街はふるさと
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著者名:坂口安吾 

     深夜の宴


       一

「ア。記代子さん」
 熱海駅の改札口をでようとする人波にもまれながら、放二はすれちがう人々の中に記代子の姿をみとめて、小さな叫び声をのんだ。
 記代子は、彼がみとめる先に、彼に気付いていたようだ。
 けれども、視線がふれると、記代子は目を白くして、ふりむいた。そして人ごみの流れに没してしまった。
 放二は深くこだわらなかった。記代子が熱海に来ていたことに不思議はない。これから彼が訪ねようとする大庭長平を、彼女も訪ねてきたのだ。なぜなら、長平は記代子の叔父だから。
 長平の常宿は幻水荘である。彼は京都から上京のたびに、まず熱海に二三泊する。戦争中の将軍連が戦線から帰還参内するときのオキマリに似ているから、文士仲間や雑誌記者は、彼の上京を大庭将軍参内と称している。その熱海着の報告をうけとるのは放二のつとめる雑誌社だ。長平のキモイリでできた雑誌社である。放二は長平係りの記者で、上京中の日程をくみ、雑用をたすのである。
 しかし、長平の口添えで、姪の記代子が入社してからは、上京中の長平のうしろに、男女二名のカバン持ちが、影のように添うことになった。
「いま記代子が帰ったところだよ」
「ええ。駅で、お見かけしました」
「どうして一しょに来なかったの?」
「ちょッとほかへ回る用がありましたので」
 と、放二はさりげなく答えた。長平の問いかけに深い意味があろうとは思わなかったからである。長平は人のことにはセンサクしない男である。ところが、ちょッと、目が光った。
「記代子は、君が来ないうちに帰るのだと言って、いそいでいたぜ」
「ハア」
「何かあったのかい?」
 放二は口をつぐんだ。そして、考えた。思い当ることはあったが、意外でもあった。
 昨夜、社がひけて、二人は一しょに家路についた。新宿は二人が別々の方向へ岐(わか)れる地点だ。そこで下車してお茶をのんだが、記代子は放二のアパートまで送って行くと言いだした。
 放二はその場では逆らわなかったが、駅の地下道へくると、
「ぼく、あなたをお送りします。ぼくが送っていただくなんて、アベコベですから」
 放二は他意のない微笑をうかべ、記代子のプラットフォームの方へ進もうとすると、
「いいの!」
 記代子がカン高い声でさえぎった。おしとめるように立ちはだかったが、顔の血の気がひいている。ひきつッている。
「さよなら」
 と言いすてると、ふりむいて、去ってしまった。
 そんな出来事が昨夜あった。しかし、それぐらいのことで今日もまだ腹を立てているとは思われない。一しょに熱海へ来る筈だったが、三時間待っても記代子がこない。急用ができたのだろうと放二は思った。そして、熱海駅ですれちがった時にも、何か都合があるのだろうと思い、汽車の時間があるので急いで行ってしまったのだろうと、なんのコダワリもなく考えていた。

       二

「一しょに熱海へくるはずでしたけど、東京駅でお会いできなかったのです。ぼくが時刻をまちがえてお待ちしていたのでしょう。三時間待って、熱海へついたら、帰られる記代子さんとすれちがったのです」
 こだわるイワレがあろうとは思われないから、放二は思った通りのことを言った。
 しかし長平は意外に冷めたく、とりあわなかった。
「記代子は君に会いたくないと言っていたのだよ」
「ハア」
「君たち二人の私事に強いてふれたいとも思わないが、同じ社の仲間同士反目しても、つまらん話さ。とりわけぼくに親しい御両氏が睨み合ってたんじゃ、ぼくも助からんからな」
「ええ」
 たかが放二をアパートまで送ってくれるというのを拒絶したぐらいのことで、記代子がそんなに腹を立てゝいるというのは意外である。しかし、今までのことを思うと、思い当ることもあった。
 記代子は放二のアパートを見たがっていたが、放二はいつも言を左右にして、近寄らせないようにしていた。見せて悪い秘密でもないが、見せない方が無難に相違ない。軽いイワレがあってのことだ。
 いつか二人そろって鎌倉の作家のところへ原稿をもらいに行って、御馳走になったことがある。のめない酒をすすめられて、二人はかなり酔った。わりと早くイトマを告げたのだが、鎌倉のことで、新宿へついた時には、記代子の市電がなくなっていた。
「放二さんに泊めていただくわ」
 記代子は安心しきっていた。
「ええ」
 放二はさからわなかったが、中央線には乗らなかった。記代子を散歩にさそって、夜の明けるまで、神宮外苑をグルグル歩きまわっていたのである。始電がうごきだして、新宿駅で別れたとき、疲れきって、物を言う力もなかった。
 そのときも、記代子は怒った。数日間、放二に話しかけなかった。
 深夜から夜の明けるまで外苑を歩かされたのだから、怒るのもムリがないと思っていた。しかし昨夜はそれほどのことではない。けれども、怒っているとすれば、アパートを見せないせいだ。
 そんなことで怒られるとは、放二は悲しいことだった。
「君は奥さんがあるのかい」
「は?」
 放二はビックリして顔をあげたが、
「いいえ」
 長平を見つめて、答えた。
 澄んだ目だ。弱々しい目だが、正しい心と、よく躾けられた情操がみなぎっている。こんな澄みきった目の青年を疑るなんて、オレもどうかしているなと長平は内々苦笑した。
「記代子がそんなことを疑っているらしいのでね」
 長平は笑った。
「どうも、娘がさ。人に女房があるかないか気に病むなんて、怪(け)しからん話だがね」

       三

 しかし長平は笑ってすますワケにもいかなかった。
「君は御両親がなかったのだね」
「ええ。一人ぼっちです。ぼくは棄て子なんです。ぼくの名も、拾って育ててくれた人がつけてくれたのです。養父母は三月十日の空襲で死にました」
 その来歴はかねて長平もきき知っていた。しかし、何度きいても、解せないのだ。放二は心も情操も正しいように、容貌風姿も貴公子であった。拾われて育てられた棄て子が、そして、終戦後は孤児となり苦学して私大の文科をでたという荒波にもまれ通した子供が、なんのヒネクレた翳もなく、若年にして長者の温容を宿しているというのがわからない。
 記代子も戦災で父母を失っていた。それ以後は叔父の長平がひきとって、親代りに育てたのである。
 記代子を勤めにだしたとき、放二と愛し合うようになっても悪くはない、むしろ期待するような気持があった。それぐらい放二の人柄を愛していた。
 しかし記代子の観察も、女らしくて面白い。放二は人の着古したものを貰いうけて身につけていたが、それを整然と着こなして、人に不快を与えない。天性の礼節が一挙一動に行きとどいているせいでもある。けれどもシサイに見ると、いかがわしいところがあった。
 今もって、すりへってイビツな軍靴をはいている。何十ぺんツギをあてたか分らぬような、雑巾のような靴下をはいている。
 はじめて見た人は、当節の貴公子はタケノコだから、と、かえって痛々しく思うかも知れないが、毎日見なれている者には気にかかることであった。
 放二の慎み深い気質では、自分の破れ靴下が気にかかるのは当然で、訪問先で坐り様がいかにも窮屈そうなのは、靴下を隠すようにしているせいだ。
 放二の給料は年齢のわりに多かったし、長平から貰う手当もあるので、靴や靴下が買えないほど窮迫するイワレがなかった。
 誰も見てやる人のない孤児のせいだ、と記代子は考える。これは温い見方であった。
 しかし、腹が立つと、冷めたくアベコベに考える。孤児で独身の放二は誰の生活を見てやる必要もないのである。青年たちはお酒で貧乏しているが、放二はお酒も好きではない。それだのに、靴や靴下を買うお金まで何に使っているのだろう?
 そこで記代子は結論する。女がいるのだ、と。悪い女と秘密の家庭を持っているのだ。何年間もドタ靴や破れ靴下をはかせておくような悪い女と。
 長平は記代子の見方にも道理があると考えた。彼が与える手当だけでも世間並の生活はできるはずだ。タシナミのよい放二が、なぜドタ靴や破れ靴下を新調することができないのだろう。
「娘の感覚は特殊なものがあるよ。ねえ、北川君。何かしら嗅ぎつけたことがなければ、君に細君があるなんて疑ぐりやしないぜ。奴め、何を嗅ぎつけたのだろう?」
「はア」
 放二はみんな長平に語ろうと思った。記代子にもれるかも知れないが、知られて困るようなことでもないのだ。

       四

「べつに秘密にしていたワケじゃないのです。男の友達はみんな知ってることなんですが、女の方には、知られていけなくはありませんが、柄のよいことではありませんから」
「なんだい、それは?」
「ときどき、女たちが遊びにくるのです」
 放二は微笑している。長平はそれを素直にうけとった。女たち。放二は「たち」と云ったはずだ。なにか意味があるに相違ない。
「女たち、ね」
「ええ。泊りにくるのです」
「女たちがかい」
「ええ。パンパンです」
 長平もちょっと二の句がつげない。この青年からパンパンという言葉をきいても、全然不釣合いで、架空の話をきかされているようである。パンパンが遊びにくる。泊って行く。アベコベだ。しかし、戦後派の神話的な現実が実存しているかも知れないので、長平も思い余った。
「君、パンパンと同棲しているのかい」
「いいえ。ときどき泊りにくるのです。あの子たちは自分の住居がありませんから。間借りしている子もいますが、宿なしの子もいるんです。お客があるときは一しょにホテルへ泊りますが、アブレると眠る家がないのです」
「どうして君のところへ泊りにくるの」
「マーケットで、自然、知りあったのです。ぼくのアパートはマーケットの真裏ですから」
「日本も変ったもんだね」
「ハア」
 長平の無量の感慨は放二には通じなかった。この青年にはその現実があるだけだ。素直に、そして、たぶんマジメに、彼は生きているだけだろう。
「君、地回りかい」
 放二はクスリと笑っただけである。
「地回りに、なぐられないかい」
「まだそんな経験はありません」
 二人の会話は重点がずれているようだ。放二にとっては、なんでもない平凡な生活のようであった。
「先生。いちど遊びにいらして下さい。パンパンたち、御紹介します」
「変った子がいるの?」
「べつに変ってもいませんけど、簡単にイレズミを落すクスリができたら、喜ぶでしょうね。はやまって彫って、新しい恋人ができるたびに後悔してるんです」
「君も恋人かい」
「いいえ」
 放二はアッサリ否定して、話をつづけた。
「一人だけ、先生が興味をお持ちになるかも知れません。この子のことで、男が三人死んでます。外国人も。殺したのも、殺されたのも、自殺したのもいますが、みんな、ピストル。そして、三ツの場合ともこの子の目の前で行われたのです」
「妖婦なのかい」
「いいえ。無邪気な子です。まだ十九、可愛い顔をしています」
 放二の言葉は淡々として、つかみどころがない。きいただけでは、父兄がわが子を語っているようで、長平はくすぐったいような変な気持だ。すると、放二の言葉がつづいて、
「いちど見てごらんになりませんか。美しいとお思いになるかも知れません」

       五

 数日後、二人は中央線の某駅で降りた。零時ごろである。銀座と新宿の梯子酒のあとだ。のめない放二は二三杯のビールで耳まで真ッ赤であった。
 マーケットで、放二は一軒のオデン屋をのぞいた。四十がらみのオヤジが帰り支度をしていた。
「オジサン。おしまいですか」
「ヤア。いいゴキゲンですね。オデンにしますか」
「ええ。お酒と。持って帰りたいのです。お客様がありますから。こちら、大庭先生です」
「ヤ。それは、それは。お噂は毎日北川さんからうかがっております」
 オヤジは表へ出て挨拶した。
「オジサンも、いっしょに、いかが」
「そうですか。じゃ、そうさせていただきましょう」
 オヤジは戸締りをして、酒ビンや売れ残りの食べ物類を包んだ大きな荷物を両手にぶらさげて出てきた。
 放二のアパートはマーケットの隣であった。暗い入口でガヤガヤやっていると、管理室の扉があいて、やせた男が現れた。
「北川さん。こまるよ。あんたは承知で、自分の部屋をパンパン宿にさせておくのかね」
「ハ。すみません。ヤエちゃんが気分が悪いそうですから、苦しかったら、やすんでいるようにと、カギを渡しといたんです」
「気分が悪いッて? 笑わしちゃア、いけないよ。あんたの留守に、お客をくわえこんで商売してるじゃないか」
 さすがに意外だったらしく、放二は声をのんで、うなだれた。
「私ゃ、あんたに部屋をかしてるが、パンパンにかしてるんじゃないんだ。パンパン宿にかすんなら、貸し様があらアね」
「北川さんは神様みたいな人ですよ。悪気があってじゃないんだから、カンニンしてあげて下さいな」
 と、オデン屋のオヤジがとりなした。
 放二の連れが、いつもの若い連中でなく、年配の長平たちだから、管理人も意外だったらしい。ジロジロと三人を眺めまわしたあげく、だまったまま、ふりむいて、ひッこんでしまった。
「あんなに言うことないね。このアパートにゃ、パンパンもいるんだ。みんな店をひらいてらアな」
「ぼくの部屋代が滞りがちだからです」
 と、放二は苦笑してオヤジにだけ聞えるように言ったが、耳の鋭い長平は、状況判断を加算して、ききとることができた。
 世間の激浪に損われた跡がミジンも見えない貴公子のようなこの青年に、彼の過去がすべてそうであったように、現在も冷酷無情な現実がヒシヒシとりまいていることを、はじめて長平は知ることができた。それを在るがまま受けいれて、彼の毅然たる魂は損われたことがないようだ。青年の後姿から光がさすようなのを長平は感じた。
 階段を上がると、女が一人、たたずんでいた。放二はそれを認めると、微笑して、
「ア。カズちゃん。ぼくの部屋に、ヤエちゃんのお客がいるの?」
「いいえ。とっくに、帰させました。兄さん。すみません」
 女は泣いているようだった。

       六

 部屋には二人の娘がいた。眼を泣きはらしている方がヤエ子である。壁にもたれて本を読んでいるのがルミ子。三人の男をピストルで死なせたのが、この子であった。
 一同が部屋へはいると、ヤエ子は顔をそむけた。ルミ子は一同をチラと一ベツしただけで、本を読みつゞけた。
 二人よりも、年長らしいカズ子は、荒々しい声で、
「ヤエちゃん。なんとか、おッしゃいよ。私たちがそんな女だと思われていいの」
 ヤエ子はそむけた顔をうごかさなかった。
「いいんだよ。すんじゃったことだから」
 と、放二がなだめると、カズ子は一そう不キゲンになった。
「私がヤエちゃんに代って兄さんにあやまってあげなければならないと思っていたのに、私がヤエちゃんを叱って、兄さんになだめられる始末じゃないの。変な風にさせるわね、あんたは」
「もう、いいよ」
「よかないわ。二度と再びいたしません、ぐらいのことは云ってもらいたいわね」
 ヤエ子はようやく正面を向いて、うつむいて、つぶやいた。
「魔がさしたのよ」
「あんた。自分のことを、そんな風に言うの?」
「ホテルへさそったけど、ショートタイムだからって、言うんです。私、お金がほしかったんです。部屋のない女だと思われたくなかったから」
 それまで人々に無関心のルミ子が、ようやく本から目を放して、つぶやいた。
「そんな時が、あるもんだわね。みすぼらしく思われたくない時がね。ヤエちゃん、一目でその人が好きだったのよ。わかるわね」
 かすかに笑って、又、本を読みはじめた。
 ヤエ子は坐りなおして、手をついて、
「兄さん。すみません」
 すぐ立ちあがって、部屋の外へ駈けだそうとした。
 戸口で、待ちかまえたように抱きとめたのは、オデン屋のオヤジである。
「よし、よし。それで、すんだんだ。すみません、と一言いいさえすれば、水に流そうと思って、みなさん待ちかねていたのさ。誰だって、魔がさすことがあらアな」
 そしてヤエ子の背をさすりながら、部屋の中央へ押しだすようにしながら、
「むつかしい本を読んでるなア。女子大学生のアルバイトじやないかって、男に言われなかったかい。二三日中にこのドアを叩くね。北川さんが顔をだすと、アレ、部屋がちがった。失礼ですが、アルバイトの女子大生はどの部屋でしょう」
「オジさん。お酒の支度しましょう」
「アッ。そう、そう」
 オヤジは酒肴の支度をはじめる。カズ子はヤエ子をうながして手伝ったが、ルミ子は本から目を放そうともしなかった。
「こちらは大庭先生です」
 と放二が一同に披露すると、ルミ子は目をあげて、ニッコリした。
「当ったわ。そうだろうと思っていたわ」
「本から目も放さずにかい」
 オデン屋のオヤジがひやかすと、
「そこが職業の手練なのよ」
 とルミ子はカラカラ笑った。

       七

 酒宴はそう長くはつづかなかった。女たちは食べるだけで、酒をのまなかったし、男たちは量をすごして、開宴前から疲れていたから。
「もう、かえろうッと。ごちそうさま」
 ルミ子が立ちかけた。彼女だけが、このアパートに自分の一室をもっていた。ルミ子が立ちかけたので、オデン屋のオヤジも腰をうかして、
「オヤ。二時ちかいね。私も帰らなきゃ」
「お疲れでしょう。ザコネなさらない」
 と、放二がさそったが、
「カアチャンが心配するからね」
 立ちあがって帰りかけたルミ子は、オデン屋が腰をうかしての会話に、ふと気がついたらしく、
「オジサン。私んとこへ泊ってかない。安くまけとくわ」
「商売熱心な子だね。親類筋を口説いちゃいけないよ。これだからマーケットは物騒だって、ウチのカアチャンが心配するはずだ」
 ルミ子はものうそうに笑った。深く澄んだ目だ。こんどは長平をジッと見つめて、
「じゃア、先生、泊って下さらない」
 澄んではいるが、瞳の奥に濃色のカーテンが垂れているように思われた。そして両手を後背にくみ、首をまげて、背延びをした。長平が冗談のツモリでいると、放二が言葉を添えて、
「先生。ルミちゃんの部屋へお泊りになってはいかがですか。ここは、ぼくたち、ザコネですから。ルミちゃんがお茶をひいてて、ちょうどよい都合でした」
 彼らにとっては、なんでもない事らしかった。
 長平もこだわらぬ方がいいと思ったから、彼もさりげなく、言った。
「そうだね。それじゃ、ルミちゃんとこへ泊ることにしよう」
「うれしい」
 ルミ子は長平の頭上からおいかぶさって接吻した。そんなことも何でもないことらしく、誰もなんとも言わなかった。
「お部屋があるって、いいわねえ。こんなとこでも、お客ひろえるんだもの」
「すみません。でも、これがはじめてね。兄さんのお友達、お金もってたこと一度もないわ。あべこべにタバコまきあげるわね」
「貯金通帳見せろ、おごれよ、なんてね。兄さんのお友達、哀れだわよ」
「若いのは、ダメだ。お金もってるの泥棒だけ」
 ルミ子は笑った。彼女は現実からつかんだものをソックリ身につけて、それ以外のことに関心がないようだった。
「先生は疲れてらッしゃるから、お部屋の用意してあげたら」
 と放二にうながされて、
「アッ、そう。大事なお客様だ。めぐりあいが変テコだから、カッコウがつかないや」
 ルミ子は自分の部屋へ急ごうとして、笑いながらふりむいて、
「オジサンに、兄さんに、先生か。男がみんな居るみたいだ」
「弟も、オトウサンもあるわよ」
「そんなの、男じゃないや」
 と呟きながら立ち去った。

       八

 ルミ子の部屋にはチャブダイが一つあるだけで、ほかに家具も、目ぼしい品物もなかった。部屋の隅に日記帳が一冊ころがっていた。
「いくらだい。宿泊料は」
「半額にまけとくわ。千円」
 長平はポケットからむきだしの札束をつかみだして、二千円やった。
「さすがに先生はお金持ね。あの子たちにも、いくらか、あげてよ」
 長平はもう二千円やった。
 ルミ子はそれをつかんで部屋を去ったが、まもなく二人の女が一しょにきて礼を言った。
「おかげで明日は支那ソバたべて、映画が見られるわ」
 カズ子が言った。年のせいもあるが、この子は世帯じみていた。そして、
「お部屋があると、もっと稼げるんだけど。アア、自分の部屋がほしい」
 と云って立ち去った。
 二人の友達が去ると、ルミ子はようやく自分の時間がもどってきたように、くつろいで、
「自分の部屋が、アア欲しい、なんて、インチキ云うわね、カズちゃん」
「どうして?」
「その気になれば持てるにきまってるわ、お部屋ぐらいはね。その気持がないのよ」
「宿なしの方が気楽というわけだな」
「兄さんにもたれて、あまえてるのよ」
「北川にかい」
「ええ。今夜は二人しかいなかったけど、ほんとは五人いるの。アブレると、五人泊りこんじゃうわよ」
「なるほど。貧乏するわけだな、五人も面倒みてやるんじゃ」
「そうよ。ほんとはね、カズちゃんたち、時々アブレたって、兄さんの給料の倍ぐらい、稼いでるわね。みんなムダづかいしちゃうから、ダメね。兄さんを当(あて)にして、その日の食費もつかっちゃったりしてね。でも、仕方がないわね。甘える人が欲しいんだから。誰だってね」
 この娘は、自分だけのモノサシでハッキリと人生の構図をつくっている。自分の体験をモノサシにして。めざましいほど断定的な直線で構図されているのである。まるで八十の隠者のように。
 その構図は、肯定的で、楽天的であった。しかし彼女は自分が隠者に似ていることを自覚してはいないだろう。
「兄さんのドタ靴、ひどいわね。雑巾のような靴下。買ってあげるわけにもいかないし」
「どうして?」
「カズちゃんたちだって、買ってあげたいと思ってるのよ。でも、してあげてはいけないの。誰がきめたわけでもないけどね。この集団の本能的な嗅覚なのよ。誰かが禁を犯すでしょう。この集団はメチャ/\。最後の日だわ。兄さんは誰のものでもいけないのよ」
 数え年十九の隠者は、ここで又カラカラと笑って、
「これは、しかし、集団人の節度によるんじゃなくて、大半は兄さんの気質の産物よ」
 あどけなくて、明るい顔だ。ルミ子はホッと息をして、微笑した。
「でもね、先生。私たちのせいで、兄さんがドタ靴はかされてるんじゃないわ。元兇がいるのよ。凄い女ギャングが」

       九

「ドタ靴の元兇がね?」
「ええ。先生、知らない? その人」
「女ギャングをね。知らないな」
「婦人記者よ」
 長平の胸は騒いだ。まさか記代子ではないだろう、と思い直したが、人生ばかりは、どこで何がどうモツレているか、見当がつかないものだ。
「なんて名の人だい」
「姓名は何てッたッけな。私、いちど、見かけただけ。三十一の大年増よ。背が高くって、姿はすばらしいわ。立派な服装してるわ」
「わかった。梶せつ子という人だろう」
「そう、そう。それ」
 梶せつ子なら原稿依頼に来たことがある。はじめての時は、たしかに放二がつれてきたのである。つれてくる先に、放二の口添えがあって、恩人の娘だというようなことを言っていた。せつ子は「放二さん」となれなれしく呼んで、いかにも幼い時からの知りあいという風であったが、長平は人の私事をセンサクしないタチだから、そこまでしか知らなかった。
 せつ子は家庭雑誌の記者で、長平の書く雑誌と性質がちがっていたから、一度は義理で書いたが、その後はことわることにしたため、自然せつ子の訪れも絶えていた。
「梶せつ子がドタ靴の元兇だってのは、どういうワケだい」
「お金つぎこんでるから」
「どうして?」
「十年前から兄さんが思いつめた人ですって」
「北川がそう言ったのかい」
「いいえ。兄さんのお友達の人。でも、公然たる事実よ。兄さんの顔に書いてあるわ」
「知らなかったな。そんなことが、あるのかなア」
「若い者ッて、年長の人に心の悩みを打ちあけないもんよ」
 と、数え年十九の隠者は体験をヒレキして、夢見るような、あどけない目をした。
「アベコベねえ。リュウとした凄いようなミナリの女が、ドタ靴の男のなけなしの給料を貢がせるんだから」
 そして、又、こうつけたした。
「そんなものだわ、人生は。妙なものなのね。私たちだって、男を喜ばすために稼ぐ気持になることもあるわ。好きになッちゃったら、ハタからはミジメなものね」
「君も経験があるのかい」
「私は、ないわ。でもね。男の人をダメにしたことがあったわ。私はね、なんでもないと思ってるうち、そんな風になったの」
 この子のために三人の男が死んでるという、それを長平は思いだしたが、ルミ子の澄んだ目になんのカゲリも見えなかった。
 長平は朝早く目をさました。ルミ子はよく眠っている。目をさます気配もなかった。
 部屋の片隅にころがっているルミ子の日記帳をとりあげて、ひらいてみると、誰々にタテカエいくら、誰々からカリ、誰々から返金。日記の文章はどこにもなくて毎日の記事は貸借のメモだけだった。
 その日の午(ひる)には、長平自身の女のことで、ヤッカイな会見があるのである。放二のような無垢な青年に女出入りの交渉などさせたくないので、不便を忍んで長平ひとりで捌いてきたが、今日からは放二にも手伝ってもらうことにしようかと長平は考えた。


     恋にあらず


       一

 正午ごろ、長平は放二をつれて、銀座の中華料理店へ行った。
 すこしおくれて、青木音次郎がきた。若いのに一クセありそうなカバン持ちをつれている。
「この選挙に立たされそうでね。郷里の有志にしつこく推されてるんだ。青年層の七割まで棄権するそうでね。ぼくがでると、その半分ぼくに入れる、まア、棄権防止さ」
 いきなり、こう云って、高笑いした。
 長平は呆れて旧友をうちながめた。おろしたてのギャバジンの背広をきている。当節、新調の背広は目立つものだ。彼のは二十代がきるような明るい紺の、ピンとはった肩には仕掛けがありそうな、ショオウインドウの洋服と向い合っているようだった。
 終戦まで私大の教師をしていたころは、書斎の虫のようにジミな男であったが、そのころの面影はどこにもない。
「君」
 と、青木は連れの青年に、
「それから、君も」
 と、放二にもよびかけてカラカラ笑って、
「銘々のカバン持ちには、中座してもらいましょう。話のすむまで。御馳走には手をつけないから、安心したまえ」
 長平はムラムラと不快がこみあげた。
「ぼくにはカバン持ちはいないよ。この北川君とぼくの間には秘密がないのだ。小説を書くこと以外は北川君にやってもらうのだから。北川君にきかれてこまる話なら、ぼくも聞くのはオコトワリだ」
「まあ、君。そういったもんじゃないさ。ねえ」
 長平の鋭い語気も、青木には、扱いなれている、というようだった。ちょッとひるんだようだが、すぐカラカラと放二の方に笑いかけて、
「誰にだってナイショ話はあるものさ。ねえ、北川君。オトッツァンのナイショ話なんてものは、倅(せがれ)はききたくないやね。倅にしたって、自分のナイショ話はオヤジにきかせたくないだろうしさ。ねえ」
 放二はそれには答えなかったが、椅子から立って、長平に、
「ぼく、別室へ参ります」
「いけないな。ここに居たまえ」
 長平は制した。
「中座してもらうぐらいなら、君をここへ連れてきやしないさ。話をみんなきいてもらって、君の判断をきいてみたいと思ったからさ。坐りなさい」
 青木はあきらめた。そして自分のカバン持ちだけ立ち去らせた。
「君もガンコな人だね。ナイショ話なんてものも風流じゃないか。え?」
「君の態度を軽薄だと思わないのかい? 立候補なんてこと考えるようになると、そんな風になるもんかねえ。今日の話は、君にとっては重大なことのはずだが、君がそんな態度なら、ぼくはオツキアイはおことわりだ」
 長平は我慢できなくなって、吐きだした。それだけのワケがあってのことだ。
 青木はにわかにおし黙って考えこんだ。静かに手をのばして、ビールをぬいて、みんなのコップについで、
「乾杯」
 呟いて、グッと飲みほした。
「いや、どうも。ぼくもね。苦しかった。しかし、それもすんで、バカになったのさ」
 青白く冴えた顔に苦笑がうかんだ。

       二

「礼子がお訪ねしたそうだけど、お会いできなかったって残念がっていたよ」
 青木はさりげなく切りだした。落ちつきをとりもどしてガサツなところはなくなっていたが、昔のなんの衒いもなかった書斎人の青木の面影とはどこかしら違ったものだ。
 しかし、長平は、自分の受け取り方がヒネクレているせいかも知れないと自戒した。
 第一、青木の言葉をどう受けとっていいのか、どんな返答をしていいのか、と迷っているのだ。礼子は京都の長平を三度訪ねてきたが、いつも居留守を使って会わなかった。そんなことも、どこまで答えていいか分らない。自分に後暗いところがあるからではなく、青木の心中がはかりかねたからである。
 礼子は青木の細君だった。今は鎌倉の実家に別居しているが、別居だか、離婚だか、そのへんのところも分らない。
 終戦後二年ほどして、長平は礼子から美文の甘ったるい手紙をもらった。三度四度と重なったが、もともと小説家志望だった礼子が、終戦後の全国的に発情期的な雰囲気に、年にもめげず宿念の志望を煽られての筆のすさびだろうと、軽く考えて返事もせず打ちすてていた。
 同じころ、良人の青木は書斎をでて事業にのりだし、鉱山開発だの、当時流行の出版だのと手広くやりだし、出版のことでは時々長平を京都まで訪ねていた。
 青木は長平と会うたび、礼子から呉々(くれぐれ)もよろしくとのことだったよ、とか、上京の節はぜひ泊りにきてくれと頼まれたよ、などと付け加えるのが例であったが、あるとき、
「礼子の奴、君に手紙をさしあげたのに返事がないと云って不思議がってるんだ。君の手もとに届かないんじゃないかなんて心配してたぜ」
「いや、もらってる。だがね。文筆商売の人間は筆不精で、実用記事以外書けないから、時候見舞の返事は書けないのだよ」
 と答えておいた。
 それから半月もたたないうちに、礼子から激情のこもった手紙がきて、今までの手紙は奥さんが握りつぶしてお手許に届かなかったと思っていたが、読んでいて返事をくれないのはひどい。十年ほど前、自分たちの新婚のころ、新居見舞にいらして、はじめてお会いした時から、あなたの存在が私にとっては秘密な尊いものであったし、私の存在があなたにとって同じものであったはずだ、というようなことが書いてあった。
 意外千万な手紙で、長平は相手にしなかった。彼は文面の裏側に、青木夫妻のちょッとした不和を読み、ヒステリーのひとつの仕業と解釈した。
 ところが、一夜、酔っ払った青木が長平を訪ねてきた。ちょうど長平は上京のため出発のところで、玄関でカチ合ったのだ。
 青木はひどく酔っていて、
「君には時間がないし、ぼくは酔っ払ってるし、残念ながら、今夜は話ができない。ぼくの一生の大事なんだが、一日上京を延ばさないか」
 と、クドクドとからみついたが、長平はとりあわずに上京した。
 それから半月とたたないうちだ。
 礼子から、青木と別れて実家へ帰った。自分の思いはあなたでイッパイだという意味の長々しい美文の手紙が長平にとどいた。
 一日おくれて、青木から、事業のヤリクリがつかなくなったから、五十万円貸してくれ、自殺一歩手前で歯をくいしばってる云々、という走り書がまいこんだ。

       三

 長平は礼子の恋文と、青木の借金状と、二通ならべて、異様な思いに悩んだものだ。
 二つの手紙が時を同うして舞いこんだのは、偶然だろうか、夫婦談合の手筋の狂いからだろうか、と。ナレアイの離婚というのは悪意に解しすぎるようだが、根の深い別居だとも思われない。ちょッとした不和のハズミだろうと考えた。仲のよい夫婦だったのだ。
 しかし、二人の別居と、借金の申込みと、無関係なのだろうか。どう考えても、この結論がつかない。ともかく、愉快ならざることではあった。
 礼子はその後十通ほどの一通は一通ごとに露骨な恋文を長平に送ったが、返事がないので、三度、京都まで訪ねてきた。長平は居留守をつかって会わなかった。真にうけかねて、バカらしくもあったし、恋を語るような甘い気持が一切なかったからである。
 礼子の弟という若い中学教師がわざわざ京都の長平を訪れたこともある。この時は上京中で会えなかったが、あとで手紙で、姉の気持が哀れだから何とかしてくれないか、何とかすべきだ、と、当然その義務があるような叱るような文面だった。姉を一方的に信じている実の弟だからムリもなかろう、と、長平は気にしなかった。
 ところが、青木夫妻の親友で、長平にも旧友の海野という史学者が、上洛のついでに長平を訪ねて、
「青木夫人礼子さんが別居して鎌倉の実家にいるが、ぼくも鎌倉だから時々会うが、金に困って、気の毒な状態だね。君から、なんとかしてやれないだろうか」
「なんとかッて、どんなことを。そして、何かしなければならないワケが、ぼくにあるのかい」
 海野はムッとした様子だが、親友のために私憤を殺しているらしく、にわかに物分りのよい顔をして、
「実は青木が、これは又、猛烈な四苦八苦なんだよ。あらゆる事業がおもわしくない」
「手広くやりすぎたのだよ。戦後のバカ景気がいつまで続くわけがないということを、ずいぶん云ったんだが、うけつけようともしないのだから」
「それで、君から、百万ぐらい都合してやれないかね」
 長平は呆れて旧友をうちながめた。海野に悪意はないのである。彼は書斎人の一徹で、何か一方的に思いこんでいるのである。
 一日か二日がかりで言葉をつくして説明すれば、半分ぐらい説得できるかも知れないが、そうまでして、この単純に思いこんだ書斎人を説得する根気もなかった。
「その話なら、うちきりにしよう。君は事情を知らないのだし、ぼくも君のために事情を説明したいとは思わない。第三者が介入すべきことではないよ。話があれば、青木とぼくが直接するにかぎるのだから」
 と、それ以上、ふれさせなかった。
 しかし、それがキッカケとなって、この上京中に、青木と会うことになったのである。
 長平の気持は複雑であった。しかし、青木はそれ以上にも複雑で、悲しさに打ちひしがれているのかも知れない。ただ虚勢だけで持ちこたえているのかも知れなかった。
 長平はその青木をいたわるべきだと思いながら、なんとなく不快であり、万事につけて腑に落ちなかった。

       四

 青木と礼子の別居が、どの程度のものだか、それすらも見当がつかなかった。現に二人はその後も会っているに相違ない。なぜなら、礼子は長平を訪ねたが会えなくて残念がっていた、と青木が云っているのだから。
「そう。そんなことがあったね。せっかく京都まで訪ねて来られたそうだが、あいにく上京中で会えなかったよ」
 長平は、こう答えるまでに甚しく迷ったのである。礼子が三度訪れたこと、居留守をつかって会わなかったこと、それをハッキリ云うべきではないかと迷った。自分の態度をハッキリ示すことは、相手のハッキリした態度を要求することでもあるからだ。
 しかし、青木夫妻の別居が決定的なものだとすると、いかにも礼子が哀れであるし、二人を突き放している自分が、思いあがったようで、イヤでもあった。
「一度、礼子に会ってやってくれないか」
 青木の言葉は静かであった。それを受けとる長平の気持は複雑だ。
「君からそんなことを頼まれると、ぼくは、迷いもするし、ヒガミもする。また、疑いもするし、怒りたくもなるよ。そう思わないかい? 君は?」
 長平は返答を待ったが、答えがなかった。そこで、言葉をつづけて、
「ぼくは礼子さんに一度だけ返事を書いたことがあったよ。別居したという手紙をもらった時だね。こんな返事だ。夫婦喧嘩だけでは足らないのですか。ぼくはあなた方二人が誰よりも愛し合った夫婦だったことを知っています。一度そうであった者は、それ以上のものを探す必要はありません。どこにもそれ以上のものはないから。あなた方お二方の生活がつまらなければ、そのほかの誰の生活もつまらないのです。みんな諦めているだけです。元の枝へ急がれんことを。ザッとこんな手紙だったね。しかし、この手紙は出さなかったよ。なぜなら、まだ出さないうちに、君からの借金の手紙が来たからだ。ぼくはインネンをつけられているような気がした。そして君たちのことは二度と考えてみるのもイヤになったのさ」
 ツツモタセのインネンを、と云わんばかりであったが、青木はそれが気にならないのか、まるで念頭にかからぬ様子で、
「あのときは取り乱して、失礼したね。金詰りで、四苦八苦の時だから。みすみすモウケが分っているのに、それが出来ないのさ。鉱石を駅まで十里の山径(やまみち)を運びださなきゃならないのさ。その運賃で赤字なのだ。鉱石をきりだしてるのは海岸なんだぜ。港をつくりゃ、もうかるのさ。大きな港じゃないんだ。百トン積みの小船を横づけにするだけでタクサンなんだからね。いくらでもない工費なんだが、その工面がつかないのさ。ぼくの数年はその苦闘史さ。こんど立候補するのも、そうする以外に築港を完成する手がないからだよ」
 青木は再びカラカラと高笑いした。まるで立候補の抱負と高笑いをきかせるために会見しているかのように、その時だけは生き生きと見えるのだった。
 また長平はちょッとむかついて、
「話の本筋にふれないかね」
「まアさ。ぼくの夢だって、きいてくれよ。数年の苦闘史をね。受難史だよ。仕事は外れる。女房は逃げる。来る時には一とまとめに来やがるからなア。なんど首をくくりたくなったか知れないよ」
 青木はまたカラカラと笑った。そして、
「ナア。長平さん。ビールをのもうよ」
 にわかにグニャ/\と構えをくずして、なれなれしくビールをさした。

       五

 長平はなるべく腹を立てないようにと、自制するのに努力した。
「受難史はいずれ承ることにして、別居のテンマツをきかせたまえ。もっとも、君が語りたくなければ、ぼくの方はこれ幸いで、ききたいと思ってるわけではないがね」
「まアさ。長さんは相変らず堅苦しいね。それで女にもてるんだから。アッハッハッ」
 ひとしきり笑いたてて、真顔にかえった。
「だからさ。礼子に会ってやってくれよ」
「なぜ」
「礼子がそれを語る適任者だからさ。ぼくなどの出る幕じゃないよ。礼子が君に語るであろう切々たる胸のうちが、全てを語って余すところなしさ」
 思いがけない言葉だから、まさか本心ではなかろうと疑った。
 しかし苦笑のひいた青木の顔は、打ちひしがれたように蒼ざめている。いったい本気なのか、と長平は呆れた。
「実は、礼子がくることになってるのだがね」
「ここへかい」
「いや、喫茶店で待ってる。もう来てるだろうよ。会ってやってくれよ」
「どうして君は会わせたがるんだい」
「ジャケンなことを言う人だねえ。会ってやったって、いゝじゃないか」
 カンジンなところへくると、青木は返答の急所をはずす。彼の気の弱さだと長平は考えるが、策謀と受けとれぬこともない。
 嫌いでもない女房に逃げられたという。逃げた原因はほかの男に気が移ったせいだと女房自身言明している。
 当の男が、逃げられた亭主の前に現にいるのだ。そして、一方的に気が移ったからと云って、離婚の責任を男に押しつけられては困るし、それぐらいの常識は誰しも持つのが当然だが、この御夫婦に限って妙に押しつけがましいのが腑に落ちない、と男が亭主にきいているのだ。
 ところが亭主はまるで謎々をたのしむように、わざと正体をぼかして、じらしているのである。
 長平は不愉快だったが、しかし自分のことが原因で夫婦別れをしたと云う以上は、一方的に押しつけられたものでも、オレの知ったことかと突き放すこともできない。
「君。もっと素直に話せないのか」
 と、長平が態度に窮して、つい懇願的になると、青木もこたえたらしく、
「すまん。実に、バカなんだ。ぼくは、ね。女房のことでも悩んだが、しかし、金の悩みにくらべれば、微々たるものさ。女のことで死ぬなんて、まだ花ある人生ですよ。ぼくみたいに、金々々、金ゆえに首くくりを何年何ヶ月思いつめた人間というものは、これはもう首をくくる先に骨の皮の餓鬼なんだ。逆さにふっても鼻血もでないなんて、昔の奴は、無慙なことを、いとカンタンに云いやがるよ」
「書斎へ戻るのが賢明だと思うがな。昔のようにさ。たった五年前の昔だ。礼子さんも事業家からは逃げだしたが、書斎の君のところへは戻るだろうと、ぼくは思うよ」
「まアさ。小人には君子の道を説いても、ムダなものだよ」
 青木はわざとらしく爽やかに高笑いして、
「ぼくじゃなくて、女の小人に道を説いてやってくれ。彼女は救われるかも知れないからさ。なぜなら、汚れが少いから。ぼくは今もなお最も多く彼女を尊敬しているよ」

       六

 青木に別れて、二人は銀座裏のバーへ行った。長平の二十年来の行きつけの店だ。二階になじみのバーテンが寝泊りしていて二人を迎えてくれたが、営業は夜だけだから、昼は人のくる気づかいがない。
 薄暗いなかでジンヒーズをつくってもらって飲んでいると、ノックの音がした。
 放二が錠を外して扉をあけると、青木が礼子を案内してきて、じゃア、また六時に、と、自分はそそくさ姿を消した。
 この会見のあとで、長平はもう一度青木に会わなければならないのである。宵の六時にもう一度と青木はきかないのである。
「ここで、みんな話をすますわけにはいかないのかい」
 長平は面倒がってたのんだのだが、
「いちど、その前に、礼子に会ってやってくれよ。それからぼくは君に会って、胸の中をきいてもらいたいのだ」
 青木はそう頼んで、きかなかった。そして六時の会見は、長平のきゝなれない、豪勢らしい料亭が指定されていた。
 礼子は一別以来の尋常な挨拶を終ると、放二の方にチラと目をやって、
「こちら、北川さん?」
「そうです。在京中は形影相伴う血族ですから、お心置きなく」
 青木が放二のことを説明しておいたのだろうと思うから、長平は気にとめず、答えたが、実際は、意外千万な意味があった。しかし、そのときは、わからなかった。
 営業前の薄暗い酒場というものは、坐り場所に窮するような落付かないものだが、礼子はむしろそうでもなく悠々と見まわして、
「ここ、カフェーというんでしょうか? バーですか。キャバレーですか」
「バーというんでしょうね。定義は知りませんが、洋酒を最も安直にのませるところです」
「女給さんは?」
「おります」
 一方的に思いつめて、そのために離婚までして、手紙では事足らず、遠く京都まで三度もムダ足を運んでひるまない礼子。ひたむきに思いまどって何の余裕もないかと思えば、長平よりも落ちつきはらって、静かに四囲を見まわしている。そして、究理の学徒がするような冷静な態度でくだらぬ質問をしている。礼義とか外交手腕じゃないようだ。余裕がありすぎるから、余裕のない世界を弄び、たのしんでいるのじゃないか、と長平は疑りたくなるのであった。
 礼子の知識慾はまだつゞいて、
「バーの繁昌はお酒の良し悪しですか、女給さんの良し悪しですか」
「そうですね。お酒の良し悪しと答えると女給は怒るだろうな。しかし、女給の良し悪しと答えてもバーテンは腹を立てないだろう。してみると、女給のせいだ。なア、エーさん」
「ヘッ。お酒と女の良し悪しのため。こう言ってくれなきゃ、アタシといえども怒りますよ」
 バーテンは口をへの字に曲げてニヤリとして、
「酒道地におちたり。バーもカフェーも知らないどこかの貴夫人とさ。バーに於てランデブーとは、乱世さ。ギョッですよ。先生」
 気がよくて一徹のバーテンは礼子が気に入らないらしく、皮肉った。下賤のものには手をふれたことのないような礼子の態度は、この社会から異端視されるに相違ない。

       七

「あなた方の離婚のテンマツについては、青木君が語ってくれませんから分りませんが、お二方を知るぼくが公平に判断して、青木君は書斎へ戻り、礼子さんは書斎の青木君のもとへ戻るべきではないでしょうか」
 礼子に一方的に心境を語られ迫られてはたまらないから、長平の方から、こう切りだした。礼子の一方的な情熱を拒否する意味も含まれている。
 極度に私事にわたる会見に放二を同席させて非礼をかえりみないのも、そのためだ。差向いで一方的な情熱を押しつけられては捌きに窮する。非礼も承知、身勝手も承知であるが、礼義にかなって、ぬきさしならぬハメになるには及ぶまい。
 礼子に会うのは五年ぶりだが、童女のような面影が今も残って、三十四という年には見えない。美人というほどでもないが、清楚で、みずみずしい肉感もある。懐剣を胸にひめた古武士の娘の格と色気がしのばれる。
 こうして警戒に警戒を重ねたアゲクの会見でも、会えば目を惹かれるものがあるのだ。してみると、そんな警戒もなく会っていたころは、見る目に礼賛の翳がかくれもなかったかも知れず、別して青木のもとで酔っ払ったりしたときには、目尻を下げて、礼子の気持に訴えるような卑しい色ごのみを露出したに相違ない。
 痩せて小さなからだをキッと身がまえて、いつもリンリンと気魄をはりつめているようだが、どこかに、何かが抜けたような、けだるさがひそんでいる。それがないと、気位のバカ高い奥方の典型で、可愛げなどの感じられないリリしさだが、童女めく痴呆さが色気をつくっている。しかし総じて悪童には煙たいような奥方だ。
 長平は自分の話し方が軽薄だったので、礼子が敵意を見せたのかと思った。なぜなら彼には答えずに、チラと目を光らせて、放二に向って話しかけたからである。
「北川さんとおッしゃいますわね」
「ええ」
「北川……放二さん?」
「そうです」
 放二もいぶかしそうであったが次の問いは唐突だった。しかし礼子の声は静かで、
「梶せつ子さん。御遠縁とか、そうでしたわね」
「ええ。血のツナガリはありませんが、親同志が親しかったのです。同窓ですか」
「私の?」
「ええ」
「同級生?」
「え? 同窓ですか」
「フフ」
 放二は他意なく応答しているが、見ている長平はイライラした。奥歯にもののはさまった、じらされる不快さだ。青木もそうだったがと考え、夫婦は悪い癖が似るものだ、別居なんて、たいがいに、止すがいゝや、と思うのだ。
「同じ学校の卒業生ですか」
 長平がたまりかねて放二にかわって大声できくと、
「あら。大庭さんまで。同級ときいては下さらないわね。私、そんな婆さんかしら。あの方は、おいくつ?」
「満ですと、二十九です」
 礼子は素直にうなずいて、
「女の五ツは男の十以上に当るらしいわ」
 と、つぶやいたが、それにつけたして、事もなげに言った。
「梶せつ子さんは、青木の新しい恋人なんです」

       八

 長平は事の意外に驚いたが、青木や礼子には同情がもてず、放二の気持が切なかろうと、気の毒に思った。しかし放二の表情から感情の変化はよみとれなかった。
 長平は放二への同情を礼子への攻撃にかえて、
「すると、青木君に新しい恋人ができたので、あなた方は別居されたんですね」
「あら。そんな。青木の恋愛は最近のことですわ。私たちが別居したのは、昨年の早春でしたわ」
 じゃア、よけいなことは言わないことさ、と長平は顔にそう語らせて、
「早晩そんなことも起るでしょうよ。別居しているうちには、ね。しかし、北川君も知らないことを知ってるようじゃ、あなたも青木君が気がかりなんでしょう。元の枝へ急ぐべし。しかし、その恋愛を北川君が知らないようじゃ、あなたの思いすごしでしょう」
「あら。私、よろこんでるんです。青木に新しい恋人ができて」
「青木君からそんな報告がきたんですか。新しい恋人ができたから喜んでくれッて」
「まさか」
「じゃア、大きなお世話じゃありませんか。人の色話はよしましょうよ。もっとも、口惜しい、というのなら、ま、ごもっとも、合槌ぐらいうつ気持にはなれますがね」
「私、ホッとしましたのよ。どなたか見てあげなければ、青木は淋しくって、やってけない人なんです」
 礼子は言いはった。強情なところはなくて、素直でシミジミした述懐のようだった。
 別れた妻としてはそうあるべきかも知れないが、長平の気持には、ひッかかった。要するに言わない方がよい性質のキザな文句だ。
 礼子は長平のヒガミ根性にはとりあわず、放二に向って、
「梶せつ子さんて、どんな方? 物ごとをテキパキ手際よく処理なさる方? そして、それが容姿にあらわれて、スラリと、小牛ぐらいも大きくてユッタリとしたペルシャ犬のような方かしら」
「そうかも知れません。ペルシャ犬は知りませんが」
「義理人情に負けない方。しかし、どっちかと云えば、あたたかい感じ。表面はね。姐御肌、いえ、女社長タイプというのね。あわれみ深いんだわ。恋人をあわれむけど、愛せない方。恋人は愛犬。そして、本物の犬はお嫌いでしょう、その方」
「そうでもありません。ぼくには弱々しい人に見えます。仕事に身を託して、孤独と悲哀をようやくせきとめておられるようです」
「そうでしょうか」
 礼子はクスクス笑って、
「知らない方のことを、私がなんですけど、三十女はそんなに詩的じゃありませんわ」
 皮肉なところはミジンもなかった。むしろ親愛の情とイタワリをこめて、礼子はこう言っているのだ。
 してみると、梶せつ子と放二の特別な関係を知らないのかな、と長平は思った。少年期からただ一人のせつ子を思いつめて成人した孤児の放二。それを知ってる礼子なら、皮肉の色は隠せなかろう。
 礼子の洞察によると、放二の立場も青木同様、スラリと小牛ほどもユッタリした女の愛犬というわけだ。どうやらこの観察は当っているな、と長平は思った。

       九

「梶せつ子のことが御心配なら、それを北川君に問いただすのは筋違いですよ。センサクの鋭鋒はあげて夫君に向けらるべきものですよ。青木君も、あなたを忘れかねているのですよ。今もって最も尊敬していると云いましたね。亭主と女房の関係においてはメッタに使わぬ言葉ですが、十年もつれそって、別居して、いまだに最も等敬してるというんですから、おだやかならん表現ですね。なにをか云わんや」
 礼子はそれに答えずに、考えこんだ。
 顔をあげて、長平の目を見つめたが、
「私、どうすれば、よろしいのでしょう」
 ジッと見つめて、視線は放れない。屁理窟ではごまかされませんと、礼子の気魄が語っている。しかし、こんな気魄というものは、いわば非常時的なもので、平時の心がこれをマトモに相手にすると、無用な傷もつくらねばならない。一方的な気魄よりは、空論の方が、まだマシだ。長平は空々しく、
「御自分で、おきめなさい」
 いと簡単に突ッぱねる。
 そんな言葉は相手にしません、と礼子の全身の気魄も語っている。
 一段と、たたみこんで、
「私が無用な存在だとおッしゃって下されば、私は死にます」
 視線は益々放れない。
 しかし、長平も、たじろがなかった。
「会話というものは、急所にピンとふれていなくては、こまるものです。ぼくたちの場合、急所がどこにあるか、先ずそれを考えようではありませんか。急所はずれのキワドイ文句を述べ合ったんじゃ、カケアイ漫才じゃありませんか」
 まさしく茶番にほかならない。かほどの茶番を自覚しない礼子のリリしさ、高慢さが、長平をいらだたせた。
「あなたとぼくのオツキアイの上で、ぼくの一存で、あなたの生死が左右できるようなイワレがあったでしょうか。かりにも一人の生死にかかわることであれば、ぼくも責任をもちたいとは思いますが、イワレなく責任をもつわけにはいきません。あなたは健全な常識を身につけた方でしたが、かりに立場をかえて、あなたがよその男から、同じことを持ちかけられた場合を考えていただきたいと思います」
「非常識は承知いたしております。ですが、ただ御返事をいただくだけでよろしいのですが、それも御迷惑でしょうか」
「それがですよ。返事の仕様のない場合も、あるものですよ。一方の感情がたかぶりすぎて、非常事態宣言の線を突破しているときには、平時の安眠にふける庶民の魂は、ついて行けないのが自然です。たとえば、です。夜道にオイハギにやられつつある男が、たまたま通りかかった人に、助けをよびかけます。これに対して、よびかけられた方は返事の仕様がありませんよ。余は武術のタシナミもなく、非力であるから、助けたい気持もあるが、兇器をもてるオイハギに立ちむかって汝を助ける力量はないと自覚している。余としては、侠気と生命慾との差引勘定にしたがって、余の行動を決せざるを得ない。よって余は汝を見すてて逃げ去るであろうが、汝これを諒せよ。こう事をわけて返答してもいられませんよ。あなたの場合も、これに類する場合です」
 こんな屁理窟を言いながら、礼子の言い方があんまり身勝手で非常識だから、イライラしながら、妙にさしせまった色気にもむせたりした。

       十

 礼子はながく無言である。
 別居のイキサツはまだ何一ツきいていないが、きいたところで、どうなろう。もう会見は終るべきだ、と長平は思った。
「ぼくの年齢になると――あながち年齢のせいではないかも知れませんが、恋愛なんて、もう面倒くさくてダメなんです。浮気の虫は衰えを見せませんが、恋に生きぬくなんて気持はもはや毛頭ありません」
 長平は一方的に心境を語りはじめた。礼子の一方的な愛情の押しつけに対するシメククリの返答としてであった。
「女房に満足してる亭主はいないものですよ。世界中の女をテストして女房を選ぶわけじゃなし、かりに偶然世界一の女房に当った男がいても、よその花に憧れるのは自然の情ですから。そこで、正直によりよき恋人をもとめると、次々と、棺桶にねむるまでキリがありません。おまけに人間の愛慕の激情というものは、いくつの年齢になっても、初恋と同じだけ逆上的なもので、この感情に身をまかせると、仙人でもそうなる。そのくせ、短時間で例外なくさめます。又、新しくやらねばならぬ。精神病の発作と同じものですよ」
 無礼、軽薄な言辞だと長平は自ら思った。人の目にさぞイヤらしく見えるだろうと思ったが、気にしなかった。一時も早くこの茶番を終らねばならぬ。その思いだけだった。
「恋に生き、恋に死ぬのも立派かも知れません。しかし、ケチンボーが食う物も食わず、お金をためて、貯金通帳をだきしめながら、栄養失調で生涯の幕をとじる。バカさ加減も、立派さも、恋の勇士と同じことですよ。要するに、思想と実践の問題かな。しかしですね。万事面倒くさくって、やる気がないというのも、結局同じようなものです。これを不純だの堕落だのというべきではありません。面倒くさいということも、一つの思想であり、よって何もしないということも実践であり、バカさ加減も同じなら、立派さも同じことさ。ただ、否定的だというだけのことで」
 否定的なものを肯定的なものと同列におくのも身勝手な話だが、長平は気にかけない。
 目的のために手段をえらばず。格言は便利なものだ。使い用でどうにでもなり、格言を楯に使うと、あらゆる矛盾をしのぐことができる。
 茶番の幕をおろせばいいのだ。
「あなたと青木君はむつまじい一対でしたよ。どんな似合いの一対もあれが限度で、あれ以上ではありません。あなたが今後いかほど探しても、所詮、青い鳥ですよ。最初に捨てたものが最高のものであったと悟るだけです。万人がそうだというのではありません。初恋、必ずしも、真の恋ならず。初恋の一対でも、ずいぶん離婚して然るべきようなのがあるものですが、あなた方の場合はそうではないのです。最初のものが最高のものでしたよ。あなたが今後恋愛遍歴をしてみると、この真実が分るのですが、そのためにムダな遍歴をなさることもないでしょう。ぼくのバカな一生が、そう教えてくれるのです。バカの代表が身をもって証した事実を利用するのが、利巧者の生き方ですよ」
 長平がこう結んで、幕をおろしたツモリになりかけると、無言をやぶって、礼子がきいた。
「私が押しつけがましく甘えたりして、あなたに御迷惑をおかけしなかった場合、それでも青木と私が幸福な一対とおッしゃったでしょうか」

       十一

「それはもう、ぼくの立場がどうあろうとも、あなた方が幸福な一対であったという判断には、変りがありません。難を云えば、平凡だったかも知れません。
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