あしびの花
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著者名:土田杏村 

 今はもう散つて了つたが、馬酔木(あしび)の花は樹の花の中でも立派なものだ。梅のさく早春から藤の散る初夏頃まで咲き続き、挿花にでもしようものなら、一箇月の余もしほれないでゐる、生気の強い灌木だ。
 馬酔木の花を見ると、大抵の人が少しさびし過ぎると考へるであらう。その色つやも大して立派だとは言ふまい。けれどもそれは馬酔木の古木が本当に咲き盛つてゐるところを見てゐないのである。一丈以上にも伸びた古木が山一面にさき続いてゐるところ、それは実際何とも言へないはでやかなもので、だれでもちよつと、この花叢を馬酔木だとは信じまい。
 馬酔木の花の美しいのは奈良である。私はこの春用事があつて幾度となく奈良へ出かけたが、一箇月の余少しの衰へをも見せないで咲き盛つてゐる馬酔木の花を見ることは、その間一つの楽しみであつた。馬酔木(あしび)の古木は春日社の一の鳥居から博物館あたりへかけての広つぱに見られる。が、この辺のものは大抵孤立した樹叢だ。東大寺から三月堂、手向山神社あたりにかけて見られるものは、木のたけも喬木のやうに高く、それが一面に密集してゐるから、その花叢の美しいことも格別で、とてもそれへは普通の馬酔木を見ての感じを当てはめることが出来ない。ここの馬酔木だけは全く奈良の見ものである。
 この辺一帯、即ち三笠山の馬酔木は、既に一千年余の歴史を持つてゐる。万葉集の中にも馬酔木の歌は二十首許り這入つてゐる。中でも有名なのは、天平宝字二年二月、式部大輔中臣清麻呂の宅で宴会のあつた時、来会者の大伴家持らが目を山斎に属して作つた歌三首であるが、それは芸術的に見ても馬酔木の感じを立派に出してゐるものだ。

をしのすむ君がこの山斎(しま)けふ見れば馬酔木の花もさきにけるかも
池水にかげさへ見えてさきにほふ馬酔木の花を袖に扱入(こゐ)れな
いそかげの見ゆる池水照るまでにさけるあしびの散らまく惜しも

 ところがこれらの作に歌はれた馬酔木(あしび)は、今の所謂あしびではないといふ疑ひが昔からある。早く既に契冲がその疑ひを出した。この宴会は二月に開かれて居り、これらの歌の次にある作の詞書には二月十日とあるから、少くもこれらの歌は、二月初旬に作られたとしなければならぬが、馬酔木の花はそんなに早くは咲かないといふのだ。守部はこの歌の「にほふ」「てる」両語を拠り処として、色の赤い花と見るが至当だとし、木瓜の花らしいと結論した。雅澄は、この歌の作られた前年十二月十九日が立春となつてゐるから、この年は気候も早く、二月初旬にはもう陽地に馬酔木は咲いてゐたと論じ、あしび説を支持した。
 けれども三笠山の馬酔木を見た時、私はすべての疑問を解決し得ると思つた。守部などは、馬酔木は花白く見どころがないから、集中の歌にはすべて似つかぬと言つたけれども、それは三笠山の馬酔木を知らぬからである。東大寺の池に映つた花叢を見ると、「いそかげの見ゆる池水照るまでにさける」は正しく実感である。それはかがやかににほうてゐる。家持はこのさきにほふ花を袖の中へ扱き入れようと歌つたが、霰白の珠玉を惜気もなく振り蒔いた、軽快なこの花叢を見ると、だれでもちよつと家持の持つた欲念にそそられる。木瓜の花では扱くことが出来ない。「あしびなす栄えし」と枕詞に使はれたり、「山もせにさける馬酔木(あしび)」と叙景せられたりするのを見れば、その花は「賑はしく麗しく且甚だ多く連らなりてさく花」と見えるから、馬酔木では一層似つかぬと守部は言ふけれども、馬酔木としてこそ実感そのままの描写である。昔は河内から伊勢路へかけて、馬酔木の花は大和一面にさきつらなつてゐたらしい。
 作品の解釈は、やはり実感を標準としなければ分るものでないと、私はその時固く信じたのである。




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