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著者名:豊島与志雄 

 幼時、正月のいろいろな事柄のうちで、最も楽しいのは、初夢を待つ気持だった。伝説、慣例、各種の年中行事、そういったものに深くなじんでた祖母が、初夢によってその年の運勢が占われることを、私に教えてくれた。二日の朝、或は三日の朝には、昨晩の夢はどうだったかと、祖母は必ず私に尋ねかける。その顔はいつも晴やかで、にこにこしている。そして私がみた夢の解釈が、必ず吉であること、云うまでもない。然しその解釈は、私にはどうでもよいことだった。ただ、そういう運勢的な解釈が加えらるるために、夢は一層魅力をまして、それを待望する気持が煽られるのである。初夢は一年の最初の夢であるばかりでなく、何かしら、未知の世界、神秘の世界、広く深い運命の世界を、ちらと覗きこめる隙間のようなものだった。
 そうした初夢の魅力を、正月になると、遠いことのように私は思い出す。祖母逝いて十年、夢は異った興味を私に起させる。
 アナトール・フランスに云わせると、吾々から日常忘れられてる人々や事柄が、その忘却を怨んで、睡眠中に立現れてくる、それが夢だそうである。フロイドに依れば、夢は凡て、吾々の性欲をはじめ各種の欲望が、種々の形をとって現れたものだそうである。要するに、識域下にあるものが意識表象として現れてくる形態である。
 それもある。がその他に、吾々の生活の客観的状勢の綜合的暗示を、夢のうちに感ずることがよくある。
 例えば――或る恋人の話によると――愛する人と二人で楽しく街を歩いてる夢をみる。そういう時には、それが如何に悲しみ苦しんでる時期であっても、大抵、嬉しいことの起り得る状態にある時だそうである。夢が前兆をなすのではない。こちらの状態、相手の状態、周囲の事情、それらのものが好転して、而も自分ではその好転に気付かないでいるうちに、夢が真先にそれを示してくれるのである。また、楽しい深い愛に浸っている時に、ふと、非常に悲しい夢をみることがある。そういう時には、自分の状態か相手の状態か、周囲の事情かのうちに、愛を妨げるような事柄が起っている。後でそれが分ってくる。即ち、夢が前兆をなすのではなくて、自分がまだ知らずにいる客観的状勢を、早くも夢が示してくれるのである。
 其他、いろいろな事件に於いて、単に心理的な予感を超えて、客観的事情の認識を夢から強いらるることがあるのは、少しくこの方面に注意する者なら、誰でも経験するところであろう。
 ハムレットは、父の非業の死を、その亡霊から教えらるる。然し、亡霊を信じない吾々は、それを、種々の状勢から来る疑心の結晶だと考える。がまた、ハムレットは父の亡霊に逢ったのではなくて、そういう夢をみたのだとすれば、更に荒唐無稽の感を深めるであろうか。夢は元来、荒唐無稽なものとされている。けれども、ハムレットのような地位におかれる時、その周囲の事情からして、事情の暗示を夢より得られないと、誰が断言出来よう。ただ困難なのは、かかる夢を、如何にして文芸のうちに書き生かすかである。
 夢のこういう解釈は、吾々の知覚能力認識能力の問題にまではいりこむ。そして人の心理機構を、更にも一度見直さなければならない。
 祖母からきかせられた初夢の占いが、新らしい意味で私の興味をひくのである。初夢とは限らないけれども、社会的約束から脱しきれずに、正月にはやはり正月らしい心持にさせられて、初夢のことを考えるのである。




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