麦畑
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著者名:宮本百合子 

             ○
 十日程前、自分は田舎の祖母の家に居た。畑は今丁度麦の刈込みや田の草取りでなかなか忙しい。碧く、高く、晴れ晴れと、まるで空に浮いて居る雲を追って起伏して居るような山々の下に、重い愁わしげに金色の耕地が続いて居る。その中で、汗みどろに成った男や女が鎌を振い、火を燃して彼等の収穫にいそしんで居る。景色は美くしい。青玉のような果が鈴なりに成った梅の樹の何処かで、百舌鳥の雛っ子が盛に鳴き立てるのを聞きながら、自分は庭先の「うこぎ」の芽の延び過ぎたのを樹鋏みで切って居た。
 東京では如何うだか、東北地方では、「うこぎ」を生垣にして置いて、春先に成ると柔かい新萌えの芽を摘んで、細かく刻んで、胡桃(くるみ)やお味噌と混ぜて食べるのである。
 頭に鍔広の帽子を被って、背中に山や沼を吹き越して来る涼風を受けながら、調子付いてショキリショキリと木鋏を動して居ると、誰か彼方の畑道を廻って来た人がある。
 角まで来て日傘を畳んだのを見ると、近くに住んで居て、よく茶飲話をしに来るお婆さんである。私は
「今日は、なかなか暑うございますね
と声をかけて、片手に木鋏を下げ、片手で顔の前に下った帽子の鍔を持上げた。いつものお婆さんなら、少し鼻にかかった作り声で、滑るように
「お暑いこってござりやすない
と返事をする筈なのである。
 けれども、今日は如何うかして、小学校の子供のように、お婆さんは只コックリと頭を下げた限りで、ぼんやりと天日(てんぴ)に頭を曝した儘、薄紫の愛らしい馬鈴薯の花を眺めて居る。
「どうなさいました。家へ入って少し休みましょう
 私はお婆さんを縁側に腰掛けさせて、お茶を入れた。喉が乾いて居ると見えて、お婆さんは殆ど機械的に三杯お茶を飲み干すと、始めて人心地が付いたように、眼を大きくして、四辺を見廻した。そして、手拭で頭の汗を掻くと、其を顎の辺に止めたまま、いきなり
「今日は、はあお仙さと伺いを立てにいぎやしてなあ
と話し始めた。何処でも田舎はそうなのか、村では占とか、御祈祷、神様に伺いを立てる等と云う事が非常に流行する。其も、一年の中で春から夏に懸けて、人々は、大抵の女は、何かと云うとそう云う種類の話を持ち出すのである。
「はあ、何ちゅう当ったこったか、
 お婆さんは、太い溜息を吐いて、又手拭で顔を拭いた。
「私が、今年は足ろくさんに当って居る事から、とっさまの事から、はあ、すっかり当てやしてない、……お前さんは、まだまだ心が堅まんねえ、量見が定まんねえから、駄目だって云われやしたの
 お婆さんは、その身持ちの若松とかから来た若い女の「伺い」にひどく心を動顛させられたと見えて、神経的にボロボロ涙をこぼしながら、聞いて来た一伍一什を話して聞かせた。
 その話しようが真個にもう恐ろしさや、驚きに負け切って、到底黙って辛棒して居られないと云う風なのである。
 私は心の中で、漠然とした、然し可成に重苦しい陰気さを感じながら、お婆さんが旧の七月か九月には騒動が起って、自分の身が定るだろうと云われたと云う事を聞いて居た。
 自分の未来等と云うものに対しては、如何那人でも本能的に知り度い心持を持って居るだろう、知り度い、非常に知って見たい、怖いもの見たさの心持があるのだ。其で居て、いざ知らされると、堪らないのだ。おばあさん、おばあさん、自分は又土に下りて、「うこぎ」の枝を切り始めた。




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