我が宗教観
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著者名:淡島寒月 

 御存じの通り私の父の椿岳(ちんがく)は何んでも好きで、少しずつかじって見る人でありました。で、芸術以外に宗教にも趣味を持って、殊にその内でも空也(くうや)は若い頃本山から吉阿弥の号を貰(もら)って、瓢(ひさご)を叩いては「なアもうだ/\」を唱えていた位に帰依(きえ)していたのでありました。それから後には神官を望んで、白服を着て烏帽子(えぼし)を被った時もありましたが、後にはまた禅は茶味禅味(ちゃみぜんみ)だといって、禅に凝(こ)った事もありました。或る時芝の青松寺へ行って、和尚(おしょう)に対面して話の末、禅の大意を聞いたら、火箸(ひばし)をとって火鉢の灰を叩いて、パッと灰を立たせ、和尚は傍(かたわら)の僧と相顧みて微笑(ほほえ)んだが、終(つい)に父にはその意が分らずにしまったというような話もあります。その頃高崎の大河内子と共に、東海道の旅をした事があって、途中荒れに逢って浜名で橋が半ば流れてしまった。その毀(こわ)れた橋の上で坐禅を組んだので、大河内子が止めたそうでした。それから南禅寺に行った時にも、山門の上で子(し)にすすめられて坐禅をしたという話でした。ところがこれほど凝った禅も、浅草の淡島堂にいた時分には、天台宗になって、僧籍に身を置くようになりました。しかしてその時「本然」という名を貰ったのでした。父はその名を嫌って余り名乗らなかったのでしたが、印形(いんぎょう)がありました。これは明治十年頃の事でした。その後今の向島(むこうじま)の梵雲庵(ぼんうんあん)へ移って「隻手高声」という額を掲げて、また坐禅三昧(ざんまい)に日を送っていたのでした。けれども真実の禅ではなく、野狐禅(やこぜん)でもありましたろうか。しかし父の雅(みやび)の上には総(すべ)て禅味が加わっていた事は確かでした。
 私も父の子故、知らず識(し)らず禅や達磨を見聞していましたが、自分はハイカラの方だったので基督(キリスト)教が珍らしくもあったし、日本で禁止されたこの宗教に興味も唆(そそ)られて、実は意味は分らなかったが、両国の島市という本屋で、金ピカのバイブルを買って来て、高慢な事をいっていたものでした。またその頃駿河台(するがだい)にクレツカという外国人がいまして、その人の所へバイブルの事を聞きに行った事もありました。明治十年頃でもありましたろうか。その後森下町へ移ってから友人にすすめられて、禅を始めて、或る禅師の下(もと)に入室した事もありました。とにかく自分も凝り性でしたから、その頃には自室で坐禅三昧に暮したものでした。また心に掛けて語録の類や宗教書を三倉や浅倉で買った事もありました。その宗教書も、菎蒻本(こんにゃくぼん)や黄表紙を売った時、一緒に売ってしまいました。かく禅以外にもいろいろの宗教をやって見ました。そして常に大精進でしたから、或る時友人と全生庵に坐禅をしに行った帰りに、池(いけ)の端(はた)仲町の蛤鍋(はまぐりなべ)へ這入(はい)ったが、自分は精進だから菜葉(なっぱ)だけで喰べた事がありました。それから当庵に来た時分からまた友人にすすめられて、とうとうクリスチャンになってしまいました。ところがかつて基督教に興味を持ってバイブルを読んでいましたから、外人の牧師とも話が合って、嘱望(しょくぼう)されてそれらの外人牧師と一緒に廃娼(はいしょう)問題を説いた事もありました。こんな具合でしたから高橋の本誓寺という寺の和尚などは、寒月氏が基督信者とはどういうわけだろう、といって不思議にしていましたが、自分のは豊公(ほうこう)がイエズス教に入って、それを仲介者として外国の智識を得たように、宗教そのものよりも、それに依(よ)って外人の趣味に接しようとして遣(や)るのです。かくして私はクリスチャンだったが、今日ではこういう意味で、どんな宗教にも遊びたいと思っています。いわば宗教を趣味の箱に入れてしまうと同じです。それ故マホメット教もバラモン教も、ジャイナ教もいずれも面白いと思います。私のは宗教を信ずるのでなくって味うのです。ラマヤナという宗教書の中に、ハンマンという猿の神様があって、尻尾(しっぽ)へ火を付けてボンベイとセイロンの間を走ったという話がありますが、そのハンマンなどいうものを見聞きする事などが楽しみだったり、面白いので、つまり宗教を通じて外国の趣味を感得したいというのが自分の主義です。されば信ずるものは何かといえば、「眼鏡(めがね)は眼鏡、茶碗は茶碗」とこの一言で充分でしょう。以上が私の宗教観です。此処(ここ)に一首あります。
我が心遊ぶはいづこカイラーサ
    山また山の奥にありけり
 カイラーサというのは、印度(インド)神話にある空想の楽園です。
(大正六年十一月『趣味之友』第二十三号)



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