「琉球の宗教」の中の一つの正誤
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著者名:折口信夫 

沖縄に於ける私の最信頼する友人は、学問や人格や、いろ/\な点から別々であるが、第一は、伊波普猷さんであり、その余にはまづ四人が浮ぶ。島袋(シマブク)源一郎さん・川平朝令(カビラテウレイ)さん、それから亡くなつた麦門冬(バクモントウ)末吉安恭さん・仲吉朝助(ナカヨシテウジヨ)翁である。今度、長年書きためた短文を集めて出したについて、これ等の方々の助力を思ひ出す種が多い。実は、その中の「続琉球神道記」といふのは、以前「世界聖典全集」に書いた「沖縄の宗教」その儘にしておいた。此は二度の務めを、昔、国頭郡大宜味村喜如加(キジヨカ)の小学教員をして居て、私の国頭廻りに、引きまはしの労をとつて下された、島袋教諭の心入れに酬ゆる為、少し前に、ほんの数行手を入れたまゝで、校正も人任せで、郷土研究社の「山原(ヤンバル)の土俗」と言ふ、同教諭の採訪録の解説として、加へておいた。其をそのまゝ、所謂げら刷りとやらを、せき立てられて、大岡山の書物の原稿に渡した為、読み返す間がなかつた。ところがやつぱり、大しくじりの予感が具体化した。久高島で、川平さんと私との採訪して来た「ゐなぐめがなさば君のめで、ゐきがみがなさばしゆんぢやなしめで」といふ琉歌形の民謡について早く「琉球の宗教」時分に、伊波さんその他から、心切な注意を受けてゐたのであつた。其を同書のぬき刷りに書き込んで、安心してゐたが、全集本の方に書き入れずにゐた。解説のげら刷りの原本になつたのは、その本の方から、源七つあんの写してくれたものであつた。
そのまゝ失念してゐたが、本になつてから、しまうたと思うた。
首里主(スンヂヤナシ)愛(メ)で、君(キミ)の愛(メ)で
となつてゐる点である。
早速、小石川の伊波さんから、二度目に、国頭名護の源一郎さんから、心切な教示が来た。処が伊波さんの以前の手紙は、今見つからない。新しい源一郎さんのお手紙を出して貰うて、横着ながら、「よりあひ話」の責めを塞して頂かうと思ふ。

御新著拝見、右の八十四頁、久高島の結婚の時に、合唱する謡の意義につき、鄙見申し述べ候。
女神殿は君のめでい
男神は首里殿めでい
新婦なる女神(この女)は、君即、聞得大君(キコエオホギミ)の御奉公(メデイ)。新郎なる男神(男)は、首里天加那志(シユリテンガナシ)即、国王の御奉公(メデイ)、との意に御座候。古歌に、「首里がなし御奉公(メデイ)夜昼もしやべんあまん世のしのぐ御免めしよわれ」おもろさうしにも、第二十二に、「みおやだいりおもろ双紙」とあり。公事おもろの事に候。
めでいは近代語にて、古くは、みおやだいり。御奉公の意にて、現在も、公事又は公務のことを、沖縄にては、ゑえでえと申し居り、曩のみおやだいりのみは、敬語にて、おやだいりを約して、おやだいといひ、更に転訛して、ゑえでえと発音致し候。猶申す迄もなく、こゝに国王即、首里加那志の御奉公を先にいひ、次に聞得大君の御奉公を謡ふべきが今日の順序なるに、君の御奉公を先に謡ひ、国王を次に謡へるは、注目すべき事にて、女人政治又は、聞得大君が、国王の上位にある感情を、表し居るものと察せられ候。
御承知の通り、沖縄にては、男女の語を連結する場合は、すべて、女性を先に称へ居り候。例をあぐれば、左の如くに御座候。
女男(ヰナグヰキガ)   妹兄(ヰナイヰキイ)   姉弟(ヰナイヰキイ)   夫婦(ミイトウ)夫婦(トヂミイトウ)   祖父母(パアプチイ)(又は、ふああふぢい。ふああ又は、ぱあは、婆のこと。即、祖母にて、ふぢい又は、ぷぢいは、うふぢい又は、うぷぢいの略にて、大父の義。即、祖父のことなり)若い男女(ミヤラビワカムン)  等。    島袋源一郎拝



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