長谷川二葉亭
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著者名:蒲原有明 

 長谷川二葉亭氏にはつい此あひだ上野精養軒で開かれた送別會の席上で、はじめてその風□に接したぐらゐであるから、わたくしには氏に對して別に纏つた感想などのありやうもない。だが、質素な身なりと、碎けた物言ひぶりと、眉根に籠つた深く暗い顰みと、幅のある正しい肩つきと、これだけがわたくしの二葉亭氏から最初に受けた消し難き印象である。この印象のうちにも、仔細にたづねて見れば、二葉亭氏の半生の謎がどこかに隱されてゐるやうに思はれる。
 二葉亭氏は實際謎の人と云つてよいであらう。今から二昔も前にあの名高い「浮雲」を書いた。明治文學史上の謎がこゝに始まつたのである。新文藝の曙光だと手早く云つてしまへばそれまでの事であるが、それにしては餘りに陰氣な曉の光景ではなかつたらうか。それから一昨年「その面影」が出るまでには凡そ二十年を經過してゐる。隨分思ひ切つて長かつた沈默である。これがわが文壇に比類のない沈默であるのは言ふまでもない。この間二葉亭氏には露國物の飜譯を除いて、その外には一篇の創作もなかつたのである。それにも拘らず二葉亭氏の名は漸く重きをなした。
 ツルゲーネフと二葉亭氏、露西亞氣質と長谷川氏と、この二つを繋いで世間ではいろいろと推測した。氏に志士の風格があつたことは事實である。然しわたくしはそれに就て直接知るところがない。唯わが文壇が二葉亭氏に期待したのは、露國物の飜譯のみではなかつたと云へば足りるのである。二葉亭氏は露國作家の影ではなくて、矢張何となく人を威壓する二葉亭氏であつた。この沈默ならぬ沈默の間に、華やかな文藝界の革新と運動とが幾度か起つて幾度か仆れたが、二葉亭氏はいつも遠く離れてゐて、しかも近くわれわれの上に臨んでゐるやうであつた。
 二十年の歳月を經て、やつと「その面影」が出た。文學嫌ひな二葉亭氏の第二の創作である。わたくしはこの作を讀んで、曩き日の「浮雲」の陰氣な曙光を顧るとともに、この度はそれがまた饐えた黄昏の光のやうであつたことを、私かに訝つたのである。二葉亭氏はこの作を假りて第二の讖悔を試みたのではあるまいかと、わたくしは更に想像しても見たのである。この作中には隱れてゐる二葉亭氏の面影は、決して沈默の威壓感を起させるものではなくて、却て眉根に憂愁を帶びて自己の不安を語るものゝ如く思はれたからである。
 謎はどんな場合でも不氣味な匂ひのするものである。謎の人の書いた謎の作に一種不氣味な感を伴ふのは免かれ難い。「その面影」とても同じことである。この作は人生の陰慘なる哀愁を主調としてゐる。そこには何處まで行つても脱け切れない妄執がある。わたくしはもつと沈鬱痛切なものを望んでゐたが、それは期待するものゝ認識不足であつた。二葉亭氏の藝術的生涯は實はこゝで完成してゐたのである。これを二葉亭氏の飜譯に對する態度と比較すれば、氏は飜譯のをりには寧ろ全力を擧げてこれに臨んでゐたやうに思はれるふしがある。氏の志士的風懷はこの飜譯の筆に托せられてゐたのではなからうか。あの獨特な口語體の文章もこの飜譯によつていよいよ磨かれてゐたのではなからうか。わたくしはそれにつけても矛盾した性格を有つてゐた二葉亭氏の苦悶と運命の皮肉とを、今更の如くつくづくと考へてみるのである。
 二葉亭氏の功績の主要なるものは明治革新期に於ける新文體の創始である。よく撓んで、碎けてゐて、そしてしんみりとした特色のある文章のさゝやきは、絶えず深い意義をもたらしてくるやうにわたくしの耳の底に殘つてゐて、未だその魅力を失はない。二葉亭氏の實際の物の言ひぶりを聽いても矢張その通りであつた。氏はさういふ練熟した言葉で、死身になり果し眼になつて文學に從事することの出來ぬたちだと云つた。妙に眞劍になれない、それで困るのだと云つた。筆を執つて紙に臨むと、何時も弱身がさすと云つた。今まで文學が嫌ひだと廣言したのは自ら欺き世を欺く言ひぐさで、實はこの弱所があつたからだ。これがまことの讖悔だと云つた。わたくしは二葉亭氏の言葉の意味をこゝで強いて尋ねるものではない。わたくしは唯その言葉の調子に魅せられたと云へば足りるのである。碎けたうちにも確かな、不安なやうでしかも自信の強い調子であつたと云へば足りるのである。




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