ポルト・リシュとクウルトリイヌ
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著者名:岸田国士 

 ジョルジュ・ド・ポルト・リシュは千八百四十九年に生れたのだから、今年七十八歳である。
 ジョルジュ・クウルトリイヌは千八百六十年生れで、これは当年六十七歳である。
 何れも最近は創作の筆を絶つてゐるやうであるが、どういふわけがあるのか、作家は死ぬまで筆を取つてゐなければならないといふ規則もなし、身心共に疲れて、なほ、駄作に製造に汲々たる有様は、却つて絶筆を清からしむる所以ではあるまい。

 ポルト・リシュの両親は共に伊太利人で、早くから仏国ボルドオに移り住んでゐたものらしく、ジョルジュは、此の葡萄酒の産地で、仏蘭西人として生れ、且つ育つた。
 クウルトリイヌは、「最も純粋な仏蘭西語を話す都市」として、バルザック、デッウシュ、ブシコオ、クルウエ等の生地として、はたまた、ルワアル河の古城巡りの起点として名高いツウルの出身である。本名はジョルジュ・ムワノオ、これを訳せば(固有名詞の翻訳はやや乱暴であるが)「雀のジョルジュ」である。ジュウル・ルナアルが「狐のジュウル」であると好一対、彼は流石に、燕雀たることに甘んじなかつた。
 固有名詞翻訳の序に、ポルト・リシュに及べば、ポルトはポルトガル産の美酒、リシュは「富める」の意。「芳醇なるポルト酒」の風味は、やがて、彼の芸術を偲ばせるものかも知れぬ。(こんな駄洒落を本気にして貰つては困る)

 自由劇場関係の作家は、此の二人のほかにいくらも有り、ジャン・ジュリヤンの不遇を別にしては、それぞれ才能相当の認められ方をしたのであるが、例へばフランスワ・ド・キュレル、ユウジェエヌ・プリユウ、アンリ・ラヴダン、エミイル・ファアブル等は、何れもアカデミイ会員に推されて、大いに官学的臭気を放つてゐるのに反し、ポルト・リシュとクウルトリイヌは、どうしたわけか、民衆に愛されるほど、批評家に担ぎ上げられなかつた。それでも、ポルト・リシュは、最近に至つて、やうやく、アカデミイの椅子を占め、その渇仰者たちをして、いささか慰むるところあらしめたが、クウルトリイヌは、たしかまだそんな話を聞かぬ。それどころか、近頃、周囲のものから、アカデミイ会員の候補に立つことを勧められながら、「競争者がゐなければ……」と云つて笑つてゐるといふ話さへ聞いた。競争者……クウルトリイヌは、なるほど、自分をファルスの主人公にしたくはないだらう。

 ポルト・リシュは、大戦前後から、めきめきと評判を上げた。ことに、「恋の女」がコメディイ・フランセエズの舞台にかけられてから、その人気は一時に沸騰した観がある。
 私は、巴里で、此の「恋の女」や「過去」を観、はじめて戯曲の本質について、ある発見をしたとさへおもつてゐる。
 ポルト・リシュの翻訳は是非やつてみたいと思つてゐたが、たまたま今度第一書房の仕事に関係して、その素志を果たす機会を得た。
 処が、詩人ポルト・リシュの翻訳には、誰が見ても最も適任である堀口大学、西条八十の両君が、これに当つて下さらない法はない――といふわけで、それぞれ一篇づつ受け持つことになつた。

 堀口君は、巴里で新曲「昔の男」の演出を観て来られたさうであるから、鬼に鉄棒である。西条君もかねがね「恋の女」に傾倒し、その舞台的魅力に酔はされたことと思ふから、これもその麗筆と相俟つて、よい翻訳をされる事だらう。
 私は実際、ポルト・リシュにはまゐつてゐる。力に余るとはこのことだらう。大いに勉強して、出来るだけやつてみるつもりである。三人三様の翻訳振りは、ポルト・リシュの鑑賞に一つの興味ある問題を提供するに異ひない。

 クウルトリイヌは、もつと日本に紹介されていい作家である。二篇だけでは少し物足りない。これは何れ、誰かが、例へば、岩田豊雄君のやうな適任者が、これからどんどん私たちの希望を満たしてくれることと思ふ。それで初めてクウルトリイヌの全幅がうかがへるのである。

 ポルト・リシュに関する詳しい紹介は、「恋の女」「過去」二篇を含む第十六巻の末尾に附する計画である。これは私が書くことになつてゐる。

 なほ、本巻に載せた「昔の男」は、上演時間といふことを離れて書きつづけたらしく、実際舞台にかけるときには、作者の指示によつて、ある部分が、削除されるはずである。




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