現代小説展望
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著者名:豊島与志雄 

      小説の本質

 ある科学者がこういうことをいった――「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。科学は人生なしに成立する。それが、初めは淋しい気もしたが、この頃では却って嬉しい。」
 淋しいか嬉しいか、それは別問題として、実際、科学は人生なしに成立する。人生がなくても……人間がいなくても……二つの点を結びつける線のうちでは直線が一番短いだろうし、空気は酸素や窒素やその他のものから出来てるだろうし、光は一秒間に約三十万キロ走るだろう。そういう事実を見出したのは人間であるが、事実そのものは人間の存在とは何の関係もない。
 右のことは、数学や自然科学ばかりでなく、他の学問についてもいえる。肉体の細胞が如何にして癌に変化するかを、医学は説明する。夢の中で頭脳が如何に敏速な活動をなすかを、心理学は証明する。資本主義が如何なる機構の上に立つかを、経済学は解剖する。その他種々。然しながら、人間の肉体的現象が、或は精神的現象が、或は社会的現象が、如何に闡明されようとも、人間の「生きてるという感じ」は――生活感は――なおいえば、生活そのものは――視野の外に残されている。だから少々詭弁めいたいい方をすれば、人間生活がなくてもそれらの学問は成立する。恰度、芸術がなくても美学が成立するように。
 こういう分りきったことをいう所以は、芸術は直接に人間生活を内包するということを、ここに断っておきたいからである。直接に生活を内包するというのは、見方を変えれば、生活の直接の現われだといってもよい。
 人間生活なしには芸術は成立しない。人間生活のない音楽は単なる音響であり、人間生活のない絵画は単なる色彩である。
「自然」は神の宮にして、生ある柱
時おりに捉えがたなき言葉を漏らす。
人、象徴の森を経て 此処を過ぎ行き
森、なつかしき眼差に 人を眺む。
長き反響(こだま)の、遙なる遠(おち)、奥深き暗き統一(ひとつ)の夜のごと光明のごと
広大の無辺の中に、混らうに似て、
聲と 色と 物の音(ね)と かたみに答う。
(ボードレール、鈴木信太郎訳) これは象徴派詩人の自然観であるが、それは自然に対する単なる視察ではなく、自然に対する生活的味到である。そういうところから芸術が生れる。
 然しこれは詩であって小説ではない。
 トルストイに「三つの死」という短篇小説がある。その終りの方に、一本の木が切り倒されることが描いてある。朝早く、東がやっと白みかけたころ、森の中で、一本の木が斧で切られている。その斧の不思議な音が、森の中で繰返される。鶺鴒が別な木の枝に逃げる。
下では斧がますますこもった音をひびかせ、みずみずした真白な木屑が露を帯びた草の上へ飛んで、一撃ごとに軽い裂けるような音が聞えた。木は身体全体をびりびりふるわせて、その根の上で喫驚したように揺れながら、曲っては素早くもとへ返った。一瞬間すべてはひっそりと静まり返った。が、また木はぐっと曲って、その幹の中でめきめきと裂ける音が聞え、そして小枝を折ったり、大枝をへしまげたりしながら、しめった土の上へ横ざまにどっと倒れた。斧の音と人の足音とは静になった。鶺鴒は一声鳴いて高く舞い上った。彼がその翼でひっかけた枝は、暫く揺れていてから、他の枝と同じように、葉もろともに静まった。木々は新たに出来た空間に、一層歓ばしげにその動かない枝を張った。
 太陽の第一線が、透明な雲を貫いて空にその光を投げ、やがて大地と天空とを一さんに駆けぬけた。霧は浪をなして谷間に溢れ、露はきらきら光りながら緑葉の上で戯れ、透明な白い雲は大急ぎで蒼穹の面を散っていった。小鳥どもは茂みのなかを飛び廻って、我を忘れたもののように、何やら幸福そうに啼き交わした。みずみずした葉は歓ばしげに、静かに梢の上で囁きかわし、生きた木々の枝々は、死んで倒れている木の上で、静かに荘厳に動き始めた。
(中村白葉訳) 精彩な新鮮な描写である。ところが、この木の死だけでは、小説にはならない。この一篇が小説になってるゆえんは、貧しい男の死と富裕な女の死とが、木の死と対照的に描かれてるからである。
 右に引用した部分だけでも、立派な芸術的描写ではある。それには人間生活が裏づけられている。もし人間生活が――人生が――なかったならば、森の中の一本の木が切り倒されることを、こういう風に書けるものではない。然しここに裏づけられてるのは、単に生活的情感だけである。それが、他の二人の人間の死とつみ重ねられて、生活的現実性にまで濃度をまして、はじめて小説となっている。もし木の死だけで一篇の小説を成そうとするならば、おのずから異なった手法が必要であろう。
 勿論小説には一定の形式というものはない。如何なる形式の小説を書こうと、それは作者の自由である。然しそれには必ず生活的現実性の裏づけが必要である。
 生活的現実性という言葉は、私が仮りに使ったもので、一言説明しておく。
 人間の生活は――なおいえば、人生は――種々の相貌を具え、種々の色合を呈し、種々の叫びを発する。その、叫びや色合ばかりでなく、相貌までを含めたものを、生活的現実性のあるものと私はいう。そして小説は、特殊のものを除いて本来、この生活的現実性を持っていなければならない。ごく客観的に人間生活を描いてあるような外見の小説で、実は案外、その叫びや色合きり描かれていないものがある。またその逆なものもある。要は、作者の眼の据え所と心構えの如何とによる。
 ザイツェフの短い小説だが、「狼」というのがある。――狼の群が一週間も続いて猟師たちから狩立てられる。彼等は傷つき且つ餓えながら、雪の積った曠野の中を彷徨する。時々立止っては一かたまりになって吠え立てる。そしてはまた歩きだす。夜になってもさまよい続ける。
 狼共は徐に歩いた。死んだような雪は蒼白い眼で彼等を眺めた。上からは何物かどんよりと光って、下では細かい薄い氷が……いやな音を発した……。
 狼共は考えた。やはり後に残った友達の方が正当だった。白い曠野は実際彼等を憎んでいる。彼等が生きていて駆廻ったり蹂躙ったり、安眠を妨げたりするのを憎んでいる――とそんな風に考えた。この果知れぬ曠野が今にもまっ二つに裂けて、すっぽりと彼等を挟みこんで、そのまま葬ってしまうだろうと感じた。そして彼等は絶望した。
「手前、俺等を何所へ連れて行くんでえ?」と彼等は年取った狼を詰問した。「手前途を知ってるかい、何所へ出るんでえ?」年取った狼は黙っている。
 が、一番若い馬鹿な狼が殊更しつこく、こういってつめかけてきた時、年取った狼は振返ってぼんやり彼をながめたが、急に殺気を帯びてきて、返答する代りにざくりと彼の頸項に咬みついた。
(昇曙夢訳) こういう章を読んでゆくと、雪の曠野を彷徨してる飢えた狼だけでなく、その中に直接現われてる一種の人間生活の相貌を、吾々は感ずる。しかもこの一篇の中には人間は殆ど立現われてこないのである。
 作品において、素材は何でも構わない。作者が何を見、何を感じ、何を描いているか、そしてそれが作品のなかにどういう風に現われているか、それが肝要な問題である。
 或る素材について、作者が何を見、何を感じ、何を描いているかということは、結局その素材に対して作者がどういう態度をとっているか、ということに帰着する。そしてこの素材というのは、小説の材料として取上げられた人生の種々の事実――人物や事件や風習や思想――に外ならないからして、これを一言に、人生の現実といっても差支えない。そこで、人生の現実に対して作者がどういう態度をとっているかが、最も肝要な問題となる。
 現実に対する作者の態度の如何によって、種々の作品が生れる。或る時代には、現実に対する多くの作者の態度がほぼ一定していて、同じ種類の作品が多く現われる。何某主義時代という文学上の時代は、そういう時期である。また或る時期には、現実に対する作者の態度が四分五裂して、各人各様の態度をとり、随って作品の種類も雑多になる。謂わば無秩序無統制の時期であって、各種の主義主張が乱立する。現代はその最もよい例である。殊に、現実に対する関心が新らしく、現実探究の各種の途がまだ十分窮めつくされていず、しかも次々に新らしい見解が輸入されている吾国の現代は、その最もよい例である。
 試みに吾国現代の文芸界を見渡して、視野を小説の範囲に限っても、雑多な主義主張が交錯して、渾沌たる状態を呈している。その主義主張のうちには、日々に更改されるものもあり、僅かに余命を保ってるものもあり、忽ちにして死滅するものもあり、僅かに芽を出したに過ぎないものもある。しかもまだこれから、種々のものが現われ出そうな気配である。個々の作家について見ても、鮮明な旗幟をかかげている者もあり、思念の赴くままに自由な態度をとってる者もあり、次第に態度を転向している者もある。文壇というものが解体されたという語は、こういう渾沌状態を巧にいい現わしている。文壇が解体されて、新らしい息吹で各種の部分が別々に生存しているのである。
 斯かる状態を概説するには、いきおい個々の作家なり作品なりを飛石伝いに辿ってゆくより外に途はない。現実に対する各種の態度を検討してみるより外に途はない。そうしてるうちには、おのずから将来の帰趨も――或は正しい見解も――浮び上ってくるであろう。
 ところで、現実に対する種々の新らしい態度を検討するに当って、先ず眼をつけなければならないのは、自然主義的態度である。自然主義は前時代の文芸界を風靡していた。それが行詰って、各作家は各方面に散って各自の途を歩き始めた。何故にそうなったか。それが先ず考察の緒口である。時代が一つ溯るけれども、自然主義的態度を瞥見してみよう。それに、この態度は現代にまで未だ深く根を張ってもいる。

      自然主義の破綻

 吾国の自然主義は、自然主義の本国ともいえるフランスから移植されたもので、その主張見解においてフランスのそれと聊かの差もない。だから直接フランスの自然主義を見る方が便利である。
 自然主義は元来科学的思潮を文学に取り入れて生まれたもので、唯物論的な人生観に立脚して、現実を絶対的なものとなし、あらゆる方法でそれに奉仕しようとする。即ち、作者は何かに偏した心を持ってはいけない。批判してはいけない。ただ現実のあるがままを描写すればよい。すべて存在するものは、みな同等の価値を持っている。美も醜も善も悪も同じである、というより寧ろ、作者にとっては美醜善意の区別はない。ただ真実だけが目的である。そして現実の真を掴むには、観察によるより外はない。観察せよ、観察せよ。
 フローベェルは弟子のモーパッサンにこう教える――「才能とは長い忍耐の謂である。……表現しようとする凡てのものを長くまた注意深く眺めて、まだ誰からも見られ、いわれなかったような一面を描き得るようにならなければいけない。凡てのもののうちには未開拓な点があるものだ。なぜかなれば、吾々は自分自身の眼を使用する場合に、吾々がうち眺めるものについて吾々より以前に人が考えた事柄を、必ず思い出すようになってくる。が最も些細なものにも人に知られていないところが多少あるものだ。その人に知られていないところを見出すことだ。燃えてる一つの火を描くためには、平野の中の一本の木を描くためには、その火や木とじっと向い合って、それがもはや他の如何なる火や如何なる木とも異なる、というまでになることだ。」
 ここで注意を要するのは、何等の先入見にも囚われない白紙的な眼で観察するのは、対象の個性を掴むのを目的とするということである。凡て新らしい思想なり見解なりが抬頭する場合には、いつでも、何等先入見のない新らしい眼で現実を見直さなければならない、ということが主張される。そしてそれは結局、現実を新たに見直す――新たに解釈する――ためにである。ところが自然主義では新たに解釈することが目的ではない。否、解釈や批判は凡て現実を歪曲するだけだと説く。現実が絶対なのである。そしてその絶対な現実の事物の個性を捉えるのが目的である。甲の樹木が「樹木」であるばかりでなく、「甲の樹木」である所以を、はっきり見て取らなければならない。類型を排して個性を掴むのである。
 現実を尊重するということは、当然の理である。そのために観察の必要なことは、いうまでもない。そして物の或は人の個性を掴み取らなければならないということは、芸術の世界では不変の鉄則である。生きた人間を描くというのも、要するにその個性を掴んでから出来ることである。
 観察によって現実の真相を掴み取るということは、対象が木や火である場合には比較的容易いが、対象が人間となると、そこに特殊の用意が必要となる。
 吾々は実際、他人がどういう風に考えたり感じたり意欲したりしているかを、少しも知ることは出来ない。ただその人がどういう風に口を利き身振をし行動するかを知るだけである。けれども、それらの言葉や身振や行為には必ず、その人の思想や感情や意欲などが裏付けられている……というよりも寧ろ、その内部の動きが外部の動きとなって現われているのである。だから、本当によく見える眼を持ってる者は、人の外部の動きを見て内部の動きを知ることが出来る。外部の現われを描写することによって、内部の世界をも描写することが出来る。勝手な想像や推察や解釈は、却って真実を損ずることが多い。
 然しながら、モーパッサンでさえもこう告白する――「現実を信ずることは、何と子供らしいことではないか。吾々は各自に、自分の思想や器官のうちに自分だけの現実を持っている。各自に異なった眼や耳や鼻や舌は、地上にある人間の数と同じ多くの真実を創り出す。そして吾々の精神は、各人異なった印象を受けるそれらの器官の指導によって、あたかも各自に異なった種属ででもあるかのように、いろんな風に理解し摘要し批判する。」
 それ故、如何に精緻な観察と忠実な描写とを以てしても、万人が真実だと認むる現実相を伝えることは出来ない。如何なる作家も、完全に自我を脱してしまうことは出来ない。ただ、要は、「その自我を隠すのに役立つ種々の仮面の下に、読者からその自我を認められないようにすることである。」かくて自我を――自分の思想感情を、一切の主観を――没却することが自然主義客観描写の根本となる。そして自我を没却するこの態度を押し進めてゆく時、そこに芸術至上主義が生れる。フローベェルはいう――「凡てを芸術に捧ぐべきである。芸術家にとっては、生活は一の手段であって、それ以上の何物でもないと考えなければならない。」
 生活でさえも既に一の手段である。その他のことはいうまでもない。一切を挙げて現実の再現に奉仕するのである。そしてこの態度は、単に外界に対するばかりでなく、自分自身に対するものともなる。観察眼が自分自身にも向けられて、自分が如何に悲しみ喜び或は行動するかを、冷やかにじっと見守るようになる。田山花袋は、実際に行動する自我を小我と名づけ、それを見守る自我を大我と名づけて、小我を没して大我に就くべきを説いた。たとえ自分自身のことを書こうとも、一人称の小説を書こうとも、この大我についておれば、全主観を没した客観描写が出来るというのである。
 産気が次第についてきた。お銀は充血したような目に涙をためて、顔を顰めながら、笹村の仮した手に取着いていきんだ。その度に顔が真赤に充血して額から脂汁が入染み出た。いきみ罷むと、せいせい肩で息をして、術なげに手をもじもじさせていた。そして時々頭を抬げて、当がわれた金盥にねとねととしたものを吐出した。宵に食べたものなどもそのまま出た。
 …………
 産婆が赤い背の丸々しい産児を、両手で束ねるようにして、次の室の湯を張ってある盥の傍へ持って行ったのは、もう十時近くであった。産児は初めて風に触れた時、二声三声啼立てたが、その時はもうぐったりしたようになっていた。笹村は産室の隅の方からこわごわそれを眺めていたが、啼声を立てそうにすると体が縮むようであった。ここでは少し遠く聞える機械鍛冶の音が表にばかりで、四辺は静かであった。長いあいだの苦痛の脱けた産婦は、「こんな大きな男の子ですもの」という産婆の声が耳に入ると、漸と蘇ったような心持で、涙を一杯ためた目元ににっこりしていたが、直に眠に沈んでいった。汗や涙を拭取った顔からは血の気が一時に退いて、微弱な脈搏が辛うじて通っていた。
 産婆は慣れた手つきで、幼毛の軟い赤児の体を洗って了うと、続いて汚れものの始末をした。部屋にはそういうものから来る一種の匂が漂うて、涼しい風が疲れた産婦の顔に、心地よげに当った。笹村の胸にも差当り軽い歓喜の情が動いていた。
(徳田秋声――黴) こういう描写を読むと、吾々は作者の冷徹な態度に心を打たれる。そこには何等主観の動きはなく、ただ対象をじっと眺めてる眼があるばかりである。そして分娩の光景がまざまざと現出されている。現実の厳粛さといったようなものがある。けれども、吾々はまた、たとえこの作が「黴」という題名の示す作意に成ったものであろうとも、一種不満な焦躁を感ずる。分娩ということ――一人の人間が生れるということ――のうちに、その事実のなかに、吾々は一種のいい知れぬものを感ずる。それが何であるかは分らないが、産婆の処置や医者の手当や赤児の泣声以外に、即ち外見的な事実以外に、或は以上に、何かを感ずる。そしてその「何か」をも、具体的な描写のうちに籠めてほしいと、芸術に向って要求したいのである。
 現実の有する内在的気魄ともいえるその「何か」が欠ける時、読者は常に不満な焦躁を感ずる。描かれた人物はなお更のことであろう。右の作中の笹村やお銀が、もし作中で呼吸をしているとするならば、定めし息苦しい思いをするに違いない。そして作者自身も、人間をそういう風に取扱うことについて、遂に或る落莫たる心境に陥らずに済むであろうか。
「起き上り、歩き、窓にもたれてみる。向うの人々は午飯を食べている。そっくり昨日の通りだ。明日も同様だろう。父と母と四人の子供達。三年前にはまだ祖母がいた。それはもういない。吾々が隣り同士になった時から父親はひどく変った。が彼自身はそれに気付いていない。満足そうにしている。幸福そうにしている。ばかな奴だ。――彼等は結婚のことを話し、次には死者のこと、次にはやさしい子供のこと、次には不正直な女中のことなどを話している。役にも立たない下らない無数の事柄に気を揉んでいる。ばかな奴等だ。――十年も前から彼等が住んでる部屋を見ると、私は胸糞がわるくなり腹が立つ。然しそれが人生だ。四方の壁、二つの扉、一つの窓、一つの寝台、数脚の椅子、一つの卓子、それだけだ。牢獄。人が長く住んでいる住居は、みな牢獄となってしまう。もう逃げることだ。遠くへ出かけることだ。ありふれた場所から、人間から、時を定めた同じ様な動作から、そして殊にいつも同じ様な考えから、逃げていってしまうことだ。」
(モーパッサン) 探りあてた人は、結局そんなものだったのか。然しそれはむしろ探りあてたものではなく、つき当ったものではなかったか。つき当ってそして、何処へ逃げようとするのか。狂気の世界か死の世界かより外に、逃げ場所はあるまい。
 なぜならば、人生から眼をそむけて、自分一人のうちに閉じ籠ることももう出来ないのである。自分の喜びや悲しみや、楽しみも凡て観察の対象となって、実際に喜び悲しみ苦しみ楽しむことが出来ないのである。彼は「二つの魂」を持ってるかのようである。一つは万人に共通な自然の魂であって、も一つは、その自然の魂の各情緒を記述し、説明し注釈する魂である。そして彼は如何なる場合にも常に自分自身の反映となりまた他人の反映となって生きるの外はない。感じ行い、愛し考え苦しむところの自分自身を眺むるばかりで、凡ての世間の人のように、それぞれの喜びや悲しみの後に自分自身を解剖しないで、素直に単純に苦しみ考え愛し感ずることは、決してないのである。
 いわゆる「小我」を去ったそういう「大我」は、一体何物ぞ。それは神の境地であろうか。否。神には自己の分裂はない。神は小我の荷物を持っていない。そして人間にあっては畢竟、「小我」こそ自己であって、「大我」はその「小我」が転身したものではなく、現実に対する態度からいつしか習得された頭脳の一の働きに過ぎないのである。
 かくて、「自然の魂」を取り失い、「人生の壁」につき当る時、その作家の筆端から生れるものは枯渇した記述に過ぎなくなる。現実の豊満さを具えていたものが、やがて養液を失って干乾びた死屍に過ぎなくなる。作家自身、心意の熱を失ってくるからだ。
 あらゆる生物の生理に熱量が主要な問題となる如く、文芸作品の生理にも熱量が主要な問題となる。熱を失って冷えきる時には、作品も死んでゆく。
 この作品の熱は、作者の心意の熱が移植されたものに外ならない。作者の思想的欲求、感情的欲望、生活的意欲など、一言にしていえばその心意の燃焼から起る熱はおのずから作品の中に伝わって、作品を生活させる熱となる。作者がその心意の熱を失って、ただ書かんがために書く時、即ち表現の熱意だけで筆を執る時、作品は冷えきって、冷灰枯木に等しくなる。本当に書きたくて書くということは、表現の熱によるのではなくて、心意の熱のはけ口を求めることである。
 自然主義が、一方では作者自身の心意の熱を枯渇させ、他方では現実の外壁につき当って行き詰った時、そこに当然新たな途が要求される。新たに現実を見直し、新たに現実の奥に探り入ろうとする努力が、即ち現実に対する新らしい態度が、要求される。
 最も自然主義に近い表現法に依ってる作家でも、現代ではよほど自然主義とは離れたところを歩いている。
「私は軽く頷いたが、途端、今までの喜び全部が、暗い淵の底に石でも抛ったようにドブンと音を立てて沈んでいった心地がした。S氏が世田ヶ谷のごみごみした露地内の、狭苦しい、蒸し暑い家で、口をパクパク二つ三つ喘がせて息を引き取った時、隣家の垣根を飛び越えてきた大きな虎猫がミャンミャンとドラ声で鳴いて近寄ると、未亡人が「それ猫が来た!」と縁側に出て手を上げて追っ払い、室に駆け戻ると、生前S氏が使っていた仕事机から、錆びた安っぽいナイフを出して、死人の枕もとに置いたことが、ふーッと頭に泛き出したのだ。――実のところ、私もそんなに長く生き永らえる自信は持ち合わせてないのであった。時とすると死が足音をひそませて忍びよるように思えることが度々である。定めしユキ一人に看護られ、何処かの佗び住いで寂しく閉眼するだろうが、生臭いにおいを嗅ぎ知った黒い野良猫が黄金色の目玉を光らせて死体を喰いに来た場合、剃刀は平日から持っていないので、泣き沈んだユキが、「しッ!」と猫を叱りながら周章ててこのナイフを取り出して枕辺に置く――続いてそうした光景が眼に見えて描かれてくると、そんなこととは知らずに一生懸命に針を動かしているユキの顔が、もう正視出来なかった。」
(嘉村磯多――七月二十二日の夜) じみな描写や、対象をじっと見つめて、自分自身をもつき離して眺めてる態度などは、自然主義に似寄っているが、然しここでは、作者の心情の動きに対する拘束は殆んど引除かれている。

      感覚的探求

 自然主義の破綻は、多くの人々に新らしい途を辿らせた。各人が各自の方向に進んだ。我が国で、新技巧派とか人道主義とか新感覚派とか称えられたものは、批評家が便宜上名づけたものにすぎなくて、実は、そういう主義や流派は存在せず、各作家がそれぞれ各自の途を歩いたのである。一体、詩人の方は、何等かの旗幟をかかげ何等かの作詩法を提出し、何等かの主義主張を唱えることが多いものであるが、小説家の方は、ただ黙って創作することが多い。これは、両者の気質にもよるであろうが、また詩と小説との本質に関連する面白い現象である。がここでは問題外ゆえはぶく。
 ところで、前記の新技巧派と人道主義とについては、現在では殆んど論ずる必要のないことだし、また論及の遑もないが、新感覚派については、一言しておく必要がある。
 批評家が便宜上名づけた新感覚派という言葉は、小説創作上における一つの態度を暗示する。
 自然主義が現実の壁につき当って行きづまった時、或る人々は、その現実の壁を不思議そうに眺めた。不思議そうに眺めることは、新らしい眼で眺めることだ。何等の先入見もない小児のような眼で眺めることだ。すると、これまで灰色の陰鬱なものだとせられてた壁の上に、日の光が戯れ、種々の色合が躍ってるのが、次第に見えてくる……。
 そういうところから、新らしい眼で現実を見直すことになる。眼は感覚だ。そこで、新らしい感覚による探求の途が開かれる。自我を没却して現実の真に肉薄しようという態度から、自分の新らしい感覚によって現実に触れようという態度に変る。そしてその感覚をあらゆるものから解放された新鮮な状態に保つことが、第一の条件であり、その感覚で人生の現実を直接に感得することが、目標である。
 少し極端な例だが、スペインの作家ラモンの短文を二三引用してみよう。――
 寝室にはいつも、釘で拵えたような小さな穴があって、そこから吾々は見張られている。誰かが吾々を見張っていて、決して視線を外らさない。

 世界で最も恐ろしい響きはシルクハットの落ちる音だ。

 電信局に夜遅くまで灯火がついてるのを見ると、重体な病人の室の灯火を見るような気がする……。はいっていって尋ねたくなる、いかがですかと、何か変ったことでもありますかと……。
 見ようによっては単なる思い付とも見られる。然しそうばかりとはいえない。新らしい感覚で感得されたものでなければこういうものは単なるヨタにすぎなくなる。
 新らしい感覚によって感得されたものは、必然に、それ独特の表現形式を以て現われてくる。なぜなら、芸術作品においては、内容と表現とは切り離すことの出来ないものだから。
 批評の場合には、便宜上かりに作品の内容と表現とを分けて論ずることがある。然しそれはあくまでも「便宜上かりに」であって、両者は不可分の関係にある。吾々は物を考える場合に、単に物――内容――だけを考えることは出来ない。必ず言葉――表現――によって考える。そして小説のなかで、例えば「女」という場合には「女」と題する一つの彫像みたいな具体的な個体を現わすのであって、単なる概念ではない。
「もう生きていたくない。」――「もう死にたい。」――とこういう二つの表現は、理論的には一つの気持の両面を現わすものであっても、芸術的には全く違ったものとなる。
「世の中が嫌になった。」――「生きていてもつまらない。」――「生きていたくない。」――「死んだ方がましだ。」――「死んでしまいたい。」――「死のう。」
 こういう風に程度の差をつけて書き並べてみると、どれをどれに置きかえても妥当でないことが分るはずである。即ち内容が異なれば表現も異なってくる。内容と表現との間には、髪の毛一筋の隙間もあってはならない。なおいえば「今日はお天気だ。」というのと、「今日は日が照ってる。」というのとは、全く違った事柄を表わす。それ故、新らしい感覚はそれ独特の表現を要求する。
 夜が明けたように彼女の瞼が段々と大きく開き、闇色の瞼のぐるりへトゲのように睫毛をはねると、鋭くじっと彼女はわたしを見据え、わたしの心臓へはっと怪しい動悸の刻みを与えた瞬間
「と申しますと?」
 弱々しい低い声音に、何かしら決心の表情を見せるのです。
「お間代をお支払い出来ませんでしたら、この住まいを出ろとおっしゃるのですか?」
 おお! 彼女の睫毛の先にキラキラと膨れた夜の雨のような大粒な涙です。古びた浮刷の花模様の壁紙。はすにわびしくそこへ映った彼女の影法師。と、わたしの心はふと何かに怯えるのです。……
(「風」――竜胆寺雄)「あらゆる人間の経歴を泳ぎぬけてきた」手におえない三十九の女に「わたし」という青年が立退きを談判してる一節である。新鮮な感じに溢れている。新らしい感覚で捉えられたものが、ぴたりと表現されている。
 ところで、この一節或は「風」全篇を読んでみると、吾々は何かしら或るまやかしを感ずる。前に述べた通り、内容と表現とを合致さしたその全体に、或るまやかしを感ずる。人生の現実の上に、何者かが何かを組立ててるように感ずる。
 自然主義が、自己を空しうして余りに対象を凝視しすぎたため、或る璧につき当ったのとは逆に、感覚による探求は、ともすると、感覚の作用にばかり頼りすぎて、対象の凝視がおろそかになる。そこに危険がひそんでいる。
 対象の凝視は、対象をしっかり把握せんがためのものである。そこで、対象の凝視が足りず、随って対象の把握が足りなくて、感覚がひとり跳梁する時、一種の曲芸が起ってくる。まやかしの組立がはじまってくる。空中楼閣が築かれてくる。絢爛な空疎な作品が生れてくる。
 作品の内容と表現とが一致することは前に述べておいた。それで絢爛な空疎な作品というのは、内容が空疎で表現が絢爛だという意味ではない。内容も表現も、即ち作品そのものが、空疎で絢爛なのだ。軽くてぴかぴか光る玩具のようなものだ。それは所詮、生活逃避の娯楽器具に過ぎない。
 辛辣な[#「辛辣な」は底本では「辛竦な」]諷刺を取忘れたナンセンス、愛欲の根を張らないエロチック、怪奇な戦慄を伴わないグロテスク……などは、感覚的探求の迷路といってよい。
 ただ一つ注目を要するのは、感覚を主とする新らしい神秘主義である。これはまた心理的探求の支持を必要とするが、然し、科学的な理智的な神秘主義、アラン・ポウのような神秘主義と異なって、おもに感覚的に進んでゆくところに特色がある。
 川端康成の「抒情歌」のなかの女は、床の間の紅梅の花を、亡き恋人の霊と見立てて、それに話しかける。――
 覚えていらっしゃいますか。もう四年前のあの夜、風呂のなかで突然はげしい香におそわれた私は、その香水の名は知らぬながらも、真裸でこのような強い香をかぐのは、たいへん恥しいことだと思ううちに、目がくらんで気が遠くなったのでありました。それはちょうど、あなたが私を振り棄て、私に黙って結婚なされ、新婚旅行のはじめての夜のホテルの白い寝床に、花嫁の香水をお撒きになったのと同じ時なのでありました。私はあなたが結婚なさるとは知りませんでしたけれども、後から思い合せてみますと、それは全く同じ時刻でありました。
 そしてこの、幼い時から透視的直覚力の強い女は、霊界通信のこと、仏教の精霊のこと、ギリシャ神話のこと、自分の不思議な直覚的想像のこと、などを話すのである。そしてその話全体が、一種の香りに似た感性で包まれている。
 こういう作品は、吾々の持つ感覚の奥行の深さを思わせる。そこに一種の神秘な世界が暗示される。ただ、その神秘な世界を開拓するには、感覚だけでは足りない。他の多くのものが必要になってくる。ここでも既に作者は、単なる感覚の域をぬけ出して、更に深い心理的な見解の上に立っている。
 少しく冗長のきらいはあるが、ここに二つの短篇の各一節を書き並べてみよう。――
 私は高い石垣の上から妻と捨児を飲み込んでいる街を見下した。街は壮大な花のようであった。街は大きく起伏しながら朝日の光りの中で洋々として咲き誇っていた。
  …………
 暫くして、女は朗かな朝の空気の中を身軽に街のどこかへ消えて了った。
「俺は何物をも肯定する」と、街は後に残ってひとり傲然としていっていた。
 私はその無礼な街に対抗しようとして息を大きく吸い込んだ。
「お前は錯誤の連続した結晶だ。」
 私は反り返って威張りだした。街が私の脚下に横わっているということが、私には晴れ晴れとして爽快であった。私は樹の下から一歩出た。と、朝日は私の脚を眼がけて殺到した。
(「無礼な街」――横光利一) ……そのまま由良は立ち去りかねて花江と一緒に立っていると、間もなく遠くの木枯の中からかたかたと馬車の音が聞えてきた。すると、花江はまたしきりに帰ってくれと由良にいい出したので……彼女と別れて帰ってきた。しかし、花江から見えなくなったと思われるあたりまで来たとき、由良はそこの草の中に立ち停って花江の方を見ていると、誰も人を乗せずに傾きながら近づいて来た小さなぼろ馬車に花江が乗って、ふっと提灯を吹き消すのが眼についた。そうして、やがてまたかたかたと草原の中の石ころ道を走り出した馬車と一緒に、ほっと吐息をついているかのように柱にもたれて揺れていく花江の姿を見送っていると、由良は吹きつけて来た木枯に面を打たせたまま、もうおれもこれはどう藻痒こうと、花江から放れることがとうてい出来そうにもないと強く思った。
(「馬車」――横光利一) 右はどちらも、短篇の結末であり、女と別れるところである。そして一方は都会の朝であり、一方は山間の夜であって、それと同じくらい気分の違いがある。が、吾々の眼を惹くのは、同一人の作品とは思えないほど、作者としての態度が異なっていることだ。前者においては、感覚的な新鮮な描出をねらってる作者の姿が見えるし後者においては、心理的な緊密さを求めてる作者の姿が見える。「無礼な街」から「馬車」までには、七年あまりの時が経過している。この間に作者の歩いた途が正しいかどうかは、読者の判断と嗜好とに任せよう。そして、「馬車」には現実的な豊満さが乏しいと非難する者があるなら、「無礼な街」には現実から遊離した軽佻さが更に目につくではないかと、それだけいっておきたい。
 何等の先入見もない新らしい眼で見るということは、作家にとって最も必要なことである。赤児の眼に映る外界が、如何に驚異に満ちた輝かしい溌剌としたものであるかを、吾々は想像する。その赤児のような眼で外界が眺められるならば、至るところに宝石が発見されるだろう。吾々が平常見馴れていて一顧もしないようなところに、燦然たる宝石の輝きを発露さしてくれる作家があったら、吾々はどんなにか生き甲斐を感ずるだろう。
 作品が古いとか新らしいとかいうことは、多くは、作家の眼の感覚が古いか新らしいかに由来する。芸術作品にあっては、内容と表現とが一つのものであるという限りにおいて古い眼の作家から新らしい作品が生れるはずはない。
 そして作品が新らしいということは、生動してることの別名であり、古いということは、枯死してることの別名である。優れた作品は常に新らしいとは、こういう意味においていい得らるる。
 作家は、新らしい眼で以て、新鮮な感覚で以て、なおいえば、溌剌と生動してる感性で以て、対象を見なければならない。
 然しそれは、人間の生活的現実に対する見方であって、その態度の全部ではない。新たな感覚に奉仕することが、作家としての態度の全部になる時、創作の上にまやかしの組立が生じてきて、絢爛ではあるが空疎な作品が生れてくる。
 ジュール・ロマンの「某人の死」という小説から、面白い一節を引用してみよう。――
 ……夕方であった。光は太陽と共に西へ立戻るために、事物から離れかかっていた。事物とその光線とが見分けられない昼間のように、そんなに密接に光りはくっついてはいなかった。少し離れて浮んでいて、事物の息が持ちあげてるヴェールのようだった。
 ……家々にはランプがともされていた。窓掛が引かれてるにも拘らず、(外から)内部が見えた。なぜなら、昼間は、人家が街路を見街路へ思いを向けているが、晩になると、街路の方が人家を見ランプへ思いを向けるのである。
 こういう一節をよむと何等まやかしの組立もないしっとりと落付いた或世界が、ほのかに感ぜられる。これは単なる思い付や単なる感覚による描写ではない。実際この作品は、個人と社会、個物と万象、その間の交錯関係、そんなことが主題となってるものである。そして右のような描写筆致は、そこから自然に生れてきたものである。
 感覚的探求は、何等かの創作態度の裏付があって、初めて有力に生かされる。とともに、新たな創作態度には、必ず新たな感覚的探求が伴う。芸術は、理性的な世界によりも、より多く感性的な世界に属する。

      心理的探求

 新らしい感覚で現実を見直すということは、干乾びた芸術を新鮮にする第一条件ではあるが、更に外に現われた可見的なものに止まらずに、その内部にまではいりこんでみようという努力がなされる。それが人間を対象とする時には、人間の内部生活――精神生活にまでふみこむことになる。そうして人間の内部を覗いてみると、如何に雑多な情意の錯綜がそこにあるか、如何に奥深い世界がそこに横たわっているかに、今更ながら驚かされる。その世界を探求し闡明しようとするところから、心理主義の小説が生れる。
 固より、如何なる小説でも、心理を全然無視したものはない。人間は心意の動きによって行動する以上、人間を描くに心意の動きを除外することは出来ない。ただ、自然主義が外部の現われを主として辿るのに反して、心理主義は内部の心理を直接に描こうとする。自然主義が外部から人間を見ようとするのに反して、心理主義は内部から人間を見ようとする。
 こういう心理主義は、古くからあったもので、あらゆる時代に存在していた。そして現代の新らしい心理的探求から生れてきた心理主義とは、全く面目を異にしている。どういう風に異なるかを見るには、従来のいわゆる心理解剖小説のことを一言しておく必要がある。
 心理解剖小説は、近代になって極度の精緻さを来した。例えば、吾国によく知られてるドストエフスキーやブールジェの小説はそれである。
 ドストエフスキーは心理解剖ばかりの作家とはいえない。彼の小説は、その構想の上にロマンチックなところが非常に多く、細民街の貧しい人々の描写には深刻な写実味が豊かであり、虐げられた人々の生活の叙述には一種神秘な心霊的な光輝が漂っている。けれども、例えば「罪と罰」などのような作品は、結局心理解剖を主としたものといってよいだろう。そしてブールジェの方は、純然たる心理解剖作家である。
 ところで、それらの作家の作品において、第一に目立つことは、その心理解剖が人間の行為を説明せんがためのものであるということだ。とこういえば、或は可笑しく聞えるかも知れない。すべて芸術上の種々の態度や方法は、それ自身が目的ではなくて、或は美を目的とし、或は何等かの解決を得るのを目的とする。だから心理解剖もそれ自身が目的でなく、即ち解剖のための解剖ではなくて、説明のための手段であることに、別に不思議はない。然し、実は、それが人間行為の説明のための手段であるところにこそ、現代の心理主義と異なる要点が潜んでいる。
 その要点にふれる前に、一応、説明のための心理解剖がどういう結果を来たしているか、ドストエフスキーの「罪と罰」とブールジェの「弟子」とについて、概説してみたい。
 ドストエフスキーの「罪と罰」は、主人公ラスコルニコフが金貸の老婆を殺害することが、全篇の中心であって、あらゆる事柄がその一事に集中されている。大学生ラスコルニコフは、自分の学業を終えるために、また母と妹の貧しい生活を補助するために、多少の金を得たいと始終考えている。妹は自分の身を犠牲にして賤しい金持の男と結婚しようとする。また彼の愛するソーニアという少女の一家は、想像に絶した貧困のどん底にある。彼はますます金を欲する。そして不正な金貸を業としてる老婆を殺害しようとする。彼はその殺害を自ら弁護するために、唯物論的思想に頼る。人間は優者と劣者との二つに区分されるものであって、一般の道徳的法則は、優者に対して――例えばナポレオンの如き偉人に対して――何等の拘束力をも持つものでない、というようなことを論証しようとする。従って、彼ラスコルニコフを生かすためには虱のような老婆一匹をひねりつぶしても構わないと結論する。そして彼は遂に罪を犯す。
 ところで、こういう風に種々の事情をつみ重ね、種々の理論をふりかざしながらも、ラスコルニコフをして老婆を殺害させることに作者が如何に困難を感じたかが吾々読者にははっきり分る。そして殺害後のラスコルニコフの自責や悔恨を述べるに当って、作者の筆が如何に平易に走っているかがはっきり観取される。
 そこで、結論をいえば、ラスコルニコフのような真面目な青年は老婆を殺害してもその金を盗み出すことが出来なかった如く、元来老婆を殺害出来るものではない。彼を殺害行為に導くために作者が如何に困難を感じたか。そして殺害後の悔恨を述べるのに作者が如何に慰安を感じたかが、すでに右のことを証明している。そこでこの小説は、あり得べからざる殺害行為を説明せんがための、精緻な深刻な心理解剖である。人間はこんな風に人を殺すものではない。それがかりに殺したとしたら、こんな風であるかも知れない。
 ブールジェの「弟子」は、或る道徳的な意図を以て書かれた小説であって、決定論者シクストの著書が、純情な青年を如何に誤らせるかを示したものである。がその中心は、この青年が師の理論を実験せんがために、一人の令嬢を誘惑して、恋愛心理の細かな記録を取り、遂に情死の場面にまで導き、彼女を一人自殺させるに至るまでの、愛欲と理智との紛糾を描いたものである。そして特に目立つのは、この青年の理智的な恋愛解剖が精妙を極めてるのに比してそれを裏切る本能的な愛欲が如何にも生彩に乏しいことである。そして作者自身、令嬢の兄の行動に――情意と行為との世界に、或る郷愁を感じるらしいことである。
 そしてここでも、一足とびに結論をいえば、この小説はあり得べからざる恋愛の精妙な心理解剖である。主人公ロベールの一人きりの思索については、作者の筆は自由にのびているが、恋人シャルロットとの二人の場面については、作者の筆は渋りがちである。若い男女はこんな風に恋愛するものではない。それがかりに恋愛したとしたら、こんな風であるかも知れない。
「罪と罰」や「弟子」のような作品が、文学上の名作であることには、異議はない。名作たるだけの多くの資格を具えている。が然し、ただ一つ吾々の見遁してならないことがある。それは仮想の上に成立ってる作品だということである。
 仮想という語を広義に解釈すれば、あらゆる小説には仮想がある。特定な環境や人物や事件など、一篇の物語を成り立たせる条件は、一つの仮想であるといってもよい。然し私が前にいった仮想というのは、現実そのものの仮想の謂である。人形師が生きた血液の通わない人体を拵えあげるように、生きた情意の脈打っていない魂を作者が拵えあげてることをいうのである。
 科学の進歩が人造人間を拵えだしたように、心理解剖の進歩は各種の人造人間を拵えだした。そうまでなった所以は、この心理解剖が全然説明のためのものであって、説明のための説明のあまりに、知らず識らず、現実の仮想にまでふみ出してしまったからである。
 ところが、現代の心理的探求は、それらの心理解剖からメスの使い方を習得しながら、全く新らしい方向へ踏み出した。人間の行動を――或は人間を――説明せんがための心理解剖から、人間の精神界を――内部の世界を――描写せんがための心理的叙述となった。
 説明のためから描写のためへ、解剖から叙述へ、この変化は非常な飛躍であって、全く面目を異にする作品を生み出す。
 この変化には、哲学的な思想的な影響を無視するわけにはいかない。
 簡単にいえば、自然主義が行きづまって各種の探求が文芸界になされたと同様に、自然主義の基礎ともいうべき唯物的実証論が行きづまった時、思想界にも各種の探求がなされた。殊に人間の意識外の世界について、特殊の研究がなされた。シャルコーは催眠術や暗示について研究を進め、覚醒時において全く意識されない観念を頭脳の中に据え得ることを証明した。リボーは記憶の作用を研究して、少しも意識されない記憶が存在し、しかもそれが特殊な明確さで頭脳の中に生きていて、何かの病気によって突然よび醒まされ、強烈な働きをなすことを説明した。ジャネーは精神病や暗示について研究し、一人の人間のうちにも、独自の生存をして時により相交錯する多くの魂があり得るといった。その他多くの哲学者や心理学者は、各方面に研究を進めて、人間の意識の世界を軽視するようになり、理性や理論に支配されない潜在意識や無意識の世界のうちに、各種の問題の説明を求めようとした。そして殊にベルグソンやフロイドの研究考察は、大きな光明や暗示をこの方面に投じた。
 ベルグソンの説くところによれば、意識は吾々の精神世界の一部分に過ぎなくて、単に説明したり理解したりする実際的役目を帯びてるだけである。吾々の理想や性格は、その意識的な部分よりずっと広く拡がっている。無意識こそ吾々の精神生活の普通の形体であって、この隠れた広い深い源から、吾々の意識的な理論的な生活が流れ出てくる。
 それからなお、彼は時ということについて新らしい考察をした。従来、時は空間と同様に測定されるものとされていた。即ち、時の各瞬間は同質のものであって、一メートルの長さの上に一メートルの長さをつぎたすことが出来るように、或る時間の上に或る時間がつぎたせるものであった。然しそれは、ベルグソンによれば、全く抽象的な仮定に過ぎなくて、現実の時というものは、ただ純粋な持続のみである。持続はたえず変化する。それ故、或る事物や現象の或る瞬間はその前の瞬間とは異なる……。
 右のような所説は、文芸界にも新らしい見解を寄与したが、更に、フロイドの精神分析学は大きな影響を齎した。フロイドによれば、吾々のうちには二つの存在がある。一つは自然的存在、即ち吾々の天性通りの存在であって、も一つは人為的存在、即ち教育や社会的拘束によって作り上げられた存在である、ところで吾々の意識は、この第二の人為的存在をしか認めたがらない。しかし往々にして、第一の自然的存在の方が強力であって、無意識界の底から、種々の身振や癖や夢想や狂気や罪悪などを強要する。
 なおフロイドは性的本能について微細な研究をなし、リビドーの理論を打立てた。吾々には栄養の本能があって、時に空腹を感ずると同様に、また性的本能があって時に性的空腹を感ずる。この性的空腹をリビドーというのである。そしてリビドーはその実際的満足を得ない場合には、種々の異なった形になって現われてくる。各人の神経組織に随って、或は精神病となり、或は夢となり、或は神秘主義となり、或は芸術となる。
 彼の夢の解釈と芸術の解釈とには、多くの新らしい見解を含んでいる。芸術の解釈には幾多非難の余地があるけれども、夢の解釈は吾々の無意識の世界に多くの光明を投ずるものである。吾々の無意識の世界が、如何に多くの潜在的な記憶や欲望などの要素を含んで、深く広いものであるか、それを明示し、或は暗示する。
 かくて、多くの哲学者や、心理学者などの研究は、吾々の精神生活のうちに広い深い無意識或は潜在意識の世界が存在することを、そして意識の世界はごく狭い一小部分にすぎないことを、次第に立証して行きつつある。そしてこの精神生活全体を描きたいという欲求が、文芸界に起ってきた。
 上述のような影響を受けた新らしい文芸が、普通の意識の世界ばかりでなく、更に広く深い潜在意識或は無意識の世界を重要視するのは、当然のことである。そして説明のための心理解剖から、描写のための心理的探求に変ってきたのも、当然のことである。
 例えば、超現実主義を瞥見してみよう。超現実主義は、普通に吾々が現実と看做してるもののも一つ奥の現実を信ずるもので、夢の世界の確実性と思想の独自な働きとを信ずるのである。夢というものは、吾々の無意識の世界が時あって吾々の意識に反映するものに外ならない。それをそのまま描こうというのだ。そして思想の独自な働きを尊重して、何等理性の拘束も加えず、修辞学的な配慮や道徳的な配慮を拒けて、思想の動くままに筆を走らせようというのだ。
 超現実主義の主唱者アンドレ・ブルトンは、或る晩、眠る前に、明瞭な一つの文句を耳にした。それは彼が意識していたあらゆる事柄と全く縁のないもので「窓で二つに切られた男がいる。」というような文句で、それと共に、窓で胴切にされて歩いてる男の姿が、視覚にも映ったのだった。
 こういうことは誰にでも時として起るものであって、それは超現実界の思想が吾々の意識にひょいと顔を出したに過ぎない、とブルトンはいう。そして彼は、吾々の精神が一々批判を下す遑のないほど急速な独白を、時として或る種の病人がなすのを見て、思想そのものの速度は舌やペンの速度よりも早いと推定した。その推定を実証するために、彼は友人のフィリップ・スーポーと一緒に、あらゆる意識的な考慮をぬきにして、思想の動くままにやたらにペンを走らしてみた。そして出来たものは殆ど判読し難いものではあったが、それこそ実は、思想そのものの独自な姿を如実に示すものだというのである。
 かくて超現実主義は、文学を理性や修辞学から脱却させて、吾々の精神の本来の働きを自動的に記述させようと試みる。
 また例えば、新即物主義もほぼ似通った見解の上に立っている。新即物主義は元来、抽象的な観念を排斥し、空虚な感情の昂揚を排斥して、事物の直接把捉を主張したのであるが、写実的な外形的な叙述を無意味であるとし、所謂報告文学のようなものを無価値であるとして、作者の無意識的な内部運動を重要視する。従って、例えばアルフレット・デプリーンの小説「アレクサンダー広場」は、吾々が現実に見るベルリンの町ではなくて、作者の内部から流出して音楽や映画みたいな形式で構成されてる、ベルリンの町である。
 超現実主義の作品は往々不可解なものとなり、新即物主義の作品は往々支離滅裂なものとなる。然しそれは、理性的な意識で作品に対するからだと、彼等はいう。
 われわれの周囲にあるいろいろのものは不動の状態を負わされている。恐らくそうした不動の状態は、われわれがそのものはそのものであって他の何ものでもないと確信しており、それらのものに対してわれわれの考えが不動だからであるのである。いつものことなのだが、こんなふうに眼を覚すと、私の精神はむなしく私が何処にいるかを知ろうとして動揺し、ものや国や、年月日などが凡て、私のなかで、私の周囲をぐるぐる廻るのであった。ひどく痺れていて身動きのできない私の体は、その疲労の形に従って、手足の位置を決め、それによって、壁の方向、家具の場所を推定し、自分のいる家を今新に組み立てて、名をつけようとする。体の持っている記憶、肋骨や膝や肩の持っている記憶は、嘗て体の眠ったことのある部屋をたくさん次々に体に見せるのであった。その間、体の周りには、眼に見えない壁が、想像された部屋の形に従って場所を変えながら、闇のなかに旋回し続ける。……私の体、私の下にしている脇腹は、私の心のどうしても忘れえない過去を忠実に覚えていて、細い鎖で天井に吊した壺形のボヘミヤ硝子の豆ランプの焔や、シェナ大理石のストオブを私に思い起させた。それはコンブレエの私の寝台、祖父たちの家での遠い昔のことで、今ははっきり心に思い浮べないで、現在のことのように思っているが、やがてすっかり眼が覚めたなら昔のことだったとよく分ることでもあろう。
(淀野・佐藤共訳) これは、マルセル・プルーストの小説「失いし時を索めて」の一節である。そしてこの主人公「私」は、体の持ってる記憶からばかりでなく、一杯の茶の香りからさえ追憶の連想によって、昔から今までのさまざまなことを意識の表面によび戻して、それをじいっと考え続けるのである。一人の少女に出逢ってから、それに初めて言葉をかけるまでの間に、百ページを満たすだけのいろんなことを考える。しかもその百ページは、愛についての考察ではなくて、あらゆる雑多な事柄の堆積である。彼は内部世界の深淵から、記憶の連鎖をたどって、あらゆるものを掬い上げてくる。そしてその「私」は自我ではなくて、私であると共に宇宙全体なのだ。
 吾々が普通に「私」と称するものは――自我は――局限された狭い小さなものに過ぎない。その局限を取除いて、あらゆる場合に「私は」というところの「私」にまで到達すると、その「私」なるものは、過去現在を包容し、意識の世界ばかりでなく、潜在意識の世界をも包容し、内部世界と外部世界とを一色に塗って宇宙的に拡大される。その拡大された「私」のなかのあらゆる事象を、取捨選択することなく、そのまま書き誌していったのが、プルーストの小説である。
 吾々は潜在意識或は無意識の世界に沈んでるものを文字に書き現わすことは出来ない。書き現わせるのは意識の世界に浮ぶことだけである。そして小説的な構想を拒け、理論的な取捨選択を拒け、意識の世界のことをその本来の姿のままに描こうとするに当って、プルーストは主に記憶の連鎖をたどっていった。がジェームズ・ジョイスは、意識の動きを直接に跡づけようとした。「意識の流れ」をじかにたどろうとした。
 彼はドーセット通りを歩いて帰った、むつかしい顔をして(包紙を)読みながら。アジェンダス・ネタイム……拓殖会社……。彼は鉄色の炎熱に霞んだ家畜を視た。銀色の粉末を振りかけた橄欖樹。静かな長い日……刈り込まれて成熟していく。オリーヴは瓶詰にするのだろうな? 家には、アンドルーズの店から買ったのが二つ三つ残っている。モリはあれを吐き出すんだ。今ではオリーヴの味が分るらしい。オレンジは薄紙に包んで枝編み籠に入れて荷造りされる。シトロンも同様だ。あのシトロン君はまだ聖ケヴィンズ・パレードに達者で勤めているかしら? またあの古めかしい琵琶を持ってるマスティアンスキ。あのころの俺達は楽しい夕を過したものだ。シトロン君の籐椅子に腰掛けたモリ。手に持つのはいい気持だ、冷たい蝋のような果物、手に持って、それを鼻孔の方へ持っていって芳香を嗅ぐ。あれみたいだ、あの豊かな甘美な野生的な匂い。何時も変らない、来る年も来る年も。それに高価に売れるんだとモイゼルが俺に話した。アービュタス・ブレース……ブレザンツ街……愉しい昔。瑕一つあってもいけないと彼は言った。遙々とやってくる……スペインはジブラルタル、地中海、レヴァント。ジャファの波止場には枝編み籠が整列している、一人の若い男がそれを勘定しながら帳合せをしている、汚いダンガリ製のズボンをはいた仲仕どもがそれを積み込んでいる。おや、何とかいった野郎が出て来たぜ。お早う! 気がつかない。ほんの挨拶をする位の知合というものは少々うるさいもんだ。奴の後姿はあのノルウェーの船長に似ている。今日奴に会うのかな。撒水車。わざと雨を呼び出そうとするようなもんだ。天になる如く地にもならせ給え、か。
(森田草平ほか五氏共訳) これは「ユリシーズ」の一節である。そしてこの小説が、ホーマーの「オディッセー」から骨組を取ってきたことや、ダブリン市における一小市民の一日の経験記録にすぎないことや、しかも二十世紀の各種の思想や世相や性格の圧縮図であることなどは、ここでは大した問題ではない。重要なことは、行文の紛糾錯雑を顧みずに作者が「意識の流れ」をじかにたどろうとした企図、全く句読点のない文句の連続――観念の連続――の四十頁を最後に必要とした態度である。
 以上述べたような――その例を外国にばかりとらねばならなかったことを私は遺憾に思うのであるが――いろいろな主張や作品は、文芸に新らしい領土を開拓した。これまでの文芸は、人間の行動を主にその対象としていた。心理解剖でさえも、全く行動の説明のためのものであった。然るに新らしい心理探求は、人間の内部の世界――精神の世界――の広大さを発見して、写実主義或は自然主義が外部を描写しようとしたように、その内部世界を描写しようと試みる。いわば、外部の現実のほかに精神内部の現実を発見して、それを如実に描写しようというのである。
 ところで、この新らしい描写の対象となる精神の内部世界――意識の世界――は、広く深い潜在意識或は無意識の海洋に浮かんでる一小島に過ぎないし、それ自身錯雑を極め変転限りないものであるから、随ってその描写も理路整然たることは不可能である。
 この方向を辿る時、小説はおのずから解体され、その様式は破壊される。在来の小説という概念にあてはまらない作品が生れてくる。プルーストの「失いし時を索めて」やジョイスの「ユリシーズ」などはその例である。
 小説の様式を破壊し、小説という概念から脱却して、新らしい作品を生むということは、むしろ喜ぶべきことである。ただここに一つの疑問が残されている。精神世界の現実を如実に描写することが――時間的、空間的制約を受ける文字によって描写することが、果して可能であるか否か?
 吾々の意識のなかにおける物象の去来には特殊の速度と過程とがある。例えば或る一つの顔を思い浮べる時、その眼や鼻や口などの相貌が、殆ど同時的といってもよいくらいに意識に上ってくる。或はまた、そういう個々の点のいずれかだけが、全部を支配しながら固定することもある。或はまた、ただ漠然とした全体の感じだけが然も明確に現われることもある。なお、そういう顔の意識が幾つも重なり合うこともある。また他のものと奇怪な関連をなすこともある。夢の世界の不可思議も人の知る通りである。そういう意識の世界を、或は意識の流れを、一字一字連ねてゆく文字による表現で、どうして描き出すことが出来るであろうか。
 出来るというのは、ただ比較的なことである。そして或る程度の取捨選択と整理とが、必ずなされなければならない。それが多くなされるか少くなされるか、ただ比較的なことである。
 文芸の新らしい領土は発見された。それを如何にして開拓するかは、今後に残された問題である。今までなされたことは、特殊な才能による特殊な試みに過ぎない。しかも、個人主義的な立場からなされた試みに過ぎない。近代になって、社会的な見方が文芸のなかにも取入れられた。そしてこの見方からも、問題を再検討してみる必要がある。

      個人と社会

 近代資本主義の発展は、各方面に、個人生活を稀薄ならしめて、集団生活を打立てた。人はもはや各自の巣窟の中に別々に生活することなく、一つの集団を作って働き、行動し、娯楽する。そして個人は集団のなかに融けこんでしまう。各種の工場、商館、銀行、劇場、官庁などが、如何に集団生活を人々に強要しているかは、誰でも認めるところである。そればかりでなく、都会の街路そのものまでが、現代では、個人を無視して群集を相手にする。そしてなお、普通選挙の拡大による政治形体も各種の意見の交換混淆を助成して一つの総合的魂を作り上げる。

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