ラプンツェル
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著者名:グリムヤーコプ・ルードヴィッヒ・カール URL:../../index_pages/person1092

 むかしむかし夫婦者(ふうふもの)があって、永(なが)い間(あいだ)、小児(こども)が欲(ほ)しい、欲(ほ)しい、といい暮(くら)しておりましたが、やっとおかみさんの望(のぞ)みがかなって、神様(かみさま)が願(ねが)いをきいてくださいました。この夫婦(ふうふ)の家(うち)の後方(うしろ)には、小(ちい)さな窓(まど)があって、その直(す)ぐ向(むこ)うに、美(うつく)しい花(はな)や野菜(やさい)を一面(めん)に作(つく)った、きれいな庭(にわ)がみえるが、庭(にわ)の周囲(まわり)には高(たか)い塀(へい)が建廻(たてまわ)されているばかりでなく、その持主(もちぬし)は、恐(おそ)ろしい力(ちから)があって、世間(せけん)から怖(こわ)がられている一人(ひとり)の魔女(まじょ)でしたから、誰一人(たれひとり)、中(なか)へはいろうという者(もの)はありませんでした。
 或(あ)る日(ひ)のこと、おかみさんがこの窓(まど)の所(ところ)へ立(た)って、庭(にわ)を眺(なが)めて居(い)ると、ふと美(うつく)しいラプンツェル((菜の一種、我邦の萵苣(チシャ)に当る。))の生(は)え揃(そろ)った苗床(なえどこ)が眼(め)につきました。おかみさんはあんな青々(あおあお)した、新(あたら)しい菜(な)を食(た)べたら、どんなに旨(うま)いだろうと思(おも)うと、もうそれが食(た)べたくって、食(た)べたくって、たまらない程(ほど)になりました。それからは、毎日(まいにち)毎日(まいにち)、菜(な)の事(こと)ばかり考(かんが)えていたが、いくら欲(ほ)しがっても、迚(とて)も食(た)べられないと思(おも)うと、それが元(もと)で、病気(びょうき)になって、日増(ひまし)に痩(や)せて、青(あお)くなって行(ゆ)きます。これを見(み)て、夫(おっと)はびっくりして、尋(たず)ねました。
「お前(まえ)は、まア、何(ど)うしたんだえ?」
「ああ!」とおかみさんが答(こた)えた。「家(うち)の後方(うしろ)の庭(にわ)にラプンツェルが作(つく)ってあるのよ、あれを食(た)べないと、あたし死(し)んじまうわ!」
 男(おとこ)はおかみさんを可愛(かわい)がって居(い)たので、心(こころ)の中(うち)で、
「妻(さい)を死(し)なせるくらいなら、まア、どうなってもいいや、その菜(な)を取(と)って来(き)てやろうよ。」
と思(おも)い、夜(よ)にまぎれて、塀(へい)を乗(の)り越(こ)えて、魔法(まほう)つかいの庭(にわ)へ入(はい)り、大急(おおいそ)ぎで、菜(な)を一つかみ抜(ぬ)いて来(き)て、おかみさんに渡(わた)すと、おかみさんはそれでサラダをこしらえて、旨(うま)そうに食(た)べました。けれどもそのサラダの味(あじ)が、どうしても忘(わす)れられない程(ほど)、旨(うま)かったので、翌日(よくじつ)になると、前(まえ)よりも余計(よけい)に食(た)べたくなって、それを食(た)べなくては、寝(ね)られないくらいでしたから、男(おとこ)は、もう一度(ど)、取(と)りに行(ゆ)かなくてはならない事(こと)になりました。
 そこで又(また)、日(ひ)が暮(く)れてから、取(と)りに行(ゆ)きましたが、塀(へい)をおりて見(み)ると、魔法(まほう)つかいの女(おんな)が、直(す)ぐ目(め)の前(まえ)に立(た)って居(い)たので、男(おとこ)はぎょっとして、その場(ば)へ立(た)ちすくんでしまいました。すると魔女(まじょ)が、恐(おそ)ろしい目(め)つきで、睨(にら)みつけながら、こう言(い)いました。
「何(なん)だって、お前(まえ)は塀(へい)を乗越(のりこ)えて来(き)て、盗賊(ぬすびと)のように、私(わたし)のラプンツェルを取(と)って行(ゆ)くのだ? そんなことをすれば、善(よ)いことは無(な)いぞ。」
「ああ! どうぞ勘弁(かんべん)して下(くだ)さい!」と男(おとこ)が答(こた)えた。「好(す)き好(この)んで致(いた)した訳(わけ)ではございません。全(まった)くせっぱつまって余儀(よぎ)なく致(いた)しましたのです。妻(かない)が窓(まど)から、あなた様(さま)のラプンツェルをのぞきまして、食(た)べたい、食(た)べたいと思(おも)いつめて、死(し)ぬくらいになりましたのです。」
 それを聞(き)くと、魔女(まじょ)はいくらか機嫌(きげん)をなおして、こう言(い)いました。
「お前(まえ)の言(い)うのが本当(ほんとう)なら、ここにあるラプンツェルを、お前(まえ)のほしいだけ、持(も)たしてあげるよ。だが、それには、お前(まえ)のおかみさんが産(う)み落(おと)した小児(こども)を、わたしにくれる約束(やくそく)をしなくちゃいけない。小児(こども)は幸福(しあわせ)になるよ。私(わたし)が母親(ははおや)のように世話(せわ)をしてやります。」
 男(おとこ)は心配(しんぱい)に気(き)をとられて、言(い)われる通(とお)りに約束(やくそく)してしまった。で、おかみさんがいよいよお産(さん)をすると、魔女(まじょ)が来(き)て、その子(こ)に「ラプンツェル」という名(な)をつけて、連(つ)れて行(い)ってしまいました。
 ラプンツェルは、世界(せかい)に二人(ふたり)と無(な)いくらいの美(うつく)しい少女(むすめ)になりました。少女(むすめ)が十二歳(さい)になると、魔女(まじょ)は或(あ)る森(もり)の中(なか)にある塔(とう)の中(なか)へ、少女(むすめ)を閉籠(とじこ)めてしまった。その塔(とう)は、梯子(はしご)も無(な)ければ、出口(でぐち)も無(な)く、ただ頂上(てっぺん)に、小(ちい)さな窓(まど)が一つあるぎりでした。魔女(まじょ)が入(はい)ろうと思(おも)う時(とき)には、塔(とう)の下(した)へ立(た)って、大(おお)きな声(こえ)でこう言(い)うのです。
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
 お前(まえ)の頭髪(かみ)を下(さ)げておくれ!」
 ラプンツェルは黄金(きん)を伸(の)ばしたような、長(なが)い、美(うつ)くしい、頭髪(かみ)を持(も)って居(い)ました。魔女(まじょ)の声(こえ)が聞(き)こえると、少女(むすめ)は直(す)ぐに自分(じぶん)の編(あ)んだ髪(かみ)を解(ほど)いて、窓(まど)の折釘(おれくぎ)へ巻(ま)きつけて、四十尺(しゃく)も下(した)まで垂(た)らします。すると魔女(まじょ)はこの髪(かみ)へ捕(つか)まって登(のぼ)って来(く)るのです。
 二三年(ねん)経(た)って、或(あ)る時(とき)、この国(くに)の王子(おうじ)が、この森(もり)の中(なか)を、馬(うま)で通(とお)って、この塔(とう)の下(した)まで来(き)たことがありました。すると塔(とう)の中(なか)から、何(なん)とも言(い)いようのない、美(うつく)しい歌(うた)が聞(き)こえて来(き)たので、王子(おうじ)はじっと立停(たちど)まって、聞(き)いていました。それはラプンツェルが、退屈凌(たいくつしの)ぎに、かわいらしい声(こえ)で歌(うた)っているのでした。王子(おうじ)は上(うえ)へ昇(のぼ)って見(み)たいと思(おも)って、塔(とう)の入口(いりぐち)を捜(さが)したが、いくら捜(さが)しても、見(み)つからないので、そのまま帰(かえ)って行(ゆ)きました。けれどもその時(とき)聞(き)いた歌(うた)が、心(こころ)の底(そこ)まで泌(し)み込(こ)んで居(い)たので、それからは、毎日(まいにち)、歌(うた)をききに、森(もり)へ出(で)かけて行(ゆ)きました。
 或(あ)る日(ひ)、王子(おうじ)は又(また)森(もり)へ行(い)って、木(き)のうしろに立(た)って居(い)ると、魔女(まじょ)が来(き)て、こう言(い)いました。
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
  お前(まえ)の頭髪(かみ)を下(さ)げておくれ!」
 それを聞(き)いて、ラプンツェルが編(あ)んだ頭髪(かみ)を下(した)へ垂(た)らすと、魔女(まじょ)はそれに捕(つか)まって、登(のぼ)って行(ゆ)きました。
 これを見(み)た王子(おうじ)は、心(こころ)の中(うち)で、「あれが梯子(はしご)になって、人(ひと)が登(のぼ)って行(い)かれるなら、おれも一つ運試(うんだめ)しをやって見(み)よう」と思(おも)って、その翌日(よくじつ)、日(ひ)が暮(く)れかかった頃(ころ)に、塔(とう)の下(した)へ行(い)って
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
 お前(まえ)の頭髪(かみ)を下(さ)げておくれ!」
というと、上(うえ)から頭髪(かみのけ)がさがって来(き)たので、王子(おうじ)は登(のぼ)って行(ゆ)きました。
 ラプンツェルは、まだ一度(ど)も、男(おとこ)というものを見(み)たことがなかったので、今(いま)王子(おうじ)が入(はい)って来(き)たのを見(み)ると、初(はじ)めは大変(たいへん)に驚(おどろ)きました。けれども王子(おうじ)は優(やさ)しく話(はな)しかけて、一度(ど)聞(き)いた歌(うた)が、深(ふか)く心(こころ)に泌(し)み込(こ)んで、顔(かお)を見(み)るまでは、どうしても気(き)が安(やす)まらなかったことを話(はな)したので、ラプンツェルもやっと安心(あんしん)しました。それから王子(おうじ)が妻(つま)になってくれないかと言(い)い出(だ)すと、少女(むすめ)は王子(おうじ)の若(わか)くって、美(うつく)しいのを見(み)て、心(こころ)の中(うち)で、
「あのゴテルのお婆(ばあ)さんよりは、この人(ひと)の方(ほう)がよっぽどあたしをかわいがってくれそうだ。」
と思(おも)いましたので、はい、といって、手(て)を握(にぎ)らせました。少女(むすめ)はまた
「あたし、あなたとご一しょに行(い)きたいんだが、わたしには、どうして降(お)りたらいいか分(わか)らないの。あなたがお出(でい)[#「お出(でい)」はママ]になるたんびに、絹紐(きぬひも)を一本(ぽん)宛(ずつ)持(も)って来(き)て下(くだ)さい、ね、あたしそれで梯子(はしご)を編(あ)んで、それが出来上(できあが)ったら、下(した)へ降(お)りますから、馬(うま)へ乗(の)せて、連(つ)れてって頂戴(ちょうだい)。」
といいました。それから又(また)、魔女(まじょ)の来(く)るのは、大抵(たいてい)日中(ひるま)だから、二人(ふたり)はいつも、日(ひ)が暮(く)れてから、逢(あ)うことに約束(やくそく)を定(き)めました。
 ですから、魔女(まじょ)は少(すこ)しも気(き)がつかずに居(い)ましたが、或(あ)る日(ひ)、ラプンツェルは、うっかり魔女(まじょ)に向(むか)って、こう言(い)いました。
「ねえ、ゴテルのお婆(ばあ)さん、何(ど)うしてあんたの方(ほう)が、あの若様(わかさま)より、引上(ひきあ)げるのに骨(ほね)が折(お)れるんでしょうね。若様(わかさま)は、ちょいとの間(ま)に、登(のぼ)っていらっしゃるのに!」
「まア、この罰当(ばちあた)りが!」と魔女(まじょ)が急(きゅう)に高(たか)い声(こえ)を立(た)てた。「何(なん)だって? 私(わたし)はお前(まえ)を世間(せけん)から引離(ひきはな)して置(お)いたつもりだったのに、お前(まえ)は私(わたし)を瞞(だま)したんだね!」
こう言(い)って、魔女(まじょ)はラプンツェルの美(うつく)しい髪(かみ)を攫(つか)んで、左(ひだり)の手(て)へぐるぐると巻(ま)きつけ、右(みぎ)の手(て)に剪刀(はさみ)を執(と)って、ジョキリ、ジョキリ、と切(き)り取(と)って、その見事(みごと)な辮髪(べんぱつ)を、床(ゆか)の上(うえ)へ切落(きりおと)してしまいました。そうして置(お)いて、何(なん)の容赦(ようしゃ)もなく、この憐(あわ)れな少女(むすめ)を、砂漠(さばく)の真中(まんなか)へ連(つ)れて行(い)って、悲(かなし)みと嘆(なげ)きの底(そこ)へ沈(しず)めてしまいました。
 ラプンツェルを連(つ)れて行(い)った同(おな)じ日(ひ)の夕方(ゆうがた)、魔女(まじょ)はまた塔(とう)の上(うえ)へ引返(ひきかえ)して、切(き)り取(と)った少女(むすめ)の辮髪(べんぱつ)を、しっかりと窓(まど)の折釘(おれくぎ)へ結(ゆわ)えつけて置(お)き、王子(おうじ)が来(き)て、
「ラプンツェルや! ラプンツェルや!
お前(まえ)の頭髪(かみ)を下(さ)げておくれ!」
と言(い)うと、それを下(した)へ垂(た)らしました。王子(おうじ)は登(のぼ)って来(き)たが、上(うえ)には可愛(かわい)いラプンツェルの代(かわ)りに、魔女(まじょ)が、意地(いじ)のわるい、恐(こわ)らしい眼(め)で、睨(にら)んで居(い)ました。
「あッは!」と魔女(まじょ)は嘲笑(あざわら)った。「お前(まえ)は可愛(かわい)い人(ひと)を連(つ)れに来(き)たのだろうが、あの綺麗(きれい)な鳥(とり)は、もう巣(す)の中(なか)で、歌(うた)っては居(い)ない。あれは猫(ねこ)が攫(さら)ってってしまったよ。今度(こんど)は、お前(まえ)の眼玉(めだま)も掻□(かきむし)るかもしれない。ラプンツェルはもうお前(まえ)のものじゃア無(な)い。お前(まえ)はもう、二度(ど)と、彼女(あれ)にあうことはあるまいよ。」
 こう言(い)われたので、王子(おうじ)は余(あま)りの悲(かな)しさに、逆上(とりのぼ)せて、前後(ぜんご)の考(かんが)えもなく、塔(とう)の上(うえ)から飛(と)びました。幸(さいわ)いにも、生命(いのち)には、別状(べつじょう)もなかったが、落(お)ちた拍子(ひょうし)に、茨(ばら)へ引掛(ひっか)かって、眼(め)を潰(つぶ)してしまいました。それからは、見(み)えない眼(め)で、森(もり)の中(なか)を探(さぐ)り廻(まわ)り、木(き)の根(ね)や草(くさ)の実(み)を食(た)べて、ただ失(な)くした妻(つま)のことを考(かんが)えて、泣(な)いたり、嘆(なげ)いたりするばかりでした。
 王子(おうじ)はこういう憐(あわ)れな有様(ありさま)で、数年(すうねん)の間(あいだ)、当(あて)もなく彷徨(さまよ)い歩(ある)いた後(のち)、とうとうラプンツェルが棄(す)てられた沙漠(さばく)までやって来(き)ました。ラプンツェルは、その後(ご)、男(おとこ)と女(おんな)の双生児(ふたご)を産(う)んで、この沙漠(さばく)の中(なか)に、悲(かな)しい日(ひ)を送(おく)って居(い)たのです。王子(おうじ)は、ここまで来(く)ると、どこからか、聞(き)いたことのある声(こえ)が耳(みみ)に入(はい)ったので、声(こえ)のする方(ほう)へ進(すす)んで行(ゆ)くと、ラプンツェルが直(す)ぐに王子(おうじ)を認(みと)めて、いきなり頸(くび)へ抱着(だきつ)いて、泣(な)きました。そしてその涙(なみだ)が、王子(おうじ)の眼(め)へ入(はい)ると、忽(たちま)ち両方(りょうほう)の眼(め)が明(あ)いて、前(まえ)の通(とお)り、よく見(み)えるようになりました。
 そこで王子(おうじ)は、ラプンツェルを連(つ)れて、国(くに)へ帰(かえ)りましたが、国(くに)の人々(ひとびと)は、大変(たいへん)な歓喜(よろこび)で、この二人(ふたり)を迎(むか)えました。その後(ご)二人(ふたり)は、永(なが)い間(あいだ)、睦(むつま)じく、幸福(こうふく)に、暮(くら)しました。
 それにしても、あの年寄(としよ)った魔女(まじょ)は、どうなったでしょう? それは誰(たれ)も知(し)った者(もの)はありません。




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