき)には署名(しよめい)をして遣(や)ると云(い)ふやうな質(たち)。
 初(はじめ)にアンドレイ、エヒミチは熱心(ねつしん)に其職(そのしよく)を勵(はげ)み、毎日(まいにち)朝(あさ)から晩(ばん)まで、診察(しんさつ)をしたり、手術(しゆじゆつ)をしたり、時(とき)には産婆(さんば)をも爲(し)たのである、婦人等(ふじんら)は皆(みな)彼(かれ)を非常(ひじやう)に褒(ほ)めて名醫(めいゝ)である、殊(こと)に小兒科(せうにくわ)、婦人科(ふじんくわ)に妙(めう)を得(え)てゐると言囃(いひはや)してゐた。が、彼(かれ)は年月(としつき)の經(た)つと共(とも)に、此事業(このじげふ)の單調(たんてう)なのと、明瞭(あきらか)に益(えき)の無(な)いのとを認(みと)めるに從(したが)つて、段々(だん/\)と厭(あ)きて來(き)た。彼(かれ)は思(おも)ふたのである。今日(けふ)は三十人(にん)の患者(くわんじや)を受(う)ければ、明日(あす)は三十五人(にん)來(く)る、明後日(あさつて)は四十人(にん)に成(な)つて行(ゆ)く、恁(か)く毎日(まいにち)、毎月(まいげつ)同事(おなじこと)を繰返(くりかへ)し、打續(うちつゞ)けては行(ゆ)くものゝ、市中(まち)の死亡者(しばうしや)の數(すう)は決(けつ)して減(げん)じぬ。又(また)患者(くわんじや)の足(あし)も依然(いぜん)として門(もん)には絶(た)えぬ。朝(あさ)から午(ひる)まで來(く)る四十人(にん)の患者(くわんじや)に、奈何(どう)して確實(かくじつ)な扶助(たすけ)を與(あた)へることが出來(でき)やう、故意(こい)ならずとも虚僞(きよぎ)を爲(な)しつゝあるのだ。一統計年度(とうけいねんど)に於(おい)て、一萬二千人(にん)の患者(くわんじや)を受(う)けたとすれば、即(すなは)ち一萬二千人(にん)は欺(あざむ)かれたのである。重(おも)い患者(くわんじや)を病院(びやうゐん)に入院(にふゐん)させて、其(そ)れを學問(がくもん)の規則(きそく)に從(したが)つて治療(ちれう)する事(こと)は出來(でき)ぬ。如何(いか)なれば規則(きそく)はあつても、茲(こゝ)に學問(がくもん)は無(な)いのである。哲學(てつがく)を捨(すて)て了(しま)つて、他(た)の醫師等(いしやら)のやうに規則(きそく)に從(したが)つて遣(や)らうとするのには、第(だい)一に清潔法(せいけつはふ)と、空氣(くうき)の流通法(りうつうはふ)とが缺(か)くべからざる物(もの)である。然(しか)るに這麼不潔(こんなふけつ)な有樣(ありさま)では駄目(だめ)だ。又(また)滋養物(じやうぶつ)が肝心(かんじん)である。
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