死者の書
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著者名:折口信夫 

   一

彼(か)の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱(よど)んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。膝が、肱(ひじ)が、徐(おもむ)ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。
そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧(あっ)しかかる黒い巌(いわお)の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀(いわどこ)。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫(しずく)の音。
時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に繋(つなが)って、ありありと、目に沁(し)みついているようである。
ああ耳面刀自(みみものとじ)。
甦(よみがえ)った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うている。おれはきのう、ここに来たのではない。それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もっともっと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。耳面刀自。ここに来る前から……ここに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。
古い――祖先以来そうしたように、此世に在る間そう暮して居た――習しからである。彼の人は、のくっと起き直ろうとした。だが、筋々が断(き)れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫(くじ)けるような、疼(うず)きを覚えた。……そうして尚、じっと、――じっとして居る。射干玉(ぬばたま)の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、厳かに、だが、すんなりと、手を伸べたままで居た。耳面刀自の記憶。ただ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓(ひろが)って、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想(れんそう)の紐(ひも)に貫いて行く。そうして明るい意思が、彼の人の死枯(しにが)れたからだに、再(ふたたび)立ち直って来た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまえのことを聞きわたった年月は、久しかった。おれによって来い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、ここは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすっかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声(ね)を聞いたのだっけ。そうだ。訳語田(おさだ)の家を引き出されて、磐余(いわれ)の池に行った。堤の上には、遠捲(とおま)きに人が一ぱい。あしこの萱原(かやはら)、そこの矮叢(ぼさ)から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚(おら)び声を、挙げて居たっけな。あの声は残らず、おれをいとしがって居る、半泣きの喚(わめ)き声だったのだ。其でもおれの心は、澄みきって居た。まるで、池の水だった。あれは、秋だったものな。はっきり聞いたのが、水の上に浮いている鴨鳥の声だった。今思うと――待てよ。其は何だか一目惚(ひとめぼ)れの女の哭(な)き声だった気がする。――おお、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるような刹那(せつな)を、通った気がした。俄(にわ)かに、楽な広々とした世間に、出たような感じが来た。そうして、ほんの暫らく、ふっとそう考えたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去った――おれ自分すら、おれが何だか、ちっとも訣(わか)らぬ世界のものになってしまったのだ。
ああ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまったのだ。
足の踝(くるぶし)が、膝の膕(ひつかがみ)が、腰のつがいが、頸(くび)のつけ根が、顳□(こめかみ)が、ぼんの窪が――と、段々上って来るひよめきの為に蠢(うごめ)いた。自然に、ほんの偶然強(こわ)ばったままの膝が、折り屈(かが)められた。だが、依然として――常闇(とこやみ)。
おおそうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女(みこ)――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活(い)けに来ている。
姉御。ここだ。でもおまえさまは、尊い御神(おんかみ)に仕えている人だ。おれのからだに、触ってはならない。そこに居るのだ。じっとそこに、踏み止(とま)って居るのだ。――ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。そうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通い路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、来ては居なかったのだな。ああよかった。おれのからだが、天日(てんぴ)に暴(さら)されて、見る見る、腐るところだった。だが、おかしいぞ。こうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言って居たのも今(いんま)の事――だったと思うのだが。昔だ。
おれのここへ来て、間もないことだった。おれは知っていた。十月だったから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻(ね)じちぎられて、何も訣らぬものになったことも。こうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたいあげられたっけ。「巌岩(いそ)の上に生ふる馬酔木(あしび)を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌(た)け初めた頃だと知った。おれの骸(むくろ)が、もう半分融け出した時分だった。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。そう言われたので、はっきりもう、死んだ人間になった、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさわって見たら、驚いたことに、おれのからだは、著(き)こんだ著物の下で、□(ほじし)のように、ぺしゃんこになって居た――。
臂(かいな)が動き出した。片手は、まっくらな空(くう)をさした。そうして、今一方は、そのまま、岩牀(いわどこ)の上を掻き捜(さぐ)って居る。
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上山(ふたかみやま)を愛兄弟(いろせ)と思はむ
誄歌(なきうた)が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌ってくれたのだ。其で知ったのは、おれの墓と言うものが、二上山の上にある、と言うことだ。
よい姉御だった。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになってしまった。
其から、どれほどたったのかなあ。どうもよっぽど、長い間だった気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒(さま)された感じだった。其に比べると、今度は深い睡りの後(あと)見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるようだ。目に見るようだ。心を鎮めて――。鎮めて。でないと、この考えが、復(また)散らかって行ってしまう。おれの昔が、ありありと訣って来た。だが待てよ。……其にしても一体、ここに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫(つま)なのだ。其をおれは、忘れてしまっているのだ。
両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐって居る。そうしてまるで、生き物のするような、深い溜(た)め息(いき)が洩(も)れて出た。
大変だ。おれの著物は、もうすっかり朽(くさ)って居る。おれの褌(はかま)は、ほこりになって飛んで行った。どうしろ、と言うのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
筋ばしるように、彼(か)の人のからだに、血の馳(か)け廻るに似たものが、過ぎた。肱(ひじ)を支えて、上半身が闇の中に起き上った。
おお寒い。おれを、どうしろと仰(おっしゃ)るのだ。尊いおっかさま。おれが悪かったと言うのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまいます。
彼の人には、声であった。だが、声でないものとして、消えてしまった。声でない語(ことば)が、何時までも続いている。
くれろ。おっかさま。著物がなくなった。すっぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這いずり廻っているのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばたばたやっているおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸(うめ)き声のとおり、彼の人の骸は、まるでだだをこねる赤子のように、足もあががに、身あがきをば、くり返して居る。明りのささなかった墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたたずまいを、幾分朧(おぼ)ろに、見わけることが出来るようになって来た。どこからか、月光とも思える薄あかりが、さし入って来たのである。
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆(さ)びついてしまった……。

   二

月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたるものが少かった。山を照し、谷を輝かして、剰(あま)る光りは、又空に跳ね返って、残る隈々(くまぐま)までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあって、深々と畝(うね)っている。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになって、俄かに出て来た霞の所為(せい)だ。其が又、此冴えざえとした月夜をほっとりと、暖かく感じさせて居る。
広い端山(はやま)の群った先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯(おおおび)は、石川である。その南北に渉(わた)っている長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、凡河内(おおしこうち)の邑(むら)のあたりであろう。其へ、山間(やまあい)を出たばかりの堅塩(かたしお)川―大和川―が落ちあって居るのだ。そこから、乾(いぬい)の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列(つらな)って見えるのは、日下江(くさかえ)・永瀬江(ながせえ)・難波江(なにわえ)などの水面であろう[#「あろう」は底本では「あらう」]。
寂(しず)かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたように、しっとりとして静まって居る。谷にちらちらする雪のような輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。
一本の路が、真直に通っている。二上山の男岳(おのかみ)・女岳(めのかみ)の間から、急に降(さが)って来るのである。難波から飛鳥(あすか)の都への古い間道なので、日によっては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓(は)って居るのすら見える。当麻路(たぎまじ)である。一降(ひとくだ)りして又、大降(おおくだ)りにかかろうとする処が、中だるみに、やや坦(ひらた)くなっていた。梢の尖(とが)った栢(かえ)の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃って見える。月の光りも薄い木陰全体が、勾配(こうばい)を背負って造られた円塚であった。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く□(まぶた)を閉じている。
こう こう こう。
先刻(さっき)から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂(しず)けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかったのであろう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。
こう こう こう――こう こう こう。
確かに人声である。鳥の夜声とは、はっきりかわった韻(ひびき)を曳(ひ)いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返って張りきっている。この山の峰つづきに見えるのは、南に幾重ともなく重った、葛城(かつらぎ)の峰々である。伏越(ふしごえ)・櫛羅(くしら)・小巨勢(こごせ)と段々高まって、果ては空の中につき入りそうに、二上山と、この塚にのしかかるほど、真黒に立ちつづいている。
当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳(か)けおりて来る。
九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物(きもの)・白い鬘(かずら)、手は、足は、すべて旅の装束(いでたち)である。頭より上に出た杖をついて――。この坦(たいら)に来て、森の前に立った。
こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽(たちまち)一時の騒擾(そうじょう)から、元の緘黙(しじま)に戻ってしまった。
こう。こう。お出でなされ。藤原南家(なんけ)郎女(いらつめ)の御魂(みたま)。
こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になって居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯真白な布に過ぎなかった。其を、長さの限り振り捌(さば)いて、一様に塚に向けて振った。
こう こう こう。
こう言う動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈(うっくつ)と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲(ま)きこんで鬘とし、杖を手にとった旅人として、立っていた。
おい。無言(しじま)の勤めも此までじゃ。
おお。
八つの声が答えて、彼等は訓練せられた所作のように、忽一度に、草の上に寛(くつろ)ぎ、再杖を横えた。
これで大和も、河内との境じゃで、もう魂ごいの行(ぎょう)もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬(いおり)の中で魂をとり返して、ぴちぴちして居られようぞ。
ここは、何処だいの。
知らぬかいよ。大和にとっては大和の国、河内にとっては河内の国の大関(おおぜき)。二上の当麻路の関――。
別の長老(とね)めいた者が、説明を続(つ)いだ。
四五十年あとまでは、唯関と言うばかりで、何の標(しるし)もなかった。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かった、其よ。大和では、磯城(しき)の訳語田(おさだ)の御館(みたち)に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸(むくろ)を、罪人に殯(もがり)するは、災の元と、天若日子(あめわかひこ)の昔語りに任せて、其まま此処にお搬(はこ)びなされて、お埋(い)けになったのが、此塚よ。
以前の声が、もう一層皺(しわ)がれた響きで、話をひきとった。
其時の仰せには、罪人よ。吾子(わこ)よ。吾子の為(し)了(おお)せなんだ荒(あら)び心で、吾子よりももっと、わるい猛(たけ)び心を持った者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞(さ)え防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮盛(わかざか)りじゃったに。今ではもう、五十年昔になるげな。
今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを挿んだ。
さいや。あの時も、墓作りに雇われた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知って居る。ほんの苗木じゃった栢が、此ほどの森になったものな。畏(こわ)かったぞよ。此墓のみ魂が、河内安宿部(あすかべ)から石担(いしも)ちに来て居た男に、憑(つ)いた時はのう。
九人は、完全に現(うつ)し世(よ)の庶民の心に、なり還(かえ)って居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひしひしと、感じられ出したのだろう。
もう此でよい。戻ろうや。
よかろ よかろ。
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言うだけの姿(なり)になった。
だがの。皆も知ってようが、このお塚は、由緒深い、気のおける処ゆえ、もう一度、魂ごいをしておくまいか。
長老の語と共に、修道者たちは、再魂呼(たまよば)いの行を初めたのである。
こう こう こう。

おお……。
異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑い、其でも変に、おじけづいた心を持ちかけていた。も一度、
こう こう こう。
其時、塚穴の深い奥から、冰(こお)りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。
おおう……。
九人の心は、ばらばらの九人の心々であった。からだも亦ちりぢりに、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のように、消えてしまった。
唯畳まった山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。
おおう……。

   三

万法蔵院の北の山陰に、昔から小な庵室(あんしつ)があった。昔からと言うのは、村人がすべて、そう信じて居たのである。荒廃すれば繕い繕いして、人は住まぬ廬に、孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう)が据えてあった。当麻の村人の中には、稀(まれ)に、此が山田寺である、と言うものもあった。そう言う人の伝えでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言い、又御自身の御発起からだとも言うが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍(だいがらん)を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽(ぐさ)りになって居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝え言うのであった。そう言えば、山田寺は、役君小角(えのきみおづぬ)が、山林仏教を創(はじ)める最初の足代(あししろ)になった処だと言う伝えが、吉野や、葛城の山伏行人(やまぶしぎょうにん)の間に行われていた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となって居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残って居たと言うのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激(たぎ)ちの音が、段々高まって来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かった。炉を焚(た)くことの少い此辺では、地下(じげ)百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐ったりしているのだ。でもここには、本尊が祀(まつ)ってあった。夜を守って、仏の前で起き明す為には、御灯(みあかし)を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寝ることを忘れたように、坐って居た。
万法蔵院の上座の僧綱(そうごう)たちの考えでは、まず奈良へ使いを出さねばならぬ。横佩家(よこはきけ)の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界(にょにんけっかい)を犯して、境内深く這入(はい)った罪は、郎女(いらつめ)自身に贖(あがな)わさねばならなかった。落慶のあったばかりの浄域だけに、一時は、塔頭(たっちゅう)塔頭の人たちの、青くなったのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂(い)ったぐらいではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思った。其で、今日昼の程、奈良へ向って、早使いを出して、郎女の姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細(しさい)に告げてやったのである。
其と共に姫の身は、此庵室(あんしつ)に暫らく留め置かれることになった。たとい、都からの迎えが来ても、結界を越えた贖いを果す日数だけは、ここに居させよう、と言うのである。
牀(ゆか)は低いけれども、かいてあるにはあった。其替り、天井は無上(むしょう)に高くて、而も萱(かや)のそそけた屋根は、破風(はふ)の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸(うな)って過ぎたと思うと、其高い隙から、どっと吹き込んで来た。ばらばら落ちかかるのは、煤(すす)がこぼれるのだろう。明王の前の灯が、一時(いっとき)かっと明るくなった。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒(すさ)んだ座敷だけでなかった。荒板の牀の上に、薦筵(こもむしろ)二枚重ねた姫の座席。其に向って、ずっと離れた壁ぎわに、板敷に直(じか)に坐って居る老婆の姿があった。
壁と言うよりは、壁代(かべしろ)であった。天井から吊りさげた竪薦(たつごも)が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重って居て、どうやら、風は防ぐようになって居る。その壁代に張りついたように坐って居る女、先から□嗽(しわぶき)一つせぬ静けさである。貴族の家の郎女は、一日もの言わずとも、寂しいとも思わぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜(た)め息(いき)一つ洩(もら)すのではなかった。昼(ひ)の内此処へ送りこまれた時、一人の姥(うば)のついて来たことは、知って居た。だが、あまり長く音も立たなかったので、人の居ることは忘れて居た。今ふっと明るくなった御灯(みあかし)の色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかった。ようべ家を出てから、女性(にょしょう)には、一人も逢って居ない。今そこに居る姥が、何だか、昔の知り人のように感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるように感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかった。
郎女さま。
緘黙(しじま)を破って、却(かえっ)てもの寂しい、乾声(からごえ)が響いた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋(しゃべ)り出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした訣(わけ)を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじような媼(おむな)が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もずかずか這入って来て、憚(はばか)りなく古物語りを語った、あの中臣志斐媼(なかとみのしいのおむな)――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤(もっとも)であった。志斐老女が、藤氏(とうし)の語部の一人であるように、此も亦、この当麻(たぎま)の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。
藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠(たいしょくかん)さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐(わか)れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂□(くげしょうろく)の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。差別差別(けじめけじめ)明らかに、御代御代(みよみよ)の宮守(みやまも)り。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖(おや)、中臣の氏の神、天押雲根(あめのおしくもね)と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中(くになか)に、宮遷(うつ)し、宮奠(さだ)め遊した代々(よよ)の日のみ子さま。長く久しい御代御代に仕えた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命(おしくもね)。遠い昔の日のみ子さまのお喰(め)しの、飯(いい)と、み酒(き)を作る御料の水を、大和国中残る隈(くま)なく捜し覓(もと)めました。
その頃、国原の水は、水渋(そぶ)臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料(しろ)に叶いません。天の神高天(たかま)の大御祖(おおみおや)教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々もまんだ天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通い路と、昇り立って祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八(や)ところまで見とどけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。
当麻真人の、氏の物語りである。そうして其が、中臣の神わざと繋(つなが)りのある点を、座談のように語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。外には、瀬音が荒れて聞えている。中臣・藤原の遠祖が、天二上(あめのふたかみ)に求めた天八井(あめのやい)の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたって漲(みなぎ)り激(たぎ)つ川なのであろう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌(たなそこ)を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗(ほのぐら)くさし寄って来ている姥の姿を見た時、言おうようない畏(おそろ)しさと、せつかれるような忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れていた。今、当麻の語部の姥は、神憑(かみがか)りに入るらしく、わなわな震いはじめて居るのである。

   四

ひさかたの  天二上(あめふたかみ)に、
我(あ)が登り   見れば、
とぶとりの  明日香(あすか)
ふる里の   神南備山隠(かむなびごも)り、
家どころ   多(さは)に見え、
豊(ゆた)にし    屋庭(やには)は見ゆ。
弥彼方(いやをち)に   見ゆる家群(いへむら)
藤原の    朝臣(あそ)が宿。
 遠々に    我(あ)が見るものを、
 たか/″\に 我(あ)が待つものを、
処女子(をとめご)は   出で通(こ)ぬものか。
よき耳を   聞かさぬものか。
青馬の    耳面刀自(みゝものとじ)。
 刀自もがも。女弟(おと)もがも。
 その子の   はらからの子の
 処女子の   一人
 一人だに、  わが配偶(つま)に来(こ)よ。

ひさかたの  天二上
二上の陽面(かげとも)に、
生ひをゝり  繁(し)み咲く
馬酔木(あしび)の   にほへる子を
 我が     捉(と)り兼ねて、
馬酔木の   あしずりしつゝ
 吾(あ)はもよ偲(しぬ)ぶ。藤原処女

歌い了(お)えた姥は、大息をついて、ぐったりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまいを直して、厳かな声音(こわね)で、誦(かた)り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍(はべ)る尊いおん方。ささなみの大津の宮に人となり、唐土(もろこし)の学芸(ざえ)に詣(いた)り深く、詩(からうた)も、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言う噂が、立ちました。
高天原広野姫尊(たかまのはらひろぬひめのみこと)、おん怒りをお発しになりまして、とうとう池上の堤に引き出して、お討たせになりました。
其お方がお死にの際(きわ)に、深く深く思いこまれた一人のお人がおざりまする。耳面ノ刀自と申す、大織冠(たいしょくかん)のお娘御でおざります。前から深くお思いになって居た、と云うでもありません。唯、此郎女(いらつめ)も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々(いよいよ)、磐余(いわれ)の池の草の上で、お命召されると言うことを聞いて、一目 見てなごり惜しみがしたくて、こらえられなくなりました。藤原から池上まで、おひろいでお出でになりました。小高い柴(しば)の一むらある中から、御様子を窺(うかご)うて帰ろうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ
この思いがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私ども当麻(たぎま)の語部の物語りには、伝えて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父(おおじ)君南家太政大臣(なんけだいじょうだいじん)には、叔母君にお当りになってでおざりまする。
人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う御諚(ごじょう)で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋(い)けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて清々(すがすが)しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界(かくりよ)の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになったのでのうて、何でおざりましょう。
当麻路に墓を造りました当時(そのかみ)、石を搬(はこ)ぶ若い衆にのり移った霊(たま)が、あの長歌を謳(うと)うた、と申すのが伝え。
当麻語部媼(たぎまのかたりのおむな)は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物語って居たのかも知れぬ。唯さえ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言え、語部の古婆(ふるばば)の心は、自身も思わぬ意地くね悪さを蔵しているものである。此が、神さびた職を寂しく守って居る者の優越感を、充すことにも、なるのであった。
大貴族の郎女は、人の語を疑うことは教えられて居なかった。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞(ことば)の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。
言うとおり、昔びとの宿執が、こうして自分を導いて来たことは、まことに違いないであろう。其にしても、ついしか見ぬお姿――尊い御仏と申すような相好が、其お方とは思われぬ。春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿。此日本(やまと)の国の人とは思われぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子(おのこご)たちには、ああ言う方もあるのか知らぬ。金色の鬢(びん)、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒(ぬ)いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆(たか)く、眉秀で夢見るようにまみを伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……ああ雲の上に朱の唇、匂いやかにほほ笑まれると見た……その俤(おもかげ)。
日のみ子さまの御側仕えのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだろうか。我が家の父や、兄人(しょうと)たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性(にょしょう)は、下賤な人と、口をきかぬのが当時の世の掟(おきて)である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考えられていた。それでも、此古物語りをする姥(うば)には、貴族の語もわかるであろう。郎女は、恥じながら問いかけた。
そこの人。ものを聞こう。此身の語が、聞きとれたら、答えしておくれ。
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた、と言うお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣(わけ)で、姫の前に立ち現れては、神々(こうごう)しく見えるであろうぞ。
此だけの語が言い淀(よど)み、淀みして言われている間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡(およそ)は、気(け)どったであろう。暗いみ灯(あかし)の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧(おぼ)ろげに顕(あらわ)しはじめて居た。
我が説明(ことわけ)を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子(あめわかひこ)。天若日子こそは、天(てん)の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後(ご)、人の世になっても、氏貴い家々の娘御の閨(ねや)の戸までも、忍びよると申しまする。世に言う「天若みこ」と言うのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉じた。そ[#「そ」は底本では「さ」]うして言い出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の一(いち)の媛(ひめ)に祟(たた)る天若みこも、顔清く、声心惹(ひ)く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まま石のように、老女はじっとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして来る。
万法蔵院は、村からは遠く、山によって立って居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥(ねぐらどり)が、近い端山(はやま)の木群(こむら)で、羽振(はぶ)きの音を立て初めている。

   五

おれは活(い)きた。
闇(くら)い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い靄(もや)の如く、たなびくものであった。
巌ばかりであった。壁も、牀(とこ)も、梁(はり)も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。
屋根が壁であった。壁が牀であった。巌ばかり――。触っても触っても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もっと広い磐石(ばんじゃく)の面(おもて)が、感じられた。
纔(わず)かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸いとったように、岩窟(いわむろ)の中に見えるものはなかった。唯けはい――彼の人の探り歩くらしい空気の微動があった。
思い出したぞ。おれが誰だったか、――訣(わか)ったぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕え、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦(しがつひこ)。其が、おれだったのだ。
歓びの激情を迎えるように、岩窟の中のすべての突角が哮(たけ)びの反響をあげた。彼の人は、立って居た。一本の木だった。だが、其姿が見えるほどの、はっきりした光線はなかった。明りに照し出されるほど、纏(まとま)った現(うつ)し身(み)をも、持たぬ彼の人であった。
唯、岩屋の中に矗立(しゅくりつ)した、立ち枯れの木に過ぎなかった。
おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛(いと)しいおれの名は、そうだ。語り伝える子があった筈だ。語り伝えさせる筈の語部も、出来て居ただろうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくと胸を刺すようだ。
――子代(こしろ)も、名代(なしろ)もない、おれにせられてしまったのだ。そうだ。其に違いない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかったと同前の人間になって、現(うつ)し身(み)の人間どもには、忘れ了(おお)されて居るのだ。憐みのないおっかさま。おまえさまは、おれの妻の、おれに殉死(ともじ)にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子(あわつこ)は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれた。野山のけだものの餌食(えじき)に、くれたのだろう。可愛そうな妻よ。哀なむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫初(ごうしょ)から末代まで、此世に出ては消える、天(あめ)の下(した)の青人草(あおひとぐさ)と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあっても、不承知だ。
恵みのないおっかさま。お前さまにお縋(すが)りするにも、其おまえさますら、もうおいででない此世かも知れぬ。
くそ――外(そと)の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなって居る。闇の中にばかり瞑(つぶ)って居たおれの目よ。も一度かっと□(みひら)いて、現し世のありのままをうつしてくれ、……土竜(もぐら)の目なと、おれに貸しおれ。
声は再、寂(しず)かになって行った。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであろう。丑刻(うし)に、静謐(せいひつ)の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄(にわ)かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えそうだった四方の山々の上に、まず木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿(たに)のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和国中(くになか)の、何処からか起る一番鶏のつくるとき。
暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸(ねやど)から、ひそひそと帰って行くだろう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保っている。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも忙しいとは思わずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚(よ)りかかって、新しい眠りを継ぐのである。
山風は頻(しき)りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋(あいひし)めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひっそとしたけしきに還(かえ)る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈(くま)を持ったように、朧(おぼ)ろになって来た。
岩窟(いわむろ)は、沈々と黝(くら)くなって冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞って垂れている。
耳面刀自(みみものとじ)。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を胎(のこ)して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。
岩牀(いわどこ)の上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活(い)きているのであった。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあって、心はなかった。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁(し)み、干からびた髄の心までも、唯彫(え)りつけられたようになって、残っているのである。

万法蔵院の晨朝(じんちょう)の鐘だ。夜の曙色(あけいろ)に、一度騒立(さわだ)った物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音(ね)だ。一(いっ)ぱし白みかかって来た東は、更にほの暗い明(あ)け昏(ぐ)れの寂けさに返った。
南家(なんけ)の郎女(いらつめ)は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪(あかつきな)ぎを、自身擾(みだ)すことをすまいと言う風に、見じろきすらもせずに居る。
夜(よる)の間(ま)よりも暗くなった廬(いおり)の中では、明王像の立ち処(ど)さえ見定められぬばかりになって居る。
何処からか吹きこんだ朝山颪(おろし)に、御灯(みあかし)が消えたのである。当麻語部(たぎまかたり)の姥(うば)も、薄闇に蹲(うずくま)って居るのであろう。姫は再、この老女の事を忘れていた。
ただ一刻ばかり前、這入(はい)りの戸を揺った物音があった。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなって行った。枢(とぼそ)がまるで、おしちぎられでもするかと思うほど、音に力のこもって来た時、ちょうど、鶏が鳴いた。其きりぴったり、戸にあたる者もなくなった。

新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来ていた。けれども、頑(かたくな)な当麻氏の語部の古姥の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであろう。まことに其は、昨(きぞ)の日からはじまるのである。

   六

門をはいると、俄(にわ)かに松風が、吹きあてるように響いた。
一町も先に、固まって見える堂伽藍(がらん)――そこまでずっと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、朴(ほお)の木だ。
まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山である。其真下に涅槃仏(ねはんぶつ)のような姿に横っているのが麻呂子山だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。こんな事を、女人(にょにん)の身で知って居る訣(わけ)はなかった。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合(そうごう)の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。
此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日前(あと)であった。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響(とよ)みが、どこかにする様に、麓(ふもと)の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴(さら)されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、煽(あお)られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に、目を□(みは)って居るだろう。此郷に田荘(なりどころ)を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰って来て居たっけ。此は、天竺(てんじく)の狐の為わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残っている幻術師(まぼろし)のする迷わしではないか。あまり荘厳(しょうごん)を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆(そそ)られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その供人(ともびと)のうちにはあった。
数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼって来て、唯一宇あった萱堂(かやどう)が、忽(たちまち)痕(あと)もなくなった。そんな小な事件が起って、注意を促してすら、そこに、曾(かつ)て美(うるわ)しい福田と、寺の創(はじ)められた代(よ)を、思い出す者もなかった程、それはそれは、微かな遠い昔であった。
以前、疑いを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当麻の村にありながら、山田寺(やまだでら)と言ったからである。山の背(うしろ)の河内の国安宿部郡(あすかべごおり)の山田谷から移って二百年、寂しい道場に過ぎなかった。其でも一時は、倶舎(くしゃ)の寺として、栄えたこともあったのだった。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舎をひろげ、住侶(じゅうりょ)の数をお殖しになった。おいおい境内になる土地の地形(じぎょう)の進んでいる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。そうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだろう。よしよし墓はそのまま、其村に築くがよい、との仰せがあった。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言う。まろ子というのは、尊い御一族だけに用いられる語で、おれの子というほどの、意味であった。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すような事が、起ったのである。
だが、そう言う物語りはあっても、それは唯、此里の語部の姥(うば)の口に、そう伝えられている、と言うに過ぎぬ古物語りであった。纔(わず)かに百年、其短いと言える時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考えると、同じ昔となってしまった。
旅の若い女性(にょしょう)は、型摺(かたず)りの大様な美しい模様をおいた著(き)る物を襲うて居る。笠は、浅い縁(へり)に、深い縹色(はなだいろ)の布が、うなじを隠すほどに、さがっていた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽(さわ)やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自(おのずか)ら遠く建って居た。唯凡(およそ)、百人の僧俗が、寺(じ)中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養饗宴(きょうえん)の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにいる。
その女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍(がらん)の廻りを、残りなく歩いた。寺の南境(ざかい)は、み墓山の裾から、東へ出ている長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登った旅びとは、東の塔の下に出た。雨の後の水気の、立って居る大和の野は、すっかり澄みきって、若昼(わかひる)のきらきらしい景色になって居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡(かたおか)で、ほのぼのと北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたように見える遠い小山は、耳無(みみなし)の山(やま)であった。其右に高くつっ立っている深緑は、畝傍山(うねびやま)。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安(はにやす)の池(いけ)ではなかろうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだろう。旅の女子(おみなご)の目は、山々の姿を、一つ一つに辿(たど)っている。天香具山(あめのかぐやま)をあれだと考えた時、あの下が、若い父母(ちちはは)の育った、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てて伸び上る気持ちになって来るのが抑えきれなかった。
香具山の南の裾に輝く瓦舎(かわらや)は、大官大寺(だいかんだいじ)に違いない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでいるのが、飛鳥の村なのであろう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生い立たれたのであろう。この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎(かげろう)の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
こう、その女性(にょしょう)は思うている。だが、何よりも大事なことは、此郎女(いらつめ)――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、ここまで歩いて来ているのである。其も、唯のひとりでであった。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠(かす)めた――父君がお聞きになったら、と言う考えも、もう気にはかからなくなって居る。乳母があわてて探すだろう、と言う心が起って来ても、却(かえっ)てほのかな、こみあげ笑いを誘う位の事になっている。
山はずっしりとおちつき、野はおだやかに畝(うね)って居る。こうして居て、何の物思いがあろう。この貴(あて)な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞえについて、次第に首をあげて行った。
二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の悸(ときめ)き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂(い)わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生(かこしょう)に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世(みらいせ)を思う心躍りだ、とも謂えよう。
塔はまだ、厳重にやらいを組んだまま、人の立ち入りを禁(いまし)めてあった。でも、ものに拘泥することを教えられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重(しょじゅう)の欄干に、自分のよりかかって居るのに気がついた。そうして、しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに繋(つなが)る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。
郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖父(おおじ)武智麻呂(むちまろ)のここで亡くなって後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男壮(おとこざかり)には、横佩(よこはき)の大将(だいしょう)と謂われる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者(もの)であった。なみの人の竪(たて)にさげて佩く大刀を、横えて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まだそうした官吏としての、華奢(きゃしゃ)な服装を趣向(この)むまでに到って居なかった頃、姫の若い父は、近代の時世装に思いを凝して居た。その家に覲(たず)ねて来る古い留学生や、新来(いまき)の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするようなのとも、亦違うていた。
そうした闊達(かったつ)な、やまとごころの、赴くままにふるもうて居る間に、才(ざえ)優れた族人(うからびと)が、彼を乗り越して行くのに気がつかなかった。姫には叔父、彼――豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。尠(すくな)くとも、姫などはそう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥(だざいのそつ)のはなばなしい生活の装いとして、連れられて行っていた。宮廷から賜る資人(とねり)・□仗(たち)も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行った。そうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。
寂(しず)かな屋敷には、響く物音もない時が、多かった。この家も世間どおりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあった。その西側に、小な蔀戸(しとみど)があっ[#「っ」は底本では「つ」]て、其をつきあげると、方三尺位な□(まど)になるように出来ている。そうして、其内側には、夏冬なしに簾(すだれ)が垂れてあって、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦(ふせ)いだ。
それから外廻りは、家の広い外郭になって居て、大炊屋(おおいや)もあれば、湯殿火焼(ひた)き屋(や)なども、下人の住いに近く、立っている。苑(その)と言われる菜畠や、ちょっとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であった。
武智麻呂存生(ぞんしょう)の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家(なんけ)と呼び慣わして来ている。此頃になって、仲麻呂の威勢が高まって来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る称(とな)えが、行われ出した様だった。三条七坊をすっかり占めた大屋敷を、一垣内(ひとかきつ)――一字(ひとあざな)と見倣(みな)して、横佩(よこはき)墻内(かきつ)と言う者が、著しく殖えて来たのである。
その太宰府からの音ずれが、久しく絶えたと思っていたら、都とは目と鼻の難波に、いつか還(かえ)り住んで、遥かに筑紫の政を聴いていた帥の殿であった。其父君から遣された家の子が、一車(ひとくるま)に積み余るほどな家づとを、家に残った家族たち殊に、姫君にと言ってはこんで来た。
山国の狭い平野に、一代一代都遷(みやこうつ)しのあった長い歴史の後、ここ五十年、やっと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なかなか整うまでには、行って居なかった。
官庁や、大寺が、にょっきりにょっきり、立っている外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとって、その相間相間に、板屋や瓦屋(かわらや)が、交りまじりに続いている。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地(こうぶち)の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群(いわむら)が、ちらばって見えるだけであった。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路(しゅじゃくおおじ)の植え木の梢を、夜になると、□鼠(むささび)が飛び歩くと言うので、一騒ぎした位である。
横佩家の郎女が、称讃浄土仏摂受経(しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう)を写しはじめたのも、其頃からであった。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒(にぎ)やかにしたのは、此新訳の阿弥陀経(あみだきょう)一巻(いちかん)であった。
国の版図の上では、東に偏り過ぎた山国の首都よりも、太宰府は、遥かに開けていた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠(とお)の宮廷領(みかど)を通過するのであった。唐から渡った書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なかなか多かった。
学問や、芸術の味いを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであった。
南家の郎女(いらつめ)の手に入った称讃浄土経も、大和一国の大寺(おおてら)と言う大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであった。
姫は、蔀戸(しとみど)近くに、時としては机を立てて、写経をしていることもあった。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火(あぶらび)の下で、一心不乱に書き写して居た。
百部は、夙(はや)くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁った春日山も、既に黄葉(もみじ)して、其がもう散りはじめた。蟋蟀(こおろぎ)は、昼も苑(その)一面に鳴くようになった。佐保川の水を堰(せ)き入れた庭の池には、遣り水伝いに、川千鳥の啼(な)く日すら、続くようになった。
今朝も、深い霜朝を、何処からか、鴛鴦(おしどり)の夫婦鳥(つまどり)が来て浮んで居ります、と童女(わらわめ)が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立ってやつれて来た。ほんの纔(わず)かの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるようになった。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰えたなりに、健康は定まって来たように見えた。やや蒼みを帯びた皮膚に、心もち細って見える髪が、愈々(いよいよ)黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言うことを厭(いと)うようになった。そうして、昼すら何か夢見るような目つきして、うっとり蔀戸ごしに、西の空を見入って居るのが、皆の注意をひくほどであった。
実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなった。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがいなさを悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思うからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだろうと言う噂が、京・洛外(らくがい)に広がったのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く事(つか)える人たちから、垣内(かきつ)の隅に住む奴隷(やっこ)・婢奴(めやっこ)の末にまで、顔を輝かして、此とり沙汰を迎えた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかった。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、外目(よそめ)に見えていたのである。
千部手写の望みは、そうした大願から立てられたものだろう、と言う者すらあった。そして誰ひとり、其を否む者はなかった。
南家の姫の美しい膚(はだ)は、益々透きとおり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。そうして、時々声に出して誦(じゅ)する経の文(もん)が、物の音(ね)に譬(たと)えようもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であった。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向って居た。日は、此屋敷からは、稍(やや)坤(ひつじさる)によった遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄(にわ)かに転(くるめ)き出した。その速さ。雲は炎になった。日は黄金(おうごん)の丸(まるがせ)になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭く廻った。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽(は)れた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳(しょうごん)な人の俤(おもかげ)が、瞬間顕(あらわ)れて消えた。後(あと)は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝(まさ)って行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再来て、姫の心を無上(むしょう)の歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であった。姫は、いつかの春の日のように、坐していた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた長い日の、後(のち)である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟(らんじゅく)した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲(ま)く嵐――。
雲がきれ、光りのしずまった山の端は細く金の外輪を靡(なび)かして居た。其時、男岳・女岳の峰の間に、ありありと浮き出た 髪 頭 肩 胸――。
姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。
南家の郎女の幸福な噂が、春風に乗って来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。そうして、日を数(と)り初めて、ちょうど、今日と言う日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀(ひばり)は天に翔(かけ)り過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終えて、千部目にとりついて居た。日一日、のどかな温い春であった。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほっと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなって居る。目をあげて見る蔀窓(しとみど)の外には、しとしとと――音がしたたって居るではないか。姫は立って、手ずから簾(すだれ)をあげて見た。雨。
苑(その)の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立って来た。
姫は、立っても坐(い)ても居られぬ、焦躁(しょうそう)に悶(もだ)えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
茫然(ぼうぜん)として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。

   七

南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。横佩墻内(よこはきかきつ)に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、洛中(らくちゅう)洛外(らくがい)を馳(は)せ求めた。そうした奔(はし)り人(びと)の多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入ったものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山(たかまどやま)の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村(やまむら)、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆空足(からあし)を踏んで来た。
姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ西へと辿(たど)って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教わらないで、裾を脛(はぎ)まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻(もとどり)をとり束ねて、襟から着物の中に、含(くく)み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはっきりと聳(そび)えて居た。毛孔(けあな)の竪(た)つような畏(おそろ)しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であった。其後、頻(しき)りなく断続したのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのように、山陰などにあるだけで、あとは曠野(あらの)。それに――本村(ほんむら)を遠く離れた、時はずれの、人棲(す)まぬ田居(たい)ばかりである。
片破れ月が、上(あが)って来た。其が却(かえっ)て、あるいている道の辺(ほとり)の凄(すご)さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んで来た。
夜のほのぼの明けに、姫は、目を疑うばかりの現実に行きあった。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占って居るようだった。そう言う女どものふるまいに、特別に気は牽(ひ)かれなかった郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかったから」「何と言う情ない朝目でしょう」などと、そわそわと興奮したり、むやみに塞(ふさ)ぎこんだりして居るのを、見聞きしていた。

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