くらげのお使い
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著者名:楠山正雄 

     一

 むかし、むかし、海(うみ)の底(そこ)に竜王(りゅうおう)とお后(きさき)がりっぱな御殿(ごてん)をこしらえて住(す)んでいました。海(うみ)の中のおさかなというおさかなは、みんな竜王(りゅうおう)の威勢(いせい)におそれてその家来(けらい)になりました。
 ある時(とき)竜王(りゅうおう)のお后(きさき)が、ふとしたことからたいそう重(おも)い病気(びょうき)になりました。いろいろに手(て)をつくして、薬(くすり)という薬(くすり)をのんでみましたが、ちっとも利(き)きめがありません。そのうちだんだんに体(からだ)が弱(よわ)って、今日明日(きょうあす)も知(し)れないようなむずかしい容体(ようだい)になりました。
 竜王(りゅうおう)はもう心配(しんぱい)で心配(しんぱい)で、たまりませんでした。そこでみんなを集(あつ)めて「いったいどうしたらいいだろう。」と相談(そうだん)をかけました。みんなも「さあ。」と言(い)って顔(かお)を見合(みあ)わせていました。
 するとその時(とき)はるか下(しも)の方(ほう)からたこの入道(にゅうどう)が八本足(ほんあし)でにょろにょろ出てきて、おそるおそる、
「わたくしは始終(しじゅう)陸(おか)へ出て、人間(にんげん)やいろいろの陸(おか)の獣(けもの)たちの話(はなし)も聞(き)いておりますが、何(なん)でも猿(さる)の生(い)き肝(ぎも)が、こういう時(とき)にはいちばん利(き)きめがあるそうでございます。」
 と言(い)いました。
「それはどこにある。」
「ここから南(みなみ)の方(ほう)に猿(さる)が島(しま)という所(ところ)がございます。そこには猿(さる)がたくさん住(す)んでおりますから、どなたかお使(つか)いをおやりになって、猿(さる)を一ぴきおつかまえさせになれば、よろしゅうございます。」
「なるほど。」
 そこでだれをこのお使(つか)いにやろうかという相談(そうだん)になりました。するとたいの言(い)うことに、
「それはくらげがよろしゅうございましょう。あれは形(かたち)はみっともないやつでございますが、四(よ)つ足(あし)があって、自由(じゆう)に陸(おか)の上が歩(ある)けるのでございます。」
 そこでくらげが呼(よ)び出(だ)されて、お使(つか)いに行くことになりました。けれどいったいあまり気(き)の利(き)いたおさかなでないので、竜王(りゅうおう)から言(い)いつけられても、どうしていいか困(こま)りきってしまいました。
 くらげはみんなをつかまえて、片(かた)っぱしから聞(き)きはじめました。
「いったい猿(さる)というのはどんな形(かたち)をしたものでしょう。」
「それはまっ赤(か)な顔(かお)をして、まっ赤(か)なお尻(しり)をして、よく木の上に上(あ)がっていて、たいへん栗(くり)や柿(かき)のすきなものだよ。」
「どうしたらその猿(さる)がつかまるでしょう。」
「それはうまくだますのさ。」
「どうしてだましたらいいでしょう。」
「それは何(なん)でも猿(さる)の気(き)に入(い)りそうなことを言(い)って、竜王(りゅうおう)さまの御殿(ごてん)のりっぱで、うまいもののたくさんある話(はなし)をして、猿(さる)が来(き)たがるような話(はなし)をするのさ。」
「でもどうして海(うみ)の中へ猿(さる)を連(つ)れて来(き)ましょう。」
「それはお前(まえ)がおぶってやるのさ。」
「ずいぶん重(おも)いでしょうね。」
「でもしかたがない。それはがまんするさ。そこが御奉公(ごほうこう)だ。」
「へい、へい、なるほど。」
 そこでくらげは、ふわりふわり海(うみ)の中に浮(う)かんで、猿(さる)が島(しま)の方(ほう)へ泳(およ)いで行きました。

     二

 やがて向(む)こうに一つの島(しま)が見(み)えました。くらげは「あれがきっと猿(さる)が島(しま)だな。」と思(おも)いながら、やがて島(しま)に泳(およ)ぎつきました。陸(おか)へ上(あ)がってきょろきょろ見(み)まわしていますと、そこの松(まつ)の木の枝(えだ)にまっ赤(か)な顔(かお)をして、まっ赤(か)なお尻(しり)をしたものがまたがっていました。くらげは、「ははあ、あれが猿(さる)だな。」と思(おも)って、何(なに)くわない顔(かお)で、そろそろとそばへよって、
「猿(さる)さん、猿(さる)さん、今日(こんにち)は、いいお天気(てんき)ですね。」
「ああ、いいお天気(てんき)だ。だがお前(まえ)さんはあまりみかけない人だが、どこから来(き)たのだね。」
「わたしはくらげといって竜王(りゅうおう)の御家来(ごけらい)さ。今日(きょう)はあんまりお天気(てんき)がいいので、うかうかこの辺(へん)まで遊(あそ)びに来(き)たのですが、なるほどこの猿(さる)が島(しま)はいい所(ところ)ですね。」
「うん、それはいい所(ところ)だとも。このとおりけしきはいいし、栗(くり)や柿(かき)の実(み)はたくさんあるし、こんないい所(ところ)は外(ほか)にはあるまい。」
 こう言(い)って猿(さる)が低(ひく)い鼻(はな)を一生懸命(いっしょうけんめい)高(たか)くして、とくいらしい顔(かお)をしますと、くらげはわざと、さもおかしくってたまらないというように笑(わら)い出(だ)しました。
「はッは、そりゃ猿(さる)が島(しま)はいい所(ところ)にはちがいないが、でも竜宮(りゅうぐう)とはくらべものにならないね。猿(さる)さんはまだ竜宮(りゅうぐう)を知(し)らないものだから、そんなこと言(い)っていばっておいでだけれど、そんなことをいう人に一度(ど)竜宮(りゅうぐう)を見(み)せて上(あ)げたいものだ。どこもかしこも金銀(きんぎん)やさんごでできていて、お庭(にわ)には一年中(いちねんじゅう)栗(くり)や柿(かき)やいろいろの果物(くだもの)が、取(と)りきれないほどなっていますよ。」
 こう言(い)われると猿(さる)はだんだん乗(の)り出(だ)してきました。そしてとうとう木から下(お)りてきて、
「ふん、ほんとうにそんないい所(ところ)なら、わたしも行ってみたいな。」
 と言(い)いました。くらげは心(こころ)の中で、「うまくいった。」と思(おも)いながら、
「おいでになるなら、わたしが連(つ)れて行って上(あ)げましょう。」
「だってわたしは泳(およ)げないからなあ。」
「大丈夫(だいじょうぶ)、わたしがおぶっていって上(あ)げますよ。だから、さあ、行きましょう、行きましょう。」
「そうかい。それじゃあ、頼(たの)むよ。」
 と、とうとう猿(さる)はくらげの背中(せなか)に乗(の)りました。猿(さる)を背中(せなか)に乗(の)せると、くらげはまたふわりふわり海(うみ)の上を泳(およ)いで、こんどは北(きた)へ北(きた)へと帰(かえ)っていきました。しばらく行くと猿(さる)は、
「くらげさん、くらげさん。まだ竜宮(りゅうぐう)までは遠(とお)いのかい。」
「ええ、まだなかなかありますよ。」
「ずいぶんたいくつするなあ。」
「まあ、おとなしくして、しっかりつかまっておいでなさい。あばれると海(うみ)の中へ落(お)ちますよ。」
「こわいなあ。しっかり頼(たの)むよ。」
 こんなことを言(い)っておしゃべりをしていくうちに、くらげはいったいあまり利口(りこう)でもないくせにおしゃべりなおさかなでしたから、ついだまっていられなくなって、
「ねえ、猿(さる)さん、猿(さる)さん、お前(まえ)さんは生(い)き肝(ぎも)というものを持(も)っておいでですか。」
 と聞(き)きました。
 猿(さる)はだしぬけにへんなことを聞(き)くと思(おも)いながら、
「そりゃあ持(も)っていないこともないが、それを聞(き)いていったいどうするつもりだ。」
「だってその生(い)き肝(ぎも)がいちばんかんじんな用事(ようじ)なのだから。」
「何(なに)がかんじんだと。」
「なあにこちらの話(はなし)ですよ。」
 猿(さる)はだんだん心配(しんぱい)になって、しきりに聞(き)きたがります。くらげはよけいおもしろがって、しまいにはお調子(ちょうし)に乗(の)って猿(さる)をからかいはじめました。猿(さる)はあせって、
「おい、どういうわけだってば。お言(い)いよ。」
「さあ、どうしようかな。言(い)おうかな、言(い)うまいかな。」
「何(なん)だってそんないじの悪(わる)いことを言(い)って、じらすのだ。話(はな)しておくれよ。」
「じゃあ、話(はな)しますがね、実(じつ)はこの間(あいだ)から竜王(りゅうおう)のお后(きさき)さまが御病気(ごびょうき)で、死(し)にかけておいでになるのです。それで猿(さる)の生(い)き肝(ぎも)というものを上(あ)げなければ、とても助(たす)かる見込(みこ)みがないというので、わたしがお前(まえ)さんを誘(さそ)い出(だ)しに来(き)たのさ。だからかんじんの用事(ようじ)というのは生(い)き肝(ぎも)なんですよ。」
 そう聞(き)くと猿(さる)はびっくりして、ふるえ上(あ)がってしまいました。けれど海(うみ)の中ではどんなにさわいでもしかたがないと思(おも)いましたから、わざとへいきな顔(かお)をして、
「何(なん)だ、そんなことなのか。わたしの生(い)き肝(ぎも)で、竜王(りゅうおう)のお后(きさき)さんの病気(びょうき)がなおるというのなら、生(い)き肝(ぎも)ぐらいいくらでも上(あ)げるよ。だがなぜそれをはじめから言(い)わなかったろうなあ。ちっとも知(し)らないものだから、生(い)き肝(ぎも)はつい出がけに島(しま)へ置(お)いてきたよ。」
「へえ、生(い)き肝(ぎも)を置(お)いてきたのですって。」
「そうさ、さっきいた松(まつ)の木の枝(えだ)に引(ひ)っかけて干(ほ)してあるのさ。何(なに)しろ生(い)き肝(ぎも)というやつは時々(ときどき)出(だ)して、洗濯(せんたく)しないと、よごれるものだからね。」
 猿(さる)がまじめくさってこういうものですから、くらげはすっかりがっかりしてしまって、
「やれ、やれ、それはとんだことをしましたねえ。かんじんの生(い)き肝(ぎも)がなくっては、お前(まえ)さんを竜宮(りゅうぐう)へ連(つ)れて行ってもしかたがない。」
「ああ、わたしだって竜宮(りゅうぐう)へせっかく行くのに、おみやげがなくなっては、ぐあいが悪(わる)いよ。じゃあごくろうでも、もう一度(ど)島(しま)まで帰(かえ)ってもらおうか。そうすれば生(い)き肝(ぎも)を取(と)ってくるから。」
 そこでくらげはぶつぶつ言(い)いながら、猿(さる)を背負(せお)って、もとの島(しま)まで帰(かえ)っていきました。
 猿(さる)が島(しま)に着(つ)くと、猿(さる)はあわててくらげの背中(せなか)からとび下(お)りて、するすると木の上へ登(のぼ)っていきましたが、それきりいつまでたっても下(お)りてはきませんでした。
「猿(さる)さん、猿(さる)さん、いつまで何(なに)をしているの。早(はや)く生(い)き肝(ぎも)を持(も)って下(お)りておいでなさい。」
 とくらげはじれったそうに言(い)いました。すると猿(さる)は木の上でくつくつ笑(わら)い出(だ)して、
「とんでもない。おとといおいで。今日(こんにち)はごくろうさま。」
 と言(い)いました。くらげはぷっとふくれっつらをして、
「何(なん)だって。じゃあ生(い)き肝(ぎも)を取(と)ってくる約束(やくそく)はどうしたのです。」
「ばかなくらげやい。だれが自分(じぶん)で生(い)き肝(ぎも)を持(も)っていくやつがあるものか。生(い)き肝(ぎも)を取(と)られれば命(いのち)がなくなるよ。ごめん、ごめん。」
 こういって猿(さる)は木の上から赤(あか)ンべいをして、
「それほどほしけりゃ上(あ)がっておいで。くやしくも上(あ)がれまい、わあい。わあい。」
 と言(い)いながら、赤(あか)いお尻(しり)を三度(ど)たたきました。
 いくらばかにされても、くらげはどうすることもできないので、べそをかきながら、すごすご竜宮(りゅうぐう)へ帰(かえ)っていきました。
 竜宮(りゅうぐう)へ帰(かえ)ると、竜王(りゅうおう)はじめみんな待(ま)ちかねていて、
「猿(さる)はどうした。どうした。生(い)き肝(ぎも)はどうした。どうした。」
 と、大ぜいくらげを取(と)りかこんでせき立(た)てました。
 外(ほか)にしかたがないので、くらげはせっかく猿(さる)をだまして連(つ)れ出(だ)しながら、あべこべにだまされて、逃(に)げられてしまった話(はなし)をしました。すると竜王(りゅうおう)はまっ赤(か)になっておこりました。
「ばかなやつだ。とんまめ。あほうめ。みんな、こらしめのためにこいつの骨(ほね)のなくなるまで、ぶって、ぶって、ぶち据(す)えろ。」
 そこでたいや、ひらめや、かれいや、ほうぼうや、いろいろなおさかなが寄(よ)ってたかって、逃(に)げまわるくらげをつかまえて、まん中にひき据(す)えて、
「このおしゃべりめ。この出過(です)ぎものめ。このまぬけめ。」
 と口々(くちぐち)に言(い)いながら、めちゃめちゃにぶち据(す)えたものですから、とうとうからだ中(じゅう)の骨(ほね)が、くなくなになって、今(いま)のような目も鼻(はな)もない、のっぺらぼうな骨(ほね)なしのくらげになってしまいました。




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