妖婆
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著者名:芥川竜之介 

 あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。昔なら知らず、これから私の申し上げる事は、大正の昭代にあった事なのです。しかも御同様住み慣れている、この東京にあった事なのです。外へ出れば電車や自働車が走っている。内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。新聞を見れば同盟罷工(どうめいひこう)や婦人運動の報道が出ている。――そう云う今日、この大都会の一隅でポオやホフマンの小説にでもありそうな、気味の悪い事件が起ったと云う事は、いくら私が事実だと申した所で、御信じになれないのは御尤(ごもっと)もです。が、その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣(わけ)には行きますまい。ちょうどそれと同じように、無線電信や飛行機がいかに自然を征服したと云っても、その自然の奥に潜んでいる神秘な世界の地図までも、引く事が出来たと云う次第ではありません。それならどうして、この文明の日光に照らされた東京にも、平常は夢の中にのみ跳梁(ちょうりょう)する精霊たちの秘密な力が、時と場合とでアウエルバッハの窖(あなぐら)のような不思議を現じないと云えましょう。時と場合どころではありません。私に云わせれば、あなたの御注意次第で、驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、始終我々の周囲にも出没去来しているのです。
 たとえば冬の夜更などに、銀座通りを御歩きになって見ると、必ずアスファルトの上に落ちている紙屑が、数にしておよそ二十ばかり、一つ所に集まって、くるくる風に渦を巻いているのが、御眼に止まる事でしょう。それだけなら、何も申し上げるほどの事はありませんが、ためしにその紙屑が渦を巻いている所を、勘定(かんじょう)して御覧なさい。必ず新橋から京橋までの間に、左側に三個所、右側に一個所あって、しかもそれが一つ残らず、四つ辻に近い所ですから、これもあるいは気流の関係だとでも、申して申せない事はありますまい。けれどももう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至(ないし)はまた燐寸(まっち)の商標だとか、物はいろいろ変(かわっ)ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまるでほかの紙屑を率(ひきい)るように、一しきり風が動いたと思うと、まっさきにひらりと舞上ります。と、かすかな砂煙の中から囁くような声が起って、そこここに白く散らかっていた紙屑が、たちまちアスファルトの空へ消えてしまう。消えてしまうのじゃありません。一度にさっと輪を描いて、流れるように飛ぶのです。風が落ちる時もその通り、今まで私が見た所では、赤い紙が先へ止まりました。こうなるといかにあなたでも、御不審が起らずにはいられますまい。私は勿論不審です。現に二三度は往来へ立ち止まって、近くの飾窓(ショウウインドウ)から、大幅の光がさす中に、しっきりなく飛びまわる紙屑を、じっと透かして見た事もありました。実際その時はそうして見たら、ふだんは人間の眼に見えない物も、夕暗にまぎれる蝙蝠(こうもり)ほどは、朧げにしろ、彷彿(ほうふつ)と見えそうな気がしたからです。
 が、東京の町で不思議なのは、銀座通りに落ちている紙屑ばかりじゃありません。夜更けて乗る市内の電車でも、時々尋常の考に及ばない、妙な出来事に遇うものです。その中でも可笑(おか)しいのは人気(ひとけ)のない町を行く赤電車や青電車が、乗る人もない停留場へちゃんと止まる事でしょう。これも前の紙屑同様、疑わしいと御思いになったら、今夜でもためして御覧なさい。同じ市内の電車でも、動坂線(どうざかせん)と巣鴨線(すがもせん)と、この二つが多いそうですが、つい四五日前の晩も、私の乗った赤電車が、やはり乗降りのない停留場へぱったり止まってしまったのは、その動坂線の団子坂下(だんござかした)です。しかも車掌がベルの綱へ手をかけながら、半ば往来の方へ体を出して、例のごとく「御乗りですか。」と声をかけたじゃありませんか。私は車掌台のすぐ近くにいましたから、すぐに窓から外を覗いて見ました。と、外は薄雲のかかった月の光が、朦朧(もうろう)と漂っているだけで、停留場の柱の下は勿論、両側の町家がことごとく戸(と)を鎖した、真夜中の広い往来にも、さらに人間らしい影は見えません。妙だなと思う途端、車掌がベルの綱を引いたので、電車はそのまま動き出しましたが、それでもまだ窓から外を眺めていると、停留場が遠くなるのに従って、今度は何となく私の眼にも、そこの月の光の中に、だんだん小さくなって行く人影があるような気がしました。これは申すまでもなく、私の神経の迷かもしれませんが、あの先を急ぐ赤電車の車掌が、どうして乗る人もない停留場へ電車を止めなどしたのでしょう。しかもこんな目に遇ったのは、何も私ばかりじゃなく、私の知人の間にも、三四人はいようと云うのです。して見ると、まさか電車の車掌がその度に寝惚(ねぼ)けたとも申されますまい。現に私の知人の一人なぞは、車掌をつかまえて、「誰もいないじゃないか。」と、きめつけると、車掌も不審そうな顔をして、「大勢さんのように思いましたが。」と、答えた事があるそうです。
 そのほかまだ数え立てれば、砲兵工廠(こうしょう)の煙突の煙が、風向きに逆って流れたり、撞(つ)く人もないニコライの寺の鐘が、真夜中に突然鳴り出したり、同じ番号の電車が二台、前後して日の暮の日本橋を通りすぎたり、人っこ一人いない国技館の中で、毎晩のように大勢の喝采(かっさい)が聞えたり、――所謂(いわゆる)「自然の夜の側面」は、ちょうど美しい蛾(が)の飛び交うように、この繁華な東京の町々にも、絶え間なく姿を現しているのです。従ってこれから私が申上げようと思う話も、実はあなたが御想像になるほど、現実の世界と懸け離れた、徹頭徹尾あり得べからざる事件と云う次第ではありません。いや、東京の夜の秘密を一通り御承知になった現在なら、無下(むげ)にはあなたも私の話を、莫迦(ばか)になさる筈はありますまい。もしまたしまいまで御聞きになった上でも、やはり鶴屋南北(つるやなんぼく)以来の焼酎火(しょうちゅうび)の□(におい)がするようだったら、それは事件そのものに嘘があるせいと云うよりは、むしろ私の申し上げ方が、ポオやホフマンの塁(るい)を摩(ま)すほど、手に入っていない罪だろうと思います。何故と云えば一二年以前、この事件の当事者が、ある夏の夜私と差向いで、こうこう云う不思議に出遇った事があると、詳しい話をしてくれた時には、私は今でも忘れられないほど、一種の妖気(ようき)とも云うべき物が、陰々として私たちのまわりを立て罩(こ)めたような気がしたのですから。
 この当事者と云う男は、平常私の所へ出入をする、日本橋辺のある出版書肆(しょし)の若主人で、ふだんは用談さえすませてしまうと、□々(そうそう)帰ってしまうのですが、ちょうどその夜は日の暮からさっと一雨かかったので、始は雨止みを待つ心算(つもり)ででも、いつになく腰を落着けたのでしょう。色の白い、眉の迫った、痩(や)せぎすな若主人は、盆提灯(ぼんちょうちん)へ火のはいった縁先のうす明りにかしこまって、かれこれ初夜も過ぎる頃まで、四方山(よもやま)の世間話をして行きました。その世間話の中へ挟みながら、「是非一度これは先生に聞いて頂きたいと思って居りましたが。」と、ほとんど心配そうな顔色で徐(おもむろ)に口を切ったのが、申すまでもなく本文の妖婆(ようば)の話だったのです。私は今でもその若主人が、上布の肩から一なすり墨をぼかしたような夏羽織で、西瓜(すいか)の皿を前にしながら、まるで他聞でも憚(はばか)るように、小声でひそひそ話し出した容子(ようす)が、はっきりと記憶に残っています。そう云えばもう一つ、その頭の上の盆提灯が、豊かな胴へ秋草の模様をほんのりと明(あかる)く浮かせた向うに、雨上りの空がむら雲をだだ黒く一面に乱していたのも、やはり妙に身にしみて、忘れる事が出来ません。
 そこで肝腎(かんじん)の話と云うのは、その新蔵(しんぞう)と云う若主人が(ほかに差障りがあるといけませんから、仮にこう呼んで置きましょう。)二十三の夏にあった事で、当時本所一つ目辺に住んでいた神下しの婆の所へ、ちと心配な筋があって、伺いを立てに行ったと云う、それが抑々(そもそも)の発端なのです。何でも六月の上旬ある日、新蔵はあの界隈(かいわい)に呉服屋を出している、商業学校時代の友だちを引張り出して、一しょに与兵衛鮨(よべえずし)へ行ったのだそうですが、そこで一杯やっている内に、その心配な筋と云うのを問わず語りに話して聞かせると、その友だちの泰(たい)さんと云うのが急に真面目な顔をして、「じゃお島婆さんに見て貰い給え。」と、熱心に勧め出しました。そこで仔細(しさい)を聞いて見ると、この神下しの婆と云うのは、二三年以前に浅草あたりから今の所へ引越して来たので、占もすれば加持(かじ)もする――それがまた飯綱(いづな)でも使うのかと思うほど、霊顕(れいけん)があると云うのです。「君も知っているだろう。ついこの間魚政の女隠居が身投げをした。――あの屍骸(しがい)がどうしても上らなかったんだが、お島婆さんにお札(ふだ)を貰って、それを一の橋から川へ抛りこむと、その日の内に浮いて出たじゃないか。しかも御札を抛りこんだ、一の橋の橋杭(はしくい)の所にさ。ちょうど日の暮の上げ潮だったが、仕合せとあすこにもやっていた、石船の船頭が見つけてね。さあ、御客様だ、土左衛門だと云う騒ぎで、早速橋詰の交番へ届けたんだろう。僕が通りかかった時にゃ、もう巡査が来ていたが、人ごみの後から覗いて見ると、上げたばかりの女隠居の屍骸が、荒菰(あらごも)をかぶせて寝かしてある、その菰の下から出た、水ぶくれの足の裏には、何だと思う、君? あの御札がぴったり斜(はす)っかけに食附いていたんだ。僕はさすがにぞっとしたね。」――と云う友だちの話を聞いた時には、新蔵もやはり背中が寒くなって、夕潮の色だの、橋杭の形だの、それからその下に漂っている女隠居の姿だの――そんな物が一度に眼の前へ、浮んで来たような気がしたそうです。が、何しろ一杯機嫌で、「そりゃ面白い。是非一つ見て貰おう。」と、負惜しみの膝を進めました。「じゃ僕が案内しよう。この間金談を見て貰いに行って以来、今じゃあの婆さんとも大分懇意になっているから。」「何分頼む。」――こう云う調子で、啣(くわ)え楊枝(ようじ)のまま与兵衛を出ると、麦藁帽子(むぎわらぼうし)に梅雨晴の西日をよけて、夏外套の肩を並べながら、ぶらりとその神下しの婆の所へ出かけたと云います。
 ここでその新蔵の心配な筋と云うのを御話しますと、家に使っていた女中の中に、お敏(とし)と云う女があって、それが新蔵とは一年越互に思い合っていたのですが、どうした訣(わけ)か去年の暮に叔母の病気を見舞いに行ったぎり、音沙汰もなくなってしまったのです。驚いたは新蔵ばかりでなく、このお敏に目をかけていた新蔵の母親も心配して、請人(うけにん)を始め伝手(つて)から伝手へ、手を廻して探しましたが、どうしても行く方が分りません。やれ、看護婦になっているのを見たの、やれ、妾(めかけ)になったと云う噂があるの、と、取沙汰だけはいろいろあっても、さて突きつめた所になると、皆目(かいもく)どうなったか知れないのです。新蔵は始気遣(きづか)って、それからまた腹を立てて、この頃ではただぼんやりと沈んでいるばかりになりましたが、その元気のない容子が、薄々ながら二人の関係を感づいていた母親には、新しい心配の種になったのでしょう。芝居へやる。湯治を勧める。あるいは商売附合いの宴会へも父親の名代を勤めさせる――と云った具合に骨を折って、無理にも新蔵の浮かない気分を引き立てようとし始めました。そこでその日も母親が、本所界隈の小売店を見廻らせると云うのは口実で、実は気晴らしに遊んで来いと云わないばかり、紙入の中には小遣いの紙幣(しへい)まで入れてくれましたから、ちょうど東両国に幼馴染(おさななじみ)があるのを幸、その泰さんと云うのを引張り出して、久しぶりに近所の与兵衛鮨へ、一杯やりに行ったのです。
 こう云う事情がありましたから、お島婆さんの所へ行くと云っても、新蔵のほろ酔(よい)の腹の底には、どこか真剣な所があったのでしょう。一つ目の橋の袂を左へ切れて、人通りの少い竪川(たてかわ)河岸を二つ目の方へ一町ばかり行くと、左官屋と荒物屋との間に挟(はさ)まって、竹格子(たけごうし)の窓のついた、煤だらけの格子戸造りが一軒ある――それがあの神下しの婆の家だと聞いた時には、まるでお敏と自分との運命が、この怪しいお島婆さんの言葉一つできまりそうな、無気味な心もちが先に立って、さっきの酒の酔なぞは、すっかりもう醒めてしまったそうです。また実際そのお島婆さんの家と云うのが、見たばかりでも気が滅入(めい)りそうな、庇(ひさし)の低い平家建で、この頃の天気に色の出た雨落ちの石の青苔(あおごけ)からも、菌(きのこ)ぐらいは生えるかと思うぐらい、妙にじめじめしていました。その上隣の荒物屋との境にある、一抱あまりの葉柳が、窓も蔽うほど枝垂れていますから、瓦にさえ暗い影が落ちて、障子(しょうじ)一重(ひとえ)隔てた向うには、さもただならない秘密が潜んでいそうな、陰森(いんしん)としたけはいがあったと云います。
 が、泰さんは一向無頓着に、その竹格子の窓の前へ立止ると、新蔵の方を振返って、「じゃいよいよ鬼婆に見参と出かけるかな。だが驚いちゃいけないぜ。」と、今更らしい嚇(おど)しを云うのです。新蔵は勿論嘲笑(あざわら)って、「子供じゃあるまいし。誰が婆さんくらいに恐れるものか。」と、うっちゃるように答えましたが、泰さんは反ってその返事に人の悪るそうな眼つきを返しながら、「何さ。婆さんを見たんじゃ驚くまいが、ここには君なんぞ思いもよらない、別嬪(べっぴん)が一人いるからね。それで御忠告に及んだんだよ。」と、こう云う内にもう格子へ手をかけて、「御免。」と、勢の好い声を出しました。するとすぐに「はい。」と云う、含み声の答があって、そっと障子を開けながら、入口の梱(しきみ)に膝をついたのは、憐(しおら)しい十七八の娘です。成程これじゃ、泰さんが、「驚くな」と云ったのも、さらに不思議はありません。色の白い、鼻筋の透った、生際(はえぎわ)の美しい細面で、殊に眼が水々しい。――が、どこかその顔立ちにも、痛々しい窶(やつ)れが見えて、撫子(なでしこ)を散らしためりんすの帯さえ、派手(はで)な紺絣の単衣の胸をせめそうな気がしたそうです。泰さんは娘の顔を見ると、麦藁帽子を脱ぎながら、「阿母(おっか)さんは?」と尋ねました。すると娘は術なさそうな顔をして、「生憎(あいにく)出まして留守でございますが。」と、さも自分が悪い事でもしたように、□(まぶた)を染めて答えましたが、ふと涼しい眼を格子戸の外へやると、急に顔の色が変って、「あら。」と、かすかに叫びながら、飛び立とうとしたじゃありませんか。泰さんは場所が場所だけに、さては通り魔でもしたのかと思ったそうですが、慌てて後を振返ると、今まで夕日の中に立っていた新蔵の姿が見えません。と、二度びっくりする暇もなく、泰さんの袂にすがったのは、その神下しの婆の娘で、それが息をはずませながら、一生懸命な声で云うのを聞くと、「あなた。今の御連れ様にどうかそう仰有(おっしゃ)って下さいまし。二度とこの近所へ御立寄りなすっちゃいけません。さもないと、あの方の御命にも関るような事が起りますから。」と、こう切れ切れに云うのだそうです。泰さんは何が何やら、まるで煙に捲かれた体で、しばらくはただ呆気(あっけ)にとられていましたが、とにかく、言伝(ことづ)てを頼まれた体なので、「よろしい。確かに頼まれました。」と云ったきり、よくよく狼狽(ろうばい)したのでしょう。麦藁帽子もぶら下げたまま、いきなり外へ飛び出すと、新蔵の後を追いかけて、半町ばかり駈け出しました。
 その半町ばかり離れた所が、ちょうど寂しい石河岸の前で、上の方だけ西日に染まった、電柱のほかに何もない――そこに新蔵はしょんぼりと、夏外套の袖を合せて、足元を眺めながら、佇(たたず)んでいました。が、やっと駈けつけた泰さんが、まだ胸が躍っていると云う調子で、「冗談じゃないぜ。驚くなと云った僕の方が、どのくらい君に驚かされたか知れやしない。一体君はあの別嬪(べっぴん)を――」と云いかけると、新蔵はもう一つ目橋の方へ落着かない歩みを運びながら、「知っているとも。あれが君、お敏(とし)なんだ。」と、興奮した声で答えたそうです。泰さんは三度びっくりした――びっくりした筈でしょう。何しろこれからその行方を見て貰おうと云う当の女が、人もあろうにお島婆さんの娘だと云う騒ぎなのですから。と云って泰さんもその娘に頼まれた、容易ならない言伝ての手前、驚いてばかりもいられますまい。そこで麦藁帽子をかぶるが早いか、二度とこの界隈へは近づくなと云うお敏の言葉を、声色同様に饒舌(しゃべ)って聞かせました。新蔵はその言葉を静に聞いていましたが、やがて眉を顰(しか)めると、迂散(うさん)らしい眼つきをして、「来てくれるなと云うのはわかるけれど、来れば命にかかわると云うのは不思議じゃないか。不思議よりゃむしろ乱暴だね。」と、腹を立てたような声を出すのです。が、泰さんもただ言伝てを聞いただけで、どうした訣(わけ)とも問い質(ただ)さずに、お島婆さんの家を駈け出したのですから、いくら相手を慰めたくも、好い加減な御座なりを並べるほかは、慰めようがありません。すると新蔵はなおさらの事、別人のように黙りこんで、さっさと歩みを早めたそうですが、その内にまた与兵衛鮨の旗の出ている下へ来ると、急に泰さんの方をふり向いて、「僕はお敏に逢ってくりゃ好かった。」と、残念らしい口吻を洩しました。その時泰さんが何気なく、「じゃもう一度逢いに行くさ。」と、調戯(からか)うようにこう云った――それが後になって考えると、新蔵の心に燃えている、焔のような逢いたさへ、油をかける事になったのでしょう。ほどなく泰さんに別れると、すぐ新蔵が取って返したのは、回向院(えこういん)前の坊主軍鶏(ぼうずしゃも)で、あたりが暗くなるのを待ちながら、銚子も二三本空にしました。そうして日がとっぷり暮れると同時に、またそこを飛び出して、酒臭い息を吐きながら、夏外套の袖を後へ刎(は)ねて、押しかけたのはお敏の所――あの神下しの婆の家です。
 それが星一つ見えない、暗の夜で、悪く地息(じいき)が蒸れる癖に、時々ひやりと風が流れる、梅雨中にありがちな天気でした。新蔵は勿論中っ腹で、お敏の本心を聞かない内は、ただじゃ帰らないくらいな気組でしたから、墨を流した空に柳が聳えて、その下に竹格子の窓が灯をともした、底気味悪い家の容子(ようす)にも頓着せず、いきなり格子戸をがらりとやると、狭い土間に突立って、「今晩は。」と一つ怒鳴ったそうです。その声を聞いたばかりでも、誰だろうくらいな推量はすぐについたからでしょう。あの優しい含み声の返事も、その時は震えていたようですが、やがて静に障子が開くと、梱(しきみ)越しに手をついた、やつやつしいお敏の姿が、次の間からさす電燈の光を浴びて、今でも泣いているかと思うほど、悄々とそこへ現れました。が、こちらは元より酒の上で、麦藁帽子を阿弥陀(あみだ)にかぶったまま、邪慳(じゃけん)にお敏を見下しながら、「ええ、阿母(おっか)さんは御在宅ですか。手前少々見て頂きたい事があって、上ったんですが、――御覧下さいますか、いかがなもんでしょう。御取次。」と、白々しくずっきり云った。――それがどのくらいつらかったのでしょう、お敏はやはり手をついたまま、消え入りたそうに肩を落して、「はい。」と云ったぎりしばらくは涙を呑んだようでしたが、もう一度新蔵が虹のような酒気を吐いて、「御取次。」と云おうとすると、襖(ふすま)を隔てた次の間から、まるで蟇(がま)が呟(つぶや)くように、「どなたやらん、そこな人。遠慮のうこちへ通らっしゃれ。」と、力のない、鼻へ抜けた、お島婆さんの声が聞えました。そこな人も凄じい。お敏を隠した発頭人。まずこいつをとっちめて、――と云う権幕でしたから、新蔵はずいと上りざまに、夏外套を脱ぎ捨てると、思わず止めようとしたお敏の手へ、麦藁帽子を残したなり、昂然と次の間へ通りました。が、可哀そうなのは後に残ったお敏で、これは境の襖の襖側にぴったりと身を寄せたまま、夏外套や麦藁帽子の始末をしようと云う方角もなく、涙ぐんだ涼しい眼に、じっと天井を仰ぎながら、華奢(きゃしゃ)な両手を胸へ組んで、頻(しきり)に何か祈念でも凝らしているように見えたそうです。
 さて次の間へ通った新蔵は、遠慮なく座蒲団を膝へ敷いて、横柄(おうへい)にあたりを見廻すと、部屋は想像していた通り、天井も柱も煤の色をした、見すぼらしい八畳でしたが、正面に浅い六尺の床があって、婆娑羅大神(ばさらだいじん)と書いた軸の前へ、御鏡が一つ、御酒徳利が一対、それから赤青黄の紙を刻んだ、小さな幣束(へいそく)が三四本、恭しげに飾ってある、――その左手の縁側の外は、すぐに竪川の流でしょう。思いなしか、立て切った障子に響いて、かすかな水の音が聞えました。さて肝腎の相手はと見ると、床の前を右へ外(はず)して、菓子折、サイダア、砂糖袋、玉子の折などの到来物が、ずらりと並んでいる箪笥(たんす)の下に、大柄な、切髪の、鼻が低い、口の大きな、青ん膨(ぶく)れに膨れた婆が、黒地の単衣の襟を抜いて、睫毛(まつげ)の疎(まばら)な目をつぶって、水気の来たような指を組んで、魍魎(もうりょう)のごとくのっさりと、畳一ぱいに坐っていました。さっきこの婆のものを云う声が、蟇(がま)の呟くようだったと云いましたが、こうして坐っているのを見ると、蟇も蟇、容易ならない蟇の怪が、人間の姿を装って、毒気を吐こうとしているとでも形容しそうな気色ですから、これにはさすがの新蔵も、頭の上の電燈さえ、光が薄れるかと思うほど、凄(すさま)しげな心もちがして来たそうです。
 が、勿論それくらいな事は、重々覚悟の前でしたから、「じゃ一つ御覧を願いたい。縁談ですがね。」と、きっぱり云った。――その言葉が聞えないのか、お島婆さんはやっと薄眼を開いて、片手を耳へ当てながら、「何の、縁談の。」と繰返しましたが、やはり同じようなぼやけた声で、「おぬし、女が欲しいでの。」と、のっけから鼻で笑ったと云います。新蔵はじりじり業の煮えるのをこらえながら、「欲しいからこそ、見て貰うんです。さもなけりゃ、誰がこんな――」と、柄(がら)にもない鉄火な事を云って、こちらも負けずに鼻で笑いました。けれども婆は自若として、まるで蝙蝠(こうもり)の翼のように、耳へ当てた片手を動かしながら、「怒らしゃるまいてや。口が悪いはわしが癖じゃての。」と、まだ半ばせせら笑うように、新蔵の言葉を遮(さえぎ)りましたが、それでもようやく調子を改めて、「年はの。」と、仔細(しさい)らしく尋ねたそうです。「男は二十三――酉年です。」「女はの。」「十七。」「卯年よの。」「生れ月(づき)は――」「措(お)かっしゃい。年ばかりでも知りょうての。」婆はこう云いながら、二三度膝の上の指を折って、星でも数えるようでしたが、やがて皮のたるんだ□(まぶた)を挙げて、ぎょろりと新蔵へ眼をくれると、「成らぬてや。成らぬてや。大凶も大凶よの。」と、まず大仰に嚇(おど)かして、それからまた独り呟くように、「この縁を結んだらの、おぬしにもせよ、女にもせよ、必ず一人は身を果そうじゃ。」と、云い切ったろうじゃありませんか。かっとしたのは新蔵で、さてこそ命にかかわると云ったのは、この婆の差金だろうと、見てとったから、我慢が出来ません。じりりと膝を向け直すと、まだ酒臭い顋(あご)をしゃくって、「大凶結構。男が一度惚れたからにゃ、身を果すくらいは朝飯前です。火難、剣難、水難があってこそ、惚れ栄えもあると御思いなさい。」と、嵩(かさ)にかかって云い放しました。すると婆はまた薄眼になって、厚い唇をもぐもぐ動かしながら、「なれどもの、男に身を果された女はどうじゃ。まいてよ、女に身を果された男はの、泣こうてや。吼(ほ)えようてや。」と、嘲笑(あざわら)うような声で云うのです。おのれ、お敏の体に指一本でもさして見ろ――と気負った勢いで、新蔵は婆を睨(ね)めつけながら、「女にゃ男がついています。」と、真向からきめつけると、相手は相不変(あいかわらず)手を組んだまま、悪く光沢(つや)のある頬をにやりとやって、「では男にはの。」と、嘯(うそぶ)くように問い返しました。その時は思わずぞっとしたと、新蔵が後で話しましたが、これは成程あの婆に果し状をつけられたようなものですから、気味が悪かったのには、相違ありますまい。しかもそう問い返した後で、婆は新蔵のひるんだ気色を見ると、黒い単衣の襟をぐいと抜いて、「いかにおぬしが揣(おしはか)ろうともの、人間の力には天然自然の限りがあるてや。悪あがきは思い止らっしゃれ。」と、猫撫声(ねこなでごえ)を出しましたが、急にもう一度大きな眼を仇白く見開いて、「それ、それ、証拠は目のあたりじゃ。おぬしにはあのため息が聞えぬかいの。」と、今度は両手を耳へ当てながら、さも一大事らしく囁いたと云うのです。新蔵は我知らず堅くなって、じっと耳を澄ませましたが、襖一重向うに隠れている、お敏のけはいを除いては、何一つ聞えるものもありません。すると婆は益々眼をぎょろつかせて、「聞えぬかいの。おぬしのような若いのが、そこな石河岸(いしがし)の石の上で、ついているため息が聞えぬかいの。」と、次第に後の箪笥に映った影も大きくなるかと思うほど、膝を進めて来ましたが、やがてその婆臭い□(におい)が、新蔵の鼻を打ったと思うと、障子も、襖も、御酒徳利も、御鏡も、箪笥も、座蒲団も、すべて陰々とした妖気の中に、まるで今までとは打って変った、怪しげな形を現して、「あの若いのもおぬしのように、おのが好色心(すきごころ)に目が眩んでの、この婆に憑(つか)らせられた婆娑羅(ばさら)の大神に逆(さかろ)うたてや。されば立ち所に神罰を蒙って、瞬く暇に身を捨ちょうでの。おぬしには善い見せしめじゃ。聞かっしゃれ。」と云う声が、無数の蠅(はえ)の羽音のように、四方から新蔵の耳を襲って来ました。その拍子に障子の外の竪川へ、誰とも知れず身を投げた、けたたましい水音が、宵闇を破って聞えたそうです。これに荒胆(あらぎも)を挫がれた新蔵は、もう五分とその場に居たたまれず、捨台辞(すてぜりふ)を残すのもそこそこで、泣いているお敏さえ忘れたように、蹌踉(そうろう)とお島婆さんの家を飛び出しました。
 さて日本橋の家へ帰って、明くる日起きぬけに新聞を見ると、果して昨夜竪川に身投げがあった。――それも亀沢(かめざわ)町の樽屋の息子で、原因は失恋、飛びこんだ場所は、一の橋と二の橋との間にある石河岸と出ているのです。それが神経にこたえたのでしょう。新蔵は急に熱が出て、それから三日ばかりと云うものは、ずっと床についていました。が、寝ていても気にかかるのは、申すまでもなくお敏の事で、勿論今となって見れば、何も相手が心変りをしたと云う訣(わけ)じゃなく、突然暇をとったのも、二度とこの界隈へ来てくれるなと云ったのも、皆お島婆さんの作略に相異ないのですから、今更のようにお敏を疑ったのが恥しくもなって来ますし、また一方ではこの自分に何の怨(うらみ)もないお島婆さんが、何故そんな作略をめぐらすのだか、不思議で仕方がなかったそうです。それにつけても人一人身投げをさせて見ているような、鬼婆と一しょにいるのじゃ、今にもお敏は裸のまま、婆娑羅(ばさら)の大神が祭ってある、あの座敷の古柱へ、ぐるぐる巻に括(くく)りつけられて、松葉燻(まつばいぶ)しぐらいにはされ兼ねますまい。そう思うともう新蔵は、おちおち寝てもいられないような気がしますから、四日目には床を離れるが早いか、とにもかくにも泰(たい)さんの所へ、知慧を借りに出かけようとすると、ちょうどそこへその泰さんの所から、電話がかかって来たじゃありませんか。しかもその電話と云うのが、ほかならないお敏の一件で、聞けば昨夜遅くなってから、泰さんの所へお敏が来た。そうして是非一度若旦那に御目にかかって、委細の話をしたいのだが、以前奉公していた御店へ、電話もまさかかけられないから、あなたに言伝(ことづ)てを頼みたい――と云う用向きだったそうです。逢いたいのは、こちらも同じ思いですから、新蔵はほとんど送話器にすがりつきそうな勢いで、「どこで逢うと云うんだろう。」と、一生懸命に問いかけますと、能弁な泰さんは、「それがさ、」とゆっくり前置きをして、「何しろあんな内気な女が、二三度会ったばかりの僕の所へ、尋ねて来ようと云うんだから、よくよく思い余っての上なんだろう。そう思うと、僕もすっかりつまされてしまってね、すぐに待合をとも考えたんだが、婆の手前は御湯へ行くと云って、出て来るんだと聞いて見りゃ、川向うは少し遠すぎるし――と云ってほかに然るべき所もないから、よろしい、僕の所の二階を明渡しましょうって云ったんだが、余り恐れ入りますからとか何とか云って、どうしても承知しない。もっともこりゃ気兼ねをするのも、無理はないと思ったから、じゃどこかにお前さんの方に、心当りの場所でもありますかって尋ねると、急に赤い顔をしたがね。小さな声で、明日の夕方、近所の石河岸(いしがし)まで若旦那様に来て頂けないでしょうかと云うんだ。野天の逢曳(あいびき)は罪がなくって好い。」と、笑を噛み殺した容子(ようす)でした。が、元より新蔵の方は笑う所の騒ぎじゃなく、「じゃ石河岸ときまったんだね。」と、もどかしそうに念を押すと、仕方がないから、そうきめて置いた、時間は六時と七時との間、用が済んだら、自分の所へも寄ってくれと云う返事です。新蔵は礼と一しょに承知の旨を答えると、早速電話を切りましたが、さあそれから日の暮までが、待遠しいの、待遠しくないのじゃありません。算盤(そろばん)を弾く。帳合いを手伝う。中元の進物の差図(さしず)をする。――その合間には、じれったそうな顔をして、帳場格子の上にある時計の針ばかり気にしていました。
 そう云う苦しい思いをして、やっと店をぬけ出したのは、まだ西日の照りつける、五時少し前でしたが、その時妙な事があったと云うのは、小僧の一人が揃えて出した日和下駄(ひよりげた)を突かけて、新刊書類の建看板が未に生乾きのペンキの□(におい)を漂わしている後から、アスファルトの往来へひょいと一足踏み出すと、新蔵のかぶっている麦藁帽子の庇(ひさし)をかすめて、蝶が二羽飛び過ぎました。烏羽揚羽(うばあげは)と云うのでしょう。黒い翅(はね)の上に気味悪く、青い光沢がかかった蝶なのです。勿論その時は格別気にもしないで、二羽とも高い夕日の空へ、揉み上げられるようになって見えなくなるのを、ちらりと頭の上に仰ぎながら、折よく通りかかった上野行の電車へ飛び乗ってしまいましたが、さて須田町で乗換えて、国技館前で降りて見ると、またひらひらと麦藁帽子にまつわるのは、やはり二羽の黒い揚羽でした。が、まさか日本橋からここまで蝶が跡をつけて、来ようなどとは考えませんから、この時もやはり気にとめずに、約束の刻限にはまだ余裕もあろうと云うので、あれから一つ目の方へ曲る途中、看板に藪(やぶ)とある、小綺麗な蕎麦屋(そばや)を一軒見つけて、仕度旁々(かたがた)はいったそうです。もっとも今日は謹んで、酒は一滴も口にせず、妙に胸が閊(つか)えるのを、やっと冷麦(ひやむぎ)を一つ平げて、往来の日足が消えた時分、まるで人目を忍ぶ落人のように、こっそり暖簾(のれん)から外へ出ました。するとその外へ出た所を、追いすがるごとくさっと来て、おやと思う鼻の先へ一文字に舞い上ったのは、今度も黒天鵞絨(くろびろうど)の翅の上に、青い粉を刷いたような、一対の烏羽揚羽なのです。その時は気のせいか、額へ羽搏った蝶の形が、冷やかに澄んだ夕暮の空気を、烏ほどの大きさに切抜いたかと思いましたが、ぎょっとして思わず足を止めると、そのまますっと小さくなって、互にからみ合いながら、見る見る空の色に紛れてしまいました。重ね重ねの怪しい蝶の振舞に、新蔵もさすがに怯気(おじけ)がさして、悪く石河岸なぞへ行って立っていたら、身でも投げたくなりはしないかと、二の足を踏む気さえ起ったと云います。が、それだけまた心配なのは、今夜逢いに来るお敏の身の上ですから、新蔵はすぐに心をとり直すと、もう黄昏(たそがれ)の人影が蝙蝠のようにちらほらする回向院前の往来を、側目もふらずまっすぐに、約束の場所へ駈けつけました。所が駈けつけるともう一度、御影(みかげ)の狛犬(こまいぬ)が並んでいる河岸の空からふわりと来て、青光りのする翅と翅とがもつれ合ったと思う間もなく、蝶は二羽とも風になぐれて、まだ薄明りの残っている電柱の根元で消えたそうです。
 ですからその石河岸の前をぶらぶらして、お敏の来るのを待っている間も、新蔵は気が気じゃありません。麦藁帽子をかぶり直したり、袂(たもと)へ忍ばせた時計を見たり、小一時間と云うものは、さっき店の帳場格子の後にいた時より、もっと苛立(いらだ)たしい思いをさせられました。が、いくら待ってもお敏の姿が見えないので、我知らず石河岸の前を離れながら、お島婆さんの家の方へ、半町ばかり歩いて来ると、右側に一軒洗湯があって、大きく桃の実を描いた上に、万病根治桃葉湯と唐めかした、ペンキ塗りの看板が出ています。お敏が湯に行くのを口実に、家を出ると云ったのは、この洗湯じゃないかと思う。――ちょうどその途端に女湯の暖簾(のれん)をあげて、夕闇の往来へ出て来たのは、紛れもないお敏でした。なりはこの間と変りなく、撫子模様(なでしこもよう)のめりんすの帯に紺絣(こんがすり)の単衣でしたが、今夜は湯上りだけに血色も美しく、銀杏返(いちょうがえ)しの鬢(びん)のあたりも、まだ濡れているのかと思うほど、艶々と櫛目(くしめ)を見せています。それが濡手拭と石鹸の箱とをそっと胸へ抱くようにして、何が怖いのか、往来の右左へ心配そうな眼をくばりましたが、すぐに新蔵の姿を見つけたのでしょう。まだ気づかわしそうな眼でほほ笑むと、つと蓮葉(はすっぱ)に男の側へ歩み寄って、「長い事御待たせ申しまして。」と便なさそうに云いました。「何、いくらも待ちゃしない。それよりお前、よく出られたね。」新蔵はこう云いながら、お敏と一しょに元来た石河岸の方へゆっくり歩き出しましたが、相手はやはり落着かない容子で、そわそわ後ばかり見返りますから、「どうしたんだ。まるで追手でもかかりそうな風じゃないか。」と、わざと調戯(からか)うように声をかけますと、お敏は急に顔を赤らめて、「まあ私、折角いらしって下すった御礼も申し上げないで――ほんとうによく御出で下さいました。」と、それでも不安らしく答えるのです。そこで新蔵も気がかりになって、あの石河岸へ来るまでの間に、いろいろ仔細を尋ねましたが、お敏はただ苦しそうな微笑を洩らして、「こうしている所が見つかって御覧なさいまし。私ばかりかあなたまで、どんな恐しい目に御遇いになるか知れたものではございませんよ。」と、それだけの返事しかしてくれません。その内にもう二人は、約束の石河岸の前へ来かかりましたが、お敏は薄暗がりにつくばっている御影(みかげ)の狛犬(こまいぬ)へ眼をやると、ほっと安心したような吐息をついて、その下をだらだらと川の方へ下りて行くと、根府川石(ねぶかわいし)が何本も、船から挙げたまま寝かしてある――そこまで来て、やっと立止ったそうです。恐る恐るその後から、石河岸の中へはいった新蔵は、例の狛犬の陰になって、往来の人目にかからないのを幸(さいわい)、夕じめりのした根府川石の上へ、無造作(むぞうさ)に腰を下しながら、「私の命にかかわるの、恐しい目に遇うのって、一体どうしたと云う訣(わけ)なんだい。」と、またさっきの返事を促しました。するとお敏はしばらくの間、蒼黒く石垣を浸している竪川(たてかわ)の水を見渡して、静に何か口の内で祈念しているようでしたが、やがてその眼を新蔵に返すと、始めて、嬉しそうに微笑して、「もうここまで来れば大丈夫でございますよ。」と、囁くように云うじゃありませんか。新蔵は狐につままれたような顔をして、無言のままお敏の顔を見返しました。それからお敏が、自分も新蔵の側へ腰をかけて、途切(とぎ)れ勝にひそひそ話し出したのを聞くと、成程二人は時と場合で、命くらいは取られ兼ねない、恐しい敵を控えているのです。
 元来あのお島婆さんと云うのは、世間じゃ母親のように思っていますが、実は遠縁の叔母とかで、お敏の両親が生きていた内は、つき合いさえしなかったものだそうです。何でも代々宮大工だったお敏の父親に云わせると、「あの婆は人間じゃねえ。嘘だと思ったら、横っ腹を見ろ。魚の鱗(うろこ)が生えてやがるじゃねえか。」とかで、往来でお島婆さんに遇ったと云っても、すぐに切火(きりび)を打ったり、浪(なみ)の花を撒(ま)いたりするくらいでした。が、その父親が歿くなって間もなく、お敏には幼馴染(おさななじみ)で母親には姪に当る、ある病身な身なし児の娘が、お島婆さんの養女になったので、自然お敏の家とあの婆の家との間にも、親類らしい往来が始まったのです。けれどもそれさえほんの一二年で、お敏は母親に死なれると、世話をする兄弟もなかったので、百ヶ日もまだすまない内に、日本橋の新蔵の家へ奉公する事になりましたから、それぎりお島婆さんとも交渉が絶えてしまいました。そう云うあの婆の所へ、どうしてまたお敏が行くようになったかは、後で御話しする事にしましょう。
 ところでお島婆さんの素性はと云うと、歿くなった父親にでも聞いて見たらともかく、お敏は何も知りませんが、ただ、昔から口寄せの巫女(みこ)をしていたと云う事だけは、母親か誰かから聞いていました。が、お敏が知ってからは、もう例の婆娑羅(ばさら)の大神と云う、怪しい物の力を借りて、加持(かじ)や占をしていたそうです。この婆娑羅の大神と云うのが、やはりお島婆さんのように、何とも素性の知れない神で、やれ天狗(てんぐ)だの、狐だのと、いろいろ取沙汰もありましたが、お敏にとっては産土神(うぶすながみ)の天満宮の神主などは、必ず何か水府のものに相違ないと云っていました。そのせいかお島婆さんは、毎晩二時の時計が鳴ると、裏の縁側から梯子(はしご)伝いに、竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、紛々と降りしきる霙(みぞれ)の中を、まるで人面の獺(うそ)のように、ざぶりと水へはいると云うじゃありませんか。一度などはお敏が心配して、電燈を片手に雨戸を開けながら、そっと川の中を覗いて見たら、向う岸の並蔵の屋根に白々と雪が残っているだけ、それだけ余計黒い水の上に、婆の切髪の頭だけが、浮巣のように漂っていたそうです。その代りこの婆のする事は、加持でも占でも験(げん)がある――と云うと、善い方ばかりのようですが、この婆に金を使って、親とか夫とか兄弟とかを呪(のろ)い殺したものも大勢いました。現にこの間この石河岸から身を投げた男なぞも、同じ柳橋の芸者とかに思をかけたある米問屋の主人の頼みで、あの婆が造作もなく命を捨てさせてしまったのだそうです。が、どう云う秘密な理由があるのか、一人でもそこで呪い殺された、この石河岸のような場所になると、さすがの婆の加持祈祷でも、そのまわりにいる人間には、害を加える事が出来ません。のみならず、そこでしている事は、千里眼同様な婆の眼にも、はいらずにすむようですから、それでお敏は新蔵を、わざわざこの石河岸へ呼び寄せたと云う次第なのです。
 ではどう云う訣(わけ)でお島婆さんが、それほどお敏と新蔵との恋の邪魔をするかと云いますと、この春頃から相場の高低を見て貰いに来るある株屋が、お敏の美しいのに目をつけて、大金を餌にあの婆を釣った結果、妾(めかけ)にする約束をさせたのだそうです。が、それだけなら、ともかくも金で埓(らち)の開く事ですが、ここにもう一つ不思議な故障があるのは、お敏を手離すと、あの婆が加持も占も出来なくなる。――と云うのは、お島婆さんがいざ仕事にとりかかるとなると、まずその婆娑羅の大神をお敏の体に祈り下して、神憑(かみがか)りになったお敏の口から、一々差図を仰ぐのだそうです。これは何もそうしなくとも、あの婆自身が神憑りになったらよさそうに思われますが、そう云う夢とも現(うつつ)ともつかない恍惚(こうこつ)の境にはいったものは、その間こそ人の知らない世界の消息にも通じるものの、醒めたが最後、その間の事はすっかり忘れてしまいますから、仕方がなくお敏に神を下して、その言葉を聞くのだとか云う事でした。こう云う事情がある以上、あの婆がお敏を手離さないのも、まずもっともと云わなければなりますまい。ところが株屋の方はまたそれがつけ目なので、お敏を妾にする以上、必ずお島婆さんもついて来るに相違ありませんから、そこでこれには相場を占わせて、あわよくば天下を取ろうと云う、色と欲とにかけた腹らしいのです。
 が、お敏の身になって見れば、いかに夢現(ゆめうつつ)の中で云う事にしろ、お島婆さんが悪事を働くのは、全く自分の云いつけ通りにするのですから、良心がなければ知らない事、こんな道具に使われるのは空恐しいのに相違ありません。そう云えば前に御話ししたお島婆さんの養女と云うのも、引き取られるからこの役に使われ通しで、ただでさえ脾弱(ひよわ)いのが益々病身になってしまいましたが、とうとうしまいには心の罪に責められて、あの婆の寝ている暇に、首を縊(くく)って死んだと云う事です。お敏が新蔵の家から暇をとったのは、この養女が死んだ時で、可哀そうにその新仏が幼馴染のお敏へ宛てた、一封の書置きがあったのを幸、早くもあの婆は後釜にお敏を据えようと思ったのでしょう。まんまとそれを種に暇を貰わせて、今の住居へおびき寄せると、殺しても主人の所へは帰さないと、強面(こわおもて)に云い渡してしまったそうです。が、勿論新蔵と堅い約束の出来ていたお敏は、その晩にも逃げ帰る心算(つもり)だったそうですが、向うも用心していたのでしょう。度々入口の格子戸を窺(うかが)っても、必ず外に一匹の蛇が大きなとぐろを巻いているので、到底一足も踏み出す勇気は、起らなかったと云う事です。それからその後も何度となく、隙を狙っては逃げ出しにかかると、やはり似たような不思議があって、どうしても本意が遂げられません。そこでこの頃は仕方がなく何も因縁事と詮めて、泣く泣くお島婆さんの云いなり次第になっていました。
 ところがこの間新蔵が来て以来、二人の関係が知れて見ると、日頃非道なあの婆が、お敏を責めるの責めないのじゃありません。それも打ったりつねったりするばかりか、夜更けを待っては怪しげな法を使って、両腕を空ざまに吊し上げたり、頸のまわりへ蛇をまきつかせたり、聞くさえ身の毛のよ立つような、恐しい目にあわせるのです。が、それよりもさらにつらいのは、そう云う折檻(せっかん)の相間(あいま)相間に、あの婆がにやりと嘲笑(あざわら)って、これでも思い切らなければ、新蔵の命を縮めても、お敏は人手に渡さないと、憎々しく嚇(おど)す事でした。こうなるとお敏も絶体絶命ですから、今までは何事も宿命と覚悟をきめていたのが、万一新蔵の身の上に、取り返しのつかない事でも起っては大変と、とうとう男に一部始終を打ち明ける気になったのです。が、それも新蔵が委細を聞いた後になって、そう云う恐しい事をする女かと、嫌いもし蔑(さげす)みもしそうでしたから、いよいよ泰(たい)さんの所へ駈けつけるまでには、どのくらい思い迷ったか、知れないほどだったと云う事でした。
 お敏はこう話し終ると、またいつものように蒼白くなった顔を挙げて、じっと新蔵の眼を見つめながら、「そう云う因果な身の上なのでございますから、いくらつらくっても悲しくっても、何もなかった昔と詮めて、このまま――」と云いかけましたが、もう我慢が出来なくなったと見えて、男の膝へすがったなり、袖を噛んで泣き出しました。途方(とほう)に暮れたのは新蔵で、しばらくはただお敏の背をさすりながら、叱ったり励ましたりしていたものの、さてあのお島婆さんを向うにまわして、どうすれば無事に二人の恋を遂げる事が出来るかと云うと、残念ながら勝算は到底ないと云わなければなりません。が、勿論お敏のためにも弱味を見すべき場合ではないので、無理に元気の好い声を出しながら、「何、そんなに心配おしでない。長い間にはまた何とか分別もつこうと云うものだから。」と、一時のがれの慰めを云いますと、お敏はようやく涙をおさめて、新蔵の膝を離れましたが、それでもまだ潤み声で、「それは長い間でしたら、どうにかならない事もございますまいが、明後日の夜はまた家の御婆さんが、神を下すと云って居りましたもの。もしその時私がふとした事でも申しましたら――」と、術なさそうに云うのです。これには新蔵も二度吐胸(とむね)を衝いて、折角のつけ元気さえ、全く沮喪(そそう)せずにはいられませんでした。明後日と云えば、今日明日の中に、何とか工夫(くふう)をめぐらさなければ、自分は元よりお敏まで、とり返しのつかない不幸の底に、沈淪しなければなりますまい。が、たった二日の間に、どうしてあの怪しい婆を、取って抑える事が出来ましょう。たとい警察へ訴えたにしろ、幽冥(ゆうめい)の世界で行われる犯罪には、法律の力も及びません。そうかと云って社会の輿論(よろん)も、お島婆さんの悪事などは、勿論哂(わら)うべき迷信として、不問に附してしまうでしょう。そう思うと新蔵は、今更のように腕を組んで、茫然とするよりほかはありませんでした。そう云う苦しい沈黙が、しばらくの間続いた後で、お敏は涙ぐんだ眼を挙げると、仄(ほの)かに星の光っている暮方の空を眺めながら、「いっそ私は死んでしまいたい。」と、かすかな声で呟きましたが、やがて物に怯(おび)えたように、怖々(おずおず)あたりを見廻して、「余り遅くなりますと、また家の御婆さんに叱られますから、私はもう帰りましょう。」と、根も精もつき果てた人のように云うのです。成程そう云えばここへ来てから、三十分は確かに経ちましたろう。夕闇は潮の□(におい)と一しょに二人のまわりを立て罩(こ)めて、向う河岸(がし)の薪(たきぎ)の山も、その下に繋(つな)いである苫船(とまぶね)も、蒼茫たる一色に隠れながら、ただ竪川の水ばかりが、ちょうど大魚の腹のように、うす白くうねうねと光っています。新蔵はお敏の肩を抱いて、優しく唇を合せてから、「ともかくも明日の夕方には、またここまで来ておくれ。私もそれまでには出来るだけ、知慧を絞(しぼ)って見る心算(つもり)だから。」と、一生懸命に力をつけました。お敏は頬の涙の痕(あと)をそっと濡手拭で拭きながら、無言のまま悲しそうに頷きましたが、さて悄々根府川石から立上って、これも萎(しお)れ切った新蔵と一しょに、あの御影の狛犬の下を寂しい往来へ出ようとすると、急にまた涙がこみ上げて来たのでしょう。夜目にも美しい襟足を見せて、せつなそうにうつむきながら、「ああ、いっそ私は死んでしまいたい。」と、もう一度かすかにこう云いました。するとその途端です。さっき二羽の黒い蝶が消えた、例の電柱の根元の所に、大きな人間の眼が一つ、髣髴(ほうふつ)として浮び出したじゃありませんか。それも睫毛(まつげ)のない、うす青い膜がかかったような、瞳の色の濁っている、どこを見ているともつかない眼で、大きさはかれこれ三尺あまりもありましたろう。始は水の泡のようにふっと出て、それから地の上を少し離れた所へ、漂うごとくぼんやり止りましたが、たちまちそのどろりとした煤色の瞳が、斜に眥(まなじり)の方へ寄ったそうです。その上不思議な事には、この大きな眼が、往来を流れる闇ににじんで、朦朧(もうろう)とあったのに関らず、何とも云いようのない悪意の閃きを蔵しているように見えました。新蔵は思わず拳を握って、お敏の体をかばいながら、必死にこの幻を見つめたと云います。実際その時は総身の毛穴へ、ことごとく風がふきこんだかと思うほど、ぞっと背筋から寒くなって、息さえつまるような心もちだったのでしょう。いくら声を立てようと思っても、舌が動かなかったと云う事でした。が、幸その眼の方でも、しばらくは懸命の憎悪を瞳に集めて、やはりこちらを見返すようでしたが、見る見る内に形が薄くなって、最後に貝殻のような□(まぶた)が落ちると、もうそこには電柱ばかりで、何も怪しい物の姿は見えません。ただ、あの烏羽揚羽(うばあげは)のような物が、ひらひら飛び立ったように見えたそうですが、それは事によると、地を掠(かす)めた蝙蝠(こうもり)だったかも知れますまい。その後で新蔵とお敏とは、まるで悪い夢からでも醒めたように、うっとり色を失った顔を見合せましたが、たちまち互の眼の中に恐しい覚悟の色を読み合うと、我知らずしっかり手をとり交して、わなわな身ぶるいしたと云う事です。
 それから三十分ばかり経った後、新蔵はまだ眼の色を変えたまま、風通しの好い裏座敷で、主人の泰さんを前にしながら、今夜出合ったさまざまな不思議な事を、小声でひそひそと話していました。二羽の黒い蝶の事、お島婆さんの秘密の事、大きな眼の幻の事――すべてが現代の青年には、荒唐無稽(こうとうむけい)としか思われない事ですが、兼ねてあの婆の怪しい呪力(じゅりき)を心得ている泰さんは、さらに疑念を挟む気色もなく、アイスクリイムを薦(すす)めながら、片唾(かたず)を呑んで聞いてくれるのです。「その大きな眼が消えてしまうと、お敏はまっ蒼な顔をして、『どうしましょう。ここであなたと御目にかかったのが、もう御婆さんに知れてしまいました。』と云うんだ。が、僕は『こうなったが最後、あの婆と我々との間には、戦争が始まったのも同様なんだから、知れようが知れまいが、かまうもんか。』って威張ったんだがね。困った事には今も話した通り、僕は明日またあの石河岸で、お敏と落合う約束がしてあるだろう。ところが今夜の出合いがあの婆に見つかったとなると、恐らく明日はお敏を手放して、出さないだろうと思うんだ。だからよしんばあの婆の爪の下から、お敏を救い出す名案があってもだね、おまけにその名案が今日明日中に思いついたにしてもだ。明日の晩お敏に逢えなけりゃ、すべての計画が画餅(がへい)になる訣(わけ)だろう。そう思ったら、僕はもう、神にも仏にも見放されたような心もちがしてね。お敏に別れてここへ来るまでの間も、まるで足は地に着いていないような心もちだった。」――新蔵はこう委細(いさい)を話し終ると、思い出したように団扇(うちわ)を使いながら、心配そうに泰さんの顔を窺(うかが)いました。が、泰さんは存外驚かずに、しばらくはただ軒先の釣荵(つりしのぶ)が風にまわるのを見ていましたが、ようやく新蔵の方へ眼を移すと、それでもちょいと眉をひそめて、「つまり君が目的を達するにゃ、三重の難関がある訣だね。第一に君はお島婆さんの手から、安全にだね、安全にお敏さんを奪い取らなければならない。第二にそれも明後日までには、是非共実行する必要がある。それからその実行上の打合せをするために、明日中にお敏さんに逢って置きたい、――と云うのが第三の難関だろう。そこでこの第三の難関はだね。第一第二の難関さえ切り抜けられりゃ、どうにでもなると思うんだ。」と、自信があるらしい口調で云うのです。新蔵はまだ浮かない顔をしたまま、「どうして?」と、疑わしそうに尋ねました。すると泰さんは面憎いほど落着いた顔をして、「何、訣(わけ)はありゃしない。君が逢えなけりゃ――」と云いかけましたが、急にあたりを見廻しながら、「こうっと、こりゃいざと云う時まで伏せて置こう。どうもさっきからの話じゃ、あの婆め、君のまわりへ厳重に網を張っているらしいから、うっかりした事は云わない方が好さそうだ。実は第一第二の難関も破って破れなくはなさそうに思うんだが。――まあ、まあ、万事僕に任(まか)せて置くさ。それより今夜は麦酒(ビール)でも飲んで、大いに勇気を養って行き給え。」と、しまいにはさも気楽らしい笑に紛(まぎら)してしまうじゃありませんか。新蔵は勿論それを、もどかしくも腹立たしくも思いましたが、さてその麦酒が始まって見ると、やはり泰さんの用心がもっともだったと思うような事が起りました。と云うのは二人の間に浮かない世間話が始まってから、ふと泰さんが気がつくと、燻(いぶ)し鮭(さけ)の小皿と一しょに、新蔵の膳に載って居るコップがもう泡の消えた黒麦酒をなみなみと湛えたまま、口もつけずに置いてあります。そこで泰さんが水の垂れる麦酒罎(ビールびん)の尻をとって、「さあ、ちっと陽気に干そうじゃないか。」と、相手を促した時の事でした。何気なくそのコップをとり上げた新蔵が、ぐいと一息に飲もうとすると、直径二寸ばかりの円を描いた、つらりと光る黒麦酒の面に、天井の電燈や後の葭戸(よしど)が映っている――そこへ一瞬間、見慣れない人間の顔が映ったのです。いや、もっと精密に云えばただ見慣れない顔と云うだけで、人間かどうかもはっきりとはわかりません。こちらの考え方一つでは、鳥とでも、獣とでも、乃至(ないし)は蛇や蛙とでも、思って思えない事はないのです。それも顔と云うよりは、むしろその一部分で、殊に眼から鼻のあたりが、まるで新蔵の肩越しにそっとコップの中を覗いたかのごとく、電燈の光を遮(さえぎ)って、ありありと影を落しました。こう云うと長い間の事のようですが、前にも云った通りほんの一瞬間で、何とも判然しない物の眼が、直径二寸の黒麦酒の円の中から、ちらりと新蔵の眼を窺ったと思うと、たちまち消え失せてしまったのです。新蔵は飲もうとしたコップを下へ置いて、きょろきょろ前後を見廻しました。が、電燈も依然として明るければ、軒先の釣荵(つりしのぶ)も相不変(あいかわらず)風に廻っていて、この涼しい裏座敷には、さらに妖臭(ようしゅう)を帯びた物も見当りません。「どうした。虫でもはいったんじゃないか。」――こう泰さんに尋ねられた新蔵は、仕方なく額の汗を拭って、「何、妙な顔がこの麦酒に映ったんだ。」と、恥しそうに答えました。これを聞くと泰さんは、「妙な顔が映った?」と反響のように繰返しながら、新蔵のコップを覗きこみましたが、元より今はそう云う泰さんの顔のほかに、顔らしいものは何も映りません。「君の神経のせいじゃないか。まさかあの婆も、僕の所までは手を出しゃしなかろう。」「だって君は今も自分でそう云ったじゃないか。僕の体のまわりにゃ、抜け目なくあの婆が網を張っているからって。」「大きにそうだっけ。だがまさか――まさかその麦酒のコップへ、あの婆が舌を入れて、一口頂戴したって次第でもなかろう。それならかまわないから、干してしまい給え。」――こう云う具合に泰さんは、いろいろ沈んだ相手の気を引き立てようとしましたが、新蔵は益々ふさぐ一方で、とうとうそのコップも干さない内に、もう帰り仕度をし始めました。そこで泰さんもやむを得ず、呉々(くれぐれ)も力を落さないようにと、再三親切な言葉を添えてから、電車では心もとないと云うので、車まで云いつけてくれたそうです。
 その晩は寝ても、妙な夢ばかり見て、何度となくうなされましたが、それでもようやく朝になると、新蔵は早速泰さんの所へ、昨夜の礼旁々(かたがた)電話をかけました。すると電話に出て来たのは、泰さんの店の番頭で、「旦那(だんな)は今朝ほど早く、どちらかへ御出かけになりました。」と云う挨拶(あいさつ)なのです。新蔵はもしやお島婆さんの所へでも、行ったのじゃないかと思いましたが、打ち明けてそう尋ねる訣(わけ)にも行かず、また尋ねたにした所で、余人の知っている筈もありませんから、帰り□々(そうそう)知らせてくれるようにと、よく番頭に頼んで置いて、一まず電話を切ってしまいました。所がかれこれ午近くになると、今度は泰さんから電話がかかって来て、案の定今朝お島婆さんの所へ、家相を見て貰いに行ったと云うのです。「幸、お敏さんに会ったからね、僕の計画だけは手紙にして、そっとあの人の手に握らせて来たよ。返事は明日でなくっちゃわからないが、何しろ非常の場合だから、お敏さんも振って引受けそうなもんだ。」――こう云う泰さんの言葉を聞いていると、いかにも万事が好都合に運びそうな気がしますから、いよいよ新蔵はその計画と云うのが知りたくなって、「一体何をどうする心算(つもり)なんだ。」と尋ねますと、泰さんはやはり昨夜のように、電話でもにやにや笑っている容子(ようす)で、「まあ、もう二三日待ち給え。あの婆が相手じゃ、電話だって油断がならないからね。じゃいずれまた僕の方から、電話をかける事にしよう。さようなら。」と云う始末なのです。電話を切った新蔵は、いつもの通りその後で、帳場格子(ちょうばごうし)の後へ坐りましたが、さあここ二日の間に自分とお敏との運命がきまるのだと思うと、心細いともつかず、もどかしいともつかず、そうかと云って猶更(なおさら)また嬉しいともつかず、ただ妙にわくわくした心もちになって、帳面も算盤(そろばん)も手につきません。そこでその日は、まだ熱がとれないようだと云うのを口実に、午から二階の居間で寝ていました。が、その間でも絶えず気になったのは、誰かが自分の一挙一動をじっと見つめているような心もちで、これは寝ていると起きているとに関らず、執念深くつきまとっていたそうです。現に午過ぎの三時頃には、確かに二階の梯子段(はしごだん)の上り口に、誰か蹲(うずくま)っているものがあって、その視線が葭戸越(よしどご)しに、こちらへ向けられているようでしたから、すぐに飛び起きて、そこまで出て行って見ましたが、ただ磨きこんだ廊下(ろうか)の上に、ぼんやり窓の外の空が映っているだけで、何も人間らしいものは見えませんでした。
 こう云う具合でその翌日になると、益々新蔵は気が気でなくなって、泰さんの電話がかかるのを今か今かと待っていましたが、ようやく昨日と同じ刻限(こくげん)になって、約束通り電話口へ呼び出されました。しかし出て見ると泰さんは、昨日よりさらに元気の好い声で、「とうとう君、お敏さんの返事があってね、一切僕の計画通り実行する事になったよ。何、どうして返事を受取った? また用を拵(こしら)えて、僕自身あの婆の所へ出馬したのさ。すると昨日手紙で頼んであるから、取次に出たお敏さんが、すぐに僕の手へ返事を忍ばせたんだ。可愛い返事だぜ。平仮名で『しょうちいたしました』と書いてある――」と、得意らしく弁じ立てるのです。
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