葛の葉狐
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著者名:楠山正雄 

     一

 むかし、摂津国(せっつのくに)の阿倍野(あべの)という所(ところ)に、阿倍(あべ)の保名(やすな)という侍(さむらい)が住(す)んでおりました。この人の何代(なんだい)か前(まえ)の先祖(せんぞ)は阿倍(あべ)の仲麻呂(なかまろ)という名高(なだか)い学者(がくしゃ)で、シナへ渡(わた)って、向(む)こうの学者(がくしゃ)たちの中に交(まじ)ってもちっとも引(ひ)けをとらなかった人です。それでシナの天子(てんし)さまが日本(にっぽん)へ還(かえ)すことを惜(お)しがって、むりやり引(ひ)き止(と)めたため、日本(にっぽん)へ帰(かえ)ることができないで、そのまま向(む)こうで、一生(しょう)暮(く)らしてしまいました。仲麻呂(なかまろ)が死(し)んでからは、日本(にっぽん)に残(のこ)った子孫(しそん)も代々(だいだい)田舎(いなか)にうずもれて、田舎侍(いなかざむらい)になってしまいました。仲麻呂(なかまろ)の代(だい)から伝(つた)えた天文(てんもん)や数学(すうがく)のむずかしい書物(しょもつ)だけは家(いえ)に残(のこ)っていますが、だれもそれを読(よ)むものがないので、もう何(なん)百年(ねん)という間(あいだ)、古(ふる)い箱(はこ)の中にしまい込(こ)まれたまま、虫(むし)の食(く)うにまかしてありました。保名(やすな)はそれを残念(ざんねん)なことに思(おも)って、どうかして先祖(せんぞ)の仲麻呂(なかまろ)のような学者(がくしゃ)になって、阿倍(あべ)の家(いえ)を興(おこ)したいと思(おも)いましたが、子供(こども)の時(とき)から馬(うま)に乗(の)ったり弓(ゆみ)を射(い)たりすることはよくできても、学問(がくもん)で身(み)を立(た)てることは思(おも)いもよらないので、せめてりっぱな子供(こども)を生(う)んで、その子を先祖(せんぞ)に負(ま)けないえらい学者(がくしゃ)に仕立(した)てたいと思(おも)い立(た)ちました。そこで、ついお隣(となり)の和泉国(いずみのくに)の信田(しのだ)の森(もり)の明神(みょうじん)のお社(やしろ)に月詣(つきまい)りをして、どうぞりっぱな子供(こども)を一人(ひとり)お授(さず)け下(くだ)さいましと、熱心(ねっしん)にお祈(いの)りをしていました。
 ある年(とし)の秋(あき)の半(なか)ばのことでした。保名(やすな)は五六人(にん)の家来(けらい)を連(つ)れて、信田(しのだ)の明神(みょうじん)の参詣(さんけい)に出かけました。いつものとおりお祈(いの)りをすましてしまいますと、折(おり)からはぎやすすきの咲(さ)き乱(みだ)れた秋(あき)の野(の)の美(うつく)しい景色(けしき)をながめながら、保名主従(やすなしゅじゅう)はしばらくそこに休(やす)んで、幕張(まくば)りの中でお酒盛(さかも)りをはじめました。
 そのうちだんだん日が傾(かたむ)きかけて、短(みじか)い秋(あき)の日は暮(く)れそうになりました。保名主従(やすなしゅじゅう)はそろそろ帰(かえ)り支度(じたく)をはじめますと、ふと向(む)こうの森(もり)の奥(おく)で大ぜいわいわいさわぐ声(こえ)がしました。その中には太鼓(たいこ)だのほら貝(がい)だのの音(おと)も交(まじ)って、まるで戦争(せんそう)のようなさわぎが、だんだんとこちらの方(ほう)に近(ちか)づいて来(き)ました。主従(しゅじゅう)は何事(なにごと)がはじまったのかと思(おも)って思(おも)わず立(た)ちかけますと、その時(とき)すぐ前(まえ)の草叢(くさむら)の中で、「こんこん。」と悲(かな)しそうに鳴(な)く声(こえ)が聞(き)こえました。そして若(わか)い牝狐(めぎつね)が一匹(ぴき)、中から風(かぜ)のように飛(と)んで来(き)ました。「おや。」という間(ま)もなく、狐(きつね)は保名(やすな)の幕(まく)の中に飛(と)び込(こ)んで来(き)ました。そして保名(やすな)の足(あし)の下で首(くび)をうなだれ、しっぽを振(ふ)って、さも悲(かな)しそうにまた鳴(な)きました。それは人に追(お)われて逃(に)げ場(ば)を失(うしな)った狐(きつね)が、ほかの慈悲(じひ)深(ぶか)い人間(にんげん)の助(たす)けを求(もと)めているのだということはすぐ分(わ)かりました。保名(やすな)は情(なさ)け深(ぶか)い侍(さむらい)でしたから、かわいそうに思(おも)って、家来(けらい)にかつがせた箱(はこ)の中に狐(きつね)を入(い)れて、かくまってやりました。すると間(ま)もなく、「うおっうおっ。」というやかましい鬨(とき)の声(こえ)を上(あ)げて、何(なん)十人(にん)とない侍(さむらい)が、森(もり)の中から駆(か)け出(だ)して来(き)ました。そしていきなり保名(やすな)の幕(まく)の中にばらばらと飛(と)び込(こ)んで来(き)て、物(もの)もいわずにそこらを探(さが)し回(まわ)りました。
 この乱暴(らんぼう)なしわざを見(み)て、保名(やすな)はかっと腹(はら)を立(た)てて、
「あなたはだれです。断(ことわ)りもなく、出(だ)し抜(ぬ)けに人の幕(まく)の中に入(はい)って来(く)るのは、乱暴(らんぼう)ではありませんか。」
 ととがめました。
「生意気(なまいき)をいうな。我々(われわれ)がせっかく見(み)つけた狐(きつね)が、この幕(まく)の中に逃(に)げ込(こ)んだから探(さが)すのだ。早(はや)く狐(きつね)を出(だ)せ。」
 とその中の頭分(かしらぶん)らしい侍(さむらい)がいいました。それから二言(ふたこと)三言(みこと)いい合(あ)ったと思(おも)うと、乱暴(らんぼう)な侍共(さむらいども)はいきなり刀(かたな)を抜(ぬ)いて切(き)ってかかりました。保名(やすな)も家来(けらい)たちもみんな強(つよ)い侍(さむらい)でしたから、負(ま)けずに防(ふせ)ぎ戦(たたか)って、とうとう乱暴(らんぼう)な侍共(さむらいども)を残(のこ)らず追(お)い払(はら)ってしまいました。そして箱(はこ)の中にかくしておいた狐(きつね)をさっそく出(だ)して、その間(ま)に逃(に)がしてやりました。狐(きつね)はまるで人間(にんげん)が手を合(あ)わせて拝(おが)むような形(かたち)をして、二三度(ど)拝(おが)んだと思(おも)うと、さもうれしそうにしっぽを振(ふ)って、草叢(くさむら)の中へ逃(に)げて行ってしまいました。
 狐(きつね)の姿(すがた)が見(み)えなくなったと思(おも)うと、また向(む)こうの森(もり)の中で、先(せん)よりも三倍(ばい)も四倍(ばい)もさわがしい人声(ひとごえ)がしました。保名(やすな)が驚(おどろ)いて振(ふ)り返(かえ)って見(み)るひまもなく、すぐ目(め)の前(まえ)に一人(ひとり)、りっぱな馬(うま)に乗(の)った大将(たいしょう)らしい侍(さむらい)を先(さき)に立(た)てて、こんどは何(なん)百人(にん)という侍(さむらい)が、一塊(ひとかたまり)になって寄(よ)せて来(き)て、保名主従(やすなしゅじゅう)を取(と)り囲(かこ)みました。そこで又(また)はげしい戦(いくさ)がはじまりました。保名主従(やすなしゅじゅう)は幾(いく)ら強(つよ)くっても、先刻(せんこく)の働(はたら)きでずいぶん疲(つか)れている上に、百倍(ばい)もある敵(てき)に囲(かこ)まれていることですから、とても敵(かな)いようがありません。保名(やすな)の家来(けらい)は残(のこ)らず討(う)たれて、保名(やすな)も体中(からだじゅう)刀傷(かたなきず)や矢傷(やきず)を負(お)った上に、大ぜいに手足(てあし)をつかまえられて、虜(とりこ)にされてしまいました。
 この馬(うま)に乗(の)った大将(たいしょう)は、やはりお隣(となり)の河内国(かわちのくに)に住(す)んでいる石川悪右衛門(いしかわあくうえもん)という侍(さむらい)でした。奥方(おくがた)がこのごろ重(おも)い病(やまい)にかかって、いろいろの医者(いしゃ)に見(み)せても少(すこ)しも薬(くすり)の効(き)き目(め)が見(み)えないものですから、ちょうど自分(じぶん)のにいさんが芦屋(あしや)の道満(どうまん)といって、その時分(じぶん)名高(なだか)い学者(がくしゃ)で、天子様(てんしさま)のおそばに仕(つか)えて、天文(てんもん)や占(うらな)いでは日本(にっぽん)一の名人(めいじん)という評判(ひょうばん)だったのを幸(さいわ)い、ある時(とき)悪右衛門(あくうえもん)は道満(どうまん)に頼(たの)んで、来(き)て見(み)てもらいますと、奥方(おくがた)の病気(びょうき)はただの薬(くすり)では治(なお)らない、若(わか)い牝狐(めぎつね)の生(い)き肝(ぎも)を取(と)ってせんじて飲(の)ませるよりほかにないということでした。そこで信田(しのだ)の森(もり)へ大ぜい家来(けらい)を連(つ)れて狐狩(きつねが)りに来(き)たのでした。けれども運悪(うんわる)く、一日(にち)森(もり)の中を駆(か)け回(まわ)っても一匹(ぴき)の獲物(えもの)もありません。すっかりかんしゃくをおこしてぷんぷんしながら引(ひ)き上(あ)げようとしますと、ひょっこり、親子(おやこ)三匹(びき)の狐(きつね)が長(なが)いすすきの陰(かげ)にかくれているのを見(み)つけました。大喜(おおよろこ)びでさっそく大ぜいかかりますと、狐(きつね)は驚(おどろ)いて、牝牡(めすおす)の狐(きつね)はとうとう逃(に)げてしまいましたが、まだ若(わか)い小狐(こぎつね)が一匹(ぴき)逃(に)げ場(ば)を失(うしな)って、大ぜいに追(お)われながら、すばやく保名(やすな)の幕(まく)の中まで逃(に)げ込(こ)んだのでした。
 こうしてせっかく手(て)に入(い)れかけた狐(きつね)を横合(よこあ)いから取(と)られてしまったのですから、悪右衛門(あくうえもん)はくやしがって、やたらに保名(やすな)を憎(にく)みました。そして生(い)け捕(ど)ったまま保名(やすな)を殺(ころ)してしまおうとしますと、ふいに向(む)こうから、
「もしもし、しばらくお待(ま)ちなさい。」
 という声(こえ)が聞(き)こえました。
 悪右衛門(あくうえもん)が驚(おどろ)いて振(ふ)り返(かえ)ると、それは同(おな)じ河内国(かわちのくに)の藤井寺(ふじいでら)というお寺(てら)の和尚(おしょう)さんでした。そのお寺(てら)は石川(いしかわ)の家(いえ)代々(だいだい)の菩提所(ぼだいしょ)で、和尚(おしょう)さんとは平生(へいぜい)から大そう懇意(こんい)な間柄(あいだがら)でした。
「これはめずらしい所(ところ)でお目にかかりました。どういうわけで、その男を殺(ころ)そうとなさるのです。」
 と和尚(おしょう)さんはたずねました。
 悪右衛門(あくうえもん)はそこで、今日(きょう)の狐狩(きつねが)りの次第(しだい)をのべて、とうとうおしまいに保名(やすな)にじゃまをされて、くやしくってくやしくってたまらないという話(はなし)をしました。
 和尚(おしょう)さんは、静(しず)かに話(はなし)を聞(き)いた後(あと)で、
「なるほど、それはお腹(はら)の立(た)つのはごもっともです。けれども人の命(いのち)を取(と)るというのは容易(ようい)なことではありません。殊(こと)に大切(たいせつ)な御病人(ごびょうにん)の命(いのち)を助(たす)けようとしておいでの時(とき)、ほかの人間(にんげん)の命(いのち)を取(と)るというのは、仏(ほとけ)さまのおぼしめしにもかなわないでしょう。そうすると、せっかく助(たす)かる御病人(ごびょうにん)が、かえって助(たす)からなくなるまいものでもない。」
 こう和尚(おしょう)さんにいわれると、さすがに傲慢(ごうまん)な悪右衛門(あくうえもん)も、少(すこ)し勇気(ゆうき)がくじけました。和尚(おしょう)さんはここぞと、
「しかし、ただ助(たす)けるというのが業腹(ごうはら)にお思(おも)いなら、こうしましょう。この男を今日(きょう)から侍(さむらい)をやめさせて、わたしの弟子(でし)にして、出家(しゅっけ)させます。それで堪忍(かんにん)しておやりなさい。」
 といいました。
 悪右衛門(あくうえもん)もとうとう和尚(おしょう)さんに言(い)い伏(ふ)せられて、いったん虜(とりこ)にした保名(やすな)を放(はな)してやりました。
 やがて悪右衛門(あくうえもん)の主従(しゅじゅう)は和尚(おしょう)さんに別(わか)れを告(つ)げて、また森(もり)の中にすっかり姿(すがた)が見(み)えなくなりますと、和尚(おしょう)さんは、その時(とき)まで、ぼんやり夢(ゆめ)をみたように座(すわ)っていた保名(やすな)に向(む)かって、
「さあ、乱暴者(らんぼうもの)どもが行ってしまいました。また見(み)つからないうちに、そっと向(む)こうの道(みち)を通(とお)って逃(に)げていらっしゃい。わたくしはさっきあなたに助(たす)けて頂(いただ)いた、この森(もり)の狐(きつね)です。御恩(ごおん)は一生(いっしょう)忘(わす)れません。」
 こういうが早(はや)いか、和尚(おしょう)さんはもうまた元(もと)の狐(きつね)の姿(すがた)になって、しっぽを振(ふ)りながら、悪右衛門(あくうえもん)たちが帰(かえ)っていった方角(ほうがく)とは違(ちが)った向(む)こうの森(もり)の中の道(みち)へ入(はい)っていきました。それはさも、自分(じぶん)について来(こ)いというようでした。保名(やすな)はいよいよ夢(ゆめ)の中で夢(ゆめ)を見(み)たような心持(こころも)ちがしながら、うかうかとその後(あと)についていきました。

     二

 もう日がとっぷり暮(く)れて、夜(よる)になりました。暗(くら)い樹(き)の間(あいだ)から、吹(ふ)けば飛(と)びそうに薄(うす)い三日月(みかづき)がきらきらと光(ひか)って見(み)えていました。保名(やすな)はいつの間(ま)にか狐(きつね)の行方(ゆくえ)を見失(みうしな)ってしまって、心細(こころぼそ)く思(おも)いながら、森(もり)の中の道(みち)をとぼとぼと歩(ある)いて行きました。しばらく行くと、やがて森(もり)が尽(つ)きて、山と山との間(あいだ)の、谷(たに)あいのような所(ところ)へ出ました。体中(からだじゅう)にうけた傷(きず)がずきんずきん痛(いた)みますし、もう疲(つか)れきってのどが渇(かわ)いてたまりませんので、水(みず)があるかと思(おも)って谷(たに)へずんずん下(お)りていきますと、はるかの谷底(たにぞこ)に一(ひと)すじ、白い布(ぬの)をのべたような清水(しみず)が流(なが)れていて、月(つき)の光(ひかり)がほのかに当(あ)たっていました。その光(ひかり)の中にかすかに人らしい姿(すがた)が見(み)えたので、保名(やすな)はほっとして、痛(いた)む足(あし)をひきずりひきずり、岩角(いわかど)をたどって下(お)りて行きますと、それはこんな寂(さび)しい谷(たに)あいに似(に)もつかない十六七のかわいらしい少女(おとめ)が、谷川(たにがわ)で着物(きもの)を洗(あら)っているのでした。少女(おとめ)は保名(やすな)の姿(すがた)を見(み)るとびっくりして、危(あや)うく踏(ふ)まえていた岩(いわ)を踏(ふ)みはずしそうにしました。それから保名(やすな)の血(ち)だらけになった手足(てあし)と、ぼろぼろに裂(さ)けた着物(きもの)と、それに何(なに)よりも死人(しにん)のように青(あお)ざめた顔(かお)を見(み)ると、思(おも)わずあっとさけび声(ごえ)をたてました。保名(やすな)は気(き)の毒(どく)そうに、
「驚(おどろ)いてはいけません。わたしはけっして怪(あや)しいものではありません。大ぜいの悪者(わるもの)に追(お)われて、こんなにけがをしたのです。どうぞ水(みず)を一杯(ぱい)飲(の)ませて下(くだ)さい。のどが渇(かわ)いて、苦(くる)しくってたまりません。」
 といいました。
 娘(むすめ)はそう聞(き)くと大(たい)そう気(き)の毒(どく)がって、谷川(たにがわ)の水(みず)をしゃくって、保名(やすな)に飲(の)ませてやりました。そしてそのみじめらしい様子(ようす)をつくづくとながめながら、
「まあ、そんな痛々(いたいた)しい御様子(ごようす)では、これからどこへいらっしゃろうといっても、途中(とちゅう)で歩(ある)けなくなるにきまっています。むさくるしい家(いえ)で、おいやでしょうけれど、ともかくわたくしのうちへいらしって、傷(きず)のお手当(てあて)をなさいまし。」
 といいました。
 保名(やすな)は大(たい)そうよろこんで、娘(むすめ)の後(あと)についてその家(いえ)へ行きました。それは山(やま)の陰(かげ)になった寂(さび)しい所(ところ)で、うちには娘(むすめ)のほかにだれも人はおりませんでした。この娘(むすめ)は親(おや)も兄弟(きょうだい)もない、ほんとうの一人(ひとり)ぼっちで、この寂(さび)しい森(もり)の奥(おく)に住(す)んでいるのでした。
 その明(あ)くる日保名(やすな)は目が覚(さ)めてみると、昨日(きのう)うけた体(からだ)の傷(きず)が一晩(ひとばん)のうちにひどい熱(ねつ)をもって、はれ上(あ)がっていました。体中(からだじゅう)、もうそれは搾木(しめぎ)にかけられたようにぎりぎり痛(いた)んで、立(た)つことも座(すわ)ることもできません。そこで保名(やすな)は心(こころ)のうちには気(き)の毒(どく)に思(おも)いながら、毎日(まいにち)あおむけになって寝(ね)たまま、親切(しんせつ)な娘(むすめ)の世話(せわ)に体(からだ)をまかしておくほかはありませんでした。
 保名(やすな)の体(からだ)が元(もと)どおりになるにはなかなか手間(てま)がかかりました。娘(むすめ)はそれでも、毎日(まいにち)ちっとも飽(あ)きずに、親身(しんみ)の兄弟(きょうだい)の世話(せわ)をするように親切(しんせつ)に世話(せわ)をしました。保名(やすな)の体(からだ)がすっかりよくなって、立(た)って外(そと)へ出歩(である)くことができるようになった時分(じぶん)には、もうとうに秋(あき)は過(す)ぎて、冬(ふゆ)の半(なか)ばになりました。森(もり)の奥(おく)の住(す)まいには、毎日(まいにち)木枯(こが)らしが吹(ふ)いて、木(こ)の葉(は)も落(お)ちつくすと、やがて深(ふか)い雪(ゆき)が森(もり)をも谷(たに)をもうずめつくすようになりました。保名(やすな)はそのままいっしょに雪(ゆき)の中にうずめられて、森(もり)を出ることができないでいました。そのうち雪(ゆき)がそろそろ解(と)けはじめて、時々(ときどき)は森(もり)の中に小鳥(ことり)の声(こえ)が聞(き)こえるようになって、春(はる)が近(ちか)づいてきました。保名(やすな)は毎日(まいにち)親切(しんせつ)な娘(むすめ)の世話(せわ)になっているうち、だんだんうちのことを忘(わす)れるようになりました。それからまた一年(ねん)たって、二度(ど)めの春(はる)が訪(おとず)れてくる時分(じぶん)には、保名(やすな)と娘(むすめ)の間(あいだ)にかわいらしい男の子が一人(ひとり)生(う)まれていました。このごろでは保名(やすな)はすっかりもとの侍(さむらい)の身分(みぶん)を忘(わす)れて、朝(あさ)早(はや)くから日の暮(く)れるまで、家(いえ)のうしろの小(ちい)さな畑(はたけ)へ出(で)てはお百姓(ひゃくしょう)の仕事(しごと)をしていました。お上(かみ)さんの葛(くず)の葉(は)は、子供(こども)の世話(せわ)をする合間(あいま)には、機(はた)に向(む)かって、夫(おっと)や子供(こども)の着物(きもの)を織(お)っていました。夕方(ゆうがた)になると、保名(やすな)が畑(はたけ)から抜(ぬ)いて来(き)た新(あたら)しい野菜(やさい)や、仕事(しごと)の合間(あいま)に森(もり)で取(と)った小鳥(ことり)をぶら下(さ)げて帰(かえ)って来(き)ますと、葛(くず)の葉(は)は子供(こども)を抱(だ)いてにっこり笑(わら)いながら出て来(き)て、夫(おっと)を迎(むか)えました。
 こういう楽(たの)しい、平和(へいわ)な月日(つきひ)を送(おく)り迎(むか)えするうちに、今年(ことし)は子供(こども)がもう七つになりました。それはやはり野面(のづら)にはぎやすすきの咲(さ)き乱(みだ)れた秋(あき)の半(なか)ばのことでした。ある日いつものとおり保名(やすな)は畑(はたけ)に出て、葛(くず)の葉(は)は一人(ひとり)寂(さび)しく留守居(るすい)をしていました。お天気(てんき)がいいので子供(こども)も野(の)へとんぼを取(と)りに行ったまま、遊(あそ)びほおけていつまでも帰(かえ)って来(き)ませんでした。葛(くず)の葉(は)はいつものとおり機(はた)に向(む)かって、とんからりこ、とんからりこ、機(はた)を織(お)りながら、少(すこ)し疲(つか)れたので、手を休(やす)めて、うっとり庭(にわ)をながめました。もう薄(うす)れかけた秋(あき)の夕日(ゆうひ)の中に、白い菊(きく)の花(はな)がほのかな香(かお)りをたてていました。葛(くず)の葉(は)は何(なん)となくうるんだ寂(さび)しい気持(きも)ちになって、我(われ)を忘(わす)れてうっかりと魂(たましい)が抜(ぬ)け出(だ)したようになっていました。その時(とき)外(そと)から、
「かあちゃん、かあちゃん。」
 と呼(よ)びながら、遊(あそ)び疲(つか)れた子供(こども)が駆(か)けて帰(かえ)って来(き)ました。うっとりしていて、その声(こえ)にも気(き)がつかなかったとみえて、葛(くず)の葉(は)が返事(へんじ)をしないので、不思議(ふしぎ)に思(おも)って子供(こども)はそっと庭(にわ)に入(はい)ってみますと、いつものように機(はた)に向(む)かっている母親(ははおや)の姿(すがた)は見(み)えましたが、機(はた)を織(お)る手は休(やす)めて、機(はた)の上(うえ)につっぷしたまま、うとうとうたた寝(ね)をしていました。ふと見(み)るとその顔(かお)は、人間(にんげん)ではなくって、たしかに狐(きつね)の顔(かお)でした。子供(こども)はびっくりして、もう一度(ど)見直(みなお)しましたが、やはりまぎれもない狐(きつね)の顔(かお)でした。子供(こども)は「きゃっ。」と、思(おも)わずけたたましいさけび声(ごえ)を上(あ)げたなり、あとをも見(み)ずに外(そと)へ駆(か)け出(だ)しました。
 子供(こども)のさけび声(ごえ)に、はっとして葛(くず)の葉(は)は目を覚(さ)ましました。そしてちょいとうたた寝(ね)をした間(ま)に、どういうことが起(お)こったか、残(のこ)らず知(し)ってしまいました。ほんとうにこの葛(くず)の葉(は)は人間(にんげん)の女ではなくって、あの時(とき)保名(やすな)に助(たす)けられた若(わか)い牝狐(めぎつね)だったのです。狐(きつね)は今日(きょう)までかくしていた自分(じぶん)の醜(みにく)い、ほんとうの姿(すがた)を子供(こども)に見(み)られたことを、死(し)ぬほどはずかしくも、悲(かな)しくも思(おも)いました。
「もうどうしても、このままこうしていることはできない。」
 こう葛(くず)の葉(は)はいって、はらはらと涙(なみだ)をこぼしました。
 そういいながら、八年(ねん)の間(あいだ)なれ親(した)しんだ保名(やすな)にも、子供(こども)にも、この住(すま)いにも、別(わか)れるのがこの上なくつらいことに思(おも)われました。さんざん泣(な)いたあとで、葛(くず)の葉(は)は立(た)ち上(あ)がって、そこの障子(しょうじ)の上に、
「恋(こい)しくば
たずね来(き)てみよ、
和泉(いずみ)なる
しのだの森(もり)の
うらみ葛(くず)の葉(は)。」
 とこう書(か)いて、またしばらく泣(な)きくずれました。そしてやっと思(おも)いきって立(た)ち上(あ)がると、またなごり惜(お)しそうに振(ふ)り返(かえ)り、振(ふ)り返(かえ)り、さんざん手間(てま)をとった後(あと)で、ふいとどこかへ出ていってしまいました。
 もう日が暮(く)れかけていました。保名(やすな)は子供(こども)を連(つ)れて畑(はたけ)から帰(かえ)って来(き)ました。母親(ははおや)の変(か)わった姿(すがた)を見(み)てびっくりした子供(こども)は、泣(な)きながら方々(ほうぼう)父親(ちちおや)のいる所(ところ)を探(さが)し歩(ある)いて、やっと見(み)つけると、今(いま)し方(がた)見(み)たふしぎを父親(ちちおや)に話(はな)したのです。保名(やすな)は驚(おどろ)いて、子供(こども)を連(つ)れて、あわてて帰(かえ)って来(き)てみると、とんからりこ、とんからりこ、いつもの機(はた)の音(おと)が聞(き)こえないで、うちの中はひっそりと、静(しず)まり返(かえ)っていました。うち中(じゅう)たずね回(まわ)っても、裏(うら)から表(おもて)へと探(さが)し回(まわ)っても、もうどこにも葛(くず)の葉(は)の姿(すがた)は見(み)えませんでした。そしてもう暮(く)れ方(がた)の薄明(うすあか)りの中に、くっきり白く浮(う)き出(だ)している障子(しょうじ)の上に、よく見(み)ると、字(じ)が書(か)いてありました。
「恋(こい)しくば
たずね来(き)てみよ、
和泉(いずみ)なる
しのだの森(もり)の
うらみ葛(くず)の葉(は)。」
 母親(ははおや)がほんとうにいなくなったことを知(し)って、子供(こども)はどんなに悲(かな)しんだでしょう。
「かあちゃん、かあちゃん、どこへ行ったの。もうけっして悪(わる)いことはしませんから、早(はや)く帰(かえ)って来(き)て下(くだ)さい。」
 こういいながら、子供(こども)はいつまでもやみの中を探(さが)し回(まわ)っていました。さっき顔(かお)の変(か)わったのに驚(おどろ)いて声(こえ)を立(た)てたので、母親(ははおや)がおこって行ってしまったのだと思(おも)って、よけい悲(かな)しくなりました。狐(きつね)のかあさんでも、化(ば)け物(もの)のかあさんでもかまわない、どうしてもかあさんに会(あ)いたいといって、子供(こども)はききませんでした。
 あんまり子供(こども)が泣(な)くので、保名(やすな)は困(こま)って、子供(こども)の手を引(ひ)いて、当(あ)てどもなく真(ま)っ暗(くら)やみの森(もり)の中を探(さが)して歩(ある)きました。とうとう信田(しのだ)の森(もり)まで来(く)ると、とうに夜中(よなか)を過(す)ぎていました。けっして二度(ど)と姿(すがた)を見(み)せまいと心(こころ)に誓(ちか)っていた葛(くず)の葉(は)も、子供(こども)の泣(な)き声(ごえ)にひかれて、もう一度(ど)草(くさ)むらの中に姿(すがた)を現(あらわ)しました。子供(こども)はよろこんで、あわてて取(と)りすがろうとしましたが、いったん元(もと)の狐(きつね)に返(かえ)った葛(くず)の葉(は)は、もう元(もと)の人間(にんげん)の女ではありませんでした。
「わたしの体(からだ)にさわってはいけません。いったん元(もと)の住(す)みかに帰(かえ)っては、人間(にんげん)との縁(えん)は切(き)れてしまったのです。」
 と葛(くず)の葉(は)狐(ぎつね)はいいました。
「お前(まえ)が狐(きつね)であろうと何(なん)であろうと、子供(こども)のためにも、せめてこの子が十になるまででも、元(もと)のようにいっしょにいてくれないか。」
 と保名(やすな)はいいました。
「十まではおろか一生(いっしょう)でも、この子のそばにいたいのですけれど、わたしはもう二度(ど)と人間(にんげん)の世界(せかい)に帰(かえ)ることのできない身(み)になりました。これを形見(かたみ)に残(のこ)しておきますから、いつまでもわたしを忘(わす)れずにいて下(くだ)さい。」
 こういって葛(くず)の葉(は)狐(ぎつね)は一寸(すん)四方(ほう)ぐらいの金(きん)の箱(はこ)と、水晶(すいしょう)のような透(す)き通(とお)った白い玉(たま)を保名(やすな)に渡(わた)しました。
「この箱(はこ)の中に入(はい)っているのは、竜宮(りゅうぐう)のふしぎな護符(ごふ)です。これを持(も)っていれば、天地(てんち)のことも人間界(にんげんかい)のことも残(のこ)らず目に見(み)るように知(し)ることができます。それからこの玉(たま)を耳(みみ)に当(あ)てれば、鳥獣(とりけもの)の言葉(ことば)でも、草木(くさき)や石(いし)ころの言葉(ことば)でも、手に取(と)るように分(わ)かります。この二つの宝物(たからもの)を子供(こども)にやって、日本(にっぽん)一の賢(かしこ)い人にして下(くだ)さい。」
 といって、二つの品物(しなもの)を保名(やすな)に渡(わた)しますと、そのまますうっと狐(きつね)の姿(すがた)はやみの中に消(き)えてしまいました。

     三

 狐(きつね)のふしぎな宝物(たからもの)を授(さず)かったせいでしょうか、狐(きつね)の子供(こども)の阿倍(あべ)の童子(どうじ)は、並(なみ)の子供(こども)と違(ちが)って、生(う)まれつき大(たい)そう賢(かしこ)くて、八つになると、ずんずんむずかしい本(ほん)を読(よ)みはじめ、阿倍(あべ)の家(いえ)に昔(むかし)から伝(つた)わって、だれも読(よ)む者(もの)のなかった天文(てんもん)、数学(すうがく)の巻(ま)き物(もの)から、占(うらな)いや医学(いがく)の本(ほん)まで、何(なん)ということなしにみな読(よ)んでしまって、もう十三の年(とし)には、日本中(にっぽんじゅう)でだれもかなうもののないほどの学者(がくしゃ)になってしまいました。
 するとある日のことでした。童子(どうじ)はいつものとおり一間(ひとま)に入(はい)って、天文(てんもん)の本(ほん)をしきりに読(よ)んでいますと、すぐ前(まえ)の庭(にわ)の柿(かき)の木に、からすが二羽(わ)、かあかあいって飛(と)んで来(き)ました。そして何(なに)かがちゃがちゃおしゃべりをはじめました。何(なに)をからすはいっているのか知(し)らんと思(おも)って、童子(どうじ)は例(れい)のふしぎな玉(たま)を耳(みみ)に当(あ)てますと、このからすは東(ひがし)の方(ほう)から来(き)た関東(かんとう)のからすと、西(にし)の方(ほう)から来(き)た京都(きょうと)のからすでした。京都(きょうと)のからすは関東(かんとう)のからすに向(む)かって、このごろ都(みやこ)で見(み)て来(き)た話(はなし)をしました。
「都(みやこ)の御所(ごしょ)では、天子(てんし)さまが大病(たいびょう)で、大(たい)そうなさわぎをしているよ。お医者(いしゃ)というお医者(いしゃ)、行者(ぎょうじゃ)という行者(ぎょうじゃ)を集(あつ)めて、いろいろ手をつくして療治(りょうじ)をしたり、祈祷(きとう)をしたりしているが、一向(いっこう)にしるしが見(み)えない。それはそのはずさ、あれは病気(びょうき)ではないんだからなあ。だがわたしは知(し)っている。」
「じゃあどういうわけなんだね。」
 と関東(かんとう)のからすはたずねました。
「それはこういうわけさ。このごろ御所(ごしょ)の建(た)て替(か)えをやって、天子(てんし)さまのお休(やす)みになる御殿(ごてん)の柱(はしら)を立(た)てた時(とき)に、大工(だいく)がそそっかしく、東北(うしとら)の隅(すみ)の柱(はしら)の下に蛇(へび)と蛙(かえる)を生(い)き埋(う)めにしてしまったのだ。それが土台石(どだいいし)の下で、今(いま)だに生(い)きていて、夜(よる)も昼(ひる)もにらみ合(あ)って戦(たたか)っている。蛇(へび)と蛙(かえる)がおこって吹(ふ)き出(だ)す息(いき)が炎(ほのお)になって、空(そら)まで立(た)ちのぼると、こんどは天(てん)が乱(みだ)れる。その勢(いきお)いで天子(てんし)さまの体(からだ)にお病(やまい)がおこるのだ。だからあの蛇(へび)と蛙(かえる)を追(お)い出(だ)してしまわないうちは、御病気(ごびょうき)は治(なお)りっこないのだよ。」
「ふん、それじゃあ人間(にんげん)になんか分(わ)からないはずだなあ。」
 そこで京都(きょうと)のからすは、関東(かんとう)のからすと顔(かお)を見合(みあ)わせて、あざけるように、かあかあと笑(わら)いました。そしてまた関東(かんとう)のからすは東(ひがし)へ、京都(きょうと)のからすは西(にし)へ、別(わか)れて飛(と)んでいってしまいました。
 からすの言葉(ことば)を聞(き)いて、童子(どうじ)は早速(さっそく)占(うらな)いを立(た)ててみると、なるほどからすのいったとおりに違(ちが)いありませんでしたから、おとうさんの前(まえ)へ出て、その話(はなし)をして、
「どうか、わたしを京都(きょうと)へ連(つ)れて行って下(くだ)さい。天子(てんし)さまの御病気(ごびょうき)を治(なお)して上(あ)げとうございます。」
 といいました。
 保名(やすな)もこれをしおに京都(きょうと)へ行(い)って、阿倍(あべ)の家(いえ)を興(おこ)す時(とき)が来(き)たと、大(たい)そうよろこんで、童子(どうじ)を連(つ)れて京都(きょうと)へ上(のぼ)りました。そして天子(てんし)さまの御所(ごしょ)に上(あ)がって、お願(ねが)いの筋(すじ)を申(もう)し上(あ)げました。天子(てんし)さまも阿倍(あべ)の仲麻呂(なかまろ)の子孫(しそん)だということをお聞(き)きになって、およろこびになり、保名親子(やすなおやこ)の願(ねが)いをお聞(き)き届(とど)けになりました。そこで童子(どうじ)はからすに聞(き)いたとおり占(うらな)いを立(た)てて申(もう)し上(あ)げました。御所(ごしょ)の役人(やくにん)たちはふしぎに思(おも)って、なかなか信用(しんよう)しませんでしたが、何(なに)しろ困(こま)りきっているところでしたから、ためしに御寝所(ごしんじょ)の東北(うしとら)の柱(はしら)の下を掘(ほ)らしてみますと、なるほど童子(どうじ)のいったとおり、火(ひ)のような息(いき)をはきかけはきかけ戦(たたか)っている蛇(へび)と蛙(かえる)を見(み)つけて、追(お)い出(だ)して、捨(す)てました。するとまもなく天子(てんし)さまの御病気(ごびょうき)は薄紙(うすがみ)をへぐように、きれいに治(なお)ってしまいました。
 天子(てんし)さまは大(たい)そう阿倍(あべ)の童子(どうじ)の手柄(てがら)をおほめになって、ちょうど三月(がつ)の清明(せいめい)の季節(きせつ)なので、名前(なまえ)を阿倍(あべ)の清明(せいめい)とおつけになり、五位(い)の位(くらい)を授(さず)けて、陰陽頭(おんみょうのかみ)という役(やく)におとりたてになりました。後(のち)に清明(せいめい)の清(せい)の字(じ)をかえて、阿倍(あべ)の晴明(せいめい)といった名高(なだか)い占(うらな)いの名人(めいじん)はこの童子(どうじ)のことです。

     四

 たった十三にしかならない阿倍(あべ)の童子(どうじ)が、天子(てんし)さまの御病気(ごびょうき)を治(なお)してえらい役人(やくにん)にとりたてられたと聞(き)いて、いちばんくやしがったのは、あの石川悪右衛門(いしかわあくうえもん)のにいさんの芦屋(あしや)の道満(どうまん)でした。道満(どうまん)はその時(とき)まで日本(にっぽん)一の学者(がくしゃ)で、天文(てんもん)と占(うらな)いの名人(めいじん)という評判(ひょうばん)でしたが、こんどは天子(てんし)さまの御病気(ごびょうき)を治(なお)すことができないで、その手柄(てがら)を子供(こども)に取(と)られてしまったのですから、くやしがるのも無理(むり)はありません。そこで御所(ごしょ)へ上(あ)がって天子(てんし)さまに讒言(ざんげん)をしました。
「御用心(ごようじん)遊(あそ)ばさないといけません。あの童子(どうじ)は詐欺師(さぎし)でございます。恐(おそ)れながら、陛下(へいか)のお病(やまい)は侍医(じい)の方々(かたがた)や、わたくし共(ども)の丹誠(たんせい)で、もうそろそろ御平癒(ごへいゆ)になる時(とき)になっておりました。そこへ折(おり)よく童子(どうじ)めが来合(きあ)わせて、横合(よこあ)いから手柄(てがら)を奪(うば)っていったのでございます。御寝所(ごしんじょ)の下の蛇(へび)と蛙(かえる)のふしぎも、あれら親子(おやこ)が御所(ごしょ)の役人(やくにん)のだれかとしめし合(あ)わせて、わざわざ入(い)れて置(お)いたものかも知(し)れません。どうか軽々(かるがる)しくお信(しん)じなさらずに、一度(ど)わたくしと法術(ほうじゅつ)比(くら)べをさせて頂(いただ)きとうございます。もしあの童子(どうじ)が負(ま)けましたらば、それこそ詐欺師(さぎし)の証拠(しょうこ)でございますから、さっそく位(くらい)を取(と)り上(あ)げて、追(お)い返(かえ)して頂(いただ)きとうございます。」
 と申(もう)し上(あ)げました。
「でもお前(まえ)がもし童子(どうじ)に負(ま)けたらどうするか。」
 と天子(てんし)さまは少(すこ)しおこって、おたずねになりました。
「はい、万々一(まんまんいち)わたくしが負(ま)けるようなことがございましたら、それこそわたくしの頂(いただ)いておりますお役(やく)も位(くらい)も残(のこ)らずお返(かえ)し申(もう)し上(あ)げて、わたくしは童子(どうじ)の弟子(でし)になって、修業(しゅぎょう)をいたします。」
 と、高慢(こうまん)な顔(かお)をしてお答(こた)え申(もう)し上(あ)げました。
 そこで天子(てんし)さまは阿倍(あべ)の晴明親子(せいめいおやこ)をお呼(よ)び出(だ)しになり、御前(ごぜん)で術(じゅつ)比(くら)べさせてごらんになることになりました。道満(どうまん)と晴明(せいめい)が右左(みぎひだり)に別(わか)れて席(せき)につきますと、やがて役人(やくにん)が四五人(にん)かかって、重(おも)そうに大きな長持(ながもち)を担(かつ)いで来(き)て、そこへすえました。
「道満(どうまん)、晴明(せいめい)、この長持(ながもち)の中には何(なに)が入(はい)っているか、当(あ)ててみよ、という陛下(へいか)の仰(おお)せです。」
 とお役人(やくにん)の頭(かしら)がいいました。
 すると道満(どうまん)は、さもとくいらしい顔(かお)をして、
「晴明(せいめい)、まずお前(まえ)からいうがいい。子供(こども)のことだ、先(さき)を譲(ゆず)ってやる。」
 といいました。晴明(せいめい)はその時(とき)、丁寧(ていねい)に頭(あたま)を下(さ)げて、
「では失礼(しつれい)ですが、わたくしから申(もう)し上(あ)げましょう。長持(ながもち)の中にお入(い)れになったのは猫(ねこ)二匹(ひき)です。」
 といいました。
 晴明(せいめい)がうまくいいあてたので、道満(どうまん)はぎょっとしました。
「ふん、まぐれ当(あ)たりに当(あ)たったな。いかにも二匹(ひき)の猫(ねこ)に相違(そうい)ありません。それで一匹(ぴき)は赤猫(あかねこ)、一匹(ぴき)は白猫(しろねこ)です。」
 長持(ながもち)のふたをあけると、なるほど赤(あか)と白の猫(ねこ)が二匹(ひき)飛(と)び出(だ)しました。天子(てんし)さまも役人(やくにん)たちも舌(した)をまいて驚(おどろ)きました。
 今(いま)のは勝負(しょうぶ)なしにすんだので、又(また)、四五人(にん)のお役人(やくにん)が、大きなお三方(さんぽう)に何(なに)か載(の)せて、その上に厚(あつ)い布(ぬの)をかけて運(はこ)んで来(き)ました。道満(どうまん)はそれを見(み)ると、こんどこそ晴明(せいめい)に先(せん)をこされまいというので、いきり立(た)って、
「ではわたくしから申(もう)し上(あ)げます。お三方(さんぽう)の上にお載(の)せになったのは、みかん十五です。」
 といいました。
 晴明(せいめい)はそれを聞(き)いて、「ふん。」と心(こころ)の中であざ笑(わら)いました。そして少(すこ)しいたずらをして、高慢(こうまん)らしい道満(どうまん)の鼻(はな)をあかせてやりたいと思(おも)いました。そこでそっと物(もの)を換(か)える術(じゅつ)を使(つか)って、お三方(さんぽう)の中の品物(しなもの)を素早(すばや)く換(か)えてしまいました。そしてすました顔(かお)をしながら、
「これはみかん十五ではございません。ねずみ十五匹(ひき)をお入(い)れになったと存(ぞん)じます。」
 といいました。天子(てんし)さまはじめお役人(やくにん)たちはびっくりしました。こんどこそは晴明(せいめい)がしくじったと思(おも)いました。そばについていたおとうさんの保名(やすな)も真(ま)っ青(さお)になって、息子(むすこ)のそでを引(ひ)きました。けれども晴明(せいめい)はあくまで平気(へいき)な顔(かお)をしていました。道満(どうまん)は真(ま)っ赤(か)になって、
「さあ、詐欺師(さぎし)の証拠(しょうこ)は現(あらわ)れましたぞ。中を早(はや)くおあけなさい、早(はや)く。」
 とさけびました。
 お役人(やくにん)はお三方(さんぽう)の覆(おお)いをとりました。するとどうでしょう。お三方(さんぽう)の上に載(の)せたのはみかんではなくって、今(いま)の今(いま)まで晴明(せいめい)のほかだれ一人(ひとり)思(おも)いもかけなかったねずみが十五匹(ひき)、ちょろちょろ飛(と)び出(だ)して、御殿(ごてん)の床(ゆか)の上を駆(か)け歩(ある)きました。すると長持(ながもち)の上に寝(ね)ていた二匹(ひき)の猫(ねこ)が目早(めばや)く見(み)つけて、いきなり飛(と)び下(お)りて、ねずみを追(お)い回(まわ)しました。みんなは「あれあれ。」とさけんで、総立(そうだ)ちになって、やがて御殿中(ごてんじゅう)の大(おお)さわぎになりました。
 これで勝負(しょうぶ)はつきました。芦屋(あしや)の道満(どうまん)は位(くらい)を取(と)り上(あ)げられて、御殿(ごてん)から追(お)い出(だ)されました。そして阿倍(あべ)の晴明(せいめい)のお弟子(でし)になりました。




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