煎じ詰めれば
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著者名:桐生悠々 

 煎じ詰めれば、理想と現実との衝突である。我は理想を見つめて、しかも漸次にこれを進まんとしているにも拘らず、彼等は現実に執着して、唯その直面する難局を打開し得れば、それで以て足れりとしているのだ。
 だから、煎じ詰めれば、未来と現在との衝突でもある。我はワンズマンの修正により、進化論の適者を以て未来の状況に適応する者としているに反して、彼等はダーウィンの正統進化論により、唯現在の状況に適応するものを以て適者としている。従って、我は未来の向上を重しとし、現在の利益を未来の幸福のため、犠牲に供することを辞さないにも拘らず、彼等は唯現在に於て、一時的なる利益を得れば、未来の幸福を捨てて顧ない。
 だから、煎じ詰めれば、新体制と旧体制との衝突でもある。彼等は彼等みずからを以て新体制の人なりとしているけれども、憐れむべし、彼等は現在より一歩も出ずることを知らず、甚しきに至っては、過去の伝統その物に囚われて、未来を予知し得ない。流行を逐うこと唯その事を新体制として、真の新体制が未来の、少くとも来りつつある世界の大勢を察して、これに適応せんとする態度なることを知らず、僭越にも彼等みずからを以て新体制の人なりとしている。彼等は後退せんとし、我は前進せんとしている。彼等は保守的にして、我は進取的である。
 従って彼等は国家主義者、民族対立主義者であって、コスモポリタンなる我を解する能わず、国家または民族の一員としてその義務を尽すに忠実なりと雖も、「恭倹己を持し、博愛衆に及ぼす」超国家的、超民族的にして、彼等のいうところ「八紘一宇」の一大理想その物を、かえってみずから破壊せんとしている。
 人類として、彼等は固より良心的にこれを知る。だが詭弁を弄して云う、かかる超国家的、超民族的なる時代は恐らくは永久に到達せざるべしと。或は然らん。だが、それ故にこそ、我はかえってこの理想を掲げて進むのである。人間にして動物の如く教うべからざれば則ちやむ、教え得れば、教え教えて、彼等をこの境地に進め入らしむるのは決して不可能ではない。原始人が教育と経験とを通して、如何にして今日の文明人となったかの跡をたずぬれば、想い半に過ぐる。
 だから、煎じ詰めれば、彼等と我との意見の衝突は、悲観と楽観との衝突である。彼等は人間を以て教うべからざる動物とし、我はこれを以て教うべき動物とし、彼等は陰鬱なる世界の現状を以て、如何ともすべからざるものとなし、その極、人類の自滅にも甘んずるに反して、我は明朗なるべき世界の未来を期待して、人類にその愚を悟らしめつつ、これをこの境地に導かんとしているのである。
 だが、如何せん、彼等は国家の権力を擁して、我に臨みつつあることを。そして彼等は我をして具体的には物を言わしめない。我のみではない。我等に物を言わしめない。その結果は推して知るべきであって、今や各個人は流行を過ぐればもう人の口に上らなくなった「全体主義」の下に生活しながら、積極的個人主義より、消極的個人主義に堕し、未来の光明を失わんとしつつある。(昭和十六年八月)



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