塩原多助旅日記 (作品データ)
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タイトルデータ
・作品名
  塩原多助旅日記
・作品名読み
  しおばらたすけたびにっき
・著者名
  三遊亭 円朝 

作品データ
・作品について
  「塩原多助一代記」(青空文庫作業中)作成の発端を記した短文。速記者である若林※[#「王+甘」]蔵に語りかける構成になっている。この短文に記された発端から始まる取材旅行の記録は「上野下野道の記」としてまとめられている(青空文庫未着手)。また、「塩原多助旅日記」「上野下野道の記」の内容に関しては、岡本綺堂URL:../000082/card42351.html 「寄席と芝居と」に詳しい解説がある。(門田裕志)
・仮名遣い種別
  新字旧仮名
・備考
  この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  三遊亭 円朝
・作家名読み
  さんゆうてい えんちょう
・ローマ字表記
  San'yutei, Encho
・生年
  1839-05-13
・没年
  1900-08-11
・人物について
  江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。「三遊亭圓朝

底本データ
・底本
  明治の文学 第3巻 三遊亭円朝
・出版社
  筑摩書房
・初版発行日
  2001(平成13)年8月25日
・入力に使用
  2001(平成13)年8月25日初版第1刷
・校正に使用
  2001(平成13)年8月25日初版第1刷

工作員データ
・入力
  門田裕志
・校正
  noriko saito


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