はじめに
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著者名:楠山正雄 

 名だかい「青い鳥」のお芝居を、少年少女の皆さんのためにできるだけやさしく、讀みやすく、物語風に書きやはらげてみました。
「青い鳥」の原作は、六幕十二景といふ長いお芝居で、今から三十年あまり前に、近代のベルギーの大詩人で、モリス・メーテルリンクといふ人が書きました。このお芝居がヨーロッパのどこの國でも大へんな評判になつて、わが國にもつたはつてたび/\舞臺(ぶたい)で演じられ、すこし大げさにいふと、世界ぢうの劇場(げきぢやう)の樣子が、この芝居一つのおかげできふにかはつたといはれるくらゐでしたし、作者のメーテルリンク氏は、そのごはうびに、ノルウェイ政府からノベル平和賞といふものをもらふことにもなりました。
 さて、「青い鳥」が出て十年ののち、「青い鳥」のつづきに、「いひなづけ、又の名青い鳥のえらぶもの」といふ、これも五幕十一景といふお芝居をおなじ作者が書きました。今、この二つの作を一つにつづけて、第一部「幼年の卷」、第二部「少年の卷」として、わたくしはこの物語を書きました。(それを書くについては、メーテルリンク氏の夫人のジョルジェット・ルブランさんの書いた「子供のための青い鳥」、メーテルリンク氏の全作品の專門飜譯家(せんもんほんやくか)としてきこえたアレグザンダ・デ・マトーズ氏のおなじく「子供のためのチルチル」といふ二つの本がもとになりました。)それは、どちらもチルチル、ミチルの兄妹(あにいもと)の物語で、ことに男の主人公のチルチルが、前は十一歳の幼年時代、のちは十七歳の少年時代とわかれて、活躍してゐるからです。
 ところで、「青い鳥」のあらすぢをいへば、それは、クリスマスの前の晩に、木こりの子供のチルチル、ミチルが、妖女にたのまれて、「青い鳥」をさがしに、「光」の少女の先導(せんだう)で、「犬」や「猫」や「パン」や、そのほか大勢のお供を連れて、人間の心には感じてはゐても、その肉身の目には見えないでゐる、いはば靈魂(れいこん)のふしぎな國々を旅行してあるくお話です。だから、犬、猿、雉のお供を連れて、金銀、瑠璃(るり)、瑪瑙(めなう)の寶物を求めて鬼ヶ島へ冒險の旅に出る日本の桃太郎の昔話を、平和な心の世界の探檢の、それも子供たちの夢で見るお話にしたやうなものだともいはれませう。つづく「いひなづけ、又の名青い鳥のえらぶもの」の物語も、やはり、少年になつたチルチルが、こんども「光」の案内で、そのうちどれかが未來のお嫁さんになるはずの少女を七人もお供にして、遠い昔の先祖たちや、これから生れて來る子供たちの國をたづねる、これもやはりクリスマスの前の晩の夢物語で、人間の世は自分一代のものではなく、先祖から子孫へと果(は)てしなくつづいてゐるものだから、そのたいせつな血すぢをつなぐ「母」になる人を、自分一人の氣まぐれや好みだけでえらんではならないといふことを作者はここでも話してゐるのです。
 さて、「青い鳥」といふのはなんでせうか。「青」は昔から人間だけの持つ靜かな、ふかい心の智慧(ちゑ)の色だとしてあります。人間は肉の目だけで物を見てゐると、富だとか、名譽だとか、權力だとか、とかくうはべのはな/″\しいことにひかれて、それを世のなかの一ばんの幸福だと思ひたがるものですが、一そう明るい、心の智慧の目があいてゐたら、ほんたうの高い、ふかい幸福は、實はつい手近な自分の身のまはりにあることがわかるだらう、身はまづしく、いやしくとも、人をうらやまずねたまず、つつましい正直な心で世のなかを送る者の家にこそまことの幸福はあるのだ、といふのが作者の考へです。そこで、「青い鳥」といふのは、さういふ心の智慧だけが感じるごくありふれた毎日の生活の幸福を形(かたち)にあらはして見せたものだといへます。
 もう一つ、この物語の「少年の卷」にも出て來ますが、ぐわんこで意地のわるい「運命(うんめい)」といふものが、人間の一生につきまとつてはなれません。人間の世のなかはちよつと見ると平和のやうで、實は目に見えないさま/″\の敵が、たとへば天災だとか、病氣だとか、死だとか、人間同士の、または人間と動物や植物や宇宙(うちう)の萬物との間の戰爭だとか、人間をすこしの間も靜かにしておかない敵があつて、ゆだんなく人間はこれとたたかつてゆかなければなりません、それを一口にいへば「運命」といふ、やつかいなお供に始終引きずられて行つてゐるやうなものですが、幸ひ人間には高尚(かうしやう)な心の智慧といふものがあつて、それによつて胸のなかが光と喜びにあふれるとき、このいんきくさい「運命」をのり越えて精神の自由を得て、國のため、家のため、または自分の一身のためにも、安心してりつぱな行ひや苦しいつとめに、命をゆだねるだけの勇氣をふるひおこす力がそなはつてゐる、だからいい人間になるには、つい目の前にころがつてゐるけば/\しい、いやしい、物の慾にとらはれず、だれも心を高く大きく持つて、いはば神樣に近い智慧をやしなふ工夫がなくてはならない――まづかういふのが、すこしむづかしいやうですが、この「青い烏」の二つの物語を讀めば、しぜんに、おもしろく、わかつてくる作者のをしへです。
 メーテルリンク氏は、西暦で一八六二年八月の生れですから、今年はもう八十歳の老人です。ベルギー帝國では第一の國民詩人とたふとばれて、侯爵の位までもらつた人ですが、こんどの大戰で、國をのがれて、外國へ浪々(らう/\)の旅をつづけてゐます。でも、そんな老年になつてさういふ目にあふのは氣の毒だ、といつて同情する人があつたとしても、この老詩人は、にこ/\笑つていふでせう、「なあに、青い鳥はどこへ行つても窓(まど)の下でうたつてゐますよ。」と。
   昭和十六年の紀元節の日
譯者



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