晩翠放談「自序」
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著者名:土井晩翠 

「宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」(古今集戀の部よみ人知らず)此昔の名所本荒の郷が今日仙臺市本荒町のある處其二十一番地が私の本邸であつたが、若干の貸家と共に二十年(一九四五)七月十日の爆撃で灰燼となつた。今は一友人の厚意に因り其所有の借舍、青葉山に對し廣瀬川に臨む花壇川前町に鷦鷯一枝の安を得つゝある。其陋居に一月二十八日河北新報社の村上辰雄君が來訪、「晩翠放談」を刊行しようとの厚意であつた。次いで二月五日立春の日に村上辰雄君と宮崎泰二郎君と筆記者建宮君とが來訪し、老來健忘のみならず資料は悉く燒亡して甚だ覺束ない私の幼少年時代の思ひ出を記録した。第二の放談會は河北新報社長菅野千代夫君の招待で清水小路の茶寮五橋亭に於て十二日一力次郎君、鈴木紀一郎君、小池堅治君、高畠直定君、村上辰雄君、白石辰男君、宮崎泰二郎君、櫻井平喜君と共に催された。第三回は郷土史家三原良吉君、天江富彌君、宮崎君が來訪して花壇の借舍で開かれた。
 以上三回の放談を纏め更に附録として若干の隨筆を加へたものが本書である。
 あらゆる子らを皆先だて、戰災に因り、社會政策により、殆んど一切の有形物を失ひ、頽齡陋質殘喘を續け乍ら、祖國の復興を祈つてやまぬ私はつい先頃菩提所大林寺に擅徒惣代として一知人の弔辭を讀み、その中に「一切は天命である、君が七十八歳の私に先だつも天命である、今明日にも私は君の後を逐ふかも知れぬ、或はいや/\乍ち長壽を全うするかも知れぬ。どちらでも宜し、臨終の時は遺族と友人と知人とに永々ありがたうの感謝を捧げて瞑目する考で居る……」と述べたが是が私の目下の心境である。

 昭和二十三年(一九四八)四月土井晩翠
此の序を書いた一月後妻八枝が急性肺炎により一週間就床の後五月十日に死亡した。私は今七十歳の老妹と十六歳の孫と女中との淋しい四人ぐらしである。




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