僕は
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著者名:芥川竜之介 

誰でもわたしのやうだらうか?――ジュウル・ルナアル

 僕は屈辱を受けた時、なぜか急には不快にはならぬ。が、彼是(かれこれ)一時間ほどすると、だんだん不快になるのを常としてゐる。
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 僕はロダンのウゴリノ伯を見た時、――或はウゴリノ伯の写真を見た時、忽ち男色(だんしよく)を思ひ出した。
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 僕は樹木(じゆもく)を眺める時、何か我々人間のやうに前後(まへうし)ろのあるやうに思はれてならぬ。
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 僕は時々暴君になつて大勢(おほぜい)の男女(なんによ)を獅子(しし)や虎に食はせて見たいと思ふことがある。が、膿盆(のうぼん)の中に落ちた血だらけのガアゼを見ただけでも、肉体的に忽ち不快になつてしまふ。
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 僕は度たび他人のことを死ねば善(よ)いと思つたことがある。その又死ねば善いと思つた中には僕の肉親さへゐないことはない。
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 僕はどう云ふ良心も、――芸術的良心さへ持つてゐない。が、神経は持ち合せてゐる。
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 僕は滅多(めつた)に憎んだことはない。その代りには時々軽蔑してゐる。
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 僕自身の経験によれば、最も甚しい自己嫌悪(けんを)の特色はあらゆるものに□(うそ)を見つけることである。しかもその又発見に少しも満足を感じないことである。
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 僕はいろいろの人の言葉にいつか耳を傾けてゐる。たとへば肴屋(さかなや)の小僧などの「こんちはア」と云ふ言葉に。あの言葉は母音(ぼいん)に終つてゐない、ちよつと羅馬字(ロオマじ)に書いて見れば、Konchiwaas と云ふのである。なぜ又あの言葉は必要もないSを最後に伴(ともな)ふのかしら。
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 僕はいつも僕一人ではない。息子(むすこ)、亭主、牡(をす)、人生観上の現実主義者、気質上のロマン主義者、哲学上の懐疑主義者等(とう)、等、等、――それは格別差支(さしつか)へない。しかしその何人かの僕自身がいつも喧嘩するのに苦しんでゐる。
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 僕は未知(みち)の女から手紙か何か貰つた時、まづ考へずにゐられぬことはその女の美人かどうかである。
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 あらゆる言葉は銭のやうに必ず両面を具へてゐる。僕は彼を「見えばう」と呼んだ。しかし彼はこの点では僕と大差のある訣(わけ)ではない。が、僕自身に従へば、僕は唯「自尊心の強い」だけである。
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 僕は医者に容態を聞かれた時、まだ一度も正確に僕自身の容態を話せたことはない。従つて□(うそ)をついたやうな気ばかりしてゐる。
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 僕は僕の住居(すまひ)を離れるのに従ひ、何か僕の人格も曖昧(あいまい)になるのを感じてゐる。この現象が現れるのは僕の住居を離れること、三十哩(マイル)前後に始まるらしい。
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 僕の精神的生活は滅多(めつた)にちやんと歩いたことはない。いつも蚤のやうに跳ねるだけである。
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 僕は見知越しの人に会ふと、必ずこちらからお時宜(じぎ)をしてしまふ。従つて向うの気づかずにゐる時には「損をした」と思ふこともないではない。(大正一五・一二・四)



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