文七元結
(作品データ)
作品を読む
タイトルデータ・作品名
文七元結
・作品名読み
ぶんしちもとゆい
・著者名
三遊亭 円朝
作品データ・作品について
左官職人長兵衞は、腕はいいのだが博打好きが高じて借金で首が回らない。ある日のこといつものように博打に負けて着物も取られ、裸同然の恰好で帰ってくると、娘のお久が行方知れず。そこへ吉原の角海老からお久が店に来ているとの知らせ。早速角海老へ駆けつけた長兵衞は、お久が身を売ろうとしていることを知る。角海老の内儀の好意で二年の猶予を与えられて百両を手に入れた長兵衞。しかし、その帰り道、百両の金をなくした為に橋から飛び込もうとする男に出会ってしまう。春陽堂版「圓朝全集」の編纂に当たった鈴木行三氏によれば、「これは圓朝の得意のもので、以前からあった一寸した話を、圓朝がこれだけにまとめ上げたもので、短いものではありますが人情噺として傑れたものであります。圓朝は高座では角海老でなく佐野槌として演じていたということでありますが、これは明治二十二年五月やまと新聞へ出た時のままで、何かの都合で角海老にしたものと思われます」と言う。(小林繁雄)【おまけの豆知識】歌舞伎の芝居には、圓朝の噺を元にしたものが多くある。この「文七元結」もそのひとつで、初演は1902(明治35)年、名優五代目尾上菊五郎が長兵衞に扮した。以後現在に至るまで繰り返し上演されている。金高が百両ではなく五十両になっているなど多少の相違点はあるものの、圓朝の人情噺そのままの世界が舞台上で展開され、いかにも江戸っ子らしい会話の応酬、涙あり笑いありの場面の連続には、思わず引き込まれること受け合いである。(かとうかおり)「文七元結」
・仮名遣い種別
新字新仮名
作家データ・分類
著者
・作家名
三遊亭 円朝
・作家名読み
さんゆうてい えんちょう
・ローマ字表記
San'yutei, Encho
・生年
1839-05-13
・没年
1900-08-11
・人物について
江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。「三遊亭圓朝」
・分類
校訂者
・作家名
鈴木 行三
・作家名読み
すずき こうぞう
・ローマ字表記
Suzuki, Kozo
・没年
1962-02-03
底本データ・底本
圓朝全集 巻の一
・出版社
近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
・初版発行日
1963(昭和38)年6月10日
工作員データ・入力
小林繁雄
・校正
かとうかおり
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