火の柱
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著者名:木下尚江 

     序に代ふ

 是(こ)れより先き、平民社の諸友切(しき)りに「火の柱」の出版を慫慂(しようよう)せらる、而(しか)して余は之に従ふこと能(あた)はざりし也、
 三月の下旬、余が記名して毎日新聞に掲(かゝ)げたる「軍国時代の言論」の一篇、端(はし)なくも検事の起訴する所となり、同じき三十日を以て東京地方裁判所に公判開廷せらるべきの通知到来するや、廿八日の夜、余は平民社の編輯室(へんしふしつ)に幸徳(かうとく)、堺(さかひ)の両兄と卓を囲んで時事を談ぜり、両兄曰(いは)く君が裁判の予想如何(いかん)、余曰く時(とき)非(ひ)なり、無罪の判決元より望むべからず、両兄曰(いは)く然(しか)らば則(すなは)ち禁錮乎(か)、罰金乎、余曰く余は既に禁錮を必期(ひつき)し居(を)る也、然れ共幸(さいはひ)に安んぜよ、法律は遂(つひ)に余を束縛すること六月以上なる能はざるなり、且(か)つや牢獄の裡(うち)幽寂(いうせき)にして尤(もつと)も読書と黙想とに適す、開戦以来草忙(さうばう)として久しく学に荒(すさ)める余に取(とつ)ては、真に休養の恩典と云ふべし、両兄曰く果して然るか、君が「火の柱」の主公篠田長二(しのだちやうじ)を捉(とら)へて獄裡(ごくり)に投じたるもの豈(あ)に君の為めに讖(しん)をなせるに非ずや、君何ぞ此時を以て断然之を印行(いんかう)に付せざるやと、余の意俄(にはか)に動きて之を諾して曰く、裁判の執行尚(な)ほ数日の間(かん)あり、乞ふ今夜直(ただち)に校訂に着手して、之を両兄に託さん入獄の後(のち)之を世に出だせよ、
 斯くて九時、余は平民社を辞して去れり、何ぞ知らん、舞台は此瞬間を以て一大廻転をなさんとは、
 余が去れる後数分、警吏は令状を携(たづさ)へて平民社を叩(たゝ)けり、厳達して曰く「鳴呼(あゝ)増税」の一文、社会の秩序を壊乱するものあり依(よつ)て之を押収(あふしふ)すと、
 四月一日(いちじつ)を以て余は判決の宣告を受けぬ、四月二日を以て堺兄の公判は開廷せられぬ、而して其の結果は共に意外なりき、余は罰金に処せられたり、堺兄は軽禁錮三月に処せられたり、而して平民新聞は発行禁止の宣告を受けたるなり、平民社は直に控訴の手続に及びぬ、
 其の九日の夜、平民社演説会を神田の錦輝舘(きんきくわん)に開けり、出演せるもの社内よりは幸徳、堺、西川の三兄、社外よりは安部(あべ)兄と余となりき、演説終つて後、堺兄の曰く、来る十二日控訴の公判開かれんとし花井、今村の諸君弁護の労を快諾せられぬ、然(しか)れ共我等同志が主義主張の故を以て法廷に立つこと、今後必ずしも稀(まれ)なりと云ふべからず、此際我等の主張を吐露して之を国権発動の一機関たる法廷に表白する、豈(あ)に無益のことならんやと、一座賛同、而(しか)して余遂(つひ)に其の選に当りて弁護人の位地に立つこととなれり、
 十二日は来れり、公判は控訴院第三号大法廷に開(ひらか)れぬ、堺兄に先(さきだ)ちて一青年の召集不応の故を以て審問せらるゝあり、今村力三郎君弁護士の制服を纏(まと)ひて来り、余の肩を叩いて笑つて曰く、君近日頻(しき)りに法廷に立つ、豈(あ)に離別の旧妻に対して多少の眷恋(けんれん)を催(もよ)ほすなからんやと、誠に然り、余が弁護士の職務を抛(なげう)つてより既(すで)に八星霜、居常(きよじやう)法律を学びしことに向(むかつ)て遺憾(ゐかん)の念なきに非ざりしなり、今ま我が親友の為めに同志を代表して法廷に出づるに及び、余が不快に堪へざりし弁護士の経験が、決して無益に非ざりしことを覚り、無限の歓情(くわんじやう)禁ずべからざりし也、
 既にして彼(か)の青年の裁判は終了せり、而(しか)して堺兄は日本に於ける社会主義者の代表者として「ボックス」の中に立てり、
 判事の訊問あり、検事の論告あり、弁護人の弁論あり、而して午後二時公判は終了を告げぬ、
 越えて十六日、判決は言ひ渡たされぬ、堺兄は軽禁錮二月に軽減せられたり、而して発行禁止の原判決は全然取り消されたり、
 吾人は堺兄の為に健康を祈ると共に、「発行禁止」の悪例の破壊せられたることを深く感謝せずんばあらず、
 桜花雨に散りて、人生恨(うらみ)多(おほ)き四月の廿一日堺兄は幼児を病妻に托して巣鴨の獄に赴(おもむ)けり、而して余は自ら「火の柱」の印刷校正に当らざるべからず、是れ豈(あ)に兄が余に出版を慫慂(しようよう)し、而して余が突嗟(とつさ)之を承諾したる当夜の志(こゝろざし)ならんや、只(た)だ「刑余の徒」たるの一事のみ、兄(けい)と余と運命を同(おなじ)ふする所也、
枯川兄を送れるの日、毎日新聞社の編輯局に於て
木下尚江

     一の一

 時は九月の初め、紅塵(こうぢん)飜(ひるが)へる街頭には尚(な)ほ赫燿(かくやく)と暑気の残りて見ゆれど、芝山内(しばさんない)の森の下道(したみち)行く袖には、早くも秋風の涼しげにぞひらめくなる、
「ムヽ、是(こ)れが例の山木剛造(やまきがうざう)の家なんか」と、石造(せきざう)の門に白き標札打ち見上げて、一人のツブやくを、伴(つれ)なる書生のしたり顔「左様(さう)サ、陸海軍御用商人、九州炭山株式会社の取締、俄大尽(にはかだいじん)、出来星(できぼし)紳商山木剛造殿の御宅は此方(こなた)で御座いサ」
「何だ失敬な、社会の富(とみ)を盗んで一人の腹を肥(こ)やすのだ、彼(あ)の煉瓦の壁の色は、貧民の血を以て塗つたのだ」
「ハヽヽヽ、君の様に悲観ばかりするものぢや無いサ、天下の富を集めて剛造輩(はい)の腹を肥(こや)すと思へばこそ癪(しやく)に障(さは)るが、之を梅子と云ふ女神(めがみ)の御前(おんまへ)に献げると思(お)もや、何も怒るに足らんぢや無いか」
「貴様は直ぐ其様(そんな)卑猥(ひわい)なことを言ふから不可(いか)んよ」
「是(こ)れは恐れ入つた、が、現に君の如き石部党(いしべたう)の旗頭(はたがしら)さへ、彼(あ)の女神の為めには随喜の涙を垂れたぢや無いか」
「嘘(うそ)言ふな」
「嘘(うそ)ぢや無いよ、僕は之を実見したのだから弁解は無用だよ」
「嘘言へ」
「剛情な男だナ、ソレ、此の春上野の慈善音楽会でピアノを弾(ひ)いた佳人が有(あ)つたらう、左様(さう)サ、質素な風をして、眼鏡を掛けて、雪の如き面(かほ)に、花の如を唇(くちびる)に、星の如き眸(ひとみ)の、――彼女(かれ)が即(すなは)ち山木梅子嬢サ」
「貴様、真実(ほんたう)か」
 と彼(か)の書生は、木立の間(ま)なる新築の屋根を顧(かへり)みつゝ「何(ど)うも不思議だナ、僕は殆(ほとん)ど信ずることが出来んよ」
「懐疑は悲観の児(こ)なりサ、彼女(かれ)芳紀(とし)既に二十二―三、未(いま)だ出頭(しゆつとう)の天(てん)無しなのだ、御所望とあらば、僕聊(いさゝ)か君の為めに月下氷人(げつかひようじん)たらんか、ハヽヽヽヽヽ」
「然(し)かし、貴様、剛造の様な食慾無情の悪党に、彼(あゝ)いふ令嬢(むすめ)の生まれると云ふのは、理解すべからざることだよ」
「が、剛造などでも、面会して見れば、案外の君子人かも知れないサ」
「そんなことがあるものか」
 丸山の塔下を語りつゝ、飯倉(いひくら)の方へと二人は消えぬ、
 客去りて車轍(くるま)の迹(あと)のみ幾条(いくすぢ)となく砂上に鮮(あざや)かなる山木の玄関前、庭下駄のまゝ枝折戸(しをりど)開けて、二人の嬢(むすめ)の手を携(たづさ)へて現はれぬ、姉なるは白きフラネルの単衣(ひとへ)に、漆(うるし)の如き黒髪グル/\と無雑作(むざふさ)に束(つか)ね、眼鏡越しに空行く雲静かに仰ぎて、独りホヽ笑みぬ、
 今しも書生の門前を噂(うはさ)して過ぎしは、此の女(ひと)の上にやあらん、紫(むらさき)の単衣(ひとへ)に赤味帯びたる髪房々(ふさ/\)と垂らしたる十五六とも見ゆるは、妹(いもと)ならん、去(さ)れど何処(いづこ)ともなく品格(しな)いたく下(くだ)りて、同胞(はらから)とは殆(ほとん)ど疑はるゝばかり、
「ぢや、姉(ねい)さんは何方(どちら)が好(すき)だと仰(おつ)しやるの」と、妹は姉の手を引ツ張りながら、面(かほ)顰(しか)めて促(うな)がすを、姉は空の彼方(あなた)此方(こなた)眺(なが)めやりつゝ、
「あら、芳(よツ)ちやん、私は好(すき)も嫌(きらひ)も無いと言つてるぢやありませんか」
「けれど姉さん、何方(どつち)かへ嫁(ゆ)くとお定(き)めなさらねばならんでせう、両方へ嫁くわけにはならないんだもん」
「左様(さう)ねエ、ぢや私、両方へ嫁きませうか」と、姉は振り返つて嫣然(につこ)と笑ふ、
「酷(ひど)いワ、姉さん、からかつて」と、妹は白い眼して姉を睨(にら)みつ、じつと身を寄せて又(ま)た取り縋(す)がり「ね、姉さん、松島様(さん)の方にお定(き)めなさいよ、私(わたし)、松島さん大好きだわ、海軍大佐ですつてネ、今度露西亜(ロシヤ)と戦争すれば、直(す)ぐ少将におなりなさるんですと――ほんたうに軍人は好(い)いわ、活溌(くわつぱつ)で、其れに陸軍よりも海軍の方が好くてよ、第一奇麗(きれい)ですものネ、其れでネ、姉さん、昨夜(ゆうべ)も阿父(おとつさん)と阿母(おつかさん)と話して在(いら)しつたんですよ、早く其様(さう)決(き)めて松島様の方へ挨拶(あいさつ)しなければ、此方(こちら)も困まるし、大洞(おほほら)の伯父さんも仲に立つて困まるからつて」
「芳ちやんは軍人がお好きねエ」
「ぢや、姉さんは、あの吉野とか云ふ法学士の方が好いのですか、驚いたこと、彼様(あんな)ニヤけた、頭ばかり下げて、意気地(いくじ)の無い」
「左様(さう)ぢや無いの、芳ちやん」と、姉は静に妹を制しつ
「私(わたし)はネ、誰の御嫁にもならないの」
 妹は眼を円くして打ち仰ぎぬ「――ほんたう」

     一の二

 折柄門の方(かた)に響く足音に、姉の梅子は振り返へりつ、
「長谷川牧師が光来(いら)しつてよ」
 色こそ褪(あ)せたれ黒のフロックコート端然と着なしたる、四十恰好(かつこう)の浅黒き紳士は莞爾(くわんじ)として此方(こなた)に近(ちかづ)き来(きた)る、是(こ)れ交際家として牧師社会に其名を知られたる、永阪教会の長谷川某(なにがし)なり、
 妹の芳子は頬(ほほ)膨(ふく)らし、
「厭(いや)な奴ツ」とツブやくを、梅子は「あら」と小声に制しつ、
 牧師は額の汗拭(ぬぐ)ひも敢(あ)へず、
「これは/\、御揃(おそろ)ひで御散歩で在(い)らつしやいまするか、オヽ、『黒』さんも御一緒ですか」と、芝生に横臥(わうぐわ)せる黒犬にまで丁重に敬礼す、是れなん其仁(そのじん)、獣類にまで及べるもの乎(か)、
「エヽ、本日(けふ)罷(まか)り出でまする様(やう)と、御父上から態々(わざ/\)のお使に預りまして」と、牧師は梅子の前に腰打ち屈(かが)めつ「甚(はなは)だ遅刻致しまして御座りまするが、御在宅で在(い)らせられまするか」
 妹嬢(いもとむすめ)は黙つて何処(いづこ)へか去(い)つて仕舞ひぬ、
「御光来(おいで)を願ひましたさうで御座いまして、誠に恐れ入りました」と、梅子の言ふを、
「イエ、なに、態々(わざ/\)と申すでは御座りませぬ、外(ほか)に此の方面へ参る所用も御座りまする、其れに久しく御父上には拝顔を得ませんで御座りまするから」
 牧師は身を反(そら)らしてニヤ/\と笑ひぬ、
 梅子に導かれて牧師は壮麗なる洋風の応接室に入(い)りぬ、
 待つ間稍々(やゝ)久しくして主人(あるじ)は扉を排して出で来りぬ、でつぷり肥(ふと)りたる五十前後の頑丈造(ぐわんぢやうづく)り、牧師が椅子(いす)を離れての慇懃(いんぎん)なる挨拶(あいさつ)を、軽(かろ)くも顋(あご)に受け流しつ、正面の大椅子にドツかとばかり身を投げたり、
「御来宅(おいで)を願つて甚(はなは)だ勝手過ぎたが、少(す)こし御注意せねばならぬことがあるので」と、葉巻莨(はまきたばこ)の烟(けむり)多(ふと)く棚引(たなび)かせて
「他(ほか)でも無い、例の篠田長二(しのだちやうじ)のことであるが、近頃何か頻(しき)りに非戦論など書き立てて居(を)るさうだ、勿論(もちろん)彼奴等(きやつら)の『同胞新聞』など言ふものは、我輩などの目には新聞とは思へないので、何(どう)せ狂気染みた壮士の空論、元より歯牙(しが)に掛ける必要もないのだが、然(し)かし此頃娘共の話(はなし)して居た所を聞くと、近来教会に於(おい)ても、耶蘇(ヤソ)教徒は戦争に反対せにやならぬなど、無法なことを演説すると云ふことだが、」
 牧師は恐る/\口を開き「さ、其件に就きましては私(わたくし)も一方ならず、心痛致し居りまするので」と弁せんとするを、剛造は莨(たばこ)の灰もろ共に払ひ落としつ「其(それ)に梅子などは何(どう)やら其の僻論(へきろん)に感染して居るらしいので、大(おほい)に其の不心得を叱つたことだ、特(こと)に近頃彼女(あれ)の結婚に就(つい)て相談最中のであるから、万一にも社会党等の妄論(ばうろん)などに誤られる様なことがあらば、其れこそ彼女ばかりでは無い、山木一家(やまきいつけ)に取つて由々しき大事なのである、で、今日君を御呼び立て致したのは、社会党を矢張り教会に入れて置かるゝ御心得か如何(どうか)を承つて、其上で子女等(こどもら)を教会へお預けして置くか如何を決定したいと思ふのである」
 牧師は俯(ふ)して沈黙す、
 剛造はジロリ其を見やりつ「苟(いやしく)も山木の家族が名を出して居る教会に、社会党だの、無政府党だのと云ふバチルスを入れて置かれては、第一我輩の名誉に関することで、又た彼(あ)の様な其筋で筆頭の注意人物を容(い)れ置くと云ふのは、教会の為めにも不得策だらう、彼様(あんな)乱暴な人物も耶蘇教信者だと云ふので、無智漢の信用を繋(つな)いで居(ゐ)るのだから」

     一の三

 牧師は僅(わづか)に頭を擡(もた)げぬ、
「御立腹の段は誠に御尤(ごもつとも)で、私(わたくし)に於ても一々御同感で御座りまする、が、只(た)だ何分にも篠田が青年等の中心になつて居りまするので」
「さ、其のことである」と、剛造は吻(くちばし)を容(い)れぬ、「危険と言ふのは其処である、卵の如き青年の頭脳へ、杜会主義など打ち込んで如何(どう)する積(つもり)であるか、ツイ先頃も私(わし)が子女等(こどもら)の室を見廻はると、長男(せがれ)の剛一が急いで読んで居た物を隠すから、無理に取り上げて見ると、篠田の書いた『社会革新論』とか云ふのだ、長谷川君、少しは考へて貰ひたいものだ、教会へは及ばずながら多少の金を取られて居(を)る、而(さう)して家庭(かない)へ禍殃(わざはひ)の種子(たね)を播(ま)かれでも仕(し)ようものなら、我慢が出来るか如何(どう)だらう」
 牧師は頻(しき)りに額の汗を拭(ぬぐ)ひつ、
「御尤(ごもつとも)で御座りまする」
「元来を言へば長谷川君、初め篠田如き者を迂濶(うくわつ)に入会を許したのが君の失策である、如何(どう)だ、彼(あ)の新聞の遣(や)り口(くち)は、政府だの資産あるものだのと見ると、事の善悪に拘(かゝは)らず罵詈讒謗(ばりざんばう)の毒筆を弄(もてあそ)ぶのだ、彼奴(きやつ)が帰朝(かへ)つて、彼の新聞に入つて以来、僅(わづ)か二三年の間に彼の毒筆に負傷(けが)したものが何人とも知れないのだ、私(わし)なども昨年の春、毒筆を向けられたが――彼奴等(きやつら)の言ふ様な人道とか何とか、其様(そんな)単純なことで坑夫等の統御が出来るものか、少しは考へて見るが可(い)いのだ、石炭坑夫なんてものは、熊か狼だ、其れを人間扱ひにせよと云ふのが間違つて居るぢや無いか、彼(あ)の時にも君に放逐(はうちく)する様に注意したのだが、自分のことで彼此(かれこれ)云ふのは、世間の同情を失ふ恐(おそれ)があるからと君が言ふので、其れも一理あると私(わし)も辛棒したのだ、今度は、君、少しも心配するに及ぶまい、日露戦争に反対するのだから、即(すなは)ち売国奴(ばいこくど)と言ふべきものでは無いか」
 牧師は額押へて謹聴し居たりしが、やがて少しく頭を揚げつ「――一々御同感で御座りまするので――が、何分にも御承知の如き尋常(なみ/\)ならぬ男なので御座りまするから、執事等も陰では皆な苦慮致し居りまするものの、誰も言ひ出し兼ねて居るので御座ります――如何(いかが)で御座りませう、御足労ながら貴方から一言教会へ直接に御注意下さりましては、多分一同待ち望んで居ることと思はれまするので――」
「私(わし)が教会などへ行つて居(を)れると思ふか」と、剛造は牧師を睨(にら)みつ「私(わし)は体の代りに黄金(かね)を遣(や)つてある筈(はず)だ――イヤ、牧師ともあるものが左様(さやう)に優柔不断ならば、私の方にも心得がある、子女等(こどもら)も向後一切教会へは足踏みもさせないことに仕(し)よう」
「ア、山木さん、御立腹では恐れ入りまする」と、牧師は周章(あわただ)しく剛造をなだめ、
「宜(よろ)しう御座りまする、私(わたくし)も兼ねて其の心得で居りましたのですから、早速執事等とも協議の上、至急御挨拶(ごあいさつ)に及ぶで御座りませう」
「ウム、ぢや、早速左様(さう)云ふことに」
 剛造の面(かほ)和(やはら)ぎたるに、牧師もホとばかりに胸撫で下ろしつ、
「ツイ失念致し居りまして御座りまするが、京都育児慈善会から貴方へ厚く御礼申上げ呉れる様にと精々申して参りました、沢山(たくさん)に義揖(ぎえん)を御承諾下ださいましたので、京阪地方の富豪を説くにも誠に好都合になりましたさうで、我国でのモルガン、ロックフェラアと言(いふ)べきであらうなど、非常に貴方を称讃して寄越(よこし)まして御座りまする」
「なに、ロックフェラアか、いや、ロックフェラアも近頃の不景気では思ふ様に慈善も出来ない」と、剛造は反(そ)り返つて呵々(かゝ)と大笑せり、
 牧師も愈々(いよ/\)笑(ゑみ)傾(かたむ)け「新聞で拝見致しましたが、今回九州地方の石炭会社の同盟して露西亜(ロシヤ)へ石炭販売を禁止なされたのも、貴方(あなた)の御発意と申すことで、実業界から斯(か)かる愛国の手本が出ますると云ふのは、実に近来の快事で御座りまする」
「ハヽヽヽヽ」と剛造は一(ひ)ときは高笑ひ「商売にしてからが、矢ツ張り忠君愛国と言つたやうな流行の看板を懸(か)けて行くのサ」
 剛造はやをら立ち上がりつ、
「長谷川君、伝道なども少こし融通(ゆうづう)の利(き)くやうに頼みますよ、今も言ふ通り梅子の結婚談で心配して居るんだが、信仰が如何(どう)の、品行が如何のと、頑固(ぐわんこ)なことばかり言うて困らせ切つて仕舞ふのだ、耶蘇(ヤソ)でも仏でも無宗教でも構ふことは無い、男は必竟(つまり)人物にあるのだ、さうぢや無いか、一夫一婦なんてことは、日本では未(ま)だ時期が早いよ――ぢや、君、今の篠田の一件を忘れないやうに、是(こ)れで失敬する、家内(かない)の室ででも悠然(ゆつくり)遊んで行き給へ」
 莨(たばこ)の煙一抹(いちまつ)を戸口に残してスラリ/\と剛造は去りぬ、
 牧師は独(ひと)り思案の腕を組みつ、

     二の一

 夜は十時を過ぎぬ、二等煉瓦の巷(ちまた)には行人既に稀(まれ)なるも、同胞新聞社の工場には今や目も眩(ま)ふばかりに運転する機械の響囂々(がう/\)として、明日(あす)の新聞を吐き出だしつゝあり、板敷の広き一室、瓦斯(ガス)の火急(せは)し気(げ)に燃ゆる下に寄り集(つど)ふたる配達夫の十四五名、若きあり、中年あり、稍々(やゝ)老境に近づきたるあり、剥(はげ)たる飛白(かすり)に繩の様なる角帯せるもの何がし学校の記章打つたる帽子、阿弥陀(あみだ)に戴(いただ)けるもの、或は椅子に掛かり、或は床(とこ)に踞(すわ)り、或は立つて徘徊(はいくわい)す、印刷出来(しゆつたい)を待つ間(ま)の徒然(つれづれ)に、機械の音と相競うての高談放笑なかなかに賑(にぎ)はし、
 三十五六の剽軽(へうきん)らしき男、若き人達の面白き談話に耳傾けて居たりしが、やがてポンと煙管(きせる)を払ひて「書生さん方、お羨(うらや)ましいことだ、同し配達でもお前さん達は修業金の補充(たしまい)に稼ぐだが、私抔(わたしなど)を御覧なせい、御舘(おやかた)へ帰つて見りや、豚小屋から臀(しり)の来さうな中に御台所(みだいどころ)、御公達(ごきんだち)、御姫様方と御四方(およつかた)まで御控へめさる、是(これ)で私(わし)が脚気(かつけ)の一つも踏み出したが最後、平家の一門同じ枕に討死(うちじに)ツてつた様な幕サ、考へて見りや何の為めに生れて来たんだか、一向(いつかう)合点(がてん)が行かねエやうだ」
 踞(しやが)んで居たる四十恰好(かつかう)の男「さうよ、でも此の新聞社などは少(す)こし毛色が変はつてるから、貧乏な代りに余り非道も遣(や)らねいが、外の社と来たら驚いちまはア、さんざん腹こき使つた上句(あげく)、体が悪くなつたからつて逐(お)つ払ひよ、チヨツ、誰の為めに体が悪くなつたんだ」
 フカリ/\烟草(たばこ)を吹かし居たる柔順(おとなし)やかなる爺(おやじ)「年増(としま)しに世の中がヒドくなるよ、俺の隣に砲兵工廠へ通ふ男があつたが、――なんでも相当に給料も取つてるらしかつたが、其れが出しぬけにお払函(はらひばこ)サ、外国から新発明の機械が来て、女でる間に合ふからだと云ふことだ」
 彼(か)の剽軽(へうきん)なる男「フム、ぢやア逐々(おひ/\)女が稼(かせ)いで野郎は男妾(をとこめかけ)ツたことになるんだネ、難有(ありがた)い――そこで一つ都々逸(どゝいつ)が浮んだ『私(わたし)ヤ工場で黒汗流がし、主(ぬし)は留守番、子守歌』は如何(どう)だ、イヤ又た一つ出来た、今度は男の心意気よ『工場の夜業で嬶(かゝあ)が遅い、餓鬼(がき)はむづかる、飯(めし)や冷える』ハヽヽヽ是れぢや矢ツ張り遣(や)り切れねい」
「所が、お前(めい)、女房は産後の肥立(ひだち)が良くねえので床に就いたきり、野郎は車でも挽(ひ)かうツて見た所で、電車が通じたので其れも駄目よ、彼此(かれこれ)する中に工場で萌(きざ)した肺病が悪くなつて血を吐く、詮方(せうこと)なしに煙草の会社へ通つて居た十一になる娘を芳原(よしはら)へ十両で売(うつ)て、其(それ)も手数の何のツて途中へ消えて、手に入つたのは僅(たつ)たお前、六両ぢやねいか、焼石に水どころの話ぢやねエ、其処(そこ)で野郎も考へたと見える、寧(いつ)そ俺と云ふものが無かつたら、女房も赤児(あかんぼ)も世間の情の陰で却(かへつ)て露の命を継(つな)ぐことも出来ようツてんで、近所合壁へ立派に依頼状(たのみじやう)を遺(のこ)して、神田川で土左衛門よ」
「成程そんな新聞を見た覚(おぼえ)もある」と誰やらが言ふ、
「あんな大した腕持つてる律義(りちぎ)な職人でせエ此の始末だ、さうかと思(お)もや、悪い泥棒見たいな奴が立身して、妾(めかけ)置いて車で通つて居る、神も仏もあつたもんぢやねエ」
 秋の夜の更(ふ)け行く風、肌に浸(し)みて一座粛然たり、
「だから貴様達は馬鹿だと云ふんだ」突如落雷の如き怒罵(どば)の声は一隅より起れり、衆目(しゆうもく)驚いて之に注(そゝ)げば、未(いま)だ廿歳前(はたちぜん)らしき金鈕(きんボタン)の書生、黙誦(もくじゆ)しつゝありし洋書を握り固めて、突ツ立てる儘(まゝ)鋭き眼に見廻はし居たり、漆黒(しつこく)なる五分刈の頭髪燈火に映じて針かとも見ゆ、彼は一座怪訝(くわいが)の面(おもて)をギロリとばかり睨(にら)み返へせり「君等は苟(いやしく)も同胞新聞の配達人ぢやないか、新聞紙は紙と活字と記者と職工とにて出来るものぢやない、我等配達人も亦(ま)た実に之を成立せしめる重要なる職分を帯(おび)て居るのである、然(しか)るに君等は我が同胞新聞の社会に存在する理由、否(い)な、存在せしめねばならぬ理由をさへ知らないとは、何たる間抜けだ、……人生の目的がわからぬとは何だ、――神も仏も無いかとは何だ、其の疑問を解きたいばかりに、同胞新聞はこゝに建設せられたのぢやないか、吾々は世の酔夢(すゐむ)に覚醒を与へんが為めに深夜、彼等の枕頭(ちんとう)に之を送達するのぢやないか、――馬鹿ツ」彼は胸を抑(おさ)へ、情を呑(の)みて、又其唇を開けり「君等には篠田主筆の心が知れないか、先生が……先生が貧苦を忍び、侮辱を忍び、迫害を忍び、年歯(ねんし)三十、尚(なほ)独身生活を守(まもつ)て社会主義を唱導せらるゝ血と涙とが見えないか――」

     二の二

「君、さう泣くな、村井」とポンと肩を叩(たゝ)いて宥(なだ)めたるは、同じく苦学の配達人、年は村井と云へるに一ツ二ツも兄ならんか、「述懐は一種の慰藉(ゐしや)なりサ、人誰か愚痴なからんやダ、君とても口にこそ雄(えら)いことを吐くが、雄いことを吐くだけ腹の底には不平が、渦(うづ)を捲(ま)いて居るんだらう」
 少年村井も首肯(うなづ)きつ、「ウム、羽山、まあ、さうだ」
「それ見イ、僕は是れで三年配達を遣(や)つてるが、肩は曲がる、血色は減(な)くなる、記憶力は衰へる、僕はツクヅク夜業の不衛生――と云ふよりも寧(むし)ろ一個の罪悪であることを思ふよ、天は万物(ばんもつ)に安眠の牀(とこ)を与へんが為めに夜テフ天鵞絨(びろうど)の幔幕(まんまく)を下(お)ろし給ふぢやないか、然るに其時間に労働する、即(すなは)ち天意を犯すのだらう、看給(みたま)へ、夜中の労働――売淫、窃盗、賭博、巡査――巡査も剣を握つて厳(いか)めしく立つては居るが、流石(さすが)に心は眠つて居るよ、其間を肩に重き包を引ツ掛けて駆け歩くのが、アヽ実に我等新聞配達人様だ、オイ村井君、君の崇拝する篠田先生も紡績女工の夜業などには、大分(だいぶ)八(や)ヶ間敷(ましく)鋭鋒(えいほう)を向けられるが、新聞配達の夜業はドウしたもんだイ、他(ひと)の目に在(あ)る塵を算(かぞ)へて己(おのれ)の目に在る梁木(うつばり)を御存(ごぞんじ)ないのか、矢ツ張り、耶蘇(ヤソ)教徒婦人ばかりを博愛しツてなわけか、ハヽヽヽヽヽ」
「是(こ)りや羽山さん、出来ました」「村井さん如何(いかが)です」「ハヽヽヽヽヽ」
 隣れる室の閾(しきゐ)に近く此方(こなた)に背を見せて、地方行の新聞に帯封施しつゝある鵜川(うかは)と言へる老人、ヤヲら振り返りつ「アハヽ村井さん、大分痛手を負ひましたナ、が、御安心なさい、此頃も午餐(ひる)の卓(つくゑ)で、主筆さんが社長さんと其の話して居(を)られましたよ」
「ドウだ羽山、恐れ入つたらう」と村井は雲を破れる朝日の如く笑ましげに、例の鋭き眼(まなこ)を輝やかしつ「僕は僕の配達区域に麻布本村町(あざぶほんむらちやう)の含まれてることを感謝するよ、僕だツて雨の夜、雪の夜、霙(みぞれ)降る風の夜などは疳癪(かんしやく)も起るサ、華族だの富豪だのツて愚妄(ぐまう)奸悪(かんあく)の輩(はい)が、塀(へい)を高くし門を固めて暖き夢に耽(ふけ)つて居るのを見ては、暗黒の空を睨(にらん)で皇天の不公平――ぢやない其の卑劣を痛罵(つうば)したくなるンだ、特(こと)に近来仙台阪の中腹に三菱の奴が、婿(むこ)の松方何とか云ふ奴の為に煉瓦(れんぐわ)の建築を創(はじめ)たのだ、僕は其前を通る毎(たび)に、オヽ国民の膏血(かうけつ)を私(わたくし)せる赤き煉瓦の家よ、汝が其礎(いしずえ)の一つだに遺(のこ)らざる時の来(きた)ることを思へよと言つて呪(のろつ)てやるンだ、けれどネ羽山、それを上つて今度は薬園阪(やくゑんざか)の方へ下つて行く時に、僕の悩める暗き心は忽(たちま)ち天来の光明に接するのだ」
 羽山は笑ひつゝ喙(くちばし)を容(い)れぬ「金貨の一つも拾つたと云ふのか」
「馬鹿言へ、古き槻(けやき)が巨人の腕を張つた様に茂つてる陰に『篠田』と書いた瓦斯燈(ガスとう)が一道の光を放つてるヂヤないか、アヽ此の戸締もせぬ自由なる家の裡(うち)に、彼(か)の燃ゆるが如き憂国愛民の情熱を抱(いだい)て先生が、暫(し)ばしの夢に息(やす)んで居(ゐ)られるかと思へば、君、其の細きランプの光が僕の胸中の悪念を一字々々に読み揚げる様に畏(おそ)れるのだ」
「一寸お待ちなせエ、戸締の無(ね)い家たア随分不用心なものだ、何(ど)れ程貧乏なのか知らねいが」と彼の剽軽(へうきん)なる都々逸(どゝいつ)の名人は冷罵(れいば)す、
「君等に大人(たいじん)の心が了(わか)つてたまるものか」と村井は赫(くわつ)と一睨(いちげい)せり「泥棒の用心するのは、必竟(つまり)自分に泥棒根性(こんじやう)があるからだ、世に悪人なるものなしと云ふのが先生の宗教だ、家屋の目的は雨露(うろ)を凌(しの)ぐので、人を拒(ふせ)ぐのでないと云ふのが先生の哲学だ、戸締なき家と云ふことが、先生の共産主義の立派な証拠ぢやないか」
「キヨウサンシユギつて云ふのは一体何のことかネ」と剽軽男(へうきんをとこ)は問ふ、
 村井は五月蝿(うるさい)と云ひげに眉を顰(ひそ)めしが「そりや、其のあれだ、手短に言へば皆ンなで働いて皆ンなで用(つか)ふのだ、誰の物、彼の物なんて、そんな差別は立てないのだ――」
「ヘエー其奴(そいつ)ア便利だ、電車の三銭どころの話ヂヤねいや」
 頭を台湾坊主に食はれたる他の学生、帽子を以て腰掛を叩(た)きつゝ「だが、我輩は常に篠田さんが何故無妻なのかを疑ふよ」
 突然異様の新議案に羽山は真面目(まじめ)に首を傾けつ「何でも先生、亜米利加(アメリカ)で苦学して居た時に、雇主(やとひぬし)の令嬢に失恋したとか云ふことだ、先生の議論の極端過ぎるのも其の結果ヂヤ無いか知ラ」村井は首打ち振りつ、「僕は必ず社会革新の為に、一身の歓楽を犠牲にせられたのだと思ふ」
 時に例の剽軽男(へうきんをとこ)、ニユーと首を延して声を低めつ「嬶(かゝあ)も矢ツ張り共産主義ツた様な一件ヂヤ無(ね)いかナ」
 一座思はずワアツとばかりに腹を抱へぬ、鵜川老人は秘蔵の入歯を吹き飛ばせり、折から矢部(やべ)と云ふ発送係の男、頓驚(とんきやう)なる声を振り立てて、新聞出来(しゆつたい)を報ぜしにぞ「其れツ」と一同先きを争うて走(は)せ出だせり、村井のみ悠々(いう/\)として最後に室(しつ)を出(いで)て行けり、

     三の一

「先生、在(い)らつしやいますか」と大きなる風呂敷包(ふろしきづつみ)を抱へて篠田長二の台所に訪れたるは、五十の阪を越したりとは見ゆれど、ドコやら若々とせる一寸(ちよいと)品の良き老女なり、男世帯なる篠田家に在りての玄関番たり、大宰相たり、大膳太夫(だいぜんのたいふ)たる書生の大和(おほわ)一郎が、白の前垂を胸高(むなだか)に結びて、今しも朝餐(あさげ)の後始末なるに、「おヤ、まア大和さん、御苦労様ですこと――先生は在(い)らつしやいますか」
 松が枝の如きたくましき腕を伸(の)べて茶碗洗ひつゝありし大和は、五分刈の頭、徐(おもむ)ろに擡(もた)げて鉄縁の近眼鏡(めがね)越(ごし)に打ちながめつ「あア、老女(おば)さんですか、大層早いですなア――先生は後圃(うら)で御運動でせウ、何か御用ですか」
「なにネ、先生と貴郎(あなた)の衣服(おめし)を持つて来ましたの、皆さんの所から纏(まと)まらなかつたものですから、大層遅くなりましてネ、――此頃は朝晩めつきり冷(ひや)つきますから、定めて御困りなすつたでせうネ」
「ハヽヽヽ僕も先生も未(ま)だ夏です、では其の風呂敷の中に我家の秋が包まれて居るんですか、どうも有難ウ」
「大和さん、男は礼など言ふものぢやありません、皆さんが喜んで張つたり縫つたり、仕事して下ださるんですから」
「しかし老女(おば)さん、そりや先生の為めにでせう、僕は御礼申さにやなりませんよ」
「まア、貴郎(あなた)は今時の書生さんの様でもないのネ」
 目を挙げて見れば、遠く連(つらな)れる高輪白金(たかなわしろかね)の高台には樹々の梢(こずえ)既(すで)にヤヽ黄を帯びて朝日に匂ひ、近く打ち続く後圃(こうほ)の松林には未(ま)だ虫の声々残りて宛(さ)ながら夜の宿とも謂(い)ひつべし、碧空(へきくう)澄める所には白雲高く飛んで何処(いづこ)に行くを知らず、金風(きんぷう)そよと渡る庭の面(おも)には、葉末の露もろくも散りて空しく地(つち)に玉砕す、秋のあはれは雁(かり)鳴きわたる月前の半夜ばかりかは、高朗の気骨(ほね)に徹(とほ)り清幽の情肉に浸む朝(あした)の趣こそ比ぶるに物なけれ、今しも仰(あふい)で彼の天成の大画(たいぐわ)に双眸(さふぼう)を放ち、俯(ふ)して此の自然の妙詩に隻耳(せきじ)を傾け、樹(こ)の間(ま)をくぐり芝生を辿(たど)り、手を振り体(たい)を練りつゝ篠田は静かに歩みを運び来(きた)る、市(いち)に見る職工の筒袖(つつそで)、古画に見る予言者の頬鬚(ほほひげ)、
「先生、渡辺の老女(おば)さんがお待ちなされてです」と呼ばれる大和の声に、彼は沈思の面(おもて)を揚げて「其れは誠に申訳がありませんでした」
「イヽエ、先生どう致しまして」と老女は縁の障子(しやうじ)を開けぬ、
 彼は書斎へ老女を招致せり、新古の書巻僅(わづか)に膝を容(い)るゝばかりに堆積散乱して、只(た)だ壁間モーゼ火中に神と語るの一画を掛くるあるのみ、
「毎度皆様の御厄介に成りまするので、実に恐縮に存じます」
 老女は手もて之ぞ遮(さへぎ)り「なんの先生、貴郎(あなた)に奥さんのお出来なさる迄は婦人会の方で及ばずながら御世話しようツて、皆さんの御気込(おきご)ですから――」
「しかし老女(おば)さん、最も良き妻を持つ世界の最も幸福なる人よりも、私の方が更に幸福の様に思ひますよ」彼は茶を喫(きつ)しつゝ斯(か)く言ひて軽く笑ふ、
「飛んだこと、何(ど)んなダラシの無い奥様でも、まさか十月になる迄、旦那様に単衣(ひとへ)をお着せ申しては置きませんからネ」とハツハ/\と老女は笑ひ興ず、
「クス/\」と隣室に漏るゝ大和の忍び笑に、老女は驚いて急に口を掩(おほ)ひ「まア、先生、御免遊ばせ、年を取ると無遠慮になりまして、御無礼ばかりして自分ながら愛想が尽きましてネ」
 言ひながら、ツイと少しく膝(ひざ)乗り出だし、声さへ俄(にはか)に打ちひそめて「ほんとにまア、先生、大変なことに成つて仕舞(しま)ひましたのねエ、――昨夜もネ、井上の奥さんが先生の御羽織が出来たからつて持つていらつしやいまして、其の御話なんです、私(わたし)はネ、そんなことがあるもんですか、今(い)ま先生をそんなことが出来るもんですかつて申しました所が、井上の奥様がサウぢやない、是れ/\の話でツて、私なぞには解からぬ何か六(むづ)ヶ敷(しい)事(こと)仰(お)つしやいましてネ、其れでモウ内相談が定(き)まつて、来月三日の教会の廿五年の御祝が済むと、表沙汰(おもてざた)にするんだと仰(お)つしやるぢやありませんか、井上の奥さんは彼(あ)ア云ふ気象の方なもんですから大変に御腹立でしてネ、カウ云ふ時に婦人会が少し威張らねばならねのだけれど、会長が何しても山木さんで、副会長が牧師の奥さんと来て居るんだから、手の出し様が無いツて、涙を流して怒つて居らつしやるのです、私も驚いてしまひましてネ、明日は早朝に参つて先生の御量見を伺ひませうツてお別れしたのです、先生まア何(ど)うしたら可(い)いので御座いませう」
 懸河(けんが)滔々(たう/\)たる老女の能弁を鬚(ひげ)を弄しつゝ聴き居たる篠田
「老女(おば)さん、其れは何事ですか、私(わたし)には毫(すこし)もわかりませぬが」
「先生、何です御わかりになりませぬ――まア驚いたこと――先生、貴郎(あなた)を教会から逐(お)ひ出す相談のあるのを未(ま)だ御存知ないのですか」
「あア、其(それ)ですか」と篠田の軽く首肯(うなづ)くを、老女は黙つて穴の開(あく)ばかりに見つめたり、

     三の二

 渡辺の老女は不平を頬に膨(ふく)らして「あア其れですかどころぢや有りませんよ、先生、貴郎(あなた)が今(い)ま厳乎(しつかり)して下ださらねば、永阪教会も廿五年の御祝で死んで仕舞ひます、御祝だやら御弔(おとむらひ)だやら訳が解(わ)からなくなるぢやありませんか、貴郎(あなた)ネ、井上の奥様(おくさん)の御話では青年会の方々も大層な意気込で、若(も)し篠田さんを逐ひ出すなら、自分等も一所に退会するツてネ、井上様(さん)の与重(よぢゆう)さん杯(など)先達(せんだつ)で相談最中なさうですよ、先生、何(ど)うして下ださる御思召(おぼしめし)ですか」
 篠田は僅(わづか)に口を開きぬ「私(わたし)の故に数々(しば/\)教会に御迷惑ばかり掛けて、実に耻入(はぢい)る次第であります、私を除名すると云ふ動機――其の因縁(いんねん)は知りませぬが、又たそれを根掘りするにも及びませぬが、しかし其表面の理由が、私の信仰が間違つて居るから教会に置くことならぬと云ふのならば、老女(おば)さん、私は残念ながら苦情を申出(まうしいで)る力が無いのです、教会の言ふ所と私の信仰とは慥(たしか)に違つて居るのですから――けれど、老女さん教会の言ふ所と私の信仰と、何(どち)らが神様の御思召に近いかと云ふ段になると、其を裁判するのは只だ神様ばかりです、只だ御互に気を付けたいのは、斯様(かやう)なる紛擾(ごた/\)の時に真実、神の子らしく、基督(キリスト)の信者らしく謙遜(けんそん)に柔和(にうわ)に、主(しゆ)の栄光を顕(あわ)はすことです――私の名が永阪教会の名簿に在(あ)ると無いとは、神の台前に出ることに何の関係もないことです、教会の皆様を思ふ私の愛情は、毫(すこし)も変はることが出来ないです、老女(おば)さんは何時(いつ)迄(まで)も老女さんです」
 老女は何時しか頭(かしら)を垂れて膝(ひざ)には熱き涙の雨の如く降りぬ、
 良(やゝ)久(ひさし)くして老女は面(おもて)押し拭(ぬぐ)ひつ、涙に赤らめる眸(ひとみ)を上げて篠田を視上げ視下ろせり「どしたら、貴郎(あなた)のやうな柔和(やさし)いお心を持つことが出来ませう――其れに就(つ)けても理も非もなく山木さんの言ふなり放題になさる、牧師さんや執事さん方の御心が、余り情ないと思ひますよ――私見たいな無学文盲には六(むづ)ヶ敷(しい)事は少しも解りませぬけれど、あの山木さんなど、何年にも教会へ御出席(おいで)なされたことのあるぢや無し、それに貴郎、酒はめしあがる、芸妓買(げいしやがひ)はなさる、昨年あたりは慥(たし)か妾を囲(かこ)つてあると云ふ噂(うはさ)さへ高かつた程です、只(た)だ当時黄金(かね)がおありなさると云ふばかりで、彼様(あんな)汚(けが)れた男に、此の名高い教会を自由にされるとは何と云ふ怨(うら)めしいことでせう」
 老女は又も面(おもて)を掩(おほ)うてサメザメと泣きぬ、
 老女は鼻打ちかみつ、「けども先生、山木さんも昔日(むかし)から彼様(あんな)では無かつたので御座いますよ、全く今の奥様が悪いのです、――私(わたし)は毎度(いつも)日曜日に、あの洋琴(オルガン)の前へ御座りなさる梅子さんを見ますと、お亡(なくなり)なさつた前の奥様を思ひ出しますよ、あれはゼームスさんて宣教師さんの寄進なされた洋琴で、梅子さんの阿母(おつか)さんの雪子さんとおつしやつた方が、それをお弾(ひ)きなすつたのです、丁度(ちやうど)今の梅子さんと同じ御年頃で、日曜日にはキツと御夫婦で教会へ行らつしやいましてネ、山木さんも熱心にお働きなすつたものですよ、――拍子(ひやうし)の悪いことには梅子さんの三歳(みつ)の時に奥様がお亡(なくなり)になる、それから今の奥様をお貰ひになつたのですが、貴様(あなた)、梅子さんも今の奥様には随分酷(ひど)い目にお逢ひなさいましたよ、ほんたうに前の奥様はナカ/\雄(えら)い、好い方で御座いました、御容姿(ごきりやう)もスツキリとした美くしいお方で――梅子さんが御容姿と云ひ、御気質と云ひ、阿母さんソツクリで在(いら)つしやいますの、阿母さんの方が気持ち身丈(せい)が低くて在(い)らしつたやうに思ひますがネ――」
 老女の心は、端(はし)なくも二十年の昔日(むかし)に返へりて、ひたすら懐旧の春にあこがれつゝ、
「先生、其頃まで山木様(さん)は大蔵省に御勤めで御座いましてネ、何でも余程幅が利(き)いて在(い)らしつたらしかつたのです、スルと、あれはかうツと――左様(さう)/\十四年の暮で御座いましたよ、政府(おかみ)に何か騒が御座いましてネ、今の大隈様(おほくまさん)だの、島田様だのつてエライ方々が、皆ンな揃(そろつ)て御退(おさが)りになりましてネ、其時山木様も一所に役を御免(おやめ)になつたのです、今まで何百ツて云ふ貴(よ)い月給を頂いて居らつしやいましたのが、急に一文なしにおなりなすつたのですから、ほんとに御気の毒の様で御座いましたがネ、奥様が、貴郎(あなた)、厳乎(しつかり)して、丈夫(をとこ)に意見を貫(とほ)させる為めには、仮令(たとへ)乞食になるとも厭(いと)はぬと言ふ御覚悟でせう、面(かほ)は花の様に御美しう御座いましたが、心の雄々しく在(い)らしつたことは兎(と)ても男だつて及びませんでしたよ、山木さんの辞職なされたのも、つまり奥様の御勧(おすゝめ)だと其頃一般の評判でしたの、――其れから奥様は学校の教師(せんせい)をなさる、山木様は新聞を御書きになつたり、演説をして御歩きになつたりして、奥様はコンな幸福は無いツて喜んで在らつしやいましたが、感冒(おかぜ)の一寸こじれたのが基(もと)で敢(あへ)ない御最後でせう――私は尋常(ひとかた)ならぬ御恩(おめぐみ)に預つたもんですから、おしまひ迄御介抱申し上げましたがネ、先生、其の御臨終の御立派でしたこと、四十何度とか云ふ高熱で、普通の人ならば夢中になつて仕舞ふ所ですよ、――山木様の御手を御握(おにぎり)になりましてネ、何卒(どうぞ)日本の政道の上に基督(キリスト)の御栄光(おんさかえ)を顕(あら)はして下ださる様、必ず神様への節操(みさを)をお忘れなさるなと仰(お)つしやいましたが、山木様が決して忘れないから安心せよと御挨拶(ごあいさつ)なさいますとネ、奥様は世に嬉しげに莞爾(にこり)御笑ひ遊ばしてネ、先生、私は今も彼(あ)の時の御顔が目にアリ/\と見えるのです、其れから今度は梅子をと仰つしやいますからネ、未(ま)だ頑是(ぐわんぜ)ない三歳(みつ)の春の御嬢様を、私がお抱き申して枕頭(まくらもと)へ参りますとネ、細ウいお手に、楓(もみぢ)の様な可愛いお手をお取りなすつて、梅ちやんと一と声遊ばしましたがネ、お嬢様が平生(いつも)の様に未だ片言交(かたことまじ)りに、母ちやんと御返事なさいますとネ、――ジツと凝視(みつめ)て在(い)らしつた奥様のお目から玉の様な涙が泉の様に――」
「アヽ、思へば、先生」と老女は涙押し拭(ぬぐ)ひつ「未(ま)だ昨日の様で御座いますが、モウ二たむかし、其の時此の婆のお抱き申した赤児様(あかさま)が、今の立派な梅子さんです、御容姿(ごきりやう)なら御学問なら、御気象なら何(いづ)れ阿母(おつか)さんに立ち勝(まさ)つて、彼様(ああ)して世間(よのなか)の花とも、教会の光とも敬はれて在(い)らつしやるに、阿父(おとうさん)の御様子ツたら、まア何事で御座います、臨終(いまは)の奥様に御誓ひなされた神様への節操(みさを)が、何所(どこ)に残つて居りますか」
 老女は急に気を変へて、打ちほゝ笑み「まア、先生、朝ツぱらから此様(こんな)愚痴を申して済みませぬが、考へて見ますと、成程女と云ふものは悪魔かも知れませぬのねエ、山木様も奥様のお亡(なくな)りなされた当分は、我家の燈(ともしび)が消えたと云つて愁歎(しうたん)して在(い)らしたのですよ、紀念(かたみ)の梅子を男の手で立派に養育して、雪子の恩に酬ゆるなんて吹聴(ふいちやう)して在らつしやいましたがネ、其れが貴郎(あなた)、あの投機師(やまし)の大洞(おほほら)利八と知り合におなりなすつたのが抑(そも/\)で、大洞も山木様の才気に目を着け、演説や新聞で飯の食(くへ)るものぢや無い、是(こ)れからの世の中は金だからつてんでネ、御馳走(ごちそう)はする、贅沢(ぜいたく)はして見せる、其れに貴郎、鰥(やもめ)と云ふ所を見込んでネ、丁度俳優(やくしや)とドウとかで、離縁されてた大洞の妹を山木さんにくつ付けたんですよ、ほんたうにまア、ヒドいぢやありませんか、其れが、貴郎(あなた)、今の奥様のです、だから二た言目には此の山木の財産(しんだい)は己(おれ)の物だつて威張るので、あんな高慢な山木様も、家内(うち)では頭が上がらないさうです、――先生、外国人は矢ツ張り目が肥(こ)えて居りますのネ、ゼームスつて彼(あ)の洋琴(オルガン)を寄附した宣教師さんがネ、米国(くに)へ帰る時、前(ぜん)の奥様に呉々(くれぐれ)も仰つしやつたさうですよ、山木様は余り悧巧(りかう)だから、貴女(あなた)が常に気を付けて過失(あやまち)の無い様にせねばならない、基督(キリスト)の御弟子の中で一番悧巧であつたものが、主(しゆ)を三十両で売り渡したイスカリヲテのユダなのだからツてネ、ほんとに先生、さうで御座いますよ、――何の蚊(か)のと角(かど)ばつたことは申しますがネ、もう/\女の言ふなり次第なものです、考へて見ると世の中に、男ほど意気地(いくぢ)の無いものは御座いませんのねエ」
 是れは飛んだことをと、言ひ放つて老女は、窃(そつ)と見上げぬ、
「実に御辞(おことば)の通りです」と篠田は首肯(うなづ)き「けれど老女(おば)さん、真実我を支配する婦人の在ることは、男児(をとこ)に取つて無上の歓楽では無いでせうか」
 老女は只だ怪訝顔(けげんがほ)、

     四

 山木剛造は今しも晩餐(ばんさん)を終りしならん、大きなる熊の毛皮にドツかと胡座(あぐら)かきて、仰げる広き額には微醺(びくん)の色を帯びて、カンカンと輝ける洋燈(ランプ)の光に照れり、
 茶をすゝむる妻の小皺(こじわ)著(いちじるし)き顔をテカ/\と磨きて、忌(いまは)しき迄艶装(わかづくり)せる姿をジロリ/\とながめつゝ「ぢやア、お加女(かめ)、つまり何(どう)するツて云ふんだ、梅の望(のぞみ)は」
 妻のお加女はチヨイと抜(ぬ)き襟(えり)して「どうするにも、かうするにも、我夫(あなた)、てんで訳が解つたもンぢやありませんやネ、女がなまなか学問なんかすると彼様(あんな)になるものかと愛想が尽きますよ、何卒(どうぞ)芳子にはモウ学問など真平(まつぴら)御免ですよ、チヨツ、親を馬鹿にして」
「何だか少しも解らないなア」
「其りやお解になりますまいよ、どうせ何にも知らない継母(まゝはゝ)の言ふことなどを、お聴き遊ばす御嬢様ぢや無いんですから――我夫(あなた)から直(ぢか)にお指図なさるが可(よ)う御座んすよ、其の為めの男親でさアね」
 剛造の太き眉根(まゆね)ビクリ動きしが、温茶(ぬるちや)と共に疳癪(かんしやく)の虫グツと呑(の)み込みつ「ぢやア、松島を亭主にすることが忌(いや)だと云ふのか」
「忌(いや)なら忌で其れも可(よう)御座んすサ、只だ其の言(いひ)ツ振(ぷり)が癪(しやく)に障(さは)りまさアネ、――ヘン、軍人は私(わたし)は嫌(いや)です、軍人を愛するつてことは私の心が許しませぬから――チヤンチヤラ可笑(をかし)くて」言ひつゝ剛造を横目に睨(にら)みつ「是れと云ふも皆(みん)な我夫(あなた)が、実母(おや)の無い児/\つて甘やかしてヤレ松島さんは少し年を取り過ぎてるの、後妻(のちぞひ)では可哀さうだのツて、二の足踏むからでさアネ、其れ程死んだ奥様(おくさん)に未練が残つて居るんですか」
「何を言ふんだ」と剛造は小声に受け流して横になれり、
 お加女(かめ)はポン/\と煙管(きせる)叩(たた)きながらの独り言「吉野さんの方はどうかと聞けば、ヤレ私(わたし)が貧乏人の女(むすめ)であつても貰ひたいと仰(お)つしやるのでせうかの、仮令(たとへ)急に悪病が起つて耻かしい様な不具(かたは)になつても、御見棄(おみす)てなさらぬのでせうかの、フン、言ひたい熱を吹いて、何処(どこ)に今時、損徳も考へずに女房など貰ふ馬鹿があるものか、――不具になつても御厭(おいと)ひなさらぬか、へ、自分がドンなに別嬪(べつぴん)だと思つて居るんだ、彼方(あつち)からも此方(こつち)からも引手(ひくて)数多(あまた)のは何の為めだ、容姿(きりやう)や学問やソンな詰まらぬものの為めと思ふのか、皆な此の財産(しんだい)の御蔭だあネ、面(かほ)の艶(つや)よりも今は黄金(おかね)の光ですよ、憚(はゞか)りながら此の財産は何某様(どなたさま)の御力だと思ふんだ、――其の恩も思はんで、身分の程も知らなんで、少しばかりの容姿を鼻に掛けて、今に段々取る歳も知らないで、来年はモウ廿四になるぢやないか、構ひ手の無くなつた頃に、是れが山木お梅と申す卒塔婆小町(そとばこまち)の成れの果で御座いツて、山の手の夜店へでも出るが可(い)い、どうセ耶蘇(ヤソ)などだもの、何を仕散(しちら)かして居るんだか、解つたもンぢやない」
 ジロリ、横(よこた)はりて目を塞(ふさ)ぎ居る剛造を一瞥して「我夫(あなた)、仮睡(たぬき)などキメ込んでる時ぢやありませんよ、一昨日(をとゝひ)もネ、私(わたし)、兄の所で松島さんにお目に掛かつてチヤンと御約束して来たんです、念の為と思つたから、我儘(わがまゝ)育(そだち)で、其れに耶蘇(ヤソ)だからツて申した所が、松島さんの仰(お)つしやるには、イヤ外国の軍人と交際するには、耶蘇の嬶(かゝあ)の方が却(かへつ)て便利なので、元々梅子さんの容姿(きりやう)が望のだから、耶蘇でも天理教でも何でも仔細(しさい)ないツて、ほんたうに彼様(あんな)竹を割つた様なカラリとした方ありませんよ、それに兄の言ひますには、今ま此の露西亜(ロシヤ)の戦争と云ふ大金儲(おおかねまうけ)を目の前に控へてる時に、当時海軍で飛ぶ鳥落とす松島を立腹させちやア大変だから、無理にても押し付けて仕舞ふ様にツて、精々(せいぜい)伝言(ことづか)つて来たんです、我夫(あなた)、私の顔を潰(つぶ)しても可(よ)いお積(つもり)ですか」
 剛造の仮睡(そらねむり)して返答なきに、お加女(かめ)は愈々(いよ/\)打ち腹立ち「今の身分になれたのは、誰の為めだと云ふんだネ、――それを梅子のことと云へば何んでも擁護(かばひだて)して、亡妻(しんだもの)の乳母迄引き取つて、梅子に悪智恵ばかり付けさせて――其程(それほど)亡妻が可愛いけりや、骨でも掘つて来て嘗(しやぶ)つてるが可(い)い」
「何だ大きな声して――幾歳(いくつ)になると思ふ」と云ひさま跳(は)ね起きたる剛造の勢(いきおひ)に、
「ハイ、今年(こんねん)取つて五十三歳、旦那様に三ツ上の婆アで御座います、決して新橋あたりへ行らつしやるなと嫉妬(やきもち)などは焼きませんから」
「ナニ、ありや、已(や)むを得ん交際(つきあひ)サ」
「左様(さやう)ですつてネ、雛妓(はんぎよく)を落籍(ひか)して、月々五十円の仕送りする交際(つきあひ)も、近頃外国で発明されたさうですから――我夫(あなた)、明日の教会の親睦会(しんぼくくわい)は御免を蒙ります、天長節は歌舞伎座へ行くものと、往年(むかし)から私(わたし)の憲法なんですから」
 奥殿(おくどの)の風雲転(うた)た急なる時、襖(ふすま)しとやかに外より開かれて、島田髷(しまだまげ)の小間使慇懃(いんぎん)に手をつかへ「旦那様、海軍の官房から電話で御座いまする」

     五の一

 十一月三日、天(そら)は青々と澄みわたりて、地には菊花の芳香あり、此処都会の紅塵(こうぢん)を逃れたる角筈村(つのはずむら)の、山木剛造の別荘の門には国旗翩飜(へんぽん)たる下(もと)に「永阪教会廿五年紀念園遊会」と、墨痕(すみあと)鮮かに大書せられぬ、
 数寄(すき)を凝(こ)らせる奥座敷の縁に、今しも六七名の婦人に囲まれて女王(によわう)の如く尊敬せらるゝ老女あり、何処にてか一度拝顔の栄を得たりしやうなりと、首を傾けて考一考(かういつかう)すれば、アヽ我ながら忘れてけり、昨夜芝公園は山木紳商の奥室に於て、機敏豪放を以て其名を知られたる良人(をつと)をば、小僧同然(どうやう)に叱咤(しつた)操縦せるお加女(かめ)夫人にてぞありける、昨夜の趣にては、年に一度の天長節は歌舞伎座に蓮歩(れんぽ)を移し給ふこと何年ともなき不文憲法と拝聴致せしに、如何(いか)なる協商の一夜の中に成立したればか、耶蘇(ヤソ)の会合などへは臨席し給ひけん、
> 今日を晴れと着飾り塗り飾りたる長谷川牧師の夫人は、一ときは嬌笑(けうせう)を装ひて「奥様(おくさん)が今日御出席下ださいましたことは教会に取つて、何と云ふ光栄で御座いませう、御多用の御体で在(い)らつしやいますから、兎(と)ても六(むつ)ヶ敷(し)いことと一同断念(あきら)めて居たので御座いますよ、能(よ)くまア、奥様御都合がおつきなさいましたことネ――山木家は永阪教会に取つては根でもあり、花でもありなので御座いまする上に、此の稀(まれ)な紀念会を御家の御別荘で開くことが出来、奥様の御出席をも得たと云ふ、此様(こん)な嬉しいことは覚えませぬので、心(しん)から神様に感謝致すので御座いますよ、ホヽヽヽ」
 お加女夫人は例の抜き襟一番「教会へもネ、平生(しよつちゆう)参りたいツて言ふんで御座いますよ、けれども御存知(ごぞんじ)下ださいます通り家の内外(うちそと)、忙しいもンですから、思ふばかりで一寸(ちつと)も出られないので御座いますから、嬢等(むすめども)にもネ、阿母(おつかさん)は兎(と)ても参つて居(を)られないから、お前方(まへがた)は阿母の代りまで勤めねばなりませんと申すので御座いますよ、ほんとに皆様(みなさん)の御体が御羨(おうらやま)しう御座いますことネ、ですから、貴女(あなた)、婦人会の方などもネ、会長なんて大した名前を頂戴(ちやうだい)して居りましても何の御役にも立ちませず、一切皆様に願つて居る様な始末でしてネ、ほんとにお顔向けも出来ないので御座いますよオホヽヽヽ」
「アラ、奥様(おくさん)勿体ないこと、奥様の信仰の堅くて在(い)らつしやいますことは、良人(やど)が毎々(つねづね)御噂申上げるので御座いましてネ、お前などはホンとに意気地(いくぢ)が無くて可(い)けないツて、貴女、其の度(たんび)に御小言(おこごと)を頂戴致しましてネ、家庭の能(よ)く治まつて、良人(をつと)に不平を抱(いだ)かせず、子女(こども)を立派に教育するのが主婦たるものの名誉だから、兎(と)ても及びも着かぬことではあるが、チと山木の奥様(おくさん)を見傚(みなら)ふ様にツて言はれるんですよ、御一家(ごいつけ)皆(みん)な信者で在(い)らつしやいまして、慈善事業と言へば御関係なさらぬはなく、ほんたうにクリスチヤンの理想の家庭と言へば山木様のやうなんでせう、――ねエ皆さん」
 一同シナを作つて「ほんたうに長谷川の奥様(おくさん)の仰つしやいます通りで御座いますよ、オホヽヽヽヽヽヽ」
 驚(おどろい)て、更に視線を転ずれば、太き松の根方に設けたる葭簀(よしず)の蔭に、しきりに此方(こなた)を見ては私語しつゝある五六の婦人を発見せり、中に一人年老(としと)れるは則(すなは)ち先きに篠田長二の陋屋(ろうをく)にて識(し)る人となれる渡辺の老女なり「井上の奥様(おくさん)、一寸御覧なさい、牧師さんの奥様が、きつと又た例の諂諛(おべつか)を並べ立ててるんですよ、それに軽野(かるの)の奥様(おくさん)、薄井(うすゐ)の嬢様(ぢやうさん)、皆様お揃(そろ)ひで」
 井上の奥様(おくさん)と呼ばれたる四十許(ばか)りの婦人、少しケンある眼に打ち見遣(みや)りつ「申しては失礼ですけれど、あれが牧師の妻君などとは信者全体の汚涜(けがれ)です、なにも山木様の別荘なぞ借りなくとも、親睦会は出来るんです、実に気色に障(さ)はりますけれどネ、教会の御祝だと思ふから忍んで参つたのです――其れはサウと、老女(おば)さん、篠田様(しのださん)は今日御見えになるでせうか、ほんとに、御気の毒で、私(わたし)ネ、篠田様のこと思ふと腹が立つ涙が出る、夜も平穏(おつちり)と眠(ね)られないんです、紀念式にも咋夜の演説会にも彼(あ)の通り行らしつて、平生(いつも)の通り聴(きい)てらツしやるでせう、自分が逐(お)ひ出されると内定(きま)つて、印刷までしたプログラムから弁士の名まで削られたんでせう、普通の人で誰がソンな所へ行くものですか、先頃も与重(せがれ)が青年会のことで篠田様に何か叱かられて帰つて来ましてネ、僕は篠田先生の為めなら死んでも構はんて言ふんです、――教会も最早(もう)駄目です、神様の代りに、黄金(かね)を拝むんですから」

     五の二

 何万坪テフ庭園の彼方(かなた)此方(こなた)に設けたる屋台店(やたいみせ)を、食ひ荒らして廻はる学生の一群(ひとむれ)、
「オイ、大橋君、梅子さんが見えぬやうぢやないか」
「又た井上の梅子さん騒ぎか、先刻(さつき)一寸見えたがナ、僕は何だか気の毒の様に感じたから、挨拶もせずに過ぎたのサ、彼女(むかう)でも成るべく人の居ない方へと、避(さけ)てる様子であつたからナ、山木見たいな爺(おやぢ)に梅子さんのあると云ふは、君、正に一個の奇跡だよ」

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