名人長二 (作品データ)
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タイトルデータ
・作品名
  名人長二
・作品名読み
  めいじんちょうじ
・著者名
  三遊亭 円朝 

作品データ
・作品について
  長二は、指物師で名人といわれるほどの腕前。酒も博打も嫌いで、儲けた金は正直な貧乏人に分け与えるといういたって気の優しい人柄。弟弟子の兼松を連れて湯河原へ湯治に行った長二は、自分の背中にある傷が、実は、自分を捨てた親が竹藪に放り投げた時に出来たということを、宿の手伝いに来た婆さんから教えられ驚く。今まで親と思っていた人たちは、この湯河原で半死半生の赤ん坊だった長二を温泉につけて助けてくれた恩人であったのだ。その長二に実の親がからんで事件へと繋がっていく。春陽堂版「圓朝全集」の編纂に当たった鈴木行三氏によれば、「名人長二は、「名人競(くらべ)」の中の一篇として作られたもので、モウパッサンの親殺しの翻案だと云われていること、「蝦夷訛」と同じく口演ではなく、自ら筆を採って著述したものであることなど特に注意すべき点であります。初めは中央新聞に連載せられ、明治二十八年単行本として公にせられましたが、翌年博文館で再版されて居ります」と言う。モーパッサンの「親殺し」は裁判での陳述を中心にした短編。主人公の設定は長二と同じ指物師。違う点は、こちらの主人公は子供の時から親に捨てられたことは知っていたこと。また、「名人長二」では、長二は親殺しに当たらないという判決がでるが、「親殺し」では、読者に「さてみなさんはこの男をどう裁きますか」と問いかけて終わっている。(小林繁雄)
・仮名遣い種別
  新字新仮名

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  三遊亭 円朝
・作家名読み
  さんゆうてい えんちょう
・ローマ字表記
  San'yutei, Encho
・生年
  1839-05-13
・没年
  1900-08-11
・人物について
  江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。「三遊亭圓朝
・分類
  校訂者
・作家名
  鈴木 行三
・作家名読み
  すずき こうぞう
・ローマ字表記
  Suzuki, Kozo
・没年
  1962-02-03

底本データ
・底本
  圓朝全集 巻の九
・出版社
  近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
・初版発行日
  1964(昭和39)年2月10日

工作員データ
・入力
  小林繁雄
・校正
  かとうかおり


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