西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝
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著者名:三遊亭円朝 

西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝三遊亭圓朝鈴木行三校訂・編纂     一 御免を蒙(こうむ)りまして申上げますお話は、西洋人情噺(にんじょうばなし)と表題を致しまして、英国(えいこく)の孝子(こうし)ジョージ、スミスの伝、これを引続いて申上げます。外国(あちら)のお話ではどうも些(ち)と私(わたくし)の方にも出来かねます。又お客様方にお分り難(にく)いことが有りますから、地名人名を日本(にほん)にしてお話を致します。英国のリバプールと申しまする処で、英国(いぎりす)の竜動(ろんどん)より三時間で往復の出来る処、日本(にっぽん)で云えば横浜のような繁昌(はんじょう)な港で、東京(とうけい)で申せば霊岸島(れいがんじま)鉄砲洲(てっぽうず)などの模様だと申すことで、その世界に致してお話をします。スマイル、スミスと申しまする人は、彼国(あちら)で蒸汽の船長でございます。これを上州(じょうしゅう)前橋(まえばし)竪町(たつまち)の御用達(ごようたし)で清水助右衞門(しみずすけえもん)と直してお話を致します。其の子ジョージ、スミスを清水重二郎(じゅうじろう)という名前に致しまして、其の姉のマアリーをおまきと云います。エドワルド、セビルという侠客(おとこだて)がございますが、これを江戸屋(えどや)の清次郎(せいじろう)という屋根屋の棟梁(とうりょう)で、侠気(おとこぎ)な人が有ったというお話にします。又外国(あちら)では原語でございますとジョン、ハミールトンという人が、ナタンブノルという朋友(ともだち)の同類と、かのスマイル、スミスを打殺(うちころ)しまして莫大(ばくだい)の金を取ります。このナタンブノルを井生森又作(いぶもりまたさく)と致しジョン、ハミールトンを前橋の重役で千二百石取りました春見丈助利秋(はるみじょうすけとしあき)という者にいたしてお話を此方(こちら)のことに直しましただけの事で、原書をお読み遊ばした方は御存じのことでございましょうが、これは或る洋学先生が私(わたくし)に口移しに教えて下すったお話を日本(にほん)の名前にしてお和(やわら)かなお話にいたしました。そのおつもりでお聴きの程を願います。徳川家が瓦解(がかい)になって、明治四五年(しごねん)の頃大分(だいぶ)宿屋が出来ましたが、外神田松永町(そとかんだまつながちょう)佐久間町(さくまちょう)あの辺には其の頃大きな宿屋の出来ましたことでございますが、其の中に春見屋(はるみや)という宿屋を出しましたのが春見丈助という者で、表構(おもてがまえ)は宏高(こうこう)といたして、奥蔵(おくぐら)があって、奉公人も大勢使い、実に大(たい)した暮しをして居ります。娘が一人有って、名をおいさと申します。これはあちらではエリザと申しまするのでお聞分(きゝわけ)を願います。十二歳になって至って親孝行な者で、その娘を相手にして春見丈助は色々の事に手出しを致したが、皆失敗(しくじ)って損ばかりいたし、漸(ようよ)うに金策を致して山師(やまし)で威(おど)した宿屋、実に危(あぶな)い身代で、お客がなければ借財方(しゃくざいかた)からは責められまするし、月給を遣(や)らぬから奉公人は暇(いとま)を取って出ます、終(つい)にはお客をすることも出来ません、適(たま)にお客があれば機繰(からくり)の身上(しんしょう)ゆえ、客から預かる荷物を質入(しちいれ)にしたり、借財方に持って行(ゆ)かれますような事でございますから、客がぱったり来ません。丁度十月二日のことでございます。歳はゆかぬが十二になるおいさという娘が、親父(おやじ)の身代(しんだい)を案じましてくよ/\と病気になりましたが、医者を呼びたいと思いましても、診察料も薬礼(やくれい)も有りませんから、良(い)い医者は来て呉れません。幸い貯えて有りました烏犀角(うさいかく)を春見が頻(しきり)に定木(じょうぎ)の上で削って居ります所へ、夕景に這入(はい)って来ました男は、矢張(やはり)前橋侯の藩で極(ごく)下役でございます、井生森又作という三十五歳に相成(あいな)りましてもいまだ身上(みのうえ)が定(さだま)らず、怪しい形(なり)で柳川紬(やながわつむぎ)の袷(あわせ)一枚で下にはシャツを着て居りますが、羽織も黒といえば体(てい)が好(い)いけれども、紋の所が黒くなって、黒い所は赤くなって居りますから、黒紋の赤羽織といういやな羽織をまして[#「まして」は「きまして」の誤記か]兵児帯(へこおび)は縮緬(ちりめん)かと思うと縮緬呉絽(ちりめんごろう)で、元は白かったが段々鼠色になったのをしめ着て、少し前歯の減った下駄に、おまけに前鼻緒(まえばなお)が緩(ゆる)んで居りますから、親指で蝮(まむし)を拵(こしら)えて穿(は)き土間から奥の方へ這入って来ました。又「誠に暫(しばら)く」丈「いや、これは珍らしい」又「誠に存外の御無音(ごぶいん)」丈「これはどうも」又「一寸(ちょっと)伺(うかゞ)わなけりゃならんのだが、少し仔細(しさい)有って信州へ行って居りましたが、長野県では大(おお)きに何も彼(か)もぐれはまに相成って、致し方なく、東京までは帰って来たが、致方(いたしかた)がないから下谷金杉(したやかなすぎ)の島田久左衞門(しまだきゅうざえもん)という者の宅に居候(いそうろう)の身の上、尊君(そんくん)にお目に懸(かゝ)りたいと思って居て、今日(きょう)図(はか)らず尋ね当りましたが、どうも大(たい)した御身代で、お嬢様も御壮健でございますか」丈「はい、丈夫でいるよ、貴公もよく来てくれたなア」又「いやどうも、成程これだけの構えでは奉公人なども大勢置かんならんねえ」丈「いや奉公人も大勢置いたが、宿屋もあわんから奉公人には暇(いとま)を出して、身上(しんしょう)を仕舞おうと思って居(い)るのさ」又「はてね、どういう訳で」丈「さア色々仔細有って、実に負債(ふさい)でな、どうも身代が追付(おっつ)かぬ、先(ま)ずどうあっても身代限(しんだいかぎり)をしなければならぬが、身代限をしても追付かぬことがある」又「そりゃア困りましたな、就(つい)ちゃア僕がそれ君にお預け申した百金は即刻御返金を願いたい、直(すぐ)に返しておくんなさえ」丈「百円今こゝには無い」又「無いと云っては困ります、僕が君に欺(あざむ)かれた訳ではあるまいが、これをこうすればあゝなる、この機械を斯(こ)うすれば斯ういう銭儲(ぜにもう)けがあると、貴君(きくん)の仰(おっし)ゃり方が実(まこと)しやかで、誠に智慧(ちえ)のある方の云うことだから、間違いはなかろうと思って、懇意の所から色々才覚をして出した所が目的が外(はず)れてしまって仕方がないが、百円の処は、是だけは君がどうしても返して呉れなければ、僕の命の綱で、只今斯(か)くの如き見る影もない食客(しょっかく)の身分だから、どうかお察し下さい」丈「返して呉れと云っても仕方がないわ、それに此の節は勧解沙汰(かんかいざた)[#「勧解」に欄外校注:裁判官が説諭して示談にせしむること]が三件もあり、裁判所沙汰が二件もあるし、それに控訴もあるような始末だから、何と云っても仕方がない」又「裁判沙汰が十(とお)有ろうが八つ有ろうが、僕の知ったことではない、相済まぬけれども是だけの構えを一寸(ちょっと)見ても大(たい)したものだ、それに外を廻って見ても、又座敷で一寸茶を入れるにも、それその銀瓶(ぎんびん)があって、其の他(ほか)、諸道具といい大した財産だ、あの百金は僕の命の綱、これがなければ何(ど)うにも斯(こ)うにも方(ほう)が付かぬ、君の都合は僕は知らないから、此の品を売却しても御返金を願う」丈「この道具も皆抵当になっているから仕方がないわさ」又「御返金がならなければ止(や)むを得んから、旧来御懇意の君でも勧解(かんかい)へ持出さなければならぬが、どうも君を被告にして僕が願立(ねがいた)てるというのは甚(はなは)だ旧友の誼(よし)みに悖(もと)るから、したくはないが、拠(よんどころ)ない訳だ」丈「今と云っても仕方が無いと申すに」又「はて、是非とも御返金を願う」 と云って坐り込んで、又作も今身代限(しんだいかぎ)りになる訳でいると云うから、身代限りにならぬうちに百円取ろうとする。春見は困り果てゝ居ります所へ入って来ましたのは、前橋竪町の御用達の清水助右衞門という豪家(ごうか)でございます。此の人も色々遣(や)り損(そこ)なって損(そん)をいたして居りますが、漸々(よう/\)金策を致しまして三千円持って仕入れに参りまして、春見屋へ来まして。助「はい、御免なさいまし、御免下さいまし」丈「どなたか知らぬが、用があるならずっと此方(こっち)へ這入っておくんなさい」助「御免を蒙(こうむ)ります、誠に御無沙汰しました、助右衞門でございます」丈「おゝ/\、どうもこれはなつかしい、久々で逢った、まア/\此方(こっち)へ、いつも壮健で」助「誠に存外御無沙汰致しましたが、貴方様(あなたさま)にも何時(いつ)もお変りなく、一寸(ちょっと)伺いたく思いやすが、何分にも些(ち)と訳あって取紛(とりまぎ)れまして御無沙汰致しましたが、段々承れば宿屋店(やどやみせ)をお出しなすったそうで、世界も変れば変るもので、春見様が宿屋になって泊り客の草履(ぞうり)をお直しなさるような事になって、誠にお傷(いた)わしいことだ、それを思えば助右衞門などは何をしても好(い)い訳だと思って、忰(せがれ)や娘に意見を申して居ります、旦那様もお身形(みなり)が変りお見違(みち)げえ申す様(よう)になりました、誠にまアあんたもおふけなさいました」丈「こう云う訳になって致方(いたしかた)がない、前橋の方も尋ねたいと思って居たが、何分貧乏暇なしで御無沙汰になった、よく来た、どうして出て来たのだ」助「はい、私(わし)も人に損を掛けられて仕様がねい、何かすべいと思っていると、段々聞けば県庁が前橋へ引けるという評判だから、此所(こゝ)で取付(とりつ)かなければなんねいから、洋物屋(ようぶつや)をすれば、前には唐物屋(とうぶつや)と云ったが今では洋物屋と申しますそうでござりやすが、屹度(きっと)当るという人が有りますから、此処(こゝ)で一息(ひといき)吹返(ふきかえ)さなければなんねいと思って、田地(でんじ)からそれにまア御案内の古くはなったが、土蔵を抵当にしまして、漸々(よう/\)のことで利の食う金を借りて、三千円資本(もとで)を持って出て参ったでがんすから、宿屋へ此の金を預けて仕入(しいれ)をするのだが、滅多に来(き)ねえから、馴染(なじみ)もねえ所へ預けるのも心配(しんぺえ)だから、身代の手堅い処がと、段々考(かんげ)えたところが、春見様が宿屋店(やどやみせ)を出しておいでなさると云うから、買出(かいだ)しするにも安心と考(かんげ)えてまいりました、当分買出しに行(ゆ)きますまで、どうか御面倒でも三千円お預かり下さるように願います」丈「成程左様か」 と話をしていると、井生森又作は如才(じょさい)ない狡猾(こうかつ)な男でございますから、是だけの宿屋に番頭も何もいないで、貧乏だと悟られて、三千円の金を持って帰られてはいけないと思って、横着者(おうちゃくもの)でございますから直(す)ぐに羽織を脱いでそれへ出てまいり。又「お初にお目に懸りました、手前は当家の番頭又作と申すもので、旦那から承わって居りましたが、ようこそお出(い)でゞ、此の後(ご)とも幾久しく宜(よろ)しゅう願います、えゝ当家も誠に奉公人も大勢居りましたが、女共を置きましたところが何かぴら/\なまめいてお客が入りにくいから、皆一同に暇(いとま)を出して、飯焚男(めしたきおとこ)も少々訳が有って暇(ひま)を出しまして、私(わたくし)一人(いちにん)に相成りました、どうかお荷物をお預けなすったら、何は久助(きゅうすけ)は何処(どこ)へ行ったな」助「横浜でも買出しをして、それから東京でも買出しをして、遅くもどうかまア十一月中頃までに帰(けえ)ろうと、こう心得まして出ました」丈「成程、それでは兎も角も三千円の金を確かに預かりましょう」助「就(つ)きましては、誠に斯様(かよう)な事を申しては済みませんが、私(わし)の身に取っては三千円は実に大(たい)した金で、今は大(でか)い損をした暁(あかつき)のことで、此の三千円は命の綱で大事な金でがんすから、此方(こちら)にお預け申して、さア旦那様を疑ぐる訳じゃ有りませんが、どうか三千円確かに預かった、入用(にゅうよう)の時には渡すという預(あずか)り証文を一本御面倒でも戴きたいもので」丈「成程これはお前の方で云わぬでも当然の事で、私の方で上げなければならん、只今書きましょう」 と筆を取って金(きん)三千円確かに預かり置く、要用(よう/\)の時は何時(なんどき)でも渡すという証文を書いて、有合(ありあわ)した判をぽかりっと捺(お)して、丈「これで好(い)いかえ」助「誠に恐入ります、これでもう大丈夫」 とこれを戴いて懐中物の中へ入れます。紙入(かみいれ)も二重になって居て大丈夫なことで、紙入も落さんようにして、助「大宮から歩いて参りまして草臥(くたび)れましたから、どうかお湯を一杯戴きたいもので」又「誠に済みませんが、※(たが)が反(は)ねましてお湯を立てられません、それに奉公人が居りませんから、つい立てません、相済みませんが、此の先(さ)きに温泉がありますから、どうかそれへお出(い)でなすって下さい」助「温泉というと伊香保(いかほ)や何かの湯のような訳でがんすか」又「なアに桂枝(けいし)や沃顛(よじいむ)という松本先生が発明のお薬が入って居りまして、これは繁昌(はんじょう)で、其の湯に入ると顔が玉のように見えると云うことでございます」助「東京へは久しぶりで出てまいって、それに又様子が変りましたな、どうも橋が石で出来たり、瓦(かわら)で家(うち)が出来たり、方々(ほう/″\)が変って見違えるように成りました、その温泉は何処(どこ)らでがんすか」又「此処(こゝ)をお出(い)でになりまして、向うの角(かど)にふらふ[#「ふらふ」に傍点]が立って居ります」助「なんだ、ぶら/\私(わし)が歩くか」又「なアに西洋床(せいようどこ)が有りまして、有平(あるへい)見た様(よう)な物が有ります、その角に旗が立って居りますから、彼処(あすこ)が宜しゅうございます」助「私(わし)はこれ髻(まげ)がありますから、髪も結(ゆ)って来ましょうかねえ」又「行って入らっしゃいまし、残らず置いて入らっしゃいまし」丈「証書の入った紙入を持って行って、板の間に取られるといけないよ」助「板の間に何が居りますか」丈「なアに泥坊がいるから取られてはいけん」助「これはまア私(わし)が命の綱の証文だから、これは肌身離されません」主「それでも湯に入るのに手に持っては行(ゆ)けないだろう」助「事に依(よ)ったら頭へ縛り付けて湯に入ります、行ってめえります、左様なら」又「いって入(いら)っしゃいまし……とうとう出掛けたが、是は君、えゝどうも、富貴(ふうき)天に有りと云うが、不思議な訳で、君は以前お役柄(やくがら)で、元が元だから金を持って来ても是程に貧乏と知らんから、そこで三千円という大金を此の苦しい中へ持って来て、纒(まとま)った大金が入るというのは実に妙だ、それも未(まあ)だ君にお徳が有るのさ、直(す)ぐ其の内を百金御返金を願う」丈「これさ、今持って来たばかりで酷(ひど)いじゃアないか」又「此の内百金僕に返しても、此の金(かね)は一時(じ)に持って往(ゆ)くのじゃない、追々(おい/\)安い物が有れば段々に持って往く金だから、其の中(うち)に君が才覚して償(つぐの)えば[#「償(つぐの)えば」は底本では「償(つくの)えば」]宜しい、僕には命代(いのちがわ)りの百円だ、返し給え」丈「それじゃア此の内から返そう」 と百円包(づゝみ)になって居るのを渡します。扨(さて)渡すと金が懐へ入りましたから、気が大きくなり又「どうだい、番頭の仮色(こわいろ)を遣(つか)って金を預けさせるようにした手際(てぎわ)は」 まア愉快というので、お酒を喫(た)べて居りますとは清水助右衞門は少しも存じませんから、四角(よつかど)へまいりまして見ると、西洋床というのは玻璃張(がらすばり)の障子(しょうじ)が有って、前に有平(あるへい)のような棒が立って居りまして、前には知らない人がお宮と間違えてお賽銭(さいせん)を上げて拝みましたそうでございます。助右衞門は成程有平の看板がある、是だなと思い、助「御免なさいまし、/\、/\、此処(こちら)が髪結床(かみゆいどこ)かね」 中床(なかどこ)さんが髭(ひげ)を抜いて居りましたが、床「何(なん)ですえ、広小路(ひろこうじ)の方へ往(ゆ)くのなら右へお出(い)でなさい」助「髪結床は此方(こちら)でがんすか」床「両国の電信局かね」助「こゝは、髪結う所か」 と云っても玻璃障子(がらすしょうじ)で聞えません。床「何ですえ」助「髪を結って貰いたえもんだ」床「へいお入(はい)んなさい、表の障子を明けて」助「はい御免、大(でけ)い鏡だなア、髪結うかねえ」床「此方(こちら)は西洋床ですから旧弊頭(きゅうへいあたま)は遣(や)りません…おや、あなたは前橋の旦那ですねえ」助「誰だ、何うして私(わし)を知っているだ」床「私(わっし)やア廻りに歩いた文吉(ぶんきち)でございます」助「おゝそうか、文吉か、見違(みちがえ)るように成った、もうどうも成らなかったが辛抱するか」文「大辛抱(おおしんぼう)でございます旦那どうもねえ、前橋にいる時には道楽をして、若い衆の中へ入って悪いことをしたり何かして御苦労を掛けましたから、書ければ一寸(ちょっと)郵便の一本も出すんでげすが、何うも人を頼みに往(ゆ)くのもきまりが悪くて、存じながら御無沙汰をしました、宜(よ)く出てお出(い)でなすった、東京見物ですかえ」助「なアに、当時は己(おれ)も損をして商売替(しょうべいげえ)をしべいと思って、唐物(とうぶつ)を買出しに来たゞが、馴染(なじみ)が少ないから横浜へ往って些(ちっ)とべい[#「些(ちっ)とべい」は底本では「些(ちっ)っとべい」]買出しをしべいと思って東京でも仕入れようと思って出て来た」文「へい、商売替(しょうばいがい)ですか、洋物(ようぶつ)は宜(よ)うがすねえ、これから開(ひら)けるのだそうでげすなア、斬髪(ざんぱつ)になってしまえば、香水(こうずい)なども売れますぜ、お遣(や)りなさい結構でげすな、それに前橋へ県が引けると云うからそうなれば、福々(ふく/\)ですぜ、宿屋は何処(どこ)へお泊りです」助「馬喰町(ばくろちょう)にも知った者は有るが、家(うち)を忘れたから、春見様が丁度彼所(あすこ)に宿屋を出して居るから、今着いて荷を預けて湯に入(は)いりに来た」文「何(な)んでげす、春見へ、彼処(あすこ)はいけません、いけませんよ」助「いかねえって、どうしたんだ」文「あれは大変ですぜ、身代限りになり懸って、裁判所沙汰が七八つとか有ると云って、奉公人にも何(なん)にも給金を遣(や)らないから、皆(みん)な出て行ってしまって、客の荷でも何でも預けると直(す)ぐに質に入れたり何(なに)かするから、泊人(とまりて)はございません、何か預けるといけませんよ」助「それは魂消(たまげ)た、春見様は元御重役だぜ」文「御重役でもなんでも、今はずう/″\しいのなんて、米屋でも薪屋(まきや)でも、魚屋でも何でも、物を持って往(ゆ)く気づかいありません」助「そりゃア知んねえからなア」文「何か預けた物がありますか」助「有るって無(ね)えって、命と釣替(つりげえ)の」 と云いながら出に掛ったが、玻璃(がらす)でトーンと頭を打(ぶっ)つけて、慌(あわ)てるから表へ出られやしません。文「玻璃戸が閉っていて外が見えても出られませんよ、怪我(けが)をするといけませんよ」助「なに此の儘(まゝ)では居(い)られない」 と云うので取って返して来て、がらりと明けて中へ這入って。助「御免なせえまし」 と土間から飛上って来て見ると、其処(そこ)らに誰も居りませんから、つか/\と奥へ往(ゆ)きますと、奥で二人で灯火(あかり)を点(つ)けて酒を飲んでいたが、此方(こちら)も驚いて。丈「やアお帰りか」助「先刻(さっき)お預け申しました三千円の金を、たった今直(す)ぐにお返しを願います」 と云うから番頭驚いて。又「あなたは髪も結わず、湯にもお入りなさらんで何うなさいました」助「髪も湯も入りません、今横浜に安い物が有るから、今晩の中(うち)に往って居(お)らなければならんから、直ぐに行(ゆ)くから、どうか只今お預け申しました鞄(かばん)を証書とお引換(ひきかえ)にお渡しを願います」 と紙入から書付を出して春見の前へ突付けて。助「どうか三千円お戻しを願います」丈「それは宜(い)いが、まア慌てちゃいけん、横浜あたりへ往って、あの狡猾世界(こうかつせかい)でうか/\三千円の物を買えば屹度(きっと)損をするから、慌てずにそういう物があるか知らぬけれども、是から往って物を見て値を付けて、そこで其の内を五百円買うとか二百円買うとか仕なければ、固(もと)より慣れぬ商売の事だから、慌てちゃアいかん、何ういう訳だかまア緩(ゆっく)りと昔話も仕たいから、まア泊(とま)んなさい」又「只今主人の申します通り、横浜は狡猾な人の多く居ります所だから、損をするのは極(きま)って居りますゆえ、三千円一度に持って往って損をするといけないから、まア/\今晩は緩(ゆる)りとお泊りなさいまし、して明日(みょうにち)十二時頃からお出(い)でなすって、品物を見定めて、金子も一時(いちじ)に渡さずに、徐々(そろ/\)持って往って、追々とお買出しをなすった方が宜しゅうございます」助「それは御尤様(ごもっともさま)でございますが、親切な確かな人に聞いた事でございます、今夜の内に何うしても斯うしても横浜まで往(ゆ)かなければ成らぬ、売れてしまわぬ前に私(わし)が往(ゆ)けば安いというので、確かなものに聞きました、どうかお願いでございますからお返しなすって下せい、成程文吉の云った通り是だけの大(でか)い家(うち)に奉公人が一人も居ねいのは変だ」丈「何を」助「へい、なに三千円お返し下さい」丈「返しても宜しいけれどもそんなに慌てゝ急がんでも宜(い)いじゃないか、先(まず)其の内千円も持って行ったら宜(よ)かろう」助「へい急ぎます、金がなければならぬ訳でがんすから、何うかお渡し下さい」 と助右衞門は何うしても聞き入れません。こゝが妙なもので、三千円のうち、当人に内々(ない/\)で百円使い込んで居(い)るとこでございますから、春見のいう言葉が自然におど付きますから、此方(こちら)は猶更(なおさら)心配して、助「さアどうかお返しなすって下せえ、今預ったべいの金だから返すことが出来ないことはあんめい」丈「金は返すには極(きま)って居る事だから返すが、何ういう訳だか慌てゝ帰って来たが、お前が損をすると宜(よ)くないからそれを心配するのだ」又「只今主人のいう通り、慌てずに緩(ゆっく)りお考えなさい」助「黙ってお在(い)でなせい、あんたの知ったことじゃアない、三千円の金は通例の金じゃアがんせん、家蔵(いえくら)を抵当にして利の付く金を借りて、三千円持ってまいります時、婆(ばゞあ)や忰(せがれ)がお父(とっ)さん慣れないことをして又損をしやすと、今度は身代限りだから駄目だ、止(よ)した方が宜(よ)かろうと云うのを、なアに己(おれ)も清水助右衞門だ、確かに己が儲けるからと云って、私(わし)が難かしい才覚を致してまいった三千円で、私が命の綱の金でがんすから、損を仕ようが、品物を少なく買おうが多く買出ししようが私の勝手だ、あなた方の口出しする訳じゃねえから、どうか、さア、どうか返して下さい」丈「今は此処(こゝ)にない蔵にしまって有るから待ちなさい」 と云いながら往(ゆ)こうとすると逃げると思ったから、つか/\と進んで助右衞門が春見の袖にぴったりと縋(すが)って放しませんから。丈「これ何をする、これさ何をするのだ」助「申し、春見様、私(わし)が商法をしまして是で儲かれば、貴方(あなた)の事だからそりゃア三百円ぐらいは御用達(ごようだ)てますが、今は命より大事の三千円の金だからそれを返して下さらなけりゃア国へ帰(けえ)れません」 と云うので、一生懸命に袖へ縋られた時には、是は自分の身代の傾いた事を誰かに聞いたのだろう、罪な事だが是非に及ばん、今此の三千円が有ったら元の春見丈助になれるだろうと、有合(ありあわ)せた槻(けやき)の定木(じょうぎ)を取って突然(いきなり)振向くとたんに、助右衞門の禿(は)げた頭をポオンと打ったから、頭が打割(ぶちわ)れて、血は八方へ散乱いたして只(たっ)た一打(ひとうち)でぶる/\と身を振わせて倒れますと、井生森又作は酷(ひど)い奴で、人を殺して居る騒ぎの中で血だらけの側にありました、三千円の預り証文をちょろりと懐(ふところ)へ入れると云う。これがお話の発端でございます。     二[#底本では脱落] 清水助右衞門は髪結(かみゆい)文吉の言葉を聞き、顔色変えて取ってかえし、三千両[#「三千円」の誤記か]の預り証書を春見の前へ突き出し、返してくれろと急の催促に、丈助は其の中(うち)已(すで)に百円使い込んで居(い)るから、あとの金は残らず返すから、これだけ待ってくれろと云えば仔細は無かったのだが、此の三千円の金が有ったなら、元の如く身代も直り、家も立往(たちゆ)くだろう、又娘にも難儀を掛けまいと、むら/\と起りました悪心から致して、有合(ありあ)う定木(じょうぎ)をもって清水助右衞門を打殺(うちころ)す。側にいた井生森又作は、そのどさくさ紛(まぎ)れに右三千円の預り証書を窃取(ぬすみと)るというお話は、前日お聞きになりました所でござりますが、此の騒ぎを三畳の小座敷で聞いて居りましたのは、当年十二歳に相成るおいさと云う孝行な娘でございますから、お父様(とっさま)は情(なさけ)ない事をなさる、と発明な性質ゆえ、袖を噛んで泣き倒れて居ります。春見は人が来てはならんと、助右衞門の死骸を蔵へ運び、葛籠(つゞら)の中へ入れ、血(のり)の漏(も)らんように薦(こも)で巻き、すっぱり旅荷のように拵(こしら)え、木札(きふだ)を附け、宜(い)い加減の名前を書き、井生森に向い。丈「金子を三百円やるから、どうか此の死骸を片附ける工風(くふう)はあるまいか」又「おっと心得た、僕の縁類(えんるい)が佐野(さの)にあるから、佐野へ持って往って、山の中の谷川へ棄てるか、又は無住(むじゅう)の寺へでも埋めれば人に知れる気遣(きづかい)はないから心配したもうな」 と三百円の金を請取(うけと)り、前に春見から返して貰った百円の金もあるので、又作は急に大尽(だいじん)に成りましたから、心勇んで其の死骸を担(かつ)ぎ出し、荷足船(にたりぶね)に載せ、深川扇橋(ふかがわおうぎばし)から猿田船(やえんだぶね)の出る時分でございますから、此の船に載せて送る積りで持って往(ゆ)きました。扨(さて)お話二つに分れまして、春見丈助は三千円の金が急に入りましたから、借財方(しゃくざいかた)の目鼻を附け、奉公人を増し、質入物(しちいれもの)を受け出し、段々景気が直って来ましたから、お客も有りますような事で、どんどと十月から十二月まで栄えて居りました。此方(こちら)は前橋竪町の清水助右衞門の忰(せがれ)重二郎や女房は、助右衞門の帰りの遅きを案じ、何時(いつ)まで待っても郵便一つ参りませんので、母は重二郎に申付(もうしつ)け、お父様(とっさま)の様子を見て来いと云うので、今年十七歳になる重二郎が親父(おやじ)を案じて東京へ出てまいり、神田佐久間町の春見丈助の門口(かどぐち)へ来ますと、二階には多人数(たにんず)のお客が居りますから、女中はばた/\廊下を駆(か)けて居ります。重「御免なせい/\、/\」女「はい入らっしゃいまし、まア此方(こちら)へお上(あが)んなさいまし」重「春見丈助様のお宅は此方でございやすか」女「はい春見屋は手前でございますが、何方(どちら)から入(いら)っしゃいました」重「ひえ、私(わし)は前橋竪町の清水助右衞門の忰(せがれ)でござりやすが、親父(おやじ)が十月国を出て、慥(たし)か此方(こちら)へ着きやんした訳になって居りやんすがいまだに何(なん)の便(たよ)りもございませんから、心配して尋ねてまいりましたが、塩梅(あんべい)でも悪くはないかと、案じて様子を聞きにまいりましたのでがんすと云って、どうかお取次を願いていもんです」女「左様でございますか、少々お控えを願います」 と奥へ入り、暫(しばら)くして出てまいり。女「お前さんねえ、只今仰(おっ)しゃった事を主人へ申しましたら、そう云うお方は此方(こちら)へはいらっしゃいませんが、門違(かどちが)いではないかとの事でございますよ」重「なんでも此方へ来ると云って家(うち)を出やんしたが…此方へは来(き)ねえですか」女「はい、お出(い)ではございません宿帳にも附いて居りません」重「はてねえ、何(ど)うした事だかねえ、左様なら」 と云いながら出ましたが、外(ほか)に尋ねる当(あて)もなく、途方に暮れてぶら/\と和泉橋(いずみばし)の許(もと)までまいりますと、向うから来たのは廻りの髪結い文吉で、前橋にいた時分から馴染(なじみ)でございますから。文「もし/\其処(そこ)へお出(い)でなさるのは清水の若旦那ではありませんか」重「はい、おや、やア、文吉かえ」文「誠にお久し振でお目にかゝりましたが、見違(みちげ)えるように大きくお成んなすったねえ、私(わっち)が前橋に居りやした時分には、大旦那には種々(いろ/\)御厄介(ごやっかい)になりまして、余り御無沙汰になりましたから、郵便の一つも上げてえと思っては居りやしたが、書けねえ手だもんだから、つい/\御無沙汰になりやした、此間(こないだ)お父(とっ)さんが出ていらっしゃいやしたから、お前さんも東京を御見物に入らしったのでございやしょう」重「親父(おやじ)の来たのを何うしてお前は知っているだえ」文「へい、先々月お出でなすって、春見屋へ宿をお取んなすったようで」重「宅(うち)へもそう云って出たのだが、余(あんま)り音信(おとずれ)がないから何処(どこ)へ往ったかと思っているんだよ」文「なに春見屋で来(こ)ねえって、そんな事はありやせん、前々月(せん/\げつ)の二日の日暮方(ひくれかた)、私(わっち)は海老床(えびどこ)という西洋床を持って居りますが、其処(そこ)へ旦那がお出(い)でなすったから、久し振でお目にかゝり、何処(どこ)へお宿をお取りなさいましたと云うと、春見屋へ宿を取り、買出しをしに来たと仰しゃるから、それはとんでもない事をなすった、あれは身代限(しんだいかぎり)になり掛っていてお客の金などを使い込み、太(ふて)い奴でございます、大きな野台骨(やたいぼね)を張っては居りますが、月給を払わないもんだから奉公人も追々(おい/\)減ってしまい、蕎麦屋でも、魚屋でも勘定をしねえから寄附(よりつ)く者はねえので、とんだ所へお泊りなすったと云うと、旦那が権幕(けんまく)を変えて、駈け出してお出(い)でなさったが、それ切りお帰りなさらないかえ」重「国を出た切り帰(けえ)らねえから心配(しんぺい)して来たのだよ」文「それは変だ、私(わし)が証拠人だ、春見屋へ往って掛合ってあげやしょう旦那は来たに違いねえんだ、春見屋は此の頃様子が直り、滅法景気が宜(よ)くなったのは変だ」重「文吉、汝(われ)一緒に往って、確(しっか)り掛合ってくれ」文「さアお出(い)でなさい」 と親切者でございますゆえ、先に立って春見屋へ参り。文「此間(こないだ)は暫(しばら)く、あの清水の旦那が此方(こちら)へ泊ったのは私(わっち)が慥(たし)かに知ってるが、先刻(さっき)此の若旦那が尋ねて来たら、来(こ)ねえと云ったそうだから、また来やしたが、此の文吉が証拠人だ、なんでも旦那は入らしったに違いないから、お取次を願います」女「はい一寸(ちょっと)承って見ましょう」 と奥へまいり、此の事を申すと、春見はぎっくり胸に当りましたが、素知らぬ顔にもてなして、此方(こっち)へと云うので、女中が出てまいり、女「まア、お通りなさいまし」 と云うから、文吉が先に立ち、重二郎を連れて奥へ通りました。丈「さア/\此方(こちら)へお這入(はい)り」重「誠に久しくお目にかゝりませんでございました」丈「どうも見違えるように大きくおなりだねえ、今女どもが取次をしたが、新参で何も心得んものだから知らんが、お父(とっ)さんは前々月(せん/\げつ)の二日に一寸(ちょっと)私の所へお出(い)でになったよ」重「左様でございますか、先刻(せんこく)お女中が此方(こちら)へ来(き)ねえと云いましたから、はてなと思いやしたのは、宅(うち)を出る時は春見様へ泊り、遅くも十一月の末には帰ると云いましたのが、十二月になっても便(たよ)りがありやせんから、母も心配して、見て来るが宜(い)いというので、私(わし)が出て参りまして」丈「成程、だが今云う通り一寸(ちょっと)お出でになり、どう云う訳だか取急ぎ、横浜へ買出しに往(ゆ)くと云って、直(す)ぐ往(ゆ)こうとなさるから、久振(ひさしぶり)で逢って懐かしいから、今晩一泊なすって緩々(ゆる/\)お話もしたいと留(と)めても聞入れず、振り切って横浜へいらしったが、それっ切り未(ま)だお宅(たく)へ帰らんかえ」重「へい、そんなら親父(おやじ)は来たことは来たが、此方(こちら)には居ねえんですか困ったのう、文吉どん」文「もし旦那、御免なせえ、私(わっち)は元錨床(いかりどこ)と云って西洋床をして居りました時、此方(こちら)の二階のお客に旧弊頭(きゅうへいあたま)もありますので、時々お二階へ廻りに来た文吉という髪結(かみゆい)でございます」丈「はアお前が文吉さんか、誠に久しく逢いませんでした」文「先々月の二日清水の旦那が此方(こちら)へお泊りなすって、荷物をお預け申して湯に入(は)いるって錨床へ入(い)らしったところが、私(わっち)が上州を廻っている時分御厄介になった清水の旦那だから、何御用でというと金を持って仕入れに来たが、泊る所に馴染(なじみ)がねえから、春見屋へ泊ったと仰(おっ)しゃったから、それはとんでもねえ処へ、いえなに宜(よ)い処へお泊りなすったという訳でねえ」丈「一寸(ちょっと)お出(い)でにはなったが、取急ぎ横浜へ往(ゆ)くと云ってお帰りになった」文「もし先々月の二日でございますぜ」丈「左様(そう)よ」文「あの清水の旦那が金を沢山(どっさり)春見屋へ預けたと仰しゃるから、それはとんだ処へ、いえなにどうも誠にどうもねえ」丈「来たことは来たが、お連(つれ)か何か有ると見え、いくら留(と)めても聞入れず、買出しの事故(ゆえ)そうはいかんと云って荷物を持って取急いでお帰りになったが、それ切り帰られないかえ」文「それ清水の旦那が荷をお前さんへ預け、床へ来ると私(わっち)がいて、旦那どうして此方(こちら)へ出ていらしったと云うと、商売替(しょうべいげえ)をする積りで、滅法界(めっぽうけい)金を持って来て、迂濶(うっか)り春見屋へ預けたと云うから、それはとんだ、むゝなに、一番宜(よ)い処へお預けなすったという訳で、へい」丈「今もいう通り直(す)ぐに横浜へ往(ゆ)くと云って、お帰りなすったよ」文「ふん、へい、十月二日に、旦那が此方(こっち)へ……」丈「幾度云っても其の通り来たことは来たが、直(す)ぐにお帰りになったのだよ」重「仕様がありませんなア」文「だって旦那え、まアどうも、…へい左様なら」 と取附く島もございませんから、そとへ出て重二郎は文吉に別れ、親父(おやじ)が横浜へ往ったとの事ゆえ、横浜を残らず捜しましたが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、本郷と捜しましたが知れません。仕方がないから重二郎は前橋へ立帰りました。お話跡へ戻りまして、井生森又作は清水助右衞門の死骸を猿田船(やえんだぶね)に積み、明くれば十月三日市川口(いちかわぐち)へまいりますと、水嵩(みずかさ)増して音高く、どうどうっと水勢(すいせい)急でございます。只今の川蒸汽(かわじょうき)とは違い、埓(らち)が明きません。市川、流山(ながれやま)、野田(のだ)、宝珠花(ほうしゅばな)と、船を附けて、関宿(せきやど)へまいり、船を止めました。尤(もっと)も積荷(つみに)が多いゆえ、捗(はか)が行(ゆ)きませんから、井生森は船中で一泊して、翌日は堺(さかい)から栗橋(くりはし)、古河(こが)へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡(ふなと)へ荷を揚(あ)げて、其処(そこ)に井上(いのうえ)と申す出船宿(でふねやど)で、中食(ちゅうじき)も出来る宿屋があります。井生森は其処へ入り、酒肴(さけさかな)を誂(あつら)え、一杯遣(や)って居りながら考えましたが、これから先人力(じんりき)を雇って往(ゆ)きたいが、此の宿屋から雇って貰っては、足が附いてはならんからと一人で飛出し、途中から知れん車夫(くるまや)を連れてまいり、此の荷を積んでどうか佐野まで急いでやってくれと、酒を呑ませ、飯を喰わせ、五十銭の酒手を遣(や)りました。車夫(しゃふ)は年頃四十五六(しじゅうごろく)で小肥満(こでっぷり)とした小力(こぢから)の有りそうな男で、酒手(さかて)を請取(うけと)り荷を積み、身支度をして梶棒(かじぼう)を掴(つか)んだなり、がら/\と引出しましたが、古河から藤岡(ふじおか)までは二里余(よ)の里程(みちのり)。船渡を出たのは二時頃で、道が悪いから藤岡を越す頃はもう日の暮れ/″\で、雨がぽつり/\と降り出しました。向うに見えるは大平山(おおひらさん)に佐野の山続きで、此方(こちら)は都賀村(つがむら)、甲村(こうむら)の高堤(たかどて)で、此の辺は何方(どちら)を見ても一円沼ばかり、其の間には葭(よし)蘆(あし)の枯葉が茂り、誠に物淋しい処でございます。車夫(しゃふ)はがら/\引いてまいりますと、積んで来た荷の中の死骸が腐ったも道理、小春なぎの暖(あたゝか)い時分に二晩(ふたばん)留(と)め、又打(うち)かえって寒くなり、雨に当り、いきれましたゆえ、臭気甚(はなはだ)しく、鼻を撲(う)つばかりですから、車「フン/\、おや旦那え/\」又「なんだ、急いで遣(や)ってくれ」車「なんだか酷(ひど)く臭(くさ)いねえ、あゝ臭い」又「なんだ」車「何だか知んねえが誠に臭い」 と云われ、又作はぎっくりしましたが、云い紛(まぎ)らせようと思い、又「詰(つま)らん事をいうな、此の辺は田舎道だから肥(こい)の臭(にお)いがするのは当然(あたりまえ)だわ」車「私(わし)だって元は百姓でがんすから、肥(こい)の臭(くさ)いのは知って居りやんすが、此処(こゝ)は沼ばかりで田畑(でんぱた)はねえから肥の臭(にお)いはねえのだが、酷(ひど)く臭う」 と云いながら振り返って鼻を動かし、車「おゝ、これこれ、此の荷だ、どうも臭いと思ったら、これが臭いのだ、あゝ此の荷だ」 と云われて又作愈々(いよ/\)驚き、又「何を云うのだ、なんだ篦棒(べらぼう)め、荷が臭いことが有るものか」車「だって旦那、臭いのは此の荷に違いねえ」又「これ/\何を云うのだ」 と云ったが最(も)う仕方がありませんから、云いくろめようと思いまして、又「これは俗に云う干鰯(ほしか)のようなもので、田舎へ積んで往って金儲けを仕ようと思うのだ、実は肥(こい)になるものよ」車「肥(こい)の臭(にお)いか干鰯の臭いかは在所の者は知ってるが、旦那今私(わし)が貴方(あんた)の荷が臭いと云った時、顔色が変った様子を見ると、此の中は死人(しびと)だねえ」又「馬鹿を云え、東京から他県へ死人(しびと)を持って来るものがあるかえ、白痴(たわけ)たことを云うなえ」車「駄目だ、顔色を変えてもいけねい、己(おれ)今でこそ車を引いてるが、元は大久保政五郎(おおくぼまさごろう)の親類で、駈出(かけだ)しの賭博打(ばくちうち)だが、漆原(うるしはら)の嘉十(かじゅう)と云った長脇差(ながわきざし)よ、ところが御維新(ごいっしん)になってから賭博打を取捕(とっつかめ)えては打切(ぶっき)られ、己も仕様がないから賭博を止(や)め、今じゃア人力車(くるま)を引いてるが、旦那貴方(あんた)は何処(どこ)のもんだか知んねえが、人を打殺(ぶっころ)して金を奪(と)り、其の死人(しびと)を持って来たなア」又「馬鹿を云え、とんでもない事をいう、どう云う次第でそんな事を云うのだ」車「おれ政五郎親分の処にいた頃、親方(おやぶん)が人を打殺(ぶちころ)して三日の間番をさせられた時の臭(にお)いが鼻に通って、いまだに忘れねえが、其の臭いに違(ちげ)えねいから隠したって駄目だ、死人(しびと)なら死人だとそう云えや、云わねえと己(お)れ了簡(りょうけん)があるぞ」又「白痴(たわけ)た奴だ、どうもそんな事を云って篦棒(べらぼう)め、手前(てめえ)どう云う訳で死人(しびと)だと云うのだ、失敬なことを云うな」車「なに失敬も何もあるものか、古河の船渡で車を雇うのに、値切(ねぎり)もしずに佐野まで極(き)め、其の上五十銭の祝儀もくれ、酒を呑ませ飯まで喰わせると云うから、有(あ)り難(がて)い旦那だと思ったが、唯(たゞ)の人と違い、死人(しびと)じゃ往(ゆ)けねえが、併(しか)し死人だと云えば佐野まで引いて往ってくれべいが、隠しだてをするなら、後(あと)へ引返(ひきけえ)して、藤岡の警察署へ往って、其の荷を開(ひら)いて検(あらた)めて貰うべい」又「馬鹿なことを云うな、駄賃は多分に遣(や)るから急いで遣れ」車「駄賃ぐらいでは駄目だ、内済事(ねえせえごと)にするなら金を弐拾両(にじゅうりょう)よこせ」又「なに弐拾両、馬鹿なことを云うなえ」車「いやなら宜(い)いわ」 と云いながら梶棒を藤岡の方へ向けましたから、井生森又作は大(おお)きに驚き慌てゝ、又「おい車夫(くるまや)、待て、これ暫(しばら)く待てと云うに、仕様のない奴だ、太(ふて)え奴だなア」車「何方(どっち)が太(ふて)えか知れやしねえ」又「そう何もかも手前(てめえ)に嚊(か)ぎ附けられては止(や)むを得ん、実は死人(しびと)だて、就(つい)ては手前(てま)[#「てまえ」あるいは「てめえ」か]に金子二拾両遣(や)るが、何卒(どうぞ)此の事を口外してくれるな、打明けて話をするが、此の死骸は実は僕が権妻(ごんさい)同様のものだ」車「それなら貴方(あんた)の妾か」又「なに僕の妾というではない、去る恩人の持ちものだが、不図(ふと)した事から馴れ染め、人目を忍んで逢引(あいびき)をして居ると、その婦人が懐妊したので堕胎薬(おろしぐすり)を呑ました所、其の薬に中(あた)って婦人は達(たっ)ての苦(くるし)み、虫が被(かぶ)って堪(たま)らんと云って、僕の所へ逃出(にげだ)して来て、子供は産(うま)れたが、婦人は死んでしまった所密通をした廉(かど)と子を堕胎(おろ)した廉が有るから、拠(よんどころ)なく其の死骸を旅荷に拵(こしら)え、女の在所へ持って往(ゆ)き、親達と相談の上で菩提所(ぼだいしょ)へ葬(ほうむ)る積りだが、手前(てまえ)にそう見顕(みあら)わされて誠に困ったが、金を遣(や)るから急いで足利在(あしかゞざい)まで引いてくれ」車「そう事が定(きま)れば宜(い)いが…なんだって女子(おんなッこ)と色事をして子供を出かし、子を堕胎(おろ)そうとして女が死んだって…人殺しをしながら惚気(のろけ)を云うなえ、もう些(ちっ)と遣(よこ)しても宜(い)いんだが、二十両に負けてくれべい、だが臭(くせ)い荷を引張(ひっぱ)って往(ゆ)くのは難儀だアから、彼処(あすこ)の沼辺(ぬまべり)の葦(よし)の蔭(かげ)で、火を放(つ)けて此の死人(しびと)を火葬にしてはどうだ、そうして其の骨を沼の中へ打擲(ぶっぽ)り込んでしまえば、少しぐれえ焼けなくっても構った事はねえ、もう来月から一杯(いっぺい)に氷が張り、来年の三月でなければ解けねえから、知れる気遣(きづか)えはねえが、どうだえ」又「これは至極妙策、成程宜(い)い策だが、ポッポと火を焚(た)いたら、又巡行の査官(さかん)に認められ、何故(なぜ)火を焚くと云って咎(とが)められやしないか」車「大丈夫(でいじょうぶ)だよ、時々私(わし)らが寒くって火を焚く事があるが、巡査(おまわり)がこれなんだ、其処(そこ)で火を焚いて、消さないか、と云うから、へい余(あんま)り寒うございますから火を焚いて※(あた)って居りますが、只今踏消して参りますと云うと、そんなら後(あと)で消せよと云って行(ゆ)くから、大丈夫(だいじょうぶ)だ、さア此処(こゝ)へ下(おろ)すべい」 と之(こ)れから車を沼の辺(へり)まで引き込み、彼(か)の荷を下(おろ)し、二人で差担(さしかつ)ぎにして、沼辺(ぬまべり)の泥濘道(ぬかるみみち)を踏み分け、葭(よし)蘆(あし)茂る蔭(かげ)に掻(か)き据(す)えまして、車夫は心得て居りますから、枯枝(かれえだ)などを掻き集め、燧(まっち)で火を移しますると、ぽっ/\と燃え上る。死人(しびと)の膏(あぶら)は酷(ひど)いから容易には焼けないものであります。日の暮れ方の薄暗がりに小広い処で、ポッポと焚く火は沼の辺(へり)故(ゆえ)、空へ映(うつ)りまして炎々(えん/\)としますから、又作は気を揉(も)み巡査は来やしないかと思っていますと、車「旦那、もう真黒(まっくろ)になったろうが、貴方(あんた)己(おれ)がにもう十両よこせよ」又「足元を見て色々な事を云うなえ」車「足元だって、己(お)れはア女の死骸と云って己(おれ)を欺(だま)かしたが、こりゃア男だ、女の死骸に□□[#底本2字伏字]があるかえ」 と云われて又驚き、又「えゝ何を云うのだ」車「駄目だよ、お前(めえ)は人を打殺(ぶちころ)して金を奪(と)って来たに違(ちげ)えねえ、もう十両呉れなけりゃア又引き返そうか」又「仕方がない遣(や)るよ、余程(よっぽど)狡猾(こうかつ)な奴だ」車「汝(わ)れ方(ほう)が狡猾だ」 と云いながら人力車(くるま)の梶棒を持って真黒になった死骸を沼の中へ突き込んでいます。又作は近辺(あたり)を見返ると、往来はぱったり止まって居りますから、何かの事を知った此の車夫(しゃふ)、生(い)けて置いては後日(ごにち)の妨(さまた)げと、車夫の隙(すきま)を伺(うかゞ)い、腰の辺(あたり)をポオーンと突く、突かれて嘉十はもんどり切り、沼の中へ逆(さか)とんぼうを打って陥(おちい)りましたが、此の車夫は泳ぎを心得て居ると見え、抜手(ぬきで)を切って岸辺へ泳ぎ附くを、又作が一生懸命に車の簀蓋(すぶた)を取って、車夫の頭を狙(ねら)い打たんと身構えをしました。是からどういう事に相成りますか、一寸(ちょっと)一息(ひといき)致しまして申上げましょう。     三 さて春見丈助は清水助右衞門を打殺(うちころ)しまして、三千円の金を奪い取りましたゆえ、身代限りに成ろうとする所を持直(もちなお)しまして、する事為す事皆当って、忽(たちま)ち人に知られまする程の富豪(ものもち)になりました。又一方(かた/\)は前橋の竪町で、清水助右衞門と云って名高い富豪(ものもち)でありましたが、三千円の金を持って出た切(ぎ)り更に帰って来ませんので、借財方から厳しく促(はた)られ遂(つい)に身代限りに成りまして、微禄(びろく)いたし、以前に異(かわ)る裏家住(うらやずま)いを致すように成りました。実に人間の盛衰は計られぬものでございます。春見が助右衞門を殺します折(おり)に、三千円の預り証書を春見の目の前へ突付け掛合う中(うち)に、殺すことになりまして、人を殺す程の騒ぎの中(なか)ですから、三千円の証書の事には頓(とん)と心付きませんでしたが、後(あと)で宜(よ)く考えて見ますと、助右衞門が彼(あ)の時我が前に証書を出して、引換えに金を渡せと云って顔色を変えたが彼(か)の証書の、後(あと)にないところを見れば、他(ほか)に誰(たれ)も持って行(ゆ)く者はないが、井生森又作はあア云う狡猾(こうかつ)な奴だから、ひょっと奪(と)ったかも知れん、それとも助右衞門の死骸の中へでも入っていったか、何しろ又作が帰らなければ分らぬと思って居りましたが、三ヶ年の間又作の行方(ゆくえ)が知れませんから、春見は心配で寝ても寝付かれませんから、悪い事は致さぬものでございますが、凡夫(ぼんぷ)盛んに神祟(たゝ)りなしで、悪運強く、する事なす事儲かるばかりで、金貸(かねかし)をする、質屋をする、富豪(ものもち)と云われるように成って、霊岸島川口町(れいがんじまかわぐちちょう)へ転居して、はや四ヶ年の間に前の河岸(かし)にずうっと貸蔵(かしぐら)を七つも建て、奥蔵(おくぐら)が三戸前(みとまえ)あって、角見世(かどみせ)で六間間口の土蔵造(どぞうづくり)、横町(よこちょう)に十四五間の高塀(たかべい)が有りまして、九尺(くしゃく)の所に内玄関(ないげんかん)と称(とな)えまする所があります。実に立派な構えで、何一つ不自由なく栄燿栄華(えいようえいが)は仕ほうだいでございます。それには引換え清水助右衞門の忰(せがれ)重二郎は、母諸共(もろとも)に千住(せんじゅ)へ引移りまして、掃部宿(かもんじゅく)で少し許(ばか)りの商法を開(ひら)きました所が、間(ま)が悪くなりますと何をやっても損をいたしますもので、彼(あれ)をやって損をしたからと云って、今度は是(こ)れをやると又損をして、遂(つい)に資本(しほん)を失(なく)すような始末で、仕方がないから店をしまって、八丁堀亀島町(はっちょうぼりかめじまちょう)三十番地に裏屋住(うらやずま)いをいたして居りますと、母が心配して眼病を煩(わずら)いまして難渋(なんじゅう)をいたしますから、屋敷に上げてあった姉を呼戻し、内職をして居りましたが、其の前年(まえのとし)の三月から母の眼がばったりと見えなくなりましたゆえ、姉はもう内職をしないで、母の介抱ばかりして居ります。重二郎は其の時廿三歳でございますが、お坊さん育ちで人が良うございますから智慧(ちえ)も出ず、車を挽(ひ)くより外(ほか)に何も仕方がないと、辻へ出てお安く参りましょうと云って稼いで居りましたが、何分にも思わしき稼ぎも出来ず、遂(つい)に車の歯代(はだい)が溜(たま)って車も挽けず、自分は姉と両人で、二日(ふつか)の間は粥(かゆ)ばかり食べて母を養い、孝行を尽(つく)し介抱いたして居りましたが、最(も)う世間へ無心に行(ゆ)く所もありませんし、何(ど)うしたら宜(よろ)しかろうと云うと、人の噂に春見丈助は直(じ)き近所の川口町にいて、大(たい)した身代に成ったという事を聞きましたから、元々馴染(なじみ)の事ゆえ、今の難渋を話して泣付(なきつ)いたならば、五円や十円は恵んで呉れるだろうというので、姉と相談の上重二郎が春見の所へ参りましたが、家の構えが立派ですから、表からは憶(おく)して入れません。横の方へ廻ると栂(つが)の面取格子(めんとりごうし)が締(しま)って居りますから、怖々(こわ/″\)格子を開けると、車が付いて居りますから、がら/\/\と音がします。驚きながら四辺(あたり)を見ますと、結構な木口(きぐち)の新築で、自分の姿(なり)を見ると、単物(ひとえもの)の染(そめ)っ返しを着て、前歯の滅(へ)りました下駄を穿(は)き、腰に穢(きたな)い手拭(てぬぐい)を下げて、頭髪(あたま)は蓬々(ぼう/\)として、自分ながら呆(あき)れるような姿(なり)ゆえ、恐る/\玄関へ手を突いて、重「お頼み申します/\」男「どーれ」 と利助(りすけ)という若い者が出てまいりまして、利「出ないよ」重「いえ乞食(こじき)ではございません」利「これは失敬、何処(どこ)からお出(い)でになりました」重「私(わし)ア少し旦那様にお目にかゝって御無心申したい事がありまして参りました」利「何処からお出でゞございますか」重「はい、私(わし)ア前橋の竪町の者でございまして、只今は御近辺に参って居りますが、清水助右衞門の忰(せがれ)が参ったと何卒(どうぞ)お取次を願います」利「誠にお気の毒でございますが、此の節は無心に来る者が多いから、主人も困って、何方(どなた)がお出でになってもお逢いにはなりません、種々(いろ/\)な名を附けてお出でになります、碌々(ろく/\)知らんものでも馴々(なれ/\)しく私は書家でございます、拙筆(せっぴつ)を御覧に入れたいと、何か書いたものを持って来て何(なん)と云っても帰らないから、五十銭も遣(や)って、後(あと)で披(あ)けて見ると、子供の書いたような反故(ほご)であることなどが度々(たび/\)ありますから、お気の毒だが主人はお目にかゝる訳にはまいりません」重「縁のない所からまいった訳ではありません、前橋(めえばし)竪町の清水助右衞門の忰重二郎が参ったとお云いなすって下さいまし」利「お気の毒だが出来ません、それに旦那様は御不快であったが、今日はぶら/\お出掛になってお留守だからいけません」重「どうか其様(そん)なことを仰(おっ)しゃらないでお取次を願います」利「お留守だからいけませんよ」 と頻(しき)りに話をしているのを、何(なん)だかごた/\していると思って、そっと障子(しょうじ)を明けて見たのは、春見の娘おいさで、唐土手(もろこしで)の八丈(はちじょう)の着物に繻子(しゅす)の帯を締め、髪は文金(ぶんきん)の高髷(たかまげ)にふさ/\と結(ゆ)いまして、人品(じんぴん)の好(よ)い、成程八百石取った家のお嬢様のようでございます。今障子を開けて、心付かず話の様子を聞くと、清水助右衞門の忰(せがれ)だから驚きましたのは、七年前(あと)自分のお父(とっ)さんが此の人のお父(とっ)さんを殺し、三千円の金を取り、それから取付いて此様(こんな)に立派な身代になりましたが、此の重二郎はそれらの為に斯(か)くまでに零落(おちぶ)れたか、可愛(かわい)そうにと、娘気(むすめぎ)に可哀(かあい)そうと云うのも可愛(かわい)そうと云うので、矢張(やはり)惚(ほ)れたのも同じことでございます。い「あの利助や」利「へい/\、出ちゃいけませんよ、/\」い「あのお父(とっ)さんは奥においでなさるから其の方(かた)にお逢わせ申しな」利「お留守だと云いましたよ、いけませんよ」い「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前は姿(なり)のいゝ人を見るとへい/\云って、姿の悪い人を見ると蔑(さげす)んでいけないよ、此の間も立派な人が来たから飛出して往って土下座したって、そうしたら菊五郎(きくごろう)が洋服を着て来たのだってさ」利「どうも仕方がないなア、此方(こちら)へお入(はい)り」 と通しまして直(すぐ)に奥へまいり、利「えゝ旦那様、見苦しいものが参って旦那様にお目にかゝりたいと申しますから、お留守だと申しましたところが、お嬢さまがお逢わせ申せ/\と仰(おっ)しゃいまして困りました」丈「居ると云ったら仕方がないから通せ」利「此方へお入り」重「はい/\」 と怖々(こわ/″\)上(あが)って縁側伝いに参りまして、居間へ通って見ますと、一間(いっけん)は床の間、一方(かた/\)は地袋(じぶくろ)で其の下に煎茶(せんちゃ)の器械が乗って、桐の胴丸(どうまる)の小判形(こばんがた)の火鉢に利休形(りきゅうがた)の鉄瓶(てつびん)が掛って、古渡(こわたり)の錫(すゞ)の真鍮象眼(しんちゅうぞうがん)の茶托(ちゃたく)に、古染付(ふるそめつけ)の結構な茶碗が五人前ありまして、朱泥(しゅでい)の急須(きゅうす)に今茶を入れて呑もうと云うので、南部の万筋(まんすじ)の小袖(こそで)に白縮緬(しろちりめん)の兵子帯(へこおび)を締め、本八反(ほんはったん)の書生羽織(しょせいばおり)で、純子(どんす)の座蒲団(ざぶとん)の上に坐って、金無垢(きんむく)の煙管(きせる)で煙草を吸っている春見は今年四十五歳で、人品(じんぴん)の好(い)い男でございます。
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