英雄論
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著者名:山路愛山 

 金色人種に、破天荒(はてんくわう)なる国会は、三百議員を以て、其開会を祝さんとて、今や仕度(したく)最中なり、私権を確定し、栄誉、財産、自由に向て担保を与ふべき民法は、漸(やうや)く完全に歩みつゝあり、交通の女王たる鉄道は何(いづ)れの津々浦々にも、幾千の旅客を負ふて、殆(ほと)んど昼夜を休(や)めざる也、日本の文明は真個に世界を驚殺せりと云べし、三十年前、亜米利加(アメリカ)のペルリが、数発の砲声を以て、江戸城中を混雑せしめたる当時と今日とを並べ見るの利益を有する人々には我文明の勢、猶(なほ)飛瀑千丈、直下して障礙(しやうがい)なきに似たる者あらんか、東西古今文明の急進勇歩、我国の如きもの何処(いづく)に在る。
 嘗(かつ)て加藤博士が国会猶早しと呼びたるの時代ありき、嘗て文部省は天下に令して四書五経を村庠(そんしやう)市学の間に復活せしめんとせし時代もありき、当代の大才子たる桜痴福地先生が王道論とかいへる漢人にても書きそふなる論文をものせられし時代もありき、ピータア、ゼ、ヘルミット然たる佐田介石師が「ランプ」亡国論や天動説を著して得々乎として我道将(ま)さに行はれんとすと唱はれたる時代もありき、丸山作楽君が君主専制の東洋風に随喜の涙を流されし時代もありき、如此(かくのごとく)に我日本の学者、老人、慷慨家(かうがいか)、政治家、宗教家達は、我文明の余りに疾歩するを憂へて、幾たびか之を障(さゝ)へんとし、之が堤防を築き、之が柵門を建られつれど、進歩の勢力は之に激して更に勢を増すのみにして、反動の盛なると共に正動も亦(また)盛にして、今や宛然(ゑんぜん)として欧羅巴(ヨーロッパ)ナイズされんとせり、勿論輓今(ばんきん)稍(やゝ)我人心が少しく内に向ひ、国粋保存の説が歓迎さるゝの現象は見ゆれど、是唯我人民が小児然たる摸倣時代より進んで批評的の時代に到着したるの吉兆として見るべきものにして、余は之れが為めに我が文明の歩を止むべしとは思はざるなり。論じて此(こゝ)に到れば、吾人(われら)は今文明の急流中に棹(さをさ)して、両岸の江山、須臾(しゆゆ)に面目を改むるが如きを覚ふ、過去の事は歴史となりて、巻を捲(ま)かれたり、往事は之れを追論するも益なし、未来の吉凶禍福こそ半(なかば)は大勢に在り、半は吾人の手に存するなれ、我文明を如何(いか)にすべき、是吾人の今日に於て解釈すべき問題に非ずや、呉越(ごゑつ)の人たとひ天涯相隔つるとも、一舟の中に乗ぜば安全なる彼岸(ひがん)に達せしむるまでは、共に力を此に致さざるべからず、来れ老人よ、青年よ、仏教家よ、「クリスチァン」よ其相互の感情に於ては冷かなるも、其宗敵たる位置に於ては相争ふも、此一事に於ては兄弟であれ、手を携ふるものであれ。
 吾人(われら)は今文明急流の中に舟を棹しつゝあり、只順風に帆を挙(あげ)て、自然に其運行に任すべきか、抑(そ)も預(あらか)じめ向て進むべき標的を一定し置くべきか、若(も)し此儘(まゝ)に盲進するも、前程に於て、渦流、暗礁、危岸、険崖なくんば可なり、柔櫓(じうろ)声中、夢を載せて、淀川を下る旅客を学ぶも差支なしと雖(いへど)も、若夫(そ)れ我文明の中に疾(やまひ)を存し、光れる中に腐敗を蔵するを見ば、焉(いづくん)ぞ大声叱呼して柁師(かぢし)を警醒せざるを得んや。
 夫れ物質的の文明は唯物質的の人を生むに足れる而已(のみ)、我三十年間の進歩は実に非常なる進歩に相違なし、欧米人をして後(しり)へに瞠若(だうじやく)たらしむる程の進歩に相違なし、然れども余を以て之を見るに、詮じ来れば是唯物質的の文明に過ぎず、是を以て其文明の生み出せる健児も、残念ながら亦唯物質的の人なる耳(のみ)、色眼鏡を懸け、「シガレット」を薫(くゆ)らし、「フロック、コート」の威儀堂々たる、敬すべきが如し、然れども是れ銅臭紛々たる人に非ずんば、黄金山を夢むるの児なり、其中に於て高潔の志を有し、慷慨の気を保つもの、即ち晨星(しんせい)も啻(たゞ)ならじ、束髪峨々(がゝ)として緑□(りよくさん)額をつゝみ、能(よ)く外国の人と語り、能く「ピアノ」を弾ず、看来れば宛然たる「レディス」なり、然れども其中に存するものは空の空なるのみ、赤間ヶ関の荒村破屋に嘗(かつ)て野「バラ」の如くに天香を放ちし、烈女阿正(オマサ)の如き、義侠深愛、貞節の如き美徳は之を貴き今日の娘子軍に求むべからず、蓋(けだ)し吾人(われら)が之を求め得ざりしは其眼界の狭きが為ならん、而(しか)れども方今の人心は其外界の進歩に殆んど反比例して、其撲茂、忠愛、天真の如き品格を消磨して、唯物質的の快楽を遂ぐるに、汲々(きふ/\)たるは、掩(おほ)はんとして掩ひ得べからざるの事実に非ずや、思ふて此に至る吾人は賈生(カセイ)ならざるも、未だ嘗て之が為に長大息せずんばあらず、古来未だ嘗て亡びざるの国あらず、而して其亡ぶるや未だ嘗て其国民が当初の品格を失墜したるに因(よ)らずんばあらず噫(あゝ)今に及んで百尺竿頭、更に一歩を転ぜずんば、吾人は恐る、「古(むか)し我先人が文明を買ひし価(あたひ)は国を亡(うしな)ふ程に高直なりき」と白皙(はくせき)人種に駆使せられながら我子孫のツブヤカんことを。
 夫れ文武の政(まつりごと)、布(しい)て方策に在りと雖、之を活用するの政治家なくんば空文となりて過ぎんのみ、憲法はスタイン先生をして感服せしむるも、民法は「コード、ナポレオン」に勝ること万々なるも、国会は開設せらるも、鉄道は網の如くに行渡るとも、之を利用するの政治家、実業家にして、依然たる封建時代の御殿様たり、御用商人たらば憲法も亦た終(つひ)に何の律ぞ、鉄道も亦終に何の具ぞ、昔し蕃山熊沢氏は曰(い)へり堂宇(だうう)伽藍(がらん)の巍々(ぎゝ)たる今日は即ち是れ仏教衰微の時代也と、宣教師は来りて雲突計(くもつくばか)りの「チョルチ」を打建(うちたつ)るも、洋々たる「オルガン」の音、粛々たる説教の声、如何に殊勝に聴ゆるにもせよ、宣教師にリビングストーン氏的の精神を見ること能(あた)はず、説教者にパウルノックスの元気旺せずんば是れ唯規(き)に因(より)て線を画くのみ、焉(いづくん)ぞ活動飛舞の精神的革命を行ふを得ん、さなきだに御祭主義なる日本人を促して教会を建て、「オルガン」を買ひ、「クワイア」を作ることを惟(これ)務むるが如きは是れ荘子の所謂(いはゆる)以レ水止レ水以レ火止レ火ものなり、思ふに日本の今日は器械既に足れり、材料既に備れり、唯之を運転するの人に乏しきを患(うれ)ふる耳(のみ)。
 余は信ず、今日に於て我文明をして、有効のものであらしめ、活気あるものであらしめ、永続するものであらしめんとせば、現時の行掛りなる物質的開化の建造と共に更に高尚なる精神的開化の建造に我歩武を向けざるべからずと、更に之を換言すれば、器械備付(そなへつけ)の業、略々(ほゞ)成れるを以て更に之を使用すべき人物養成に向はざるべからずと、蓋(けだ)し今日の急務実に此一点に存す焉、若し我国をして国会開設の当時に於て慷慨にして而も沈摯(ちんし)なるハンプデンの如きもの一人(いちにん)だにあらしめば吾人は如何に気強からずや、我商業世界に於て独立、独行、良心を事務に発揮する資本家多からしめば、吾人は如何に安心ならずや、我が宗教世界に於て、昔し欧洲に在て震天動地の偉功を奏せし宗教改革諸英雄の如き人傑あらしめば吾人は如何に頼母敷(たのもし)からずや、而(しか)して顧みて実際を見るに、政治の世界は壮士を使用する者に蹂躪(じうりん)せられんとし、宗教家は徒(いたづ)らに博識を衒(てら)ふところの柔紳士となり了せんとす、我霊界も、我物界も、真俗二諦共に是れ風に吹かるゝ蘆底(ろてい)の人物を以て充されんとす、吾人は之が為に浩歎を発せざるを得ず、吾人は之が為に益々人物養成の必要を感ぜざるを得ず。果して然らば如何にして人物を造り出すべき、是れ吾人が此に至りて論決せざるべからざる問題なりとす(一)世間或は第十九世紀の董仲舒(トウチユウジヨ)を学んで法律、制度を以て人心の改造を企つる者なきに非ず、然れども法律、制度はたとひ十分其効果を奏するも猶人を駆りて摸型に鋳造するに過ずして、其精神元気を改造するの用を為(な)し能ふ者に非ざるは歴史上の断案なり(二)更に学校教化の作用を借りて人心改造の途(みち)となさんとする者あり、是前法に比すれば固より賢(か)しこき方法なるべしと雖、斯(かゝ)る注入的の教育を以て人物を作らんとす、吾人其太(はなは)だ難きを知る、昔し藤森弘庵、藤田東湖に語りて曰く、水藩に於て学校の制を立てしこと尋常一様の士を作るには足りなん、奇傑の士は此より迹を絶つべしと学校の教育必しも人物製造の好担保たらざるなり(三)吾人只一策あり是れ天然の法則なり、是れ歴史上の事実なり、何ぞや、英雄を以て英雄を作るに在るのみ。蓋し観感興起の理、所謂「インスピレーション」の秘奥は深く人心の裏(うち)に潜む、吾人今其如何にして英雄の品格が他の英雄を作り能ふかを弁解せんとする者に非ず、而れども生物が生物を生ずることが生物界の原則たるが如く、英雄の好摸範が更に他の英雄を造るの一事は疑ふべからざるの事実なり、国家若し英雄漢あらんか、一波万波を動し、一声四辺に響くが如く、許多の小英雄は恰(あたか)も大小の環(わ)の如く、中心なる大英雄を取巻きて、一団の人色を造るべし、彼等は斯の如くにして革命を催すべし、国の元気を恢復すべし、其土地の塩となるべし、其世の光となるべし、大学に所謂一家仁、一国興仁、もの是也、西郷南洲氏は、是を以て百二都城の健児を結び、維新の盛事を成せり、十年の争乱を惹起(ひきおこ)せり、新島襄君は是を以て「コンクレゲーショナリスツ」の一派を結び、我日本の精神世界に運動を試みたり、孔夫子は嘗て、是を以て、支那の人心を結びたり、今日も猶其残喘(ざんぜん)を保ちつゝあり、国の進動する所以(ゆゑん)の者、此に存す、国民若し仰ぎて中心とする英雄微(なか)つせば、其文明は到底唯物的の魔界に陥らざるを得ず。
 故に今日に及んで、我文明の進路を一転すべきの策、唯国民をして其理想人たるに適ふべき最大純高の英雄を仰がしめて以て国民の品格を高くするに在る耳(のみ)、其教訓、其訓誡を論ずるの外、其如何に世を経過せしかの摸範を示して以て向ふ所を知らしむるに在る耳、唯其言語が訓戒とするに足る耳ならず、併せて其行為を以て訓戒とするに足るべき者を求めて、之を仰視せしむるに在る耳、孟軻(マウカ)氏曰く、伯夷(ハクイ)の風を聞く者は、頑夫も廉(れん)に、懦夫(だふ)も志を立(たつ)る有り、又曰く柳下恵(リウカケイ)の風を聞く者は、鄙夫(ひふ)も寛に、薄夫も敦(あつ)しと、吾人は其生涯の行為、磊々落々(らい/\らく/\)、天の如く、神の如く、「シミ」なく、疵(きず)なく、万世の師範たるに足るものを世界の中に求めて之を頂かざるべからず。
 蓋し大(おほい)なる国民は大なる英雄を奉じ、小なる国民は小なる英雄を奉ず、此理必しもカライル氏を待ちて後に知る程の秘密に非ず、国民の理想とするところ低くんば、其国民も亦低からざるを得ず、国民の理想とするところ高くんば其国民も亦高からざるを得ず、故に吾人は英雄を仰がざるべからず、而して其英雄は最大至純の者ならざるべからず。
 吾人(われら)は今爰(こゝ)に印度の公子とナザレの木匠とを比較せんとする者に非ず、何となれば、斯る議論は「宗教家」として徒らに争論の資を作るが如きものたるのみならず、其生長の年歴さへ、種々の説ありて殆んど神秘時代に属するが如く見ゆる瞿曇(クドン)氏とヲーガスチン帝の時に生れ、タイベリアス帝の時に殺されし、純然歴史上の人物たるイヱス、キリストとを比較せんことは少しく不倫の嫌あればなり、而れども吾人は爰に確乎たる信用を以て、イヱス、キリストの人品は信(まこと)に世界の師範として仰ぐに足るべきものなることを敢言せんとす、思ふにゾロアスタル、釈迦(シャカ)の如き文籍未だ備はらず考証未だ全(まつた)からざる、時代に属する人は之を置く、歴史以後の人、ソクラテスと雖(いへども)、プレトーと雖、孔丘(コウキウ)、老冉(ロウゼン)、荘周(サウシウ)と雖、之をイヱス、キリストに比すれば、光芒太(はなは)だ減ずるを覚ふ、是余一人の私言に非ず、又「クリスチァン」の偏説にも非ず、歴史を編む者、悉(こと/″\)く之を認む、ルーサーも之を認め、ギボンも之を認め、レナンも亦之を認む、我日本の精神的改革を図る者焉(いづくん)ぞ目を此(こゝ)に注がざる、吾人は似て非なる者を悪(にく)む、更に名を宗教に借りて実なき者を悪む、聞く獅子の身中に虫ありて獣王だも、猶之が為に殺さると、彼(か)の宗教の名を以て、世に行はるゝ虚礼、空文は奚(いづくん)ぞ基督教の獅身虫に非(あらざら)んや、それ藩籬は以て侵叛を防げども之が為に其室内の玲瓏(れいろう)を遮(さへぎ)るべし、世の所謂神学なるもの、礼式なるもの、或は恐る之れが為に基督の品格を蔽はんことを、而れども仁を啖(くら)ふ者は穀を割らざるべからず、其永々しき祈祷に辟易(へきえき)し、其クド/\しき礼拝に辟易して、其内に存する甘実を味ふ能はずんば、寧(むし)ろ智者の事ならんや、基督嘗て曰へり我は道なり、生命なり、光なりと真個(まこと)に基督教を脩めんとするもの、真個に基督教を攻撃せんとする者、焉ぞ其本に返りて、基督の品格を研究せざる、庶幾(こひねがはく)は以て無益の争論を止むべし。
 嗚呼(あゝ)、東靡西靡して其日其日の風に任する楊柳的の人物は以て今日を支ふるに足ず、天徳を我になせり桓□(クワンタイ)夫れ吾を如何と云ふが如き、智慧は智慧の子に義とせらるゝなりと云ふが如き、信任なく、独立の思想なく、唯社会の潮勢につれて浮沈するが如き人物は、日本の国運を支ふるに於て何か有ん、心に些(いさゝ)かの平和なく、利奔名走、汲々として紅塵(こうぢん)埃裏(あいり)に没頭し、王公に媚(こ)び、鬼神に□(へつら)ひ、人民をアザムク者何ぞ言ふに足らん、今日は実に矯々(けう/\)たる勁骨を以て、信仰あり、平和あり、独自ある所の男子漢を要す、女丈夫を要す、十年以前までは我「サムライ」族は実に英国中等民族の如く世界眼ある者の畏(おそ)るゝ所たりし而して今や彼等は消し去んとす此物質的文明波瀾の中に立ちて精神的文明の砥地たらんとする者は自ら重ぜざるべからず、我「クリスチァン」たる者は深く自ら敬(うやま)はざるべからず。
(明治二十四年一月)



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