机の前の裸は語る
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著者名:尾形亀之助 

 私はこの九月末か十月初め頃までの間に、かびのついたするめのやうな昨年と今年との作品十数篇からなる表題未定の一本を四五十部印刷して、これを最後の集として年来親しくしてもらつた友人へ贈呈する。大正十三年に「色ガラスの街」――昭和四年に「雨になる朝」――そして、この表題未定の一本を最後とすることには何の意味もない。もうこれでたくさんだといふことゝ、自分の将来にもさうしたことをする義務もなければ何もないといふことをはつきり考へたにすぎない。

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 本を読むといふことは、勉強だとか趣味だとかいふすべてをふくんで、料理されたものを食ふといふことよりもはるかに馬鹿げてゐる。――といふことに私は少しばかり気がついた。
 例をあげれば、五十銭出して本を買ふといふことは、多くの場合銭を出したばかりでなく、その上その内容を読まされるといふことになる。だが、かうした取引の九分九厘――大部分の読者にはその全部の場合発行者又はその筆者の方から銭を出して、さあこれを上げるから読んで呉れとなるべきではなからうか。それなのに、うかつにも銭を出したり読まされたりしてゐることは全く馬鹿げてゐる。それよりも五十銭で何か食ふ方が利口だ――と。殊に「勉強」のためとあつてはなほのことさうした場合が多さうではないか、と。
 又、本そのものの内容に至つては、それを読んでゐる間の煙草代コーヒー代は勿論一日又は二日の生活費を出してまだ足らぬといふしろものの如何に多きや云云――といふ次第ではないでせうか。こんなこと言つてわるいんですけれども――。

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 贈呈されたもののお礼、季節の見舞ひのお礼はいつも筆ぶしよう。例へば月末に金を取りにくるから新聞を取るのをやめや(ママ)うと思つてゐるといふやうなわけ、米屋酒屋へも亦同じ。おゆるし下さい。
(一九三〇、八月十日)(詩神第六巻十号 昭和5年10月発行)



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