政談月の鏡 (作品データ)
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作品を読む

タイトルデータ
・作品名
  政談月の鏡
・作品名読み
  せいだんつきのかがみ
・著者名
  三遊亭 円朝 

作品データ
・作品について
  江戸長谷川町の番太郎喜助はいたって酒好き。ある日店に立ち寄った見知らぬ侍から得難い銘酒なるものを与えられる。酒好きであるから、これは飲まずにおれない。が、しばらくして七転八倒の苦しみのうち喜助は死んでしまう。銘酒とは真っ赤な偽り、毒酒であったのだ。女房のお梅は、何としてもかたきを捜し出したいと、人の寄る苦界に身を沈めて毎日通る人々を見暮らしていた。そして、ついにそのかたきを見つけたと思ったのだが……。春陽堂版「圓朝全集」の編纂に当たった鈴木行三氏によれば、「この作は初めから圓朝の名で公にされてはおりますが、実は圓朝と親しかった採菊散人の作であります。採菊散人は條野傳平といい、維新前から明治の初年へわたって山々亭有人と称して、草双紙の作が多く、明治十九年やまと新聞を起こして採菊散人の文名を謳われ、小説の作も多く明治三十五年歳七十二で物故せられました」と言う。(小林繁雄)
・仮名遣い種別
  新字新仮名
・備考
  この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  三遊亭 円朝
・作家名読み
  さんゆうてい えんちょう
・ローマ字表記
  San'yutei, Encho
・生年
  1839-05-13
・没年
  1900-08-11
・人物について
  江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。「三遊亭圓朝
・分類
  校訂者
・作家名
  鈴木 行三
・作家名読み
  すずき こうぞう
・ローマ字表記
  Suzuki, Kozo
・没年
  1962-02-03

底本データ
・底本
  圓朝全集 巻の一
・出版社
  近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
・初版発行日
  1963(昭和38)年6月10日

工作員データ
・入力
  小林繁雄
・校正
  かとうかおり


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