蓬生
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著者名:与謝野寛 

       (一)

 貢(みつぐ)さんは門徒寺(もんとでら)の四男(よなん)だ。
門徒寺(もんとでら)と云(い)つても檀家(だんか)が一軒(けん)あるで無(な)い、西本願寺派(にしほんぐわんじは)の別院並(べつゐんなみ)で、京都の岡崎にあるから普通には岡崎御坊で通つて居る。格式は一等本座(いつとうほんざ)と云ふので法類仲間(はふるゐなかま)で幅(はヾ)の利(き)く方だが、交際(つきあひ)や何かに入費(いりめ)の掛る割に寺の収入(しうにふ)と云ふのは錏一文(びたいちもん)無かつた。本堂も庫裡(くり)も何時(いつ)の建築だか、随分古く成つて、長押(なげし)が歪(ゆが)んだり壁が落ちたり為(し)て居る。其れを取囲(とりかこ)んだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、出入(でいり)の百姓が折々(をり/\)植附(うゑつけ)や草取(くさとり)に来るが、寺(てら)の入口の、昔は大門(だいもん)があつたと云ふ、礎(いしずゑ)の残つて居る辺(あたり)から、真直(まつすぐ)に本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで誰(だれ)も掃除の仕手が無い。
 檀家の一軒も無い此寺(このてら)の貧乏は当前(あたりまへ)だ。併し代々(だい/″\)学者で法談(はふだん)の上手(じやうず)な和上(わじやう)が来て住職に成り、年(とし)に何度(なんど)か諸国を巡回して、法談で蓄(た)めた布施(ふせ)を持帰つては、其れで生活(くらし)を立て、御堂(みだう)や庫裡(くり)の普請をも為(す)る。其れから御坊(ごばう)は昔願泉寺と云ふ真言宗(しんごんしう)の御寺(おてら)の廃地であつたのを、此の岡崎は祖師親鸞上人(しんらんしやうにん)が越後へ流罪(るざい)と定(きま)つた時、少時(しばらく)此地(こヽ)に草庵(さうあん)を構へ、此の岡崎から発足(はつそく)せられた旧蹟だと云ふ縁故(ゆかり)から、西本願寺が買取つて一宇を建立(こんりふ)したのだ。其時在所(ざいしよ)の者が真言(しんごん)の道場(だうじやう)であつた旧地へ肉食(にくじき)妻帯(さいたい)の門徒坊(もんとぼん)さんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが何(ど)うか妻帯を為(な)さらぬ清僧(せいそう)を住持(じうぢ)にして戴(いたゞ)きたいと掛合(かけあ)つた。本願寺も在所の者の望み通(どほり)に承諾した。で代々(だい/″\)清僧(せいそう)が住職に成つて、丁度禅寺(ぜんでら)か何(なに)かの様(やう)に瀟洒(さつぱり)した大寺(たいじ)で、加之(おまけ)に檀家の無いのが諷経(ふぎん)や葬式の煩(わづら)ひが無くて気楽(らく)であつた。
 所が先住の道珍和上(どうちんわじやう)は能登国(のとのくに)の人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層巧(うま)く、此の和上(わじやう)の説教の日には聴衆(きヽて)が群集(ぐんじふ)して六条の総会所(そうぐわいしよ)の縁(えん)が落ちるやら怪我人が出来るやら、其れ程に評判であつた。又(また)太層美僧(びそう)であつた所から、後家や若い娘で迷ひ込んだ者も大分にあつた。在所の年寄仲間は、御坊さんの裏(うら)の竹林(たけばやし)の中(なか)にある沼(ぬま)の主(ぬし)、なんでも昔(むかし)願泉寺の開基が真言の力(ちから)で封(ふう)じて置かれたと云ふ大蛇(だいじや)が祟(たヽ)らねば善いが。あヽ云ふ若い美くしい和上(わじやう)さんの来(こ)られたのは危(あぶな)いもんだ。斯う噂をして居たが、和上に帰依(きえ)して居る信者(しんじや)の中(なか)に、京(きやう)の室町錦小路(むろまちにしきのこうぢ)の老舗(しにせ)の呉服屋夫婦が大(たい)した法義者(はふぎしや)で、十七に成る容色(きりやう)の好い姉娘(あねむすめ)を是非(ぜひ)道珍和上(どうちんわじやう)の奥方(おくがた)に差上(さしあ)げ度(た)いと言出(いひだ)した。物堅(ものがた)い和上も若(わか)いので未(ま)だ法力(はふりき)の薄(うす)かつた故(せゐ)か、入寺(にふじ)の時の覚悟を忘れて其の娘を貰(もら)ふ事に定(き)めた。
 其頃御坊(ごばう)さんの竹薮(たけやぶ)へ筍(たけのこ)を取りに入(はい)つた在所(ざいしよ)の者が白い蛇(くちなは)を見附けた。其処(そこ)へ和上の縁談が伝はつたので年寄(としより)仲間は皆眉を顰(ひそ)めたが、何(ど)う云ふ運命(まはりあはせ)であつたか、愈(いよ/\)呉服屋の娘の輿入(こしいれ)があると云ふ三日前(みつかまへ)、京から呉服屋の出入(でいり)の表具師や畳屋の職人が大勢(おほぜい)来て居る中(なか)で頓死した。
 御坊さんは少時(しばらく)無住(むじう)であつたが、翌年(よくとし)の八月道珍和上(わじやう)の一週忌[#「一週忌」はママ]の法事(はふじ)が呉服屋の施主(せしゆ)で催された後(あと)で新しい住職が出来た。是が貢(みつぐ)さんの父である。此の住持(じうぢ)は丹波の郷士(がうし)で大庄屋(おほじやうや)をつとめた家の二男だが、京に上つて学問が為(し)たい計りに両親(ふたおや)を散々(さん/″\)泣かせた上(うへ)で十三の時に出家(しゆつけ)し、六条の本山(ほんざん)の学林を卒業してから江戸へ出て国書を学び、又諸国の志士に交つて勤王論を鼓吹した。其頃岡崎から程近(ほどちか)い黒谷(くろたに)の寺中(ぢちう)の一室(ひとま)を借りて自炊(じすゐ)し、此処(こヽ)から六条の本山(ほんざん)に通(かよ)つて役僧(やくそう)の首席(しゆせき)を勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも知合(しりあひ)であつたし、然(さ)う云ふ碩学(せきがく)で本山(ほんざん)でも幅(はば)の利(き)いた和上(わじやう)を、岡崎御坊へ招(せう)ずる事が出来たら結構だと云ふので、呉服屋夫婦が熱心に懇望(こんまう)した所から、朗然(らうねん)と云ふ貢(みつぐ)さんの阿父(おとう)さんが、入寺(にふじ)して来る様(やう)に成つた。
 其丈(それだけ)なら申分(まうしぶん)は無かつたのだが、呉服屋夫婦は道珍和上に娶(めあ)はせようと為た娘を、今度の朗然和上に差上(さしあ)げて是非(ぜひ)岡崎御坊に住ませたい、最愛の娘を高僧(かうそう)に捧げると云ふ事が、何より如来様の御恩報謝(ごおんはうしや)に成るし、又亡く成つた道珍和上への手向(たむけ)であると信じて居た。娘に此事を語り聞かせた時、娘は、わたしは道珍様が御亡く成りに成つた日から、もう尼(あま)の心に成つて居ますと云つて泣き伏したが、もう朗然和上と夫婦との間に縁談が決(きま)つて居つた後(あと)だから、親の心に従つて終(つひ)に其年の十一月、娘は十五荷の荷(に)で岡崎御坊へ嫁入(よめい)つて来た。娘の齢(とし)は十八、朗然和上は三十四歳、十六も違(ちが)つて居た。
 此の婚礼に就いて在所の者が、先住の例(ためし)を引いて不吉(ふきつ)な噂を立てるので、豪気(がうき)な新住(しんじう)は境内(けいだい)の暗い竹籔(たけやぶ)を切払(きりはら)つて桑畑に為(し)て了(しま)つた。
 其(そ)れから十年許(ばか)り経(た)つて、奥方の一枝(かずゑ)さんが三番目の男の児を生んだ。従来(これまで)に無い難産(なんざん)で、産の気(け)が附いてから三日目(みつかめ)の正午(まひる)、陰暦六月の暑い日盛(ひざか)りに甚(ひど)い逆児(さかご)で生れたのが晃(あきら)と云ふ怖(おそろ)しい重瞳(ぢゆうどう)の児であつた。ぎやつと初声を揚げた時に、玄関(げんくわん)の式台(しきだい)へ戸板に載せて舁(かつ)ぎ込まれたのは、薩州の陣所へ入浸(いりびた)つて半年も帰つて来ぬ朗然和上が、法衣を着た儘三条の大橋(おほはし)で会津方(あひづがた)の浪士に一刀眉間を遣られた負傷(ておひ)の姿であつた。
 傷(きず)は薩州邸(やしき)の口入(くちいれ)で近衛家の御殿医(ごてんゐ)が来て縫(ぬ)つた。在所の者は朗然和上の災難を小気味(こきみ)よい事に言つて、奥方の難産と併せて沼(ぬま)の主(ぬし)や先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て居(ゐ)る和上(わじやう)は岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して横柄(わうへい)な態度(たいど)も有つたに違ひ無い。其上(そのうへ)近年は世の中の物騒(ぶつさう)なのに伴(つ)れて和上の事を色々(いろ/\)に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に交際(つきあ)つて居(ゐ)る。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との戦場(いくさば)にする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。檀那寺(だんなでら)の和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す訳(わけ)にも行か無かつた。
 和上と奥方との仲は婚礼の当時から何(ど)うもしつくり行つて居無かつた。第一に年齢(とし)の違(ちが)ふ故(せゐ)もあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ豪邁(がうまい)な性質(たち)、奥方は町家の秘蔵娘(ひざうむすめ)で暇(ひま)が有つたら三味線を出して快活(はれやか)に大津絵(おほつゑ)でも弾かう、小児(こども)を着飾(きかざ)らせて一人々々(ひとり/\)乳母を附けて芝居を見せようと云ふ豪奢(がうしや)な性質(たち)、和上が何かに附けて奥方の町人気質(かたぎ)を賎むのを親思(おやおも)ひの奥方は、じつと辛抱して実家(さと)へ帰らうともせず、気作(きさく)な心から軽口(かるくち)などを云つて紛(まぎ)らして居る内に、三人目の男の児を生んだ。
 此度(このたび)の難産の後(あと)、奥方は身体(からだ)がげつそり弱(よわ)つて、耳も少し遠く成り、気性までが一変して陰気に成つた。和上の傷(きづ)は二月(ふたつき)で癒えたが、其の傷痕(きづあと)を一目見て鎌首(かまくび)を上げた蛇(へび)の様だと身を慄(ふる)はせたのは、青褪(あをざ)めた顔色(かほいろ)の奥方ばかりでは無かつた。其頃在所(ざいしよ)の子守唄(こもりうた)に斯う云ふのが流行(はや)つた。
『坊主(ばうず)の額(ひたひ)に蛇(へび)が居(ゐ)る。
    蛇(へび)から飛(と)び出(で)た赤児(あかご)の眼(め)。』
『赤児(あかご)の眼(め)』は重瞳(ぢゆうどう)の三男を指(さ)したのである。奥方は何と云ふ罪障(つみ)の深い自分だらうと考へ出した。本堂の阿弥陀様計(ばか)りでは此の不思議な怖(おそ)ろしい宿業(しゆくごふ)が除かれぬやうな気がするので、門徒宗でやかましい雑行雑修(ざふぎやうざつしゆ)の禁制(きんせい)を破つて、暇(ひま)があれば洛中洛外の神社仏寺へ三男を抱(だ)いて参詣した。以前は気質(きしつ)の相違であつたが、今は信仰(しんかう)までが斯う違(ちが)つたので、和上は益々奥方が面白く無い。伏見の戦争が初まる三月(みつき)程前から再び薩州邸(やしき)に行つた切(き)り明治五年まで足掛(あしかけ)六年の間一度も帰つて来なかつた。伏見戦争の後(あと)で直ぐ、朝命(てうめい)を蒙つて征討将軍の宮(みや)に随従(ずゐしう)し北陸道の鎮撫に出掛けたと云ふ手紙や、一時還俗(げんぞく)して岩手県の参事(さんじ)を拝命したと云ふ報知(しらせ)は、其の時々(とき/″\)に来たが、少(すこ)しの仕送(しおく)りも無いので、奥方は嫁入(よめいり)の時に持つて来た衣服(きもの)や髪飾(かみかざ)りを売食(うりぐひ)して日を送つた。実家(さと)の方は其頃両親(ふたおや)は亡くなり、番頭を妹に娶(めあ)はせた養子が、浄瑠璃に凝(こ)つた揚句(あげく)店(みせ)を売払つて大坂へ遂転したので、断絶同様(だんぜつどうやう)に成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、便(たよ)る方(かた)も無いので、少しでも口を減(へ)す為に然(さ)る尼(あま)の勧(すヽ)めに従つて、長男と二男を大原(おほはら)の真言寺(しんごんでら)へ小僧(こぞう)に遣(や)つた。奥方の心では二人の子を持戒堅固(ぢかいけんご)の清僧(せいそう)に仕上げたならば、大昔(おほむかし)の願泉寺時代の祟(たヽ)りが除かれやう、沼(ぬま)の主(ぬし)も鎮(しづ)まるであらうと思つたので、開基(かいき)と同じ宗旨(しうし)の真言寺(しんごんでら)と聞いて、可愛(かあい)い二人の子を犠牲(いけにへ)にする気で泣き乍ら手放(てばな)した。
 明治五年の夏、和上は官界を辞してぶらりと帰つて来た。フロツクコオトを着て山高帽(ぼう)を被(かぶ)つた姿は固陋(ころう)な在所の人を驚かした。再び法衣を着たことは着たが、永(なが)の留守中荒(あ)れ放題(はうだい)に荒れた我寺(わがてら)の状(さま)は気にも掛けず格別修繕しようともせぬ。毎日洋服を着て書類を入れた風呂敷包(づつみ)を小脇(こわき)に挾(はさ)んで、洋杖(すてつき)を突(つ)いて、京都府下の富豪や寺院をてくてくと歴訪(れきはう)する。其れは隣村(となりむら)の鹿(しゝ)ケ谷(たに)に盲唖院(まうあゐん)と云ふものを建てる趣意書を配つて応分の寄附金を勧誘(くわんいう)する為(ため)であつた。
 其の翌年に貢(みつぐ)さんが生れた。

       (二)

 今日(けふ)は日曜なので阿母(おつか)さんが貢さんを起(おこ)さずに静(そつ)と寝かして置いた。で、貢さんの目覚(めざ)めたのは朝の九時頃であつた。十歳に成る貢さんは独(ひとり)で衣服(きもの)を着替へて台所へ出て来た。
『阿母(おつか)さんお早う。』
阿母さんはもう座敷の拭掃除(ふきそうぢ)も台所の整理事(しまひごと)も済(す)ませて、三歳(みつヽ)になる娘の子を脊(せな)に負(お)ひ乍ら、広い土間へ盥を入れて洗濯物(せんたくもの)をして居(ゐ)る。
『お早うでも無いぢや無いか。よく寝られて。昨夜(ゆうべ)は。』
『ふん、寝坊をしちやつた。阿父(おとう)さんは。』
『涼しい間(あひだ)にと云つてお出掛(でかけ)に成つたの。』
『阿母さん、昨日(きのふ)校長さんが君ん家(とこ)の阿父(おとう)さんは京の街(まち)で西洋の薬(くすり)や酒を売る店を出すんだつて、本当かて聞きましたよ。本当に其様(そんな)店を出すの。』
『阿父さんの事だから何を為さるか知れ無い。昔(むかし)から二言目(ふたことめ)には人民の為だもの。』
『今日は何処(どこ)へ入らしたの。』
『神戸の夷人(ゐじん)さん処(とこ)。委しい事は阿母さんなんかに被仰(おつしや)らないけれど、日本で初めて博覧会と云ふものを為(な)さるんだつて。』
『ふうん。』
『お前御飯(ごはん)は何(ど)うする。』
『お昼と一処でいゝ。』
『ぢや然(さ)うお為(し)。其(それ)から阿母さんは今一枚洗つて、今日(けふ)は大原(おほはら)まで兄(にい)さん達の白衣(はくえ)を届けて来るからね、よく留守番を為(し)てお呉れ。御飯(ごはん)には鮭(さけ)が戸棚にあるから火をおこして焼いてお食(た)べ。お土産(みや)には山鼻(やまはな)のお饅(まん)を買つて来ませう。』
『お日様(ひさん)の暮れぬ内(うち)に帰つて頂戴よ。』
貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから畳(たヽみ)の破れを新聞で張つた、柱(はしら)の歪(ゆが)んだ居間(ゐま)を二つ通(とほ)つて、横手の光琳の梅を書いた古(ふる)ぼけた大きい襖子(ふすま)を開けると十畳敷許の内陣(ないぢん)の、年頃拭込(ふきこ)んだ板敷(いたじき)が向側の窓の明障子(あかりしやうじ)の光線で水を流した様に光る。幾十年と無く毎朝(まいあさ)焚(た)き籠(こ)めた五種香(しゆかう)の匂(にほひ)がむつと顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も此処(こヽ)に閉ぢ籠(こも)つて出て来ぬ事がある丈に、家中(うちヾう)で此(この)内陣計りは温(あたヽ)かい様(やう)ななつかしい様な処だ。貢さんは黒塗(くろぬり)の経机の前の円座(ゑんざ)の上に坐つて三度程額(ぬか)づいた。
『南無、南無、南無阿弥陀仏。』
 本尊の阿弥陀様の御顔(おかほ)は暗くて拝め無い、唯(たヾ)招喚(せうくわん)の形(かたち)を為給(したま)ふ右の御手(おて)のみが金色(こんじき)の薄(うす)い光(ひかり)を示(しめ)し給うて居る。貢さんは内陣を出て四畳半の自分の部屋に入(はい)つた。机の上に昨日(きのふ)持つて帰つた学校の包(つヽみ)が黒い布呂敷の儘で解きもせずに載(の)つて居(ゐ)る。其れを見ると、力石様(りきいしさん)のお濱さん処へ遊びに行く約束だつた事を思出した。
『遅(おそ)く成つた、遅く成つた。行(い)かう。』
 独言(ひとりごと)を言つて吃驚(びつくり)した様に立上ると、書院の方の庭にある柿(かき)の樹で大きな油蝉(あぶらぜみ)が暑苦(あつくる)しく啼き出した。捕(つか)まへてお濱さんへの土産(みやげ)にする気で、縁側(えんがは)づたひに書院へ足音を忍ばせて行つたが、戸袋(とぶくろ)に手を掛けて柿(かき)の樹を見上げた途端(はずみ)に蝉は逃げた。
『阿房蝉(あはうぜみ)。』
 斯う大きな声で云つて振返ると、書院の十畳の方の室(ま)の障子が五寸程明(あ)いて居(ゐ)る。兄の晃(あきら)の居間だ。其の間(あひだ)から長押(なげし)に掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。覗(のぞ)いて見たが、晃(あきら)兄(にい)さんは居無い。台所の方(はう)へ走(はし)つて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を穿(は)いて裏口(うらぐち)から納屋の後(うしろ)へ廻つた。阿母さんは物干竿(ものほしざを)に洗濯物を通して居る。
『阿母さん、晃(あきら)兄(にい)さんが帰つたの。』
 阿母さんは一寸(ちよつと)振返つて貢さんを見たが、黙(だま)つて上を向いて襁褓(おしめ)の濡れたのを伸(のば)して居(ゐ)る。
『晃(あきら)兄(にい)さんの帽が掛かつてましたよ。』
と鄭寧(ていねい)に云つて再び答(こたへ)を促した。阿母さんは未だ黙(だま)つて居(ゐ)る。見ると、晃(あきら)兄(にい)さんの白地(しろぢ)の薩摩絣(がすり)の単衣(ひとへ)の裾(すそ)を両手で握(つか)んだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、徐(そつ)と背(せな)を向けて四五歩(あし)引返した。
『貢(みつぐ)さん。』と阿母さんの声は湿(うる)んで居る。
『はい。』
『お前はね、よく阿母さんの言ふ事をお聞き。なんぼ貧乏な生活(くらし)をしても心は正直(しやうぢき)に持つんですよ。』
『はい。』
『晃(あきら)兄(にい)さんの様に成つては仕様が無いわね、阿母さんの衣服(きもの)や頭(あたま)の物を何遍(なんべん)も持出して売飛ばしては、唯もう立派な身装(みなり)をする。こんな阿父さんも御着に成らん様な衣類(きるゐ)や、靴や時計を買つてさ。学問でもする事か、フルベツキさんに英吉利西の語(ことば)を習つても三月足らずで止(や)めて了(しま)ふし、何かなし若(わか)い娘さん達の中(なか)で野呂々々と遊んで居たい、肩上を取つたばかしの十八の子の所作(しよさ)ぢや無い。祟(たヽ)つてる御方(おかた)があつて為(な)さるのかも知らんけれど、あれでは今に他人様(ひとさま)の物に手を掛けて牢屋(ろうや)へ行く様な、よい親の耻晒(はぢさら)しに成るかも知れん。今度は阿父さんの財嚢(かみいれ)から沢山(たくさん)なお金(かね)、盲唖院の先生方(せんせいがた)の月給に差上げるお銭を持出して二月(つき)も帰つて来ないんだもの。阿父さんは見附次第(みつけしだい)警察へ出すと被仰るけれど、其れでは明るみの耻に成る。阿母さんは大原(おほはら)の律師様(りつしさま)にお頼みして兄(にい)さん達と同じ様(やう)に何処(どこ)かの御寺(おてら)へ遣つて、頭(あたま)を剃らせて結構な御経(おきやう)を習はせ度いと思ふの。ね、貢さん、阿母さんや此の脊中(せなか)の桃枝(もヽえ)が頼(たよ)りにするのはお前一人(ひとり)だよ。阿父(おとう)さんはあんな方(かた)だから家(うち)の事なんか構(かま)つて下さら無い。此の下間(しもつま)の家(うち)を興すも潰(つぶ)すもお前の量見一(ひと)つに在る。其れに阿母さんも此の身体(からだ)の具合では長く生きられ相(さう)にも無いからね、しつかり為て頂戴よ、貢さん。』『はい、解(わか)つて居(ゐ)ます。阿母さん。』
 貢さんの頬にははらはらと熱い涙が流れた。阿母さんは萌黄(もえぎ)の前掛(まへかけ)で涙を拭(ふ)き乍ら庫裡の中へ入(はい)つた。貢さんは何時(いつ)も聞く阿母さんの話だけれど、今日は冷(つめ)たい沼の水の底(そこ)の底で聞かされた様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ悲哀(かなしみ)が充満(いつぱい)に成つた。で、蚯蚓(みヽず)が土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る中(なか)を歩(ある)いてづぶ濡れに冷え切つた身体(からだ)なり心なりを燬(や)け附(つ)かせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の旱(ひでり)に亀甲形(きつかふがた)に亀裂(ひヾ)の入(い)つた焼土(やけつち)を踏んで、空池(からいけ)の、日が目(め)を潰(つぶ)す計りに反射(はんしや)する、白い大きな白河石(しらかはいし)の橋の上に腰を下(おろ)した。
『阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。』
 ふつと斯(こん)な事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの身体(からだ)が鉄色の銚子縮(てうしちヾみ)の単衣(ひとへ)の下に、ほつそりと、白い骨(ほね)計りに見えた様な気がする。『なあに。』と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて身体(からだ)が慄(ふる)へた。次いで色々の感想が湧いて来る。
『家(うち)では阿母さんが一番気の毒だ。………併し阿父さんも、あんな羊羹色(ようかんいろ)のフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体裁(きまり)が悪るからう。…………阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳貪(けんどん)に物を被仰るんだらう。…………晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何故(なぜ)真面目(まじめ)に成つて夷人(ゐじん)さんの語(ことば)が習へないのかなあ。…………家(うち)の物(もの)を泥坊するのは良(よ)く無いが、阿父さんが吝々(けち/″\)してお銭(あし)をお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。…………兄さんも阿母さんから、初中(しよちう)内密《ないしよ》で小遣(こづかひ)を戴き乍ら…………阿母さんが被仰る通り女の様に衣服(きもの)なんか買ふのは馬鹿々々しい。』 果(はて)しなく斯(こ)んな事を思ひ続けて居ると、何処(どこ)かで自分を喚ぶ声がした。庫裡(くり)の方(はう)へ向いて、
『阿母さんなの。』
 と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗をびつしより掻いて居た。裏口(うらぐち)へ行かうとする時、又何(なに)か声が聞えた。桑畑の中からだ。途端にお濱さんを思ひ出した。約束の時間に自分が行か無いので、待(ま)ち兼ねてお濱さんが迎へに来たのだと考へた。
 貢さんは兎(うさぎ)の跳(と)ぶ様に駆け出して桑畑に入つて行つた。畑(はたけ)の中(なか)にお濱さんは居ない。沼(ぬま)の畔(ほとり)に出た。旱の為に水の減(へ)つた摺鉢形(すりばちなり)の四方(はう)の崖(がけ)の土は石灰色(いしばいいろ)をして、静かに湛(たヽ)へた水の色はどんよりと重く緑青の様に毒々しい。お濱さんは居なかつたがおなじ様に鼠色(ねずみいろ)の無地(むぢ)の単衣(ひとへ)を着た盲唖院の唖者(をし)の男の子が二人、沼(ぬま)の岸の熊笹(くまさヽ)が茂つた中に蹲(しや)がんで、手真似で何か話し乍ら頷(うなづ)き合つて居た。其れが貢さんには、蛇の穴(あな)を発見(めつ)けたので掘(ほ)らうぢや無いかと相談して居る様(やう)に思はれた。
『悪(わ)るい事なんか為ては行(い)かんよ。』
 と、五六間(けん)手前(てまへ)から叱(しか)り付けた。唖者(をし)の子等(こら)は人の気勢(けはひ)に駭(おどろ)いて、手に手に紅(あか)い死人花(しびとばな)を持つた儘(まヽ)畑(はたけ)を横切(よこぎ)つて、半町も無い鹿(しヽ)ヶ谷(たに)の盲唖院へ駆けて帰つた
 貢さんは見送つて厭(いや)な気がした。

       (三)

 元気の無さ相(さう)な顔色(かほいろ)をして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、裏口(うらぐち)を入(はい)つて、虫(むし)の蝕(く)つた、踏むとみしみしと云ふ板の間(ま)で、雑巾(ざふきん)を絞(しぼ)[#「しぼ」は底本では「じぼ」と誤植]つて土埃(つちぼこり)の着いた足を拭いた。
『阿母さん、阿母さん。』
 二三度喚(よ)んで見たが、阿母さんは桃枝(もヽえ)を負(おぶ)つて大原へ出掛けて居無かつた。貢さんは火鉢の火種(ひだね)を昆炉(しちりん)に移し消炭(けしずみ)を熾(おこ)して番茶(ばんちや)の土瓶(どびん)を沸(わか)し、鮭(しやけ)を焼いて冷飯(ひやめし)を食つた。膳を戸棚に締つて自分の居間に来(く)ると、又お濱さんに逢ひ度く成つた。一走(ひとはし)り行つて来ようかと考へたが、頭(あたま)が重(おも)く痛む様(やう)なので、次の阿母さんの部屋の八畳の室(ま)へ来て障子を明放(あけはな)して、箪笥の前で横に成つた。暑い日だ、そよと吹く風も無い。軒に縄を渡して阿母さんが干(ほ)した瓜(うり)の雷干(かみなりぼし)を見て居ると暈眩(めまひ)がする。じつと目を閉ぢようと為たが、目を閉ぢると、此の広い荒れ果てた寺(てら)に唯つた独り自分の居(ゐ)ると云ふ事が、野の中(なか)で捨児(すてご)にでも成つた様に、犇々と身に迫(せま)つて寂(さび)しい。其れを紛(まぎ)らす為(ため)に目を開いて何か唱歌でも歌はうと試みたが、喉(のど)が硬張(こはゞ)つて声が出無かつた。と、突然低い静かな声で、
『貢(みつぐ)、貢。』
『あ、晃(あきら)兄(にい)さん。お帰り。』
 起上(おきあが)つて玄関(げんくわん)の方(はう)へ走(はし)つて出ようとすると、
『此処(こヽ)だよ。貢(みつぐ)。』
『晃(あきら)兄(にい)さん、何処(どこ)なの。』
 貢さんは玄関と中の間の敷居(しきゐ)の上(うへ)に立つて考へた。
『此処(こヽ)だよ。』
 低い静かな声は本堂から聞える。其処(そこ)は雨が甚(ひど)く洩るので、四方の戸を阿父(おとう)さんが釘附(くぎづけ)にして自分の生れ無い前から開けぬ事に成つて居る。御参詣(おまゐり)の人も無い寺なので、内の者は内陣(ないぢん)で本尊様を拝む。本堂の五十畳敷だと云ふ広間(ひろま)は全く不用な塲処だ。内の者は皆此の広間の有る事を忘れて居(ゐ)る。殊に貢さんは生れて一度も覗(のぞ)いて見ないのだから、遠い遠い不思議な世界から声を掛けられた気が為(す)る
『晃(あきら)兄(にい)さん、何(ど)うして其(そ)んな処へ入(はい)つたの。何処から入(はい)るんです。』
 少時(しばらく)返事が無い。
『晃(あきら)兄(にい)さん。』
 と、貢さんは大きな声を為(し)て喚んだ。低い静かな声は、
『内陣へ廻(まは)りな。左から三枚目の戸だ。』
 貢さんは座敷を通(とほ)つて一段高い内陣へどんどんと足音をさせて上(あが)つた。
『左から三枚目。』
 と、又声が為る。昔から釘附(くぎつけ)に為てあると計り思つて居た内陣と本堂との区劃(しきり)の戸を開けると云ふ事は、少(すくな)からず小供の好奇(かうき)の心を躍らせたが、愈々(いよ/\)左から三枚目の戸に手を掛ける瞬間(しゆんかん)、何(なん)だか見無いでも可(い)いものを見る様な気が為て、怖(こは)く成つたが、思切(おもひき)つて引くと、荒い音も為(せ)ずにすつと軽く開(あ)いた。
『あツ。』
 貢さんが覗(のぞ)いたのは薄暗(うすぐら)い陰鬱(いんうつ)な世界で、冷(ひや)りとつめたい手で撫でる様に頬(ほ)に当(あた)る空気が酸(す)えて黴臭(かびくさ)い。一間程前(けんほどまへ)に竹と萱草(くわんざう)の葉とが疎(まば)らに生(は)えて、其奥(そのおく)は能く見え無かつた。
『何処(どこ)に居るの。晃(あきら)兄(にい)さん。』
『仏(ほとけ)さんの前の蝋燭(ろふそく)に火を点(つ)けてお出で。』
 貢さんは兄の命令通(いひつけどほ)り仏前(ぶつぜん)の蝋燭を取つて、台所へ行つて附木(つけぎ)で火を点(つ)けて来た。
『晃(あきら)兄(にい)さん、中(なか)は汚(きた)なか無くつて。』
『其処の直ぐ下に阿母さんの穿(は)きなさる草履があるだらう。』
 蝋燭をかざして根太板(ねだいた)の落ちた土間(どま)を見下すと、竹の皮の草履が一足(いつそく)あるので、其れを穿(は)いて、竹の葉を避(よ)けて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。根太(ねだ)も畳(たヽみ)も大方(おほかた)朽(く)ち落ちて、其上(そのうへ)に鼠(ねずみ)の毛を□(むし)り散(ちら)した様(やう)な埃(ほこり)と、麹(かうじ)の様な黴(かび)とが積つて居る。落ち残つた根太(ねだ)の横木(よこぎ)を一つ跨(また)いだ時、無気味(ぶきみ)な菌(きのこ)の様(やう)なものを踏んだ。
『此処(こヽ)だよ。』
 中央(ちうあう)の欅(けやき)の柱(はしら)の下から、髪の毛の濃(こ)いゝ、くつきりと色の白い、面長(おもなが)な兄の、大きな瞳(ひとみ)に金(きん)の輪(わ)が二つ入(はい)つた眼が光つた。晃(あきら)兄(にい)さんは裸体(はだか)で縮緬(ちりめん)の腰巻(こしまき)一つの儘後手(うしろで)に縛(しば)られて坐つて居る。貢さんは一目見て駭(おどろ)いたが、従来(これまで)庭の柿の樹や納屋(なや)の中に兄の縛(しば)られて切諌(せつかん)を受けるのを度々見て居るので、こんな処へ伴(つ)れて入(はい)つて縛つて置いたのは阿父さんの所作(しわざ)だと思つた。阿母(おつか)さんが裸体(はだか)の上から掛けて遣(や)つたらしい赤い毛布はずれ落ちて居た。
『貢(みつぐ)、お前、兄(にい)さんの言ふ事を諾(き)いて呉れ無いか。』
『晃(あきら)兄(にい)さん、御飯(ごはん)でせう。御飯(ごはん)なら持つて来(こ)よう。阿母さんが留守だから御菜(おさい)は何も無いことよ。』
『今(いま)握飯(にぎりめし)を食(く)つたばかりだ。御飯(ごはん)ぢや無い。』
『ぢや、お茶。』
『お茶も飲まして貰(もら)つた。』
『衣服(きもの)を持つて来て上(あ)げようか。』
『衣服(きもの)は自分で着(き)るがね。』
『何(なに)なの。晃(あきら)兄(にい)さん。』
『お前(まへ)本当(ほんたう)に諾(き)いて呉れるか。』
 兄が此様(このやう)に念(ねん)を押(お)し辞(ことば)を鄭寧にして物(もの)を頼んだ事は無いので、貢さんは気の毒に思つた。
『ふん、何んでも諾(き)きます。』
『難有(ありがた)いな。ではね、包丁(はうちやう)を取つて来てね、此の縄(なは)を切(き)つて御呉(おく)れ。』
『宜(い)いとも。』
 元気よく受合つて台所から庖丁を取つて来た。左の手に蝋燭(ろふそく)を持つて兄の背後(うしろ)に廻(まは)つたが、三筋(みすぢ)の麻縄(あさなは)で後手に縛(しば)つて柱(はしら)に括(くヽ)り附けた手首(てくび)は血が滲(にじ)んで居る。と、阿父(おとう)さんが晃兄さんを切諌(せつかん)なさる時の恐(こは)い顔が目に浮(うか)んだので、此の縄を切(き)つては成らぬと気が附いた。
『之(これ)を切(き)つて、僕、阿父(おとう)さんに問はれたら何(なん)と云ふの。』
『お前にも阿母(おつか)さんにも迷惑(めいわく)は掛け無い。わしの友人(ともだち)が来て知らぬ間(ま)に連(つ)れ出したとお言ひ。』
『晃(あきら)兄(にい)さんは又(また)逃(に)げて行く積(つも)りなの。』
『此処はわしの家(うち)ぢや無い、仇(かたき)の家(うち)ぢや。兄さんの家は斯(こ)[#「こ」は底本では「こん」と誤植]んな暗い処ぢや無くて明(あか)るい処に有るんだ。』
『明(あか)るい処つて、何処(どこ)。大坂か、東京。』
『そんな遠方(ゑんぱう)ぢや無い。何(なん)でもいゝ、早く縄を切(き)つて自由に為(し)てお呉れ。痛くて堪(たま)ら無いから。』
 阿母さんも居ない留守(るす)に兄を逃(にが)して遣つては、何(ど)んなに阿父さんから叱(しか)られるかも知れぬ。貢さんは躊躇(ためら)つて鼻洟(はなみづ)を啜(すヽ)つた。
『切れ無いかい。貢さん。意久地(いくぢ)が無いね。約束したぢや無いか。』
『だけれど、みんな留守(るす)だから。』
『お前、解(わか)らないなあ。』
 兄は歎息(といき)をついた。
『あゝ、阿父さんの所為(せゐ)でも無い、阿母さんの所為(せゐ)でも無い、わしの所為(せゐ)でも無い。みんな彼奴(あいつ)のわざだ。貢(みつぐ)、意久地(いくぢ)があるなら彼奴(あいつ)を先(さき)に切(き)るがいゝ。』 兄が頤(おとがひ)で示した前の方の根太板(ねだいた)の上に、正月の鏡餅(おかざり)の様に白い或物が載(の)つて居る。
『何(なに)。』
 と、蝋燭(ろふそく)の火を下(さ)げて身を屈(かゞ)めた途端(とたん)に、根太板(ねだいた)の上の或物は一匹(いつぴき)の白い蛇(へび)に成つて、するすると朽(く)ち重(かさな)つた畳(たヽみ)を越(こ)えて消(き)え去つた。刹那(せつな)、貢さんは、
『沼(ぬま)の主(ぬし)さんだ。』
 斯(か)う感(かん)じて身をぶるぶると慄(ふる)はした。
『貢さん、貢さん。』
 と、お濱さんが書院(しよゐん)の庭あたりで喚(よ)んで居る。貢さんは耳鳴(みヽなり)がして、其の懐(なつ)かしい女の御友達(おともだち)の声が聞え無かつた。兄はにつと笑つて、
『驚いたか。』
 貢さんは黙(だま)つて蛇(へび)の過ぎ去つた暗(くら)い奥(おく)の方(かた)を眺めて居る。
『暗(くら)い家(うち)には彼奴(あいつ)の様な厭(いや)なものが居(ゐ)る。此の家(うち)の者は皆彼奴(あいつ)の餌食(ゑじき)なんだ。』
 よくは解(わか)らぬけれど、兄の言つて居る事が一一道理(いちいちもつとも)な様に胸に応(こた)へる。斯んな家に皆が一日も居ては成らぬ様な気が為た。
『晃兄さん、早くお逃(に)げなさい。縄を切(き)りますから。』
『難有(ありがた)う。お前もね、わしの年齢(とし)に成つたら、兄さんが明(あか)るい面白い処へ伴(つ)れてつて遣(や)らう。』
『本当(ほんたう)に面白いの。』
『面白いとも。』
『単独(ひとり)では行かれ無いの。』
『行かれる。兄さんは単独(ひとり)で行くんだ。』
『屹度(きつと)伴(つ)れてつて下さい。』
『わしの年齢(とし)に成つたら。其れ迄は辛抱(しんぼう)して吉田の学校を卒業するんだよ。』
『女(をんな)でも行かれるの。』
『行かれるとも。其処(そこ)は女の方が多(おほ)いんだ。』
『阿母さんも伴(つ)れてつて上(あ)げなさい。』
『諄(くど)いね。早く縄を切(き)つてお呉(く)れ。』
 貢さんは勇々(いそ/\)として躊躇(ためら)ふ所なく麻縄(あさなは)を切り放つた。お濱さんは玄関の方へ廻(まは)つて来た。
『貢(みつぐ)さん、貢さん。』
『お濱さんが先刻(さつき)からお前を探(さが)して居る。早く行つてお出で。』
 兄は柱(はしら)に倚(よ)つて立上り、縄の食ひ込んだ、血の滲(にじ)んだ手首(てくび)を擦(さす)り乍ら言つた。貢さんは、
『今行きます、お濱さん。』と甲高(かんだか)な声で言つて、『晃(あきら)兄(にい)さん、お濱さんも僕と一緒に伴れてつて上げて頂戴(ちやうだい)。』
『馬鹿。よその人に其(そ)んな事を言ふんぢや無いよ。』
 兄の睨(にら)むのも見返(みかへ)らずに、貢さんは蝋燭と庖丁とを持つて内陣(ないぢん)へ跳(と)ぶ様に上(あが)つて行つた。
 お濱さんは裏口(うらぐち)から廻つて、貢さんの居間(ゐま)の縁(えん)に腰を掛けて居た。眉の上(うへ)で前髪を一文字に揃(そろ)へて切下げた、雀鬢(すゞめびん)の桃割(もヽわれ)に結つて、糸房(いとぶさ)の附いた大きい簪(かんざし)を挿して居る。腫(は)れぼつたい一重瞼(ひとへまぶた)の、丸顔の愛くるしい娘だ。紫の租(あら)い縞(しま)の縒上布(よりじやうふ)の袖の長い単衣(ひとへ)を着て、緋の紋縮緬(もんちりめん)の絎帯(くけおび)を吉弥(きちや)に結んだのを、内陣(ないぢん)から下(お)りて来た貢さんは美(うつ)くしいと思つた。洗晒(あらひざら)しの伊予絣(いよがすり)の単衣(ひとへ)を着て、白い木綿の兵子帯を締めた貢さんは肩を並べて腰を掛けた。お濱さんは三つ年上(としうへ)で十三に成るが、小学校は病気の為に遅(おく)れて同じ級(きふ)だ。お濱さんの父は、もと越前の藩士で今は京都府の勧業課長を勤めて居る。
『お濱さん、僕、朝から行かうと思つてたけれど。』
『あたし待つててよ。しどいわ。』
『悪(わる)かつた。僕、留守番を云ひ附かつたの。』
『あたし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに叱(しか)られたのよ。』
『泣くなんて、可笑しいなあ。』
『でも、貢さんが嘘(うそ)をつくんですもの。』
『嘘(うそ)をつくものか。僕は行きたかつたけれど。』
『あたし、先刻(さつき)から喚(よ)んでたのに、あなた何処(どこ)に入らしつたの。』
『さう、先刻(さつき)から喚んでたつて。僕、聞えなかつた。』
『お昼寝(ひるね)でせう。』
『昼寝なんか為(し)ない。』
『お雲隠(はゞかり)。』
『晃(あきら)兄(にい)さんと話してたんだ。』
『晃(あきら)兄(にい)さんが入らつしやるの。』
『ふん。』
 お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、
『貢さんは矢張(やつぱり)嘘(うそ)を御吐(おつ)き為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。』
 と云つた。貢さんは困(こま)つたらしく黙つて俯向(うつむ)いた。此時前(まへ)の桑畑の中に、白い絣(かすり)を着て走(はし)つて行く人影(ひとかげ)がちらと見えた。
『あら、あたし、ちよいと用があつてよ。』
とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで草履を穿(は)いて、お濱さんの跡を追つて行つた。二人が桑畑を抜けて街道へ出た時には、二町も先(さき)の路を、晃(あきら)兄(にい)さんが洋杖(すてつき)を手に夏帽を被つて、悠々(ゆう/\)と京の方へ出て行(ゆ)くのであつた。
――(完)――



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