続芭蕉雑記
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著者名:芥川竜之介 

     一 人

 僕は芭蕉の漢語にも新しい命を吹き込んだと書いてゐる。「蟻(あり)は六本の足を持つ」と云ふ文章は或は正硬であるかも知れない。しかし芭蕉の俳諧は度たびこの翻訳に近い冒険に功を奏してゐるのである。日本の文芸では少くとも「光は常に西方から来てゐた。」芭蕉も亦やはりこの例に洩れない。芭蕉の俳諧は当代の人々には如何に所謂モダアンだつたであらう。
ひやひやと壁をふまへて昼寝かな
「壁をふまへて」と云ふ成語は漢語から奪つて来たものである。「踏壁眠(かべをふまへてねむる)」と云ふ成語を用ひた漢語は勿論少くないことであらう。僕は室生犀星君と一しよにこの芭蕉の近代的趣味(当代の)を一世を風靡(ふうび)した所以(ゆゑん)に数へてゐる。が、詩人芭蕉は又一面には「世渡り」にも長じてゐた。芭蕉の塁(るゐ)を摩(ま)した諸俳人、凡兆、丈艸(ぢやうさう)、惟然(ゐねん)等はいづれもこの点では芭蕉に若(し)かない。芭蕉は彼等のやうに天才的だつたと共に彼等よりも一層苦労人だつた。其角、許六、支考等を彼に心服させたものは彼の俳諧の群を抜いてゐたことも決して少くはなかつたであらう。(世人の所謂「徳望」などは少くとも、彼等を御(ぎよ)する上に何の役に立つものではない。)しかし又彼の世渡り上手も、――或は彼の英雄的手腕も巧みに彼等を籠絡(ろうらく)した筈である。芭蕉の世故人情に通じてゐたことは彼の談林時代の俳諧を一瞥すれば善い。或は彼の書簡の裏(うち)にも東西の門弟を操縦した彼の機鋒は窺はれるのであらう。最後に彼は元禄二年にも――「奥の細道」の旅に登つた時にもかう云ふ句を作る「したたか者」だつた。
夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな
「夏山」と言ひ、「足駄」と言ひ、更に「カドデ」と言つた勢にはこれも亦「したたか者」だつた一茶も顔色はないかも知れない。彼は実に「人」としても文芸的英雄の一人だつた。芭蕉の住した無常観は芭蕉崇拝者の信ずるやうに弱々しい感傷主義を含んだものではない。寧ろやぶれかぶれの勇に富んだ不具退転(ふぐたいてん)の一本道である。芭蕉の度たび、俳諧さへ「一生の道の草」と呼んだのは必しも偶然ではなかつたであらう。兎に角彼は後代には勿論、当代にも滅多に理解されなかつた、(崇拝を受けたことはないとは言はない。)恐しい糞やけになつた詩人である。

     二 伝記

 芭蕉の伝記は細部に亘(わた)れば、未だに判然とはわからないらしい。が、僕は大体だけは下(しも)に尽きてゐると信じてゐる。――彼は不義をして伊賀を出奔(しゆつぽん)し、江戸へ来て遊里などへ出入しながら、いつか近代的(当代の)大詩人になつた。なほ又念の為につけ加へれば、文覚(もんがく)さへ恐れさせた西行(さいぎやう)ほどの肉体的エネルギイのなかつたことは確かであり、やはりわが子を縁から蹴落した西行ほどの神経的エネルギイもなかつたことは確かであらう。芭蕉の伝記もあらゆる伝記のやうに彼の作品を除外すれば格別神秘的でも何でもない。いや、西鶴の「置土産(おきみやげ)」にある蕩児(たうじ)の一生と大差ないのである。唯彼は彼の俳諧を、――彼の「一生の道の草」を残した。……
 最後に彼を生んだ伊賀の国は「伊賀焼」の陶器を生んだ国だつた。かう云ふ一国の芸術的空気も封建時代には彼を生ずるのに或は力のあつたことであらう。僕はいつか伊賀の香合(かうがふ)に図々(づうづう)しくも枯淡な芭蕉を感じた。禅坊主は度たび褒める代りに貶(けな)す言葉を使ふものである。ああ云ふ心もちは芭蕉に対すると、僕等にもあることを感ぜざるを得ない。彼は実に日本の生んだ三百年前の大山師だつた。

     三 芭蕉の衣鉢

 芭蕉の衣鉢(いはつ)は詩的には丈艸などにも伝はつてゐる。それから、――この世紀の詩人たちにも或は伝はつてゐるかも知れない。が、生活的には伊賀のやうに山の多い信濃の大詩人、一茶に伝はつたばかりだつた。一時代の文明は勿論或詩人の作品を支配してゐる。一茶の作品は芭蕉の作品とその為にも同じ峰に達してゐない。が、彼等は肚(はら)の底ではどちらも「糞やけ道(だう)」を通つてゐた。芭蕉の門弟だつた惟然(ゐねん)も亦或はかう云ふ一人だつたかも知れない。しかし彼は一茶のやうに図太い根性を持つてゐなかつた。その代りに一茶よりも可憐だつた。彼の風狂(ふうきやう)は芝居に見るやうに洒脱とか趣味とか云ふものではない。彼には彼の家族は勿論、彼の命をも賭した風狂である。
秋晴れたあら鬼貫(おにつら)の夕べやな
 僕はこの句を惟然の作品中でも決して名句とは思つてゐない。しかし彼の風狂はこの句の中にも見えると思つてゐる。惟然の風狂を喜ぶものは、――就中(なかんづく)軽妙を喜ぶものは何とでも勝手に感服して善い。けれども僕の信ずる所によれば、そこに僕等を動かすものは畢(つひ)に芭蕉に及ばなかつた、芭蕉に近い或詩人の慟哭(どうこく)である。若し彼の風狂を「とり乱してゐる」と言ふ批評家でもあれば、僕はこの批評家に敬意を表することを吝(をし)まないであらう。
追記。これは「芭蕉雑記」の一部になるものである。
(昭和二年七月)



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