劇場と作者
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著者名:岸田国士 

見ると、一向聞いたことのない名前ばかりだ。アンリ・バタイユとか、トリスタン・ベルナアルつて云ふやうな先生はどうしてへえらねえんだ」と疑い出した。「そんなら、劇作家がへえつたつて、別にCGTの名誉にもならねえ」と思つた。然し、同病は日ならずして相憫み、相愛し、相助けるやうになつた。こゝで特筆すべきことは、貧乏ではないがコンミュニストの一劇作家は、久しくヴォオドヴィル座に原稿を「眠らされ」てゐたが、劇作家組合に加入して、CGTの仲間入をすると、すぐに同劇場の機械係、小道具係、電気係等の運動でその脚本が上演され、サンヂカリズムの予期せざる効果が現れたことである。

 そこで、今後注目に価するのは、此のCGT劇場である。無資力無後援の隠れた才能を世に出すと云ふのが同劇場の目的であるとすれば、必ずしも主義宣伝劇に終始するわけでもあるまい。
 一度上演された脚本は、始めて単行本として印刷される可能性ができるわけである。前にも述べたやうに、脚本の原稿を本屋や雑誌社に売込むと云ふことは先づ絶対に無いと云つていい。この点、日本などゝ反対のやうであるが、今、遽かにその可否を断ずることは出来ない。
 成るほど、仏蘭西(英独あたりでも同様だと思ふが)のやうな国では、劇作家が舞台以外で自作を公表する方法が無い。従つて、上演しさへすればその価値を認められるやうな作品でも、比較的長く人目に触れないでゐることが多いかも知れない。せめて印刷されて、読まれる機会でもあれば、さう云ふ人達に取つては幸せであらう。然し、一方で、さう云ふ国の劇場主は、競つて優れた新作品を探し出さうとしてゐる。勿論、評価の規準はまちまちに違ひない。たゞ、「佳いものなら、上演しよう」と待ち構えてゐる劇場が相当にある。大家のもの、人気作者のものでなければやらないと云ふやうな劇場も可なりあるにはある。が、それだけまた、権威ある批評家、劇壇の耆宿、理解ある舞台監督等が、常に、若い無名作家の原稿を読んで、佳いものがあれば相当の劇場に推薦することを努めてゐる。アントワアヌの如きは、今日に至るまで、机上に堆高く積まれた原稿を、根気よく片端から読んで行き、百のうちに一つでも掘り出し物があれば、「自分の仕事は無意義でない」と思つてゐる。キユレルなども、その点にかけては、頼母しい先輩だと云ふ話である。
 一興行二時間半乃至三時間半、その間に、一作家の一作品を上演する。それが原則であるから、劇場主と作者と主役俳優との関係は頗る緊密である。一つの出し物が「当れ」ば幾月でも打ち続ける。歩合でふくらむ作者の懐ろ加減想ふべしである。
 たゞ、営利を目的としない劇場では、交互上演法によつて、出し物を毎日入れ替へる。一攫千金を夢みる作者は、かう云ふ劇場をあまり悦ばない。
 作者対劇場主及俳優の問題について、いろいろ研究すべきこともあるが、あまり立ち入つた話しはやめにする。
 序に、劇作家協会は作曲家協会と合併したことを附け加へて置く。協会の内容は、何時かもつと詳しく紹介したいと思つてゐる。




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