敵討札所の霊験
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著者名:三遊亭円朝 

        一

 一席申し上げます、是は寛政十一年に、深川元町(ふかがわもとまち)猿子橋(さるこばし)際(ぎわ)で、巡礼が仇(あた)を討ちましたお話で、年十八になります繊弱(かよわ)い巡礼の娘が、立派な侍を打留(うちと)めまする。その助太刀は左官の才取(さいとり)でございますが、年配のお方にお話の筋を承わりましたのを、そのまゝ綴りました長物語(ながものがたり)でございます。元榊原(さかきばら)様の御家来に水司又市(みずしまたいち)と申す者がございまして、越後高田(えちごたかた)のお国では鬼組(おにぐみ)と申しまして、お役は下等でありますが手者(てしゃ)の多いお組でございます。この水司又市は十三歳の折両親に別れ、お国詰(くにづめ)になり、越後の高田で文武の道に心掛けまして、二十五の時江戸詰を仰付けられましたので、とんと江戸表の様子を心得ませんで、江戸珍らしいから諸方を見物致して居りましたが、ちょうど紅葉(もみじ)時分で、王子(おうじ)の滝(たき)の川(がわ)へ往(い)って瓢箪(ふくべ)の酒を飲干して、紅葉を見に行(ゆ)く者は、紅葉の枝へ瓢箪を附けて是を担(かつ)ぎ、形(なり)は黒木綿の紋付に小倉の襠高袴(まちだかばかま)を穿(は)いて、小長(こなが)い大小に下駄穿きでがら/\やって来まして、ちょうど根津権現(ねづごんげん)へ参詣して、惣門内(そうもんうち)を抜けて参りましたが、只今でも全盛でございますが、昔から彼(あ)の廓(くるわ)は度々(たび/\)潰(つぶ)れましては又再願(さいがん)をして又立ったと申しますが、其の頃贅沢な女郎(じょうろ)がございまして、吉原の真似をして惣門内で八文字(はちもんじ)で道中したなどと、天明の頃は大分(だいぶ)盛んだったと云うお話を聞きました。彼方此方(あちらこちら)を見ながら水司又市がぶらり/\と通掛りますると、茶屋から出ましたのは娼妓(しょうぎ)でございましょう、大島田(おおしまだ)はがったり横に曲りまして、露の垂れるような薄色の笄(こうがい)の小長いのを挿(さ)し、鬢(びん)のほつれ毛が顔へ懸りまして、少し微酔(ほろえい)で白粉気(おしろいけ)のある処(ところ)へぽッと桜色になりましたのは、別(べっ)して美しいものでございます。緋の山繭(やままゆ)の胴抜(どうぬき)の上に藤色の紋附の裾(すそ)模様の部屋著(ぎ)、紫繻子(むらさきじゅす)の半襟(はんえり)を重ねまして、燃えるような長襦袢(ながじゅばん)を現(あら)わに出して、若い衆(しゅ)に手を引かれて向うへ行(ゆ)きます姿を、又市は一(ひ)と目見ますと、二十五で血気でございますから、余念もなく暫(しばら)く見送って居りましたが、
又「どうも実に嬋娟窈窕(せんけんようちょう)たる美人だな、どうも盛んなる所美人ありと云うが、実にないな、彼(あ)のくらいな婦人は二人とは有るまい、どうもその蹌(よろ)けながら赤い顔をして行(ゆ)く有様はどうも耐(たま)らぬな、どうも実にはア美くしい」
 と思って佇(たゝず)んで居りますと、後(うしろ)から女郎屋(じょろや)の若衆(わかいしゅ)が、
若「えへ……」
又「何(なん)だい後(うしろ)からげら/\笑って」
若「如何様(いかゞさま)でございます、お馴染(なじみ)もございましょうが、えへ……外様(ほかさま)からお尻の出ないようにお話を致しましょう、えへ……お馴染もございましょうがお手軽様に一晩お浮(うか)れは如何で、へい/\/\」
又「何だい貴公は」
若「えへ……御冗談ばかり、遊女屋の若者(わかいもの)で、どうも誠にはやへい/\」
又「遊女屋の若者、成程これは何だね大分左右に遊女屋が見えるが、全盛の所は承知して居(い)るが、貴公に聞けば分ろうが、今向うへ少し微酔で、顔へほつれ毛がかゝって、赤い顔をして男に手を引かれて行った美人があるが、彼(あ)れは何かえ遊女かえ、但(たゞ)しは堅気の娘のような者かえ」
若「へえ、只今へえ…御縁の深いことで、あれは手前方のお職(しょく)から二枚目をして居ります小増(こまし)と申します」
又「はア貴公の楼名(ろうめい)は何と云う」
若「へえ……楼名、えゝ増田屋(ましだや)と申します」
又「成程根津で増田屋と申すは大分名高いと聞くが、左様かえ増田屋で今の婦人は」
若「小増と申します」
又「成程増田屋で増(まし)を付けるのは榊原の家来で榊原を名乗るようなもので」
若「いえ左様な大した訳でもござりませんが」
又「国から出たてゞ何も知らぬが、何かえ揚代金(あげだいきん)は何(ど)のくらい致す、今の美人を一晩買う揚代は」
若「へい/\大概五拾疋(ぴき)でございますが、あのお妓(こ)さんは只今売出しで、拾匁(もんめ)で、お高いようでございますが、彼(あ)のくらいな子供衆(しゅ)は沢山(たんと)はございませんな、へい」
又「拾匁、随分値は高いが、拾匁出して彼のくらいな美人を寝かそうと起そうと自由にするのだから、実に金銀は大切な物だのう」
若「えへ、まず兎も角もお上(あが)り遊ばしては如何」
又「だが登(あが)りもしようが、婦人を傍(そば)へ置いて唯(たゞ)寝る訳にも往(い)かんが、何か食物(しょくもつ)を取らんではならんが、酒と肴はどのくらいな値段であるか承わって置こう」
若「えへ……御存じ様でございましょう、おとぼけなすって、お小さい台は五拾疋でございます、大きい方は百疋で、中には六百文ぐらいのお廉(やす)いのもございます」
又「ふう百疋、成程よい遊女を揚げれば佳(よ)いのを取らなければならんのう、成程それでは酒は別だろうな」
若「へい召上りませんでも先(まず)一本は付けます」
又「百疋で肴は何のくらいなのが付くな」
若「へ……おとぼけでは困りますな、大概遊女屋の台の物は極(きま)って居りますが、小さい鯛が片へらなどで、付合(つけあわ)せの方が沢山でございます」
又「それは高いじゃアないか、越後の今町(いまゝち)では眼の下三尺ぐらいの鯛が六十八文で買える」
若「御冗談ばかり仰しゃいます」
又「厄介になろう」
若「有難う存じます、お揚(あが)んなさるよ」
「あいー」
 とん/\/\と二階へ上(あが)ると引付座敷(ひきつけざしき)へ通しましたが、又市は黒木綿の紋付に袴を穿いた形(なり)で、張肘(はりひじ)をして坐って居ると、二階廻しが参りまして、
婆「おやお出(い)でなはい」
又「初めて、手前(てまい)水司又市と申す者、勝手を心得ぬから何分頼む」
婆「何でございますねお前さん、瓢箪(ひょうたん)を紅葉の枝へ附けてお通んなはいましたねえ、滝の川へ入(いら)っしゃったの、御様子の好(い)いことゝ云ってお噂をして居たのですよ」
又「左様か、お前は当家の家内かな」
婆「おや厭ですよ、私は二階を廻す者です」
又「なに二階を廻す、この二階を」
婆「あれさ力持じゃアございません、本当に小増さんをお名指(なざし)は苛(ひど)いじゃアございませんか」
又「何が苛い、買いたいと思ったから登(あが)ったわ」
婆「本当に外で見染めて揚るのは一ばん縁が深いと申します、本当にお堅過ぎますよ、お袴をお取りなさいよ」
 と云ううちに小増が出て参りまして、引付(ひきつけ)も済んで台の物が這入(はい)りますから、一猪口(いっちょこ)遣(や)って座敷も引け、床になりましたが、素(もと)より田舎侍でありますから、小増は宵に顔を見せたばかりで振られました。

        二

 翌朝(よくあさ)門切(もんぎれ)にならんうちにと支度を致しまして、
又「これ/\婆ア/\」
婆「厭だよ婆アなんてさ」
 と云いながら屏風を開けて、
婆「お呼びなはいましたか」
又「いや昨夜(ゆうべ)な些(ちっ)とも小増は来(こ)ぬて」
婆「誠にねどうも、流行(はやり)っ妓(こ)ですから生憎(あいにく)お馴染が落合ってさ、斯(こ)う折の悪い時は仕様がないもので、立込んでね」
又「左様かね、予(かね)て聞くが、初会は座敷切りと聞くが全く左様か」
婆「まアね然(そ)う云った様なもので有りますから」
 吉原の上等の娼妓ならお座敷切りという事も有りましたが、岡場所では左様なことは有りませんが、そこが国育ちで知りませんから、成程そうかと又四五日置いて来ましたが、また振られ、又二三日置いて来たが振って/\振抜かれるが、惚(ほれ)るというものは妙なもので、小増が煙草を一ぷく吸付けてお呑みなはいと云ったり、また帰りがけに脊中(せなか)をぽんと叩いて、
小増「誠に済まねえのだよ、今度屹度(きっと)来ておくんなはい」
 と云われるのが嬉しく思いまして、しげ/\通いましたが、又市も馬鹿でない男でございますから、終(しまい)には癇癪を発(おこ)して、藤助(とうすけ)という若者(わかいもの)を呼んで居ります。
婆「藤助どん行っておくれ、小増さんも時々顔でも見せて遣(や)れば好(い)いのに、酷(ひど)く厭がるから困るよ」
又「これ/\袴を出せ」
婆「おや誠にどうもお前(ま)はんにお気の毒でね」
又「婆ア此処(こゝ)へ来い、どうも貴公の家は余りと云えば不実ではないか、一度も小増は快く私(わし)が側に居(お)ったことはないぞ」
婆「何時(いつ)でも然(そ)う云って居(い)るので、生憎(あいにく)と流行(はやり)っ妓(こ)だからね、お前(ま)はん腹を立っては困りますよ、まことに間が悪いじゃアねえか、お前はんの来る時にゃアお客が落合ってさ、済まねえとお帰し申した後(あと)でお噂して、一層気を揉んで居(お)りますのさ」
又「そんな事は度々(たび/\)聞いたが、最早二度と再び来ないが、田舎者には彼(あ)アいう肌合(はだあい)な気象だから、肌は許さぬとかいう見識が有るから、お前が来ても迚(とて)も買通(かいとお)せぬから止せと親切に云ってくれても宜(よ)さそうなものだ、つべこべ/\馬鹿世辞を云って、此の後(のち)二度(ふたゝび)来ぬから宜いか、其の方達は余程不実な者だね、どうも」
婆「不実と云ったって私達(わっちたち)のどうこうと云う訳には往(い)きませんからさ、まことに自由にならないので」
藤助「へい、あのお妓(こ)さんは流行妓(はやりっこ)でございますから、お金で身体を縛ってしまいますから」
又「小増の身体を誰(たれ)か鎖で縛ると申すか」
婆「あれさ、小増さんに此方(こっち)で三十両出そうと云うと、彼方(あっち)で五十両出そうと云って張合ってするのだから、まことに仕様がございませんよ、流行妓てえなア辛いものでそれだから苦界(くがい)と云うので、察して気を長くお出でなさいよ」
又「成程是まで度々参っても振られる故、屋敷へ帰っても同役の者が…それ見やれ、迚(とて)も無駄じゃ、詰らぬから止せと云って大きに笑われ、迚も貴公などには買遂げられぬ駄目だと云われたが、金ずくで自由になる事なら誠に残念だから、幾ら遣(や)れば必らず私(わし)に靡(なび)くか」
婆「ねえ藤助どん、金ずくで自由になればと云うが……まアねえ其処(そこ)は義理ずくだからね、お金をまアねえ二拾両も遣って長襦袢でも買えと云えば、気の毒なと云って嬉しいと思って、又お前(ま)はんに前より情(じょう)の増す事が有るかも知れませんよ」
又「婆アの云う事は採(と)りあげられんが、藤助確(しか)と請合うか」
藤「それは義理人情で、慥(たしか)にそれは是非小増さんがねえ」
又「然(しか)らば宜しい、今日は機嫌好(よ)く帰って二十両持って来よう」
 と笑って、其の日は屋敷へ帰ったが、勤番者で他(ほか)から金子を送る者もないから、大事の大小を質入(しちいれ)して二十五金を拵(こし)らえ、正直に奉書の紙へ包み、長い水引をかけ、折熨斗(おりのし)を附けて金二十両小増殿水司又市と書いて持って参りまして、直(すぐ)に小増に遣(つか)わし、これから酒肴(さけさかな)を取って機嫌好く飲んで居たが、その晩も又小増が来ないから顔色(がんしょく)を変えて怒(おこ)りました。毎(いつ)もの通り手を叩くこと夥(おびたゞ)しいが、怖がって誰(たれ)も参りません。
婆「一寸(ちょっと)藤助どん往っておくれよ」
藤「困りますね」
婆「今日は中根(なかね)はんが来て居るので、いゝえさ、どうも中根はんと深くなって居て、中根はんが上役だから下役の足軽みたいな人の所へは行かないのだよ」
藤「困りますな、怒(おこ)るとあの太い腕で撲(ぶた)れますが、今度は取捕(とっつか)まると何(ど)んな目に逢うか知れまいから驚きますねえ」
婆「私は怖いからお前一寸行ってお呉れよ」
藤「困りますね何うも……御免」
又「此方(こっち)へ這入れ」
藤「どうも誠に」
又「何も最早聴かんで宜しい、再度欺かれたぞ、小増が来られなければ来ぬで宜しい、飲食(のみくい)は手前したのだから払うが、今晩の揚代金殊(こと)に小増に遣わした二十金は只今持って来て返せ、不埓至極な奴、斯様(かよう)な席だから兎や角云わぬが、余りと申せば怪(け)しからん奴、金を持って来て返せ」
藤「何ともどうも私共(わたくしども)には」
又「いや私(わたくし)どもと云っても手前何と云った…弁(わき)まえぬか」
婆「一寸水司はん、生憎今日も差合(さしあい)があって」
又「黙れ、婆アの云う事は採上(とりあ)げんが、これ藤助、其の方は何と申した、二十両遣わせば小増は相違なく参りますと申したではないか、男が請合って、それを反故(ほご)にする奴があるか、男子たるべき者が」
藤「中々男子だって然(そ)ういう訳には参りませんので、この廓では女の子に男が遣(つか)われるので、私(わたくし)どもの云う事は聴きませんからね、どうも」
又「これ」
藤「あいた、痛うございます、何をなさる」
又「これ宜(よ)くも己(おれ)を欺いたな、此奴(こやつ)め」
藤「あいた……いけません、遊女屋で柔術(やわら)の手を出してはいけません、私(わたし)どもの云う事を聴くのではございませんから」
 と詫(わ)びても聞き入れず、若者(わかいもの)の胸ぐらを取って捻上(ねじあ)げました。

        三

 大騒ぎになりますと、此の事を小増が聞き、生意気盛(ざかり)の小増、止せば宜(よ)いのに胴抜(どうぬき)の形(なり)で自惰落(じだらく)な姿をして、二十両の目録包を持って廊下をばた/\遣(や)って来て、障子を開けて這入って来ました。又市は腹を立って居たが、顔を見ると人情で、間の悪い顔をしている。
小増「一寸(ちょっと)又市さん何をするの、藤助どんの胸倉をとってさ、此の人を締殺す気かえ、遊女屋の二階へ来て力ずくじゃア仕様がないじゃアないか、今聞けばお金を返せとお云いだね」
又「これさ返せという訳ではないが、お前が一度も来てくれんからの事さ、来てさえ呉れゝば宜しい、今まで度々(たび/\)参っても、お前がついに一度も私(わし)に口を利いたこともないから、私はどうも田舎侍で気に入らぬは知っているが、同役の者にも外聞であるから、せめて側に居て、快く話でもしてくれゝば大(おお)きに宜しいが、大勢打寄って欺くから…斯様(かよう)なことを腹立紛れにしたのは私が悪かった」
小「悪かったじゃアないよ、私(わちき)はお前(ま)はんのような人は嫌いなの、お前大層な事を云っているね、金ずくで自由になるような私(わちき)やア身体じゃアないよ、二十両ばかりの端金(はしたがね)を千両金(がね)でも出したような顔をして、手を叩いたり何かしてさ、騒々しくって二階中寝られやアしないよ、お前はんに返すから持って帰んなまし、お前はんのような田舎侍は嫌いだよ」
 と云いながら又市の膝へ投付けて、
小「いけ好かないよう、腎助(じんすけ)だよう」
 と部屋着の裾(すそ)をぽんとあおって、廊下をばた/\駈出して行った時は、又市は後姿(うしろすがた)を見送って、真青(まっさお)に顔色(がんしょく)を変えて、ぶる/\慄(ふる)えて、うーんと藤助の腕を逆に捻(ねじ)り上げました。
藤「あいた/\/\、あなた、あいた……そんな乱暴なことをしては困りますねえ、私(わたくし)などの云う事を聞く妓(こ)ではありませんから」
又「田舎侍は厭(いや)だと云うは、素(もと)より其の方達も心得居(お)ろうに」
藤「あいた……腕が折れます、一寸(ちょっと)おかやどん、小増さんを呼んで来てというに、あゝいた/\/\/\」
 大騒ぎになりましたが、丁度此の時遊びにまいって居たのが榊原藩の重役中根善右衞門(なかねぜんえもん)の嫡子(ちゃくし)善之進(ぜんのしん)と云う者でございますが、御留守居役[#「御留守居役」は底本では「御留守居後」]《おるすいやく》の御子息で、まだ二十四歳でございますから、隠れ忍んで来るが、取巻(とりまき)は大勢居まして、
取巻「もし困るではございませんか、遊女屋の二階で柔術(やわら)の手を出して、若者(わかいもの)に拳骨(げんこつ)をきめるという変り物でございますが、大夫(たいふ)が是にいらっしゃるのを知らないからの事さ、大夫のお馴染を知らないで通うぐらいの馬鹿さ加減はありません、あなた一寸(ちょっと)お顔を見せると驚きますよ、ちょいと鶴の一と声で向うで驚きますよ、ね小増さん」
小増「左様(そう)さ、一寸(ちょいと)顔を見せてお遣(や)りなさいよう」
 と大勢に云われますと、そこが年の往(い)かんから直(す)ぐに立上りましたが、黒出(くろで)の黄八丈の小袖にお納戸献上(なんどけんじょう)の帯の解け掛りましたのを前へ挟(はさ)みながら、十三間平骨(ひらぼね)の扇を持って善之進は水司のいる部屋へ通ります。又市は顔を一寸(ちょっと)見ると重役の中根でございますから、其の頃は下役の者は、重役に対しては一言半句(いちごんはんく)も答えのならぬ見識だから驚きました。後(あと)へ下(さが)って、
又「是は怪(け)しからん所で御面会、斯(かゝ)る場所にて何(なに)とも面目次第もござらん」
善「これこれ水司、何(ど)うしたものじゃ、遊女屋の二階でそんな事をしてはいかん、此処(こゝ)は色里であるよ、左様(そう)じゃアないか、猛(たけ)き心を和(やわら)ぐる廓へ来て、取るに足らん遊女屋の若い者を貴公が相手にして何うする積りじゃ、馬鹿な事じゃアないか、殊(こと)に新役では有るし、度々屋敷を明けては宜しくあるまい、私(わし)などは役柄で余儀なく招かれたり、或(あるい)は見聞(けんもん)かた/″\毎度足を運ぶことも有るが、貴公などは今の身の上で彼様(かよう)な席へ来て遊女狂いをする事が武田へでも知れると直(すぐ)にしくじる、内聞に致すから帰らっしゃい」
又「まことに面目次第もございません、つい一夜(ひとよ)参りましたが、とんと不待遇(ふあしらい)でござって、残念に心得、朋友にも迚(とて)も田舎侍が参っても歯は立たぬなどと云われますから、残念に心得再度参りました処が、如何(いか)に勝手を心得ません拙者でも、余りと云えば二階中の者が拙者を欺きまして、あまり心外に心得まして……それ其処(そこ)に立って居ります、貴方(あなた)のお側に立って居(い)るその小増と申す婦人に迷いまして、金を持って来れば必らず靡(なび)くと申しますから、昨夜二十金才覚致して持って参りますと、それを不礼(ぶれい)にも遊女の身として拙者へ対して悪口(あっこう)を申すのみか、金を膝の上へ叩付けましたから残念に心得、彼様(かよう)な事に相成りまして、誠に何うもお目に留(とま)り恐れ入りますが、どうか御尊父様へも武田様にも内々(ない/\)に願います」

        四

善「左様か、この小増は私(わし)が久しい馴染で、斯(こ)ういう廓(くるわ)には意気地(いきじ)と云って、一つ屋敷の者で私に出ている者が、下役の貴公には出ないものじゃ、そこが意気地で、少しは傾城(けいせい)にも義理人情があるから、私が買って居る馴染の遊女だから貴様に出ないのだから、小増の事は諦めてくれ、是は私が馴染の婦人だから」
又「へえー左様で、貴方のお馴染で、ふうー」
小「一寸(ちょっと)水司はん、私(わちき)の大事のね、深い中になって居るお客というのは此の中根はんで、中根はんに出ている私がお前(ま)はんの様な下役に出られますかねえ、宜(よ)く考えて御覧なはいよ、出たくも出られませんからさ、又お前(まえ)はんの様な人に誰が好いて出るものかねえ、お前顔を宜く御覧、あの己惚鏡(うぬぼれかがみ)で顔をお見よ、お前鏡を見た事がないのかえ、火吹達磨(ひふきだるま)みたいな顔をしてさア、お前(ま)はんの顔を見ると馬鹿/\しくなるのだよう」
 と云われるから胸に込上げて、又市逆(のぼ)せ上(あが)って、此度(こんど)は猶(なお)強く藤助の胸ぐらを取ってうーんと締上げる。
藤「あなたいたい……私(わたくし)を、どう…」
又「黙れ、今中根様の仰せらるゝ事を手前存じて居(お)るか、一つ屋敷の者には出ない、上役がお愛しなさる遊女をなぜ己に出した」
藤「あいた……これはあなた気が遠くなります、お助け下さい、死にます」
善「これ/\水司、あれほど云うに分らぬか、若い者を打擲(ちょうちゃく)して殺す気か、痴(たわ)けた奴だ、左様なる事をすると武田へ云ってしくじらせるが何(ど)うか、これ此の手を放さぬか/\」
 と云いながら十三間の平骨の扇で続け打(うち)にしても又市は手を放しませんから、月代際(さかやきぎわ)の所を扇の要(かなめ)の毀(こわ)れる程強く突くと、額は破れて流れる血潮。又市は夢中で居ましたが、額からぽたり/\血が流れるを見て、
又「はアお打擲に遇(あ)いまして、手前面部へ疵(きず)が出来ました」
善「左様なまねをするから打擲したが如何(いかゞ)致した、汝はな此の後(ご)斯様(かよう)な所へ立廻ると許さぬから左様心得ろ、痴呆(たわけ)め、早く帰れ/\」
又「何も心得ません処の田舎侍でござって、一つ屋敷の侍が斯様なる所へ来て恥辱を受けますれば、その恥辱を上役のお方が雪(そゝ)いで下さることと心得ましたを、却(かえ)って御打擲に遇いまして残念でござりまする、只今帰るでござる、これ女ども袴と腰の物を是へ持て」
 と急に支度をしてどん/\/\/\と毀れるばかりに階子(はしご)を駈下(かけお)りると、止せば宜(よ)いに小増を始め芸者や太鼓持まで又市の跡を付けて来まして、
小「あれさ、お上役に逢っては一言もないからさ泣面(なきつら)してさ、泣面は見よい物じゃアないねえ、あの火吹達磨や、泣達磨や、へご助や」
 とわい/\言われるから猶更逆上(のぼ)せて履物(はきもの)も眼に入(い)らず、紺足袋(こんたび)のまゝ外へ出ましたが、丁度霜月三日の最早明(あけ)近くなりましたが、霜が降りました故か靄(もや)深く立ちまして、一尺先も見分(みわか)りませんが、又市は顔に流るゝ血を撫でると、手のひらへ真赤(まっか)に付きましたから、
又「残念な、武士の面部へ疵を付けられ、此の儘(まゝ)には帰られん、たとえ上役にもせよ憎い奴は中根善之進、もう毒喰わば皿まで、彼奴(あいつ)帰れば武田に告げ、私(わし)をしくじらせるに違いない、殊(こと)には衆人満座の中にて」
 と恋の遺恨と面部の疵、捨置きがたいは中根めと、七軒町(しちけんちょう)の大正寺(たいしょうじ)という法華寺(ほっけでら)の向(むこ)う、石置場(いしおきば)のある其の石の蔭(かげ)に忍んで待っていることは知りません、中根は早帰りで、銀助(ぎんすけ)という家来に手丸(てまる)の提灯(ちょうちん)を提げさして、黄八丈の着物に黒羽二重の羽織、黒縮緬の宗十郎頭巾(そうじゅうろうずきん)を冠(かぶ)って、要(かなめ)の抜けた扇を顔へ当てゝ、小声で謡(うたい)を唄って帰ります所へ、物をも言わず突然(だしぬけ)に、水司又市一刀を抜いて、下男の持っている提灯を切落すと、腕が冴(さ)えて居りますから下男は向うの溝(みぞ)へ切倒され、善之進は驚き後(あと)へ下(さが)って、細身の一刀を引抜いて、
善「なゝ何者」
 と振り冠(かぶ)る。
又「おゝ最前の遺恨思い知ったか」
 と云う若気の至り、色に迷いまして身を果すと云う。これが発端(はじめ)でございます。

        五

 水司又市が悪念の発しまする是れが始めでございます。若い中(うち)は色気から兎角了簡の狂いますもので、血気未(いま)だ定まらず、これを戒(いまし)むる色に在(あ)りと申しますが、頗(すこぶ)る別嬪(べっぴん)が膝に凭(もた)れて
「一杯お飲(あが)んなさいよ」
 なぞと云われると、下戸でも茶碗でぐうと我慢して飲みまして煩(わずら)うようなことが有りますが、惚抜(ほれぬ)いている者には振られ、殊(こと)に面部を打破られ、其の頃武家が頭(かしら)に疵が出来ると、屋敷の門を跨(また)いでは帰られないものでございました。又市は無分別にも中根善之進を一刀両断に切って捨て、毒食わば皿まで舐(ねぶ)れと懐中物をも盗み取り、小増に遣(や)りました処の二十両の金は有るし、これを持って又市は越中国(えっちゅうのくに)へ逐電いたしました。此方(こちら)は翌朝(よくちょう)になりましてもお帰りがないと云うので、下男が迎いに参りますと、七軒町で斯様(かよう)/\と云う始末、まず死骸を引取り検視沙汰、殊に上役の事でございますから内聞の計(はから)いにしても、重役の耳へ此の事が聞え、部屋住(ずみ)の身の上でも、中根善之進何者とも知れず殺害(せつがい)され、不束(ふつゝか)の至(いたり)と云うので、父善右衞門は百日の間蟄居(ちっきょ)致して罷(まか)り在(あ)れという御沙汰でございますから、翌年に相成り漸(ようや)く蟄居が免(ゆ)りましたなれども、最(も)う五十の坂を越して居ります善右衞門、大きに気力も衰え、娘お照(てる)と云うがございまして年十九に成りますから、これに養子を致さんではならんと心配致して居りましたが、丁度三月末の事、善右衞門が遅く帰りまして、
善右衞門「一寸(ちょっと)お前」
妻「お帰り遊ばせ」
善「いや帰りにね武田へ寄って来た」
妻「おや、大分(だいぶ)お帰りがお遅うございますから、何処(どこ)かへお立寄と存じまして」
善「少し悦ばしい話があるが」
妻「はい」
善「斯(こ)う云う訳だが、予(かね)てお前も知っての通り、昨年悴が彼(あ)アいう訳になって私(わし)も最(も)う勤(つとめ)は辛いし、大きに気力も衰えたから、照に何(どん)な者でも養子をして、隠居して楽がしたい訳でもないが、養子を致さんではと思って居た処が、幸いと武田の次男重二郎(じゅうじろう)が養子になるように相談が極(きま)ったよ」
妻「おやまアそれは何(ど)うも此の上もない事でございます、お屋敷中(うち)でも親孝行で、武芸と云い学問と云い、あんな方はございません、評判の宜(よ)い方でござりますねえ」
善「それに彼(あれ)は武田流の軍学を能(よ)くし、剣術は真影流の名人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が練(ね)れて居て、如何(いか)にも武芸と云い学問と云い老年の者も及ばぬ、実に彼(あ)のくらいの養子は沢山(たんと)あるまい、此の上もない有難い事でのう、早く照をお呼びなさい」
妻「はい、お照や一寸此処(こゝ)へお出(い)で、お父様(とっさま)がお帰りになったよ、さア此処へお出で」
 御重役でも榊原様では平生(へいぜい)は余り好(よ)い形(なり)はしない御家風で、下役の者は内職ばかりして居るが、なれども銘仙(めいせん)の粗(あら)い縞の小袖に華美(はで)やかな帯を〆(し)めまして、文金の高髷(たかまげ)で、お白粉(しろい)は屋敷だから常は薄うございますが、十九(つゞ)や二十(はたち)は色盛り、器量好(よし)の娘お照、親の前へ両手を突いて、
照「お帰り遊ばせ」
善「はい……此処へお出で、今お母様(っかさま)にお話をしたが、お兄様(あにいさま)は去年あの始末、お前にも早く養子をしたいと思ったが、親の慾目で、何うかまア心掛のよい聟(むこ)をと心得て居ったが、武田の重二郎が当家へ養子に来てくれる様に疾(と)うから話はして置いたが、漸(ようや)く今日話が調(とゝの)ったからお母様と相談して、善は急げで結納の取交(とりかわ)せをしたいが、媒妁人(なこうど)は高橋を以(もっ)てする積りで、嫁入(よめいり)の衣裳や何かお前の好みもあろう、斯(こ)ういう物が欲しい、櫛(くし)簪(かんざし)は斯う云うのとか、立派なことは入らぬが、宜(よ)くお母様と相談して、其の上で先方へも申込むから宜いかえ」
照「はいお父様私(わたくし)に養子を遊ばす事はもう少しお見合せなすって」
善「見合せる、其様(そん)な事はありません、何(なん)で見合せるのだえ」
照「はい私(わたくし)はまだあなた養子は早うございます、それに他人が這入りますと、お父様お母様に孝行も出来ません様になりますから、私も心配でございますから、何卒(どうぞ)もう四五年お待ち遊ばして」
善「そんな分らぬ事を云ってはいけません、早く養子をして初孫(ういまご)の顔を見せなければ成りません」
妻「ほんとうに養子をしてお前の身が定まれば、お父様も私も安心する、双方に安心させるのが孝行だよ……まことにあなた何時(いつ)までも子供のようでございます……あんな好(よ)い養子はございませんよ、家(うち)へいらっしゃってもあの凛々(りり)しいお方で、本当に此の上もないお前仕合せな事だよ」
善「さア、はいと返辞をすれば直(すぐ)に結納を取交せるから」
照「はい、私(わたくし)はあの池(いけ)の端(はた)の弁天様へ、養子を致す事を三年の間願掛(がんが)けをして禁(た)ちました」
善「そんな分らぬ事を言っては困りますよ、弁天へ行って然(そ)う云って来い、願掛けは致したが、親の勧めだからお願(がん)を破ると云って来い、それで罰(ばち)を当てれば至極分らぬ弁天と申すものだ、そんな分らぬ弁天なら罰の当てようも知るまいから心配はありませんよ、これ何時まで子供の様な事を云って何うなります、私が約束して今更変替(へんがえ)は出来ません、直様(すぐさま)返事をおしなさい、これ照、困りますなア」

        六

妻「貴方、そう御立腹で仰しゃってもいけません……何時までもお前子供の様で、養子をすると云うものは怖いように思うものだけれど、私も当家へ縁付いた時は、こんな不器量な顔で恥かしい事だと否々(いや/\)ながら来ましたが、また亭主となれば夫婦の愛情は別で、お父様お母様にも云われない事も相談が出来て、結句頼もしいものだよ、あいとお云いよ/\、泣くのかえ」
善「なに泣くとは何事、泣くという事はありません、何だ」
妻「まア其様(そんな)にお怒(おこ)り遊ばすな」
 と無理に手を取って娘の居間へ連れて行(ゆ)き、種々(いろ/\)言含めたが唯(たゞ)泣いて計(ばか)り居て返答を致しませんのは、屋敷内(うち)の下役に白島山平(しろしまさんぺい)という二十六歳になります美男と疾(と)うから夫婦約束をして居りました。遠くして近きは恋の道でございます。逢引する処が別にございませんから、旧来家(うち)に奉公を致して居りましたおきんと云う女中が、上野町(うえのまち)に団子屋をして居るので、此の家(うち)の二階で山平と出会いますので、是が心配でございますから、おきんの所へ手紙を出しますと、此方(こちら)はおきんが山平を呼出しまして、二階で三鉄輪(みつがなわ)で話をして居ります。
きん「どうも先達(せんだって)は有難うございます、貴方、あんな心配をなすっては困りますよ、お忙がしい処をお呼立て申しましたのは困った事が出来ましてね」
山「毎度厄介になりまして気の毒でのう、今日は急に人だから何事かと思って来たのだが、どう云うわけだえ」
きん「どう云うたって実に困りますよ、何うしたら宜(よ)かろうと存じまして、お照さまに御両親様から急に御養子を遊ばせと仰しゃるので、嬢様は否(いや)だと云って弁天様へ禁(た)ったと仰しゃったそうでござりますが、お父様が聴かぬので、一旦約束したから変替(へんがえ)は出来ぬと云うので、仕方がないから私(わたくし)は養子をする気はない、どんな事が有っても自分が約束したからは何処迄(どこまで)も強情を張る積りだが、お父様が腹を切るの何(なん)のと云うから、寧(いっ)そ身を投げて死んでしまおうと、小さいお子様の様な事を仰しゃるので困りますよ、何か云えば直(すぐ)に自害をするのなどと詰らん事を云うので困ります、私(わたくし)は思案に余りますから貴方をお呼び申したので」
山「ふう成程、そうして何方(どちら)から御養子を」
きん「お嬢様の仰しゃるには、白島様には云わぬ方が宜(よ)いと仰しゃいますが、あの武田重二郎様ね、それあの厭(いや)な気の詰るお方で、私も御奉公して居るうち見ましたが、偏屈な嫌(いや)に堅苦(かたっくる)しいね嫌な人で、実に困った訳でございますけれども、否(いや)と言切る訳にも往(ゆ)きませんから誠に心配していらっしゃいます」
山「お照さん……この山平は江戸詰に成りまして間がない事で、これまでお引立(ひきたて)を蒙(こうむ)りましたは、実は武田の重左衞門(じゅうざえもん)様の御恩でござります、そのお家の御二男様が御養子の約束になって居るものを、貴方が否(いや)と仰しゃれば何故(なにゆえ)に背(そむ)くと、夫(そ)れより事が顕(あら)われますれば、拙者は屋敷を逐出(おいだ)される事になります、私(わたくし)の身は仕方がない事でございますが、あなた様の御尊父にも済まぬ事で、何卒(どうぞ)是れまでお約束は致しましたが、何卒親御の意を背くは不孝なり、あなたも世間へ済まぬことになりますから、只今までの事は水にあそばして、何うかあなた武田から御養子をなすってください、実は只今まで私はお隠し申したが、国表を立出(たちい)でます時男子出産して今年二歳になります、国には妻子がございますので」
照「えゝ」
 と娘は驚きまして、じッと白島山平の顔を見て居りましたが、胸に迫ってわっとばかりに泣倒れました。
きん「あなた奥様があるの、おやお子さん方がお二人、まだ若いのに、おや然(そ)うでございますかねえ…お嬢さん白島様が御迷惑になりますから、お厭でもございましょうけれども、思い切って貴方、お厭でも御養子を遊ばせな、此の事が知れると物堅い旦那様だからきんもきんだ、長らく勤めて居ながら娘を二階で逢引をさせるとは不埓(ふらち)な女だと仰しゃって私(わたくし)が斬られるかも知れませんよ、ねえ彼(あ)ア云う御気象ですから、ねえ御養子をして置いて時々お逢い遊ばせよう、然うすりゃア知れやアしませんよ、あの釜浦(かまうら)様の御新造(ごしんぞ)様みたいな、彼アいう事もありますから、宜(よ)いじゃアありませんか、然う遊ばせよ」
山「誠に手前も夢の昔と諦めますから、申しお嬢様嘸(さぞ)不実な者と思召(おぼしめ)すでござりましょうが、この白島山平を可愛相(かわいそう)と思召すなら、あなた親御様の仰しゃる通り武田から御養子をなすって下さい、只今も金の申す通り、お聴済(きゝず)みがなければ止むを得ず、手前どうも切腹でもしなければならん訳で」
きん「貴方ア切腹なさると仰しゃるし、お嬢様は自害などと困りますねえ……お嬢様何う遊ばしますよ」
照「はい、それ程白島様が御心配遊ばす事なれば致方(いたしかた)がありませんから、それにお国に奥様もお子様もある事は私(わたくし)は少しも知りません、最(も)う身を切られるより辛うございますけれども、あなたのお言葉でございますから、背(そむ)かず武田から養子致します」
 と云いながら、わっと泣き倒れました。

        七

 おきんも山平も安心して、
きん「宜く仰しゃいました、それで何うでも成ります、またねえ時々お逢い遊ばす工夫もつきますから」
 と漸(ようや)く身上(みのうえ)の相談をして、お照は宅へ帰って、得心の上武田重二郎を養子にした処が、お照は振って/\振りぬいて同衾(ひとつね)をしません。家付の我儘娘、重二郎は学問に凝(こ)って居りますから、襖(ふすま)を隔てゝ更(ふけ)るまで書見をいたします。お照は夜着(よぎ)を冠(かぶ)って向うを向いて寝てしまいます。なれども武田重二郎は智慧者(ちえしゃ)でございますから、私(わし)を嫌うなと思いながらも舅姑(しゅうと)の前があるから、照や/\と誠に夫婦中の宜い様にして見せますから、両親は安心致して居ります中(うち)、段々月日が立ちますと、お照は重二郎の養子に来る前に最う身重(みおも)になって居りますから、九月の月へ入って五月目(いつゝきめ)で、お腹(なか)が大きく成ります。若い中(うち)は有りがちでございますから、まア/\淫奔(おいた)は出来ませんものでございます。お照は懐妊と気が付きましたから何うしたら宜(よ)かろう、何うかお目にかゝり相談を為(し)たいと、山平へ細々(こま/″\)と手紙を認(したゝ)め、今日あたりきんが来たらきんに持たせてやろうと帯の間へ挿(はさ)んで居りましたが、何処(どこ)へ振落しましたか見えませんから、又細々と文(ふみ)を認めおきんに渡し、それから直(すぐ)におきんより山平へ届けましたので、九月二十日に団子茶屋へ打寄ったが、此の時は山平は真青(まっさお)になりました。
きん「もし白島様実に驚きましたよ、お嬢様(さん)は同衾(ひとつね)を遊ばさないので、それだからいけやアしません、同衾をなされば少し位月が間違って居ても瞞(ごま)かしますよ、何うしたって指の先ぐらいは似て居りますから、何うでも出来ますのを、振って/\振抜いて、同衾をしないので隠し様がありませんからさ、押して云えば仕方がないから、私は自害して死ぬばかり、私は二度と夫は持たない、親が悪い、無理に持たせたから当然(あたりまえ)と仰しゃるだけで仕方がありませんよ」
山「露顕しては止むを得ない、何うしても割腹致すまでの事で」
きん「貴方は又そんな事を云って、仕様がございません、それじゃア相談の纏(まと)まり様がございません」
 と彼(あ)れの是れのと云って居りますと、折悪しく其の晩養子武田重二郎は傳助(でんすけ)と云う下男を連れて、小津軽(こつがる)の屋敷へ行って、両国を渡って帰り、御徒町(おかちまち)へ掛ると、
重「大分(だいぶ)傳助道が濘(ぬか)るのう」
傳「先程降りましたが宜(よ)い塩梅(あんばい)に帰りがけに止みました」
重「長い間待遠(まちどお)で有ったろう」
傳「いえもう貴方お疲れでございましょう、御番退(ごばんびけ)から御用多(おお)でいらしって、彼方此方(あちらこちら)とお歩きになって、お帰り遊ばしても直(すぐ)に御寝(おげし)なられますと宜しいが、矢張お帰りがあると、御新造(ごしんぞ)様と同じ様に御両親が話をしろなどと仰しゃると、お枕元で何か世間話を遊ばして御機嫌を取って、お帰り遊ばしても一口召上って、ゆる/\お気晴しは出来ませんで、誠に恐入りましたな」
重「何も恐入ることはない、私(わし)は仕合せだのう、幼年の時継母に育てられても継母が邪慳(じゃけん)にもしないが、気詰りであったけれど、当家へ養子に来てからは舅御(しゅうとご)が彼(あ)の通り好(よ)い方で、此の上もない仕合せで」
傳「へえ私(わたくし)は旧来奉公致しますが、旦那様も御新造様もいかつい事を云わないお方で、誠に私(わたくし)も仕合せで、実に彼(あ)アいう方でございますから、斯様(かよう)なことを申しては恐入りますが、若御新造様はすこしも御奉公遊ばさない、世間を御存じがない方でございますからな、あなたがお疲れの処へ、御両親様の御機嫌を取ってお長くいらっしゃる時には、御新造様が最(も)うお疲れだからと宜(よ)い様に云ってお居間に連れ申して、おすきな物で一杯上げる様にお気が付くと宜(よろ)しいが、余り遅くお帰りになるのが御意に入らぬのか知れませんが、つーと腹を立ったように、お帰りがあっても碌(ろく)にお言葉もかけない事がありますからな」
重「いゝや然(そ)うでない、御新造は奉公せぬに似合わぬ中々能(よ)く心付くよ」
傳「へえ……何うも私(わたくし)も旧来奉公致しますが、あなた様には誠に何(ど)うも何(なん)とも済まぬことで、実に恐入ったことで、私は心配致しますが、だからと申して黙っていても何うせ知れますからな」
重「何を」
傳「へえー、誠に何うも恐入って申上げられませんが、実は貴方様に対して御新造様がな、何うも何う云うものか、誠に恐入りますな」
重「大分恐入るが、何(なん)だい」
傳「へえ……申し上げませんければ他(ほか)から知れますからな、却(かえ)って御家名を汚(けが)すようになりますから、御両親様も……また貴方の名義を汚す一大事な事でございますから、外(ほか)のお方様なら申上げませんが、あなた様でございますから何うか内聞に願い、そこの処は世間に知れぬうち御工夫が付きますように参りましょうかと存じますが、何うか御内聞に、何うも何とも恐れ入りまして」
重「恐れ入ってばかりではとんと何だか分らんが、他の事と違って家名に障(さわ)ると、私(わし)が身は何うでもよろしいが、中根の苗字に障っては済まぬが、何(なん)じゃか言ってくれよ、よ、傳助」

        八

傳「実は申上げようはございませんが、もう往来も途切れたから申上げますが、御新造様は誠に怪(け)しからん、密夫(みそかお)を拵(こしら)え遊ばして逢引を致しますので」
重「ふう嘘を云え、左様な嘘をつくな決して左様な事は有りません、世間の悪口(わるくち)だろうから取上げるなよ、私(わし)が来ましてから御新造は些(ちっ)とも他(ほか)へ出た事はないぞ、弁天へ参詣に行(ゆ)くにも小女が附き、決して何処(どこ)へも行った事はない」
傳「それが有るのでへえ……実に恐入りますがな、不埓至極なのはお金と申す旧来勤めて居りました団子茶屋おきん、へい彼奴(あいつ)が悪いので、へい、奉公して一つ鍋の飯を喰いました女でございますから宜(よ)く私(わたくし)は存じて居りますが、口はべら/\喋るが、彼奴が不人情で怪(け)しからん奴で、お嬢様を自分の家(うち)の二階で男と密会をさせて、幾らかしきを取る、何如(いか)にも心得違いの奴で」
重「そりゃア誰(たれ)がよ、誰が左様なる事を云う、相手は何者か」
傳「相手はそれは何(ど)うも、白島山平と云う彼(あ)の下役の山平で、私(わたくし)も外(ほか)の方なら云いませんが貴方様だから、お舅御様(しゅうとごさま)のお耳にはいらぬ様にお計らいが附こうと思って申しますが、何うも恐入ります」
重「嘘を云え、白島山平は義気正しい男で、役は下だが重役に優(まさ)る立派な男じゃ、他人の女房と不義致すような左様な不埓者でない」
傳「それが誠に有るので、実は昨日な証拠を拾って持って居りますが、開封致しては相済みませんが、捨置(すてお)かれませんから心配して開封いたしましたが、山平へ送る艶書を拾いました」
重「どう見せろ」
傳「何うか御立腹でございましょうが内聞のお計らいを」
重「見せろ、どれもっと提灯を上げろ」
 と重二郎艶書を開(ひら)いて繰返し二度許(ばか)り読みまして、
重「傳助」
傳「へえー」
重「少しも存ぜぬで知らぬ事であったがよく知らしてくれた」
傳「何うも恐入ります、それだから貴方様がお帰りになっても、御新造様が快よく御酒の一と口も上げませんので、何うも驚きますな」
重「この文の様子では懐妊致して居(お)るな」
傳「へえー何うも怪(け)しからん事でげすな」
重「団子屋のきんの宅に今晩逢引を致して居るな」
傳「へえ丁度今晩逢引致して居ります」
重「きんの宅を存じて居るなれば案内しろ」
傳「いらっしゃいますか」
重「己(おれ)が行(ゆ)こう」
傳「貴方いらっしゃッても内聞のお計らいを」
重「痴(たわ)けた事を云うな、武士たる者が女房を他人(ひと)に取られて刀の手前此の儘(まゝ)では済まされぬから、両人の居処(いどころ)へ踏込み一刀に切って捨て、生首を引提(ひっさ)げて御両親様へ家事不取締の申訳をいたすから案内致せ」
傳「是は何うも飛んだ事を云いました、是は何うも恐入りましたな、外様(ほかさま)なれば云いませんが、貴方様でございますから内聞に出来る事と心得て飛んだ事を申しました」
重「飛んだ事と申して捨置かれるものか、行(ゆ)け/\」
 と云われ真青(まっさお)になってぶる/\顫(ふる)えて傳助地びたへ踵(かゝと)が着きませんで、ひょこ/\歩きながら案内をするうちに、団子屋のきんの宅の路地まで参りました。
重「これ/\其処(そこ)に待って居れ、町家(ちょうか)を騒がしては済まぬから」
傳「何うかお手打ちは御勘弁なすって」
重「黙れ、提灯を消してそれに控え居れ」
傳「へえー」
 重二郎は傳助を路地の表に待たして、自分一人で裏口の腰障子へぼんやり灯(あかり)がさすから小声で、
重「おきんさんの宅は此方(こちら)かえ」
 と云うと二階に三人で相談をして居りましたが、
きん「はい魚政(うおまさ)かえ…いゝえ此の頃出来た魚屋でございますから、器物(いれもの)が少(すけ)ないのでお刺身を持って来ると、直(すぐ)に後(あと)で甘□(うまに)を入れるからお皿を返して呉れろと申して取りに来ますので」
 きんは魚屋と間違えて、
きん「少し待ってお出(い)でよ」
 と階子段(はしごだん)を下りて、
きん「魚政かえ、今お待ちよ」
 と障子を開けて見ると、魚屋とは思いの外(ほか)重二郎が刀を引提(ひっさ)げてずうと入り、
重「これ照が二階に参って居(お)るなら一寸(ちょっと)逢わして呉れよ」
きん「いゝえ御新造様は此方(こちら)へは入(いら)っしゃいません」
重「入っしゃいませんたって参って居るに相違ない、是に駒下駄があるではないか」
きん「あのそれは先刻(さっき)あの入(いら)っしゃいまして、それはあの、雨が降って駒下駄では往(い)けないから草履(ぞうり)を貸してと仰しゃいまして」
重「馬鹿な、痴(たわ)けた事を云うな、逢わせんと云えば直(じき)に二階へ通るぞ」
きん「はーい何卒(どうぞ)真平(まっぴら)御免遊ばして、何うぞ御勘弁遊ばして、御新造様がお悪いのではございません、皆きんが悪いのでございますから何うぞ」
重「何だ袖へ縋(すが)って何う致す、放さんか、えい」
 と袖を払って長い刀を引提(ひっさ)げて二階へどん/\/\/\と重二郎駈上ります。これから何う相成りますか一寸一(ひ)と息(いき)致して。

        九

 引続(ひきつゞき)ましてお聴(きゝ)に入れますが、世の中に腹を立ちます程誠に人の身の害になりますものはございません。殊(こと)に此の赫(か)ッと怒(いか)りますと、毛孔(けあな)が開いて風をひくとお医者が申しますが、何(ど)う云う訳か又極(ご)く笑うのも毒だと申します。また泣入(なきい)って倒れてしまう様に愁傷(しゅうしょう)致すのも養生に害があると申しますが、入湯(にゅうとう)致しましても鳩尾(みぞおち)まで這入って肩は濡(ぬら)してならぬ、物を喰ってから入湯してはならぬ、年中水を浴びて居るが宜(よ)いと申しますが、嫌な事を忍ぶのも、馴れるとさのみ辛いものではござりませぬ。何事も堪忍致すのは極く身の養生(くすり)、なれども堪忍の致しがたい事は女房が密夫(まおとこ)を拵(こしら)えまして、亭主を欺(だま)し遂(おお)せて、他(ほか)で逢引する事が知れた時は、腹を立たぬ者は千人に一人もございません。武田重二郎は中根の家へ養子に来てからお照が同衾(ひとつね)を為(し)ないのは、何か訳があろうと考えを起して居ります処へ、家来傳助がこれ/\と証拠の文を見せたから、常と違って不埓至極な奴、さア案内しろと云う。傳助も飛んだ事を云ったと思っても今更仕方がありません。重二郎は団子屋のお金の家へ裏口から這入った時はおきんは驚きまして、
きん「何うか私(わたくし)が悪いからお嬢様をお助けなすって下さい」
 と袖に縋(すが)るを振切って、どん/\と引提(ひっさ)げ刀で二階へ上(あが)りました時に、白島山平もお照も唯(た)だ恟(びっく)り致して、よもや重二郎が来ようとは思わぬから、膝に凭(もた)れ掛って心配して、何う致そう、寧(いっ)その事二人共に死んで仕舞おうかと云って居る処へ、夫が来たので左右へ離れて、ぴったり畳へ頭(かしら)を摺付(すりつ)けて山平お照も顔を挙(あ)げ得ません。おきんは是れは最(も)う屹度(きっと)斬ると思い、怖々(こわ/″\)ながら上(あが)って来て、
きん「何卒(どうぞ)御勘弁なすって下さい、お願いでございます」
重「まア/\静かに致せ、そう騒いではいかん、世間で何事かと思われる、えゝ何も騒ぐ事はない……これさお照お前何故(なぜ)そんなに驚きなさる、私(わし)が来たので畳へ頭(かしら)を摺付け、頭を挙げ得ぬが、何(なん)と心得て左様に恐れて居(い)るのか、何うも何ともとんと私には分りません……山平殿それでは誠に御挨拶も出来ぬから頭を挙げて下さい…きん、静かに致して下の締りを宜(よ)くして置くが宜いぞ、よう、賊でも這入るといかぬ」
きん「はい誠に何うも何ともお詫(わび)の致方(いたしかた)もございません、お嬢様が何も私(わたくし)が旧来奉公を致し、他に行(ゆ)く処もないからきんや家(うち)を貸せと仰しゃった訳でもございません、世間見ずで入(いら)っしゃいますから人の目褄(めつま)に掛ってはなりませんと私がお招(よ)び申したのが初めで、何卒(どうぞ)/\御勘弁なすって」
重「これさ静かにしろよう、何だか分りませんが、それじゃア何か差向(さしむかい)で居(い)る処へ私(わし)が上って来たから、山平殿と不義濫行(いたずら)でもして居ると心得て、私が立腹して此(こ)れへ上って来た故、差向で居た上からは申訳(もうしわけ)は迚(とて)も立たぬ、さア済まぬ事をしたと云うので左様に驚きましたか、左様か、然(そ)うだろう、然うでなければ然う驚く訳はない、誠にきん貴様は迷惑だ…のう山平殿、役こそ卑(ひく)いが威儀正しき其の許(もと)が、中々常の心掛けと申し、品行も宜しく、柔和温順な人で、他人(ひと)の女房と不義などをうん…なア…為(す)る様な非義非道の事を致す人でないなア……が差向で居(お)ったが過(あやま)りであった、男女(なんにょ)七歳にして席を同じゅうせずで、申訳が立たぬと心得て、山平殿も恐れ入って居(お)らるゝ様子、照も亦済まぬ、何う言訳しても身のあかりは立つまい、不義と云われても仕方がない、身に覚えはないけれども是れに二人で居たのが過り、残念な事と心得て其の様に泣入って居(お)ることか、何とも誠に気の毒な、飛んだ処へ私が上って来たのう、そう云う訳は決してないのう、きん」
きん「はい/\決して夫(そ)れはそう云う、あの、其様(そん)などうも訳ではございませんから」

        十

重「だからノウ、私(わし)が養子に来ぬ前から照の心掛は実に感心、云わず語らず自然と知れますな、と申すは昨年霜月三日にお兄様(あにさま)は何者とも知れず殺害(せつがい)され、如何(いか)にも残念と心得、御両親は老体なり、武士の家に生れ、女ながらも仇(あた)を討たぬと云う事はないと心掛けても、何(ど)うも相手は立派な士(さむらい)であり、女の細腕では討つ事ならず、誰(たれ)を助太刀に頼もう、親切な人はないかと思う処へ、親(ちか)しく出入(でいり)を致す山平殿、殊(こと)に心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の仇討(あだうち)に出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私には然(そ)うはいかん、御養子前の大切の娘御を私が若い身そらで女を連れて行(ゆ)く訳には往(い)かん、両親の頼みがなければいかんなどと申されて、迚(とて)もお用いがないのを、止むを得ず助太刀をして下さいと照が再度貴公に頼んだは実に奇特(きどく)な事で、頼まれてもまさか女を連れて行(ゆ)く訳にもいかず、此方(こちら)は只管(ひたすら)頼むと云う、是は何うも山平殿も実に困った訳だが、私が改めてお頼み申す訳ではないが、山平殿、中根善之進殿を討ったは水司又市と私は考える、彼(あ)の日逐電して行方知れず、落書(らくがき)だらけの扇子(おうぎ)が善之進殿の死骸の側に落ちて有ったが、その扇子は部屋で又市が持っていた事を私は承知して居(い)るから、敵(かたき)は私の考えでは又市に相違なし、お国表へ立廻る彼(あ)アいう悪い心な奴、殊に腕前が宜しいから何(ど)んな事を仕出(しで)かすかも知れん、故に私が改めて貴公に頼むは、何うか隠密(おんみつ)になってお国表へ参って、貴公が何うか又市を取押えて呉れんか……照お前は何処迄(どこまで)も又市を探(たず)ねて討たんければならぬが、私から山平殿に一緒に行って下さいとは、何うも養子に来て間もなし、頼む訳には表向(おもてむき)いかんから、お前はお父様(とっさま)やお母様(っかさま)への申訳に、私(わたくし)も武士の家へ生れ女ながらも敵討を致したい故、池の端の弁天様へ、兄の仇(あだ)を討たぬ中(うち)は決して良人(おっと)を持ちませんと命に懸けての心願である処へ、強(た)って養子をしろと仰しゃるから養子をしたが、重二郎とは未(いま)だ同衾(ひとつね)を致しませんのは、是まで私が思い立った事を果(はた)さずば、何うも私が心に済みません、神に誓った事もあり、仇討(あだうち)に出立致す不孝の段はどの様にもお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はお宥(ゆる)し下さいと、文面は私(わし)が教えるから私の云う通りに書きなさい、また山平殿は……貴公に倶(とも)に行って下さいとは云われないが、山平殿は国表へ参って彼(かれ)を取調べ、助太刀をしてお照が仇討をして帰る時、貴公も共に其の所へ行合(ゆきあ)わし、幸い助太刀をして本意を遂げさせしと云ってお帰りになれば、貴公の家は何うか潰(つぶ)さぬ様に致そう、重二郎刀に掛けても致すから、二人へ改めて頼む訳にはいかんが、然うして仇(あだ)を討たせて望(のぞみ)を叶(かな)えてやって下さい…お前は奉公した事がないからお父様お母様に我儘を云うが、山平殿は親切なれども長旅の事、我儘な事を云って山平殿に見捨てられぬ様に中好(なかよ)う、なにさ若(も)し捨てられては仇は討てず、亦これから先は長い旅、水も異(かわ)り気候も違うから、詰らん物を食して腹を傷(いた)めぬ様にしなさい、左様(そう)じゃアないか、何でも身を大切にして帰って来てくれんければ困りますぞ、縦(たと)えあゝは仰しゃるが、二人で居たから密通と思召(おぼしめ)すに違いない、密通もせぬに然う思われては残念と刃物三昧でもすると、お父様お母様に猶更(なおさら)済みませんぞよ、必ずとも道中にて悪い物を食して、腹に中(あた)らぬ様にしなさるが宜(よ)いのう、お照」
 と五月(いつゝき)になるお照の身重の腹を、重二郎に持って居ります扇でそっと突かれた時は、はッとお照は有難涙(ありがたなみだ)に思わず声が出て泣伏しました。

        十一

 山平も面目なく、
山「何共(なにとも)申訳はござらぬ、重々不埓至極な事拙者…」
重「いゝや少しも不埓な事はござらん、国表に於(おい)て又市が何(ど)んな事を為(す)るか知れん、万一重役を欺(あざむ)き、大事は小事より起る譬喩(たとえ)の通りで捨置かれん……お父様お母様へも書置を認(したゝ)めるが宜(よ)い……硯箱(すゞりばこ)を持って来な」
きん「はい」
重「硯箱を早く」
きん「はい」
重「何(な)んだ是は、松魚節箱(かつおぶしばこ)だわ」
きん「はい」
 と漸(ようや)く硯箱を取寄せて、紙(かみ)筆(ふで)を把(と)らせましても、お照は紙の上に涙をぽろ/\こぼしますから、墨がにじみ幾度も書損(かきそこ)ない、よう/\重二郎の云う儘に書終り、封を固く致しました。
重「これは私がお母様の何時(いつ)も大切に遊ばす彼(あ)の手箱の中へ入れて置く……きん、何(ど)うも長い間度々(たび/\)照が来てお前の家(うち)でも迷惑だろう、主人の娘が貸してくれと云うものを出来ぬとは義理ずくで往(い)かんし、親切に世話をしてくれ忝(かたじけ)ない、多分に礼をしたいが、帰り掛(がけ)であるからのう、是は誠に心ばかりだが世話になった恩を謝するから」
きん「何う致しまして私(わたくし)がそれを戴いては済みません、何うかそれだけは」
重「いゝや、其の替り頼みがあるが、今日私(わし)が来て照と山平殿に頼んで旅立をさせた事は、是程も口外して呉れては困る、少しも云ってはならぬよ、口外して他(ほか)から知れゝば、お前より外(ほか)に知る者はないから拠(よんどころ)なくお前を手に掛けて殺さなければならんよ」
きん「はい/\/\どう致しまして申しません」
重「じゃア宜しい、さア山平殿、照早く表へ出なさい、宜しいから先に立って出なさい」
 二人は何事も只(た)だ有難いと面目ないで前後不覚の様(よう)になって、重二郎の云う儘に表へ出に掛る。台所口の腰障子を開(あ)け、
重「大きに厄介になった…さア心配しなくも宜(よ)い、出なさい」
照「はい…金や長々お世話になりました」
きん「それじゃア直ぐに遠い田舎へいらっしゃいますか、親切にあゝ仰しゃって下さるから、本当に敵(かたき)を討ってお出でなさいよ」
照「誠に面目次第もございません」
重「口をきいてはいかん、さア/\」
 と二人を連れて出ると、傳助は提灯を持って路地に待って居りまして、
傳「誠に何うも宜く御勘弁なすって」
重「これ静かに致せ、両人(ふたり)を手討に致し他(た)を騒がしては宜しくないから」
傳「へい…」
重「人知れぬ処へ行って両人(りょうにん)とも討果すから袂(たもと)を押えて遁(にが)さぬように」
傳「へえ……へ宜しゅう」
重「これ提灯を腰へさせ」
傳「へい」

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