菊模様皿山奇談
(作品データ)
作品を読む
タイトルデータ・作品名
菊模様皿山奇談
・作品名読み
きくもようさらやまきだん
・著者名
三遊亭 円朝
作品データ・作品について
かつて将軍家から拝領した菊模様の三十枚の皿、この皿を割った者は指を切るとの遺言が残されていた。お千代は母の病を治す人参を手に入れんためその道具係となった。当主の忰長助はお千代に言い寄るがはねつけられ、その腹いせに自ら皿を一枚壊し、お千代に罪をかぶせようとする。遺言通りお千代の指を切らんとした時、米搗きとして働く權六が自分がその皿を割ったのだと名乗り出る。お家騒動にからみ、この權六が主君の危難を救う長編噺。春陽堂版「圓朝全集」の編纂に当たった鈴木行三氏によれば、「これは牡丹灯籠や義賊の隠家と同じく若い時の作で、道具噺で演じたものであります。(中略)後、やまと新聞が発刊されてから圓朝の速記が始めて出たので、この時は「菊模様千代亀鑑」という題になって居りました。それが即ちこの全集に採ったものであります。」と言う。(小林繁雄)
・仮名遣い種別
新字新仮名
・備考
この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)
作家データ・分類
著者
・作家名
三遊亭 円朝
・作家名読み
さんゆうてい えんちょう
・ローマ字表記
San'yutei, Encho
・生年
1839-05-13
・没年
1900-08-11
・人物について
江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。「三遊亭圓朝」
・分類
校訂者
・作家名
鈴木 行三
・作家名読み
すずき こうぞう
・ローマ字表記
Suzuki, Kozo
・没年
1962-02-03
底本データ・底本
圓朝全集 巻の九
・出版社
近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
・初版発行日
1964(昭和39)年2月10日
工作員データ・入力
小林繁雄
・校正
かとうかおり
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