色ガラスの街
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著者名:尾形亀之助 

詩集<色ガラスの街>尾形亀之助此の一巻を父と母とに捧ぐ序の一 りんてん機とアルコポン× りんてん機は印刷機械です× ア[#「ア」に丸傍点]ルコポンはナ[#「ナ」に丸傍点]ルコポン(魔酔薬)の間違ひです私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐました そして 十月の始めには出来上るやうにと思つてゐたので 逢う[#「う」に「ママ」の注記]人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました 十月になつてしまつたと思つてゐるうちに十二月が近くなりました それでも私はまだ 雑誌の形ででもよいと思つてゐるのです×そしてそんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのですで 今私はここで小学生の頃 まはれ右[#「まはれ右」に傍点]を間違へたときのことを再び思ひ出します          一千九百二十五年十一月序の二 煙草は私の旅びとである朝早くから雨が降つてゐたそして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに 私と私の妻がゐる 私は二階の書斎に 妻は台所にゐるこれは人のゐない街だ一人の人もゐない、犬も通らない丁度ま夜中の街をそのままもつて来たやうな気味のわるい街です街路樹も緑色ではなく 敷石も古る[#「る」に「ママ」の注記]ぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐる どことなく顔のやうな街です 風も雨も陽も ひよつとすると空もない平らな腐れた花の匂ひのする街です何時頃から人が居なくなつたのか 何故居なくなつたのか 少しもわからない街です       *   *                *   *それは「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく私の旅びとであるそして私の退屈を淋しがらせるのです八角時計私は交番所のきたない八角時計の止つてゐるのを見たことがないもちろん――私はことさらに交番をのぞくことを好まない×八角時計は 何年か以前の記憶かも知れない明るい夜一人 一人がまつたく造花のよ[#「よ」に「ママ」の注記]うで手は柔らかく ふくらんでゐてしなやかに夜気が蒸れる煙草とあついお茶とこれは――カステーラのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに明るい夜だ散歩とつぴなそして空想家な育ちの心は女に挨拶をしてしまつたたしかに二人は何処かで愛しあつたことがあつた筈だと言ふのですがそのつれの男と言ふのが口髭などをはやして子供だと思つて油断をしてゐたカフヱーのボーイにそつくりなのです音のしない昼の風景工場の煙突と それからもう一本遠くの方に煙突を見つけてそこまで引いていつた線は唖が 街で唖の友達に逢つたよ[#「よ」に「ママ」の注記]うな十二月の無題詩十二月のダンダラ      ――DANDARAそれは少女の黄色い腰をつつむ一ペンのネル[#「ネル」に傍点]である×穴のあいたよ[#「よ」に「ママ」の注記]うな十二月の昼の曇天に私はうつかり相手に笑ひかける春(春になつて私は心よくなまけてゐる)私は自分を愛してゐるかぎりなく愛してゐるこのよく晴れた春――私は空ほどに大きく眼を開いてみたいそして書斎は私の爪ほどの大きさもなく掌に春をのせて驢馬に乗つて街へ出かけて行きたい題のない詩話はありませんか――やせた女の……でやせた女は慰めもなく肌も寂しく襟をつくろひますありませんか――ありませんか――静かに夕方ににじむやせた女の――話は夜の庭へ墜ちた煙草の吸ひがら夜る[#「る」に「ママ」の注記]少し風があつたので私はうつかり二階の窓からすてた煙草の吸ひがらが気がかりになりました―――――――ねづ[#「づ」に「ママ」の注記]みの糞を庭に埋めたら豆が生えそしてのびのび のびあがつて雲の上で花が咲いて実がなつたそして実がはじけて地べたにころがり落ちた―――――――それが今――私の捨てた火のついた煙草の吸ひがらだつたのです昼の部屋女は 私に白粉の匂ひをかがさうとしてゐるらしい――女・女(スプーンがちよつと鉛臭いことがありますが それとはちがひますか)午後の陽は ガラス戸越に部屋に溜つてそとは明るい昼なのです夜半 私は眼さめてゐるさびた庖丁で 犬の吠え声を切りに月夜の庭に立ちすくむ――×これは きつと病気だあの女の顔が青かつたキツスから うつつたのだ×夜半 私はそのことで眼を醒ましました煙草私が煙草をすつてゐると少女は けむい[#「けむい」に傍点]と云ひます昼ちよつと前ですすてきな陽気です×マツチの箱はからで五月頃の空気がいつぱいつまつてゐるこのうすつぺらな昼やすみちよつと前の体操場はひつそりして きれいに掃除がしてある秋円い山の上に旗が立つてゐる空はよく晴れわたつて子供等の歌が聞えてくる紅葉(もみじ)を折つて帰る人は乾いた路を歩いてくる秋は 綺麗にみがいたガラスの中です病気ヤサシイ娘ニイダカレテヰル トコロカラ私ノ病気ガ始マリマシタ私ハ バイキンノカタマリニナツテ娘ノ頬ノトコロニ飛ビツキマシタ娘ハ私ヲ ホクロトマチガヘテ丁度ヨイトコロニイ[#「イ」に「ママ」の注記]ル私ヲ中心ニシテ化粧ヲシマス寂しすぎる雨は私に降る――私の胸の白い手の上に降る×私は薔薇を見かけて微笑する暗示をもつてゐない正しい迷信もないそして 寝床の中でうまい話ばかり考へてゐる猫の眼月嵐がやんで大きくくぼんだ空に低く 猫の眼のよ[#「よ」に「ママ」の注記]うな月が出てゐる私の静物をぬすんでいつたのはお前にちがひない――嵐のあとをお前がいくら猫の眼に化けてもお前に眼鏡をとられるよ[#「よ」に「ママ」の注記]うなことのないやうにさつきから用心してゐる隣の死にそ[#「そ」に「ママ」の注記]うな老人隣りに死にそ[#「そ」に「ママ」の注記]うな老人がゐるどうにも私はその老人が気になつてたまらない力のない足音をさせたりこそこそ戸をあけて這入つていつてそのまま音が消えてしまつたりする逢ふまいと思つてゐるのに不思議によく出あふそしてうつかりすると私の家に這入つてきそ[#「そ」に「ママ」の注記]うになるある来訪者への接待どてどてとてたてててたてたたてとててれてれたとことことららんぴぴぴぴ ぴとつてんととのぷんんんんん んてつれとぽんととぽれみみみららららからからからごんとろとろろぺろぺんとたるるて一本の桔梗を見るかはいそ[#「そ」に「ママ」の注記]うな囚人が逃げた一直線に逃げた×雨の中の細路のかたはら草むらに一本だけ桔梗が咲いてゐる昼の雨土手も 草もびつしよりぬれてほそぼそと遠くまで降つてゐる雨雨によどんだ灰色の空松林の中では祭りでもありそ[#「そ」に「ママ」の注記]うだ曇天遠くの停車場では青いシルクハツトを被つた人達でいつぱいだ晴れてはゐてもそのためにどこかしらごみごみしく無口な人達ではあるがさはがしくうす暗い停車場はいつそう暗い美く[#「く」に「ママ」の注記]しい人達は顔を見合せてゐるらしい月が落ちてゆく赤や青やの灯のともつた低い街の暗ら[#「ら」に「ママ」の注記]がりのなかに倒しまになつたまま落ちてしまひそ[#「そ」に「ママ」の注記]うになつてゐる三日月はいそいでゆけば拾ひ[#「ひ」に「ママ」の注記] そ[#「そ」に「ママ」の注記]うだ三日月の落ちる近くを私の愛人が歩いてゐるでも きつと三日月の落ちかかつてゐるのに気がついてゐないから私が月を見てゐるのを知らずにゐます彼は待つてゐる彼は今日私を待つてゐる今日は来る と思つてゐるのだが私は今日彼のところへ行かれない彼はコツプに砂糖を入れてそれに湯をさしてニユームのしやじでガジヤガジヤとかきまぜながら細い眼にしは[#「は」に「ママ」の注記]をよせてコツプの中の薄く濁つた液体を透して空を見るのだ新しい時計が二時半彼の時計も二時半彼と私はそのうちに逢ふのです螻蛄(おけら)が這入つて来た秋になつた――螻蛄がこそこそ這入つて来たくだのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うなからだを引きずつて這入つて来た遠慮でもしてゐるよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに頭のところにばかりついてゐる足を動かして近路をしに部屋に這入つて来たよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに気がねそ[#「そ」に「ママ」の注記]うに歩いて 春私は椅子に坐つてゐる足は重くたれて淋び[#「び」に「ママ」の注記]しくゐる私は こ[#「こ」に「ママ」の注記]うした私に反抗しない私はよく晴れた春を窓から見てゐるのです天国は高い高い建物の上は夕陽をあびてそこばかりが天国のつながりのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに金色に光つてゐる街は夕暮だ妻よ――私は満員電車のなかに居る私 私はそのとき朝の紅茶を飲んでゐた私の心は山を登るそして私の心は少しの重みをもつて私について来る×十一月の晴れわたつた朝私は新ら[#「ら」に「ママ」の注記]しい洋服にそでをとほしてゐる×髪につけた明るいりぼん[#「りぼん」に傍点]に私の心は軽る[#「る」に「ママ」の注記]い私は待つ時間の中に這入つてゐるひつそりした電車の中です未だ 私だけしか乗つてはゐません赤い停車場の窓はみなとざされてゐて丁度――これから逢ひにゆく友が部屋のなかに本を読んでゐるのですが煙草を吸ふことを忘れてゐるので何か退屈そ[#「そ」に「ママ」の注記]うにしてゐます春の街の飾窓顔をかくしてゐるのは誰です私の知つてゐる人ではないと思ふのですがその人は私を知つてゐさうです―――――――犬の影が私の心に写つてゐる明るいけれども 暮れ方のやうなもののただよつてゐる一本のたて[#「たて」に傍点]の路――柳などが細々とうなだれて 遠くの空は蒼ざめたがらすのやうにさびしく白い犬が一匹立ちすくんでゐるおゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい×私は 雲の多い月夜の空をあはれなさけび声をあげて通る犬の群の影を見たことがある五月の花婿青い五月の空に風が吹いてゐる陽ざしのよい山のみねを歩いてゐる ガラスのきやしや[#「きやしや」に傍点]な人は金魚のやうにはなやかで新ら[#「ら」に「ママ」注記]しい時計のよ[#「よ」に「ママ」注記]うに美く[#「く」に「ママ」注記]しいガラスのきやしや[#「きやしや」に傍点]な人は五月の気候の中を歩いてゐる無題詩ある詩の話では毛を一本手のひらに落してみたといふのですそして手のひらの感想をたたいてみたら手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと十二月の路のつぺりと私をたいらにする影はいつたい何です蝶のかげでせうかそれとも 少女の微笑なのかしら晴れた十二月の路に私のかげは潰されたよりずつと平らです五月或る夕暮なまぬるい風が吹いて来たそして部屋の中へまでなまぬるい風が流れこんできた太陽が――馬鹿のよ[#「よ」に「ママ」注記]うな太陽が遠くの煙突の所に沈みかけてゐた無題詩から壜の中は曇天のやうな陽気でいつぱいだま昼の原を掘る男のあくびだ昔――空びんの中に祭りがあつたのだ美しい娘の白歯うつかり話もしかけられない気むず[#「ず」に「ママ」注記]かしやの白い美しい歯なみはまつたく憎らしい今日は針の気げんがわるい今日は針の気げんがわるい三度も指をつついてしまつたしなかなか 糸もとほらなかつたプッツ プッツ プッツ プッツ ――針は布をくぐつては気げんのわるい顔を出しました「お婆さん お茶にしませう」と針がだがお婆さんは耳が遠いので聞えません女の顔は大きい私は馬車の中で妻を盗まれた男から話をしかけられてゐるだんだん話を聞いてゐるうちに妻を盗まれたのはどうも私であるらしいで――それはほんのちよつと前のことだとその男が云ふのでした×私は いつのまに馬車を降りたのか妻の顔を恥かしそ[#「そ」に「ママ」注記]うに見てゐましたとぎれた夢の前に立ちどまる月あかりの静かな夜る[#「る」に「ママ」注記]――私はとぎれた夢の前に立ちどまつてゐる×闇は唇のやうにひらけ白い大きな花が私から少し離れて咲いてゐる私の立つてゐるところは極く小さい島のもり上つた土の上らしい×私は鉛のやうに重も[#「も」に「ママ」注記]たい×死んだやうに静かすぎる私は消えてしまい[#「い」に「ママ」注記]さうな気がする×たくさんの――烏だたくさんのねずみだ一本の煙突だ×一人の馬鹿者だ夢がとぎれてゐる二人の詩薄氷のはつてゐるやうな二人二人は淋みしい二人の手は冷め[#「め」に「ママ」注記]たい二人は月をみている顔が私は机の上で顔に出逢ひます顔はいつも眠むさうな喰べすぎを思はせる太つた顔です――でそれに就いて ゆつたり煙草をのむにはよい そしてほのぼのと夕陽の多い日などは暮れる×夜る[#「る」に「ママ」注記]燈を消して床に這入つて眼をつぶるとちよつとの間その顔が少し大きくなつて私の顔のそばに来てゐます或る話(辞書を引く男が疲れてゐる)「サ」の字が沢山列らんでゐたサ・サ・サ・サ・サ・・・・・・とそこへ黄色の服を着た男が路を尋ねに来たのですでもどの「サ」も知つてゐません黄色の服はいつまでも立つてゐましたああ――どうしたことか黄色い服には一つもボタンがついてゐないのです雨降り地平線をたどつて一列の楽隊が ぐずぐず してゐたそのために三日もつづいて雨降りだ秋の日は静か私は夕方になると自分の顔を感じる顔のまん中に鼻を感じる噴水の前のベンチに腰をかけて私は自分の運命をいろいろ考へた夕暮に立つ二人の幼い女の子の話を聞く夕暮れの街に幼い女の子が二人話をしてゐます「私 オチンチン[#「オチンチン」に傍点]嫌い[#「い」に「ママ」注記]よ」と醜い方の女の子が云つてゐます「………………」もう一人の女の子が何んと云つたか私はそこを通り過ぎてしまひましたきつと――この醜い方の女の子はちよつと前まで遊んでゐた男の子にあまり好かれなかつたのだそして「私オチンチン[#「オチンチン」に傍点]嫌い[#「い」に「ママ」注記]よ」と云はれてゐるもう一人の女の子は男の子に好かれたために当然オチンチン[#「オチンチン」に傍点]好きなことになつてしまつてその返事のしよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに困ってゐたのにちがひない寒む[#「む」に「ママ」注記]い風に吹かれて明るい糸屋の店先きに立つて話してゐる幼い女の子達よ返事に困つてゐる女の子に返事を強ひないで呉れ給へ一日君は何か用が出来て来なかつたのか俺は一日中待つてゐたそして夕方になつたがそれでも 暗くなつても来るかも知れないと思つて待つてゐた待つてゐてもとうとう君は来なかつた君と一緒に話しながら食はふ[#「ふ」に「ママ」注記]と思つた葡萄や梨は妻と二人で君のことを話しながら食べてしまつた白い手うとうと と眠りに落ちそ[#「そ」に「ママ」注記]うな昼――私のネクタイピンをそつとぬかうとするのはどなたの手ですどうしたことかすつかり疲れてしまつて首があがらないほどですねレモンの汁を少し部屋にはじいて下さい十一月の晴れた十一時頃じつと私をみつめた眼を見ましたいつか路を曲がらうとしたとき突きあたりさうになつた少女のちよつとだけではあつたが私の眼をのぞきこんだ眼です私は 今日も眼を求めてゐた十一月の晴れわたつた十一時頃の室に風風はいつぺんに十人の女に恋することが出来る男はとても風にはかなはない夕方――やはらかいショールに埋づめた彼女の頬を風がなでてゐたそして 生垣の路を彼女はつつましく歩いていつたそして 又路を曲ると風が何か彼女にささやいたああ 俺はそこに彼女のにつこり微笑したのを見たのだ風は彼女の化粧するまを白粉をこぼしたり耳に垂れたほつれ毛をくはへたりする風は彼女の手袋の織目から美しい手をのぞきこんだりするそして 風は私の書斎の窓をたたいて笑つたりするのですある男の日記妻をめとればおとなしくなる――私は きげんのよい蝿にとりまかれて昼飯の最中です昼 床にゐる今日は少し熱がありますちよつと風邪きみなのでせう明るい二階に昼すぎまで寝て居りました少女の頬のぬくみはこの床のぬくみに似てゐるのかしら私は やはらかいぬくみの中に体をよこたへて魚のよ[#「よ」に「ママ」注記]うに夢を見てゐました「化粧には松の花粉がよい百合の花のをしべ[#「をしべ」に傍点]を少し唇にぬつてごらんなさい」 とそして私はちかく坐る少女を夢みてぼんやりしてゐるぬるい昼の部屋は窓から明りをすすつて私のかるい頭痛は静かに額に手をのせる無題詩夜になると訪ねてくるものがある気づいて見るとなるほど毎夜訪ねてくる変ん[#「ん」に「ママ」の注記]なものがあるそれは ごく細い髪の毛かさもなければ遠くの方で土を堀り[#「堀」に「ママ」注記]かへす指ださびしいのださびしいから訪ねて来るのだ訪ねて来てもそのまま消えてしまつていつも私の部屋にゐる私一人だ四月の原に私は来てゐる過去は首のない立像だ或る年ていねいに恋は 青草ののびた土手に埋められたそれからは毎年そこへ萠へ[#「へ」に「ママ」注記]出づる毒草があるのです青い四月の空の下に南風がそこの土手を通るときゆらゆらゆれながら人を喰ふやうな形をして咲いてゐる花がそれなのです馬三十になれば――そんなことを思ひつづけて暮らしてしまつた一日ずつと年下の弟にわけもなくうらぎられてあとは 口ひとつきかずに白靴を赤く染めかへるのに半日もかかつて何を考へるではなしいつしんに靴をみがいてゐたんだそして夜は雨降りだ日向の男男のひたいに蝿がとまつてゐます陽あたりのよい窓にもたれて男は今 ちよつと無念無想です私は 男のそばの湯のみと男とをくらべて見たいやうな――うかうかと長閑なものに引入れられや[#「や」に「ママ」注記]うとするのです昼の部屋テーブルの上の皿にりんごとみかんとばなな――と昼の部屋の中はガラス窓の中にゼリーのやうにかたまつてゐる一人――部屋の隅に人がゐる月を見て坂を登るはやり眼のやうな月がぼんやりと街の上に登りかけた若い娘をそとへ出してはみにくくなります今夜は「青い夜」ですハンカチから卵を出します私は魔術を見てゐた魔術師は赤と青の大きいだんだらの服を着てゐたそして魔術師は何かごまかさうとしてゐたがとうとう又 ハンカチの中から卵を一つ出してしまつた商に就いての答もしも私が商(あきなひ)をするとすれば午前中は下駄屋をやりますそして美しい娘に卵形の下駄に赤い緒をたててやります午後の甘ま[#「ま」に「ママ」注記]つたるい退屈な時間を夕方まで化粧店を開きますそしてねんいりに美しい顔に化粧をしてやりますうまいところにほくろを入れて 紅もさしますそれでも夕方までにはしあげをしてあとは腕をくんで一時間か二時間を一緒に散歩に出かけます夜は花や星で飾つた恋文の夜店を出して恋をする美しい女に高く売りつけます昼昼は雨ちんたいした部屋天井が低いおれはねころんでゐて蝿をつかまへた無題詩懶い手は六月の草原だもの怯えした――人の形をした草原だ×寂び[#「び」に「ママ」注記]しげに連なつた五本の指――は魂を売つてゐた無題詩昨夜 私はなかなか眠れなかつたそして湿つた蚊帳の中に雨の匂ひをかいでゐた夜はラシヤのやうに厚く私は自分の寝てゐるのを見てゐたそれからよほど夜る[#「る」に「ママ」注記]おそくなつてから夢で さびしい男に追はれてゐた黄色の夢の話私の前に立つてゐる人はいつたい誰でせうチヨツキ[#「チヨツキ」に傍点]に黄色のボタンをつけてゐるからあなたの友人でせうかそれとも何年か前の私のチヨツキ[#「チヨツキ」に傍点]を着てゐる人でせうかそれが影ばかりになつて佇んでゐるのですが七月「蜻蛉のしつぽ[#「しつぽ」に傍点]はきたない」なんのことかおれはそんなことを考へてゐたそしてときどき思ひ出した七月うす曇る日私は今日は私のそばを通る人にはそつと気もちだけのおじぎをします丁度その人が通りすぎるときその人の踵のところを見るやうに静かに本のページを握つたままかるく眼をつぶつて首をたれますうす曇る日は私は早く窓をしめてしまひます十一月の私の眼赤い花を胸につけた丈の低いがつしりした男が私の眼をよこぎらうとしてゐます十一月の白ら[#「ら」に「ママ」注記]んだ私の眼を近くまで歩みよつたのです少女少女の帯は赤くつてずゐぶんながいくるくるとどんな風にしてしめるのか少女は美く[#「く」に「ママ」注記]しい彼の居ない部屋部屋には洋服がかかつてゐた右肩をさげてぼたんをはづして壁によりかかつてゐたそれは行列の中の一人のやうなさびしさがあつたそして壁の中にとけこんでゆきさうな不安が隠れてゐた私は いつも彼のかけてゐる椅子に坐つてお化けにとりまかれた旅に出たい夜る[#「る」に「ママ」注記]青いりんごが一つテーブルの上にのつてゐるはつきりとしたかげとならんで利口な唖のやうに黙りこんでゐるそしてこの青いりんごは私の大きい足の前に二十五位のやせた未婚の女のやうにやさしい雨四日も雨だ――それでも松の葉はとんがり蟲何処かで逢つたことのあるトゲのやうにやせた気むづかしやの異人の婆さんが真面目くさつて畳の間から這ひ出て来た「コンニチハ 気むづかしやのお婆さんあなたの鼻に何時鍵をかけませう」美く[#「く」に「ママ」注記]しい街私は美しい少女と街をゆくぴつたりと寄りそつてゐる少女のかすかな息と私の靴のつまさきと少しばかり乾いた砂とすつかり私にたよつてしまつてゐる少女の微笑私は街に酔ふ美しい少女の手の温く[#「く」に「ママ」注記]みを感じて心ひそかに――熱心に少女に愛を求めてゐる×私はいつも街の美しい看板を思ふそして 遠く街に憧れて空を見てゐる無題詩私の愛してゐる少女は今日も一人で散歩に出かけます彼女は賑やかな街を通りぬけて原へ出かけますそして彼女はきまつて短かく刈りこんだ土手の草の上に坐つて花を摘んでゐるのです私は彼女が土手の草の上に坐つて花を摘んでゐることを想ひますそして彼女が水のやうな風に吹かれて立ちあがるのを待つてゐるのですたひらな壁たひらな壁のかげに路があるらしい――そしてその路はすましこんだねずみかさもなければ極く小さい人達が電車に乗つたり子供をつれたりして通る西洋風の繁華な街だたひらな壁のかげは山の上から見える遠くの方の街だ或る少女にあなたは暗い夜の庭に立ちすくんでゐる何か愉快ではなささうですもしも そんなときに私があなたを呼びかけてあなたが私の方へ歩いてくる足どりが私は好きでたまらないにちがひない七月の 朝のあまりよく晴れてゐない七月の 朝のぼんやりとした負け惜みがひとしきり私の書斎を通つて行きました――後先の尖がつた鉛筆のシンが私をつかまへて離さなかつた (電話)「モシモシ――あなたは尾形亀之助さんですか」「いいえ ちがひます」小石川の風景詩空電柱と尖つた屋根と灰色の家路新らしいむぎわら[#「むぎわら」に傍点]帽子と石の上に座[#「座」に「ママ」注記]る乞食たそがれどきの赤い火事あいさつ夕方になつてきて太陽が西の方へ入[#「入」に「ママ」注記]いらうとするとききまつて太陽が笑ひ顔をするねんじ[#「じ」に「ママ」注記]う 俺達の世の中を見て「さよ[#「よ」に「ママ」注記]うなら」のかはりに苦笑するそこで 俺も酔つぱらひの一人として「ね 太陽さん俺も君もおんなじぢあないか――あんたもご苦労に」と言つてやらなければなるまいに風のない日です女さえ見れば色欲を起す男は或る日とうとう女に飛びついた――が塔のスレートを二三枚わつただけですみました女が眠ってゐる明るい電車の中に青いうら[#「うら」に傍点]と赤いうら[#「うら」に傍点]と白いすね[#「すね」に傍点]を少し出して窓にもたれて眠つてゐる 女乗客はみな退屈してゐます昼のコツクさん白いコツクさんコロツケが 一つ床に水をまきすぎたコツクさんエプロンかけて街は雨あがり床屋の鏡のコツクさん昼ちよつと前だコツクさん夏空のまん中で太陽が焦げた八月は空のお祭りだ何んと澄しこんだ風と窓だ三色菫だ無題詩ある眠つた若い女のよこ顔は白い色の花の一つが丁度咲き初めた頃私が その垣のそばを通りかかつて見あげた空が夕方家へ帰つて見たときに黄ばんでゐたことです夕暮れに温くむ心夕暮れは窓から部屋に這入つてきますこのごろ私は少女の黒い瞳をまぶたに感じて少しばかりの温く[#「く」に「ママ」注記]みを心に伝へてゐるものです夕暮れにうず[#「ず」に傍点]くまつてそつと手をあげて少女の愛を求めてゐる奇妙な姿が私の魂を借りにくる風邪きみです誰もゐない応接間をそつとのぞくのですちかごろ 唯の一人も訪ねて来るものもない栄養不良の部屋をそつと 部屋にけどられないやうにして壁のすきから息をひそめてのぞくのです×風邪(かぜ)がはやります私も風邪をひいたやうです白い路(或る久しく病める女のために私はうつむきに歩いてゐる)両側を埃だらけの雑草に挟まれてむくむくと白い頭をさびしさうにあげて原つぱの中に潜ぐるやうになくなつてゐる路今 お前のものとして残つてゐるのはよほど永く病んだ女が遠くの方で窓から首を出してゐる不幸な夢「空が海になる私達の上の方に空がそのまま海になる日――」そんな日が来たらそんな日が来たら笹の舟を沢山つくつて仰向けに寝ころんで流してみたい東雲(しののめ)(これからしののめの大きい瞳がはじけます)しののめだ太陽に燈がついた遠くの方で機関車の掃除が始まつてゐるそして 石炭がしつとり湿つてゐるので何か火夫がぶつぶつ言つてゐるのが聞えるやうな気がするそして電柱や煙突はまだよくのびきつてはゐないだろ[#「ろ」に「ママ」注記]うある昼の話疲れた心は何を聞くのもいやだ と云ふのです勿論 どうすればよいのかもわからないのですで兎に角――私は三箱も煙草を吸ひましたかすかに水の流れる音のするあたりはライン河のほとりなのか――×どうしてこんなだらう と友人に手紙を書いて私は外出した夜の花をもつ少女と私眠い――夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた ×× これから夢です もうとうに舞台も出来てゐる 役者もそろつてゐる あとはベルさえ[#「え」に「ママ」注記]なれば直ぐにも初まるのです ベルをならすのは誰れです ××夜の花をもつ少女の登場で私は山高をかるくかぶつて相手役です少女は静かに私に歩み寄りますそしてそつと私の肩に手をかける少女と共に私は眠り――かけるのですそして次第に夜の花の数がましてくる九月の詩昼寝かうばしい本のにほひおばけが鏡をのぞいてゐた黄色の袋の中闇み[#「み」に「ママ」注記]を小い[#「い」に「ママ」注記]さい黄色の袋の中に畜[#「畜」に「ママ」注記]つたそしてよく親しんでみるとかすかな温[#「温」に「ママ」注記]くみをためてひつそりとしてゐますこの不透明なくろい生きものは小い[#「い」に「ママ」注記]さい黄色の袋の中に腰をかけて煙りをいつぱいにして煙草をのんでゐることがあるのです雨 雨DORADORADO――TI-TATATA-TATI-TOTOTO-TODORADORADOTI-TOTOTO-TODORADORADO――雨はガラスの花雨はいちんち眼鏡をかけて年のくれの街街は夕方ちかかつた風もないのに寒む[#「む」に「ママ」注記]さは服の上からしみこんでくる何とまあ――沢山の奥さん方はお買物ですかまるでねずみのやうに集つて左側を通つて下さい左側を――左側を通らない人にはチヨウクでしるしをつけます情慾何んでも私がすばらしく大きい立派な橋を渡りかけてゐました ら――向ふ[#「ふ」に「ママ」注記]側から猫が渡つて来ました私は ここで猫に出逢つてはと思ふとさう思つたことが橋のきげんをそこねてするすると一本橋のやうに細くなつてしまひましたそして気がつくと私はその一本橋の上でびつしよりぬれた猫に何か話しかけられてゐましたそして猫にはすきをみては私の足にまきつこ[#「こ」に「ママ」注記]うとするそぶりがあるのです毎夜月が出た1-月が出て 夜が青く光つてゐるはつきり生きてゐるとは云へないが 肉色のものが 数へきれないほど奇妙な形をして動いてゐる何か悩や[#「や」に「ママ」注記]んででもゐるやうに そしてどこかしらに性のちがひを示して 極く接してゐるものもあるしかしこのときも天性は愉快な夢を見てゐた そして何かわからぬが苦が[#「が」に「ママ」注記]笑ひをしてゐた寝不足をしてゐるのかもしれない夢の中に お[#「お」に「ママ」注記]かしいことがあつてこらへきれずに 笑ひを口もとに浮かべてしまつたのかも知れないでも 胸は静かに息をしてゐた広広した中に胸だけが大きく息をしてゐるのが見えた2-A月の匂ひの寂び[#「び」に「ママ」注記]しげな中に しつとりと春がとけこんで淋び[#「び」に「ママ」注記]しい者は自分の名を呼ぶ笛のやうな響をかすかに心に聞いた――淋みしい 淋みしい――春何処かに一人ぐらゐは自分を愛してゐる者があるだらう――青年は山に登つて遠くを見つめてゐる空と 地べたに埋もれてゐるのはと 青年は自分の大きな手をひろげてつくづくと見入るそして青年の言葉は彼の指さきから離れて 遠く高い煙突などにまぎれて極まりなく飛んで行つてしまふまもなく青年は彼の部屋に 寝台の上に弱々しく埋づまつてゐる青年の夢は昨日からつづいてゐるとぎれた心と心がむすびつかふ[#「ふ」に「ママ」注記]とする まつ白な夢だ夜半 青年は夢に疲れて寝言を云つた彼のさし伸べた手の近くにすすけたランプと 山で別れた言葉が幽霊のやうに立つてゐたすすけたランプの古臭い微笑が さし伸べた彼の指さきに吸ひ込まれたやうに消えると部屋は再びうす暗くなつていま 彼はひとり部屋の中に眠つてゐる2-B或る所に月が出るやうになると 女が男のもとへ通つたそして 夜の青じろい月を女は指した黒い男と女の影のやうなものが、男と女の足もとのところから出て地べたを這つてゐた紙のやうに薄い 白い女の顔が男の顔へ掩ひかぶさると――月はそれを青く染め変へた3-Aゆらゆらと月が出た月が空に鏡をはりつめた高いのと遠いので虫のやうに小い[#「い」に「ママ」注記]さく人が写つてゐた家家では窓をしめて燈をともした娘は 安楽椅子に腰かけて歌をうたつたこの わるい幻想の季節の娘について 親達は心を痛めてゐたが娘はその手招きを見てゐたそして 少しづつかたむいてゆく心に何かしら望みをかけてゐた娘は白粉をつけていたが青く見えた娘はうつむいて 死んだ目白のことを思つてゐたあわ[#「わ」に「ママ」注記]れでならなかつた月にてらされて地べたに浅く埋づまつてゐることを思つた娘は庭へ出たそして 娘は月に照らされた娘は 月夜のかなしい思慕に美しい顔を月にむけてそこには梅の木や松の木の不思議にのびた平らな黒い影があつたそして その上に月が出てゐた娘はかなしい歌をうたつたそして瞳はぬれて 静かに歩る[#「る」に「ママ」注記]いてゐた娘は鬱蒼と茂つた森林に這入つたそして そこで娘は彼女のやさしい心にささやいた「美しい月夜」立木は眠つてゐた 彼女は失な[#「な」に「ママ」注記]つたものをやさしい彼女の心にたづねた娘は蒼白な月につつまれてにつこりともしないそして娘はそつと部屋に這入つた月の光りは部屋の中に明るい海のやうに漂つてゐた窓近く娘は椅子をひき寄せた十八になつた 娘はかなしい月が遠い娘は顔を掩つたと―― 祭りのやうなうたごゑが次第にたかまつてきて娘の耳にも聞きとれさうであるが それは静かな雨の夜にポツンと雨の一しづくがとよ[#「よ」に「ママ」注記]をうつやうな わけもなく淋みしい音色を引いてゐた娘の心の底から湧いてくるやうに でもあつた娘は眠つてゐるやうに動かない娘の影が少しづつずれて、そして彼女から離れてしまつたそして 月の光りの中に娘の影は笛のやうに細く浮んでゐた3-B娘が窓から月を見てゐたはなやかな月夜の夕暮れである「ああ 消えてゆきさうな――」と娘は身をかばう[#「う」に「ママ」注記]やうに窓を閉めた明るく照らされた窓を 月が見てゐたそして 娘の見た幻想の中に 自分を見つけた針金のやうに細く 青く 水のやうに孤独な人格をもつた自分を――月が娘の窓近く降りて来ると 部屋の中に力なくすすり泣く娘のなげきを聞いた「恋人よ――恋人よ――今宵は月までが泣いてゐる」娘は泣きぬれて顔をあげた月は窓を離れた そしてさりげなく月は笛のやうにせまく細く青い 娘の幻想をよこぎつて通つた月は天に帰るまで娘の嗚咽を聞いた月の忍びの足音は消されたあたりはしんとした空に青い月が出てゐた4-青い月夜の夕暮がつゞいてゐた人人は 娘の泣く不思議な感情になやまされた老人の一人娘も その隣りの娘も美しいばかりに 冷め[#「め」に「ママ」注記]たい顔をして泣きくれてゐた娘はみな泣いてゐた泣きごゑがふるへて風に吹かれたそして空の方へ消えていつた人人は空を見あげた娘らの泣くこゑの消える はるか空のかなたを見た猫がゐる――人人は空のひととこを指した黒い猫がゐる―人人が集まつた そして月を指した娘らの泣くこゑはさびしく響いたやさしい娘らの泣くこゑがなまめかしい衣裳につつまれて 夜鳥のやうに吹かれて消えていつた
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