あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)
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著者名:宮本百合子 

 暗くしめっぽい一つの穴ぐらがある。その穴ぐらの底に一つの丸い樽がころがされてあった。その樽は何年もの間、人目から遮断されたその暗がりにころがされていて、いそがしく右往左往する人々は、その穴ぐらをふさいでいる厚板の上をふんで歩いていながら、その足の下にそんな樽のあることは心づかなかった。よしんば、そこの穴ぐらや樽について知っている人があったにしろ、そのことについては黙っていた。なぜなら人々は、云っていいと許されていることについてしか話せなかったし、穴ぐらや樽については話していけないからこそふたでふさいで暗いところにころがしておくのであったから。
 ところが、或る夏の日、あたり一帯もの凄い音響がして、やがて死んだようにしんとなった。しばらくして、その森閑とした大気のどこかしらから人声がきこえて来た。かすかだった人声は次第にたかまり、やがて早足に歩く跫音がおこり、やがてかたまって駈けまわるとどろきになって来た。君たちは、話すことができる! 君たちは話すことができる! そういう歓喜の叫びが穴ぐらの底までつたわって来た。樽は、幾年ぶりかで穴ぐらから外気の中に運び出された。ほこりをかぶった樽の栓がぬかれた。樽はむせび鳴りながら自身のなかみをほとばしらせた。日光にきらめき、風にしぶきながら樽からほとばしる液体は、その樽の上に黒ペンキでおどかすようにかきつけられていたPoison(ポイゾン)――毒ではなかった。液汁は、芳醇とまではゆかないにせよ、とにかく長年の間くさりもしないで発酵していた葡萄のつゆであった。
「播州平野」と「風知草」とは、作者が戦争によって強いられていた五年間の沈黙ののちにかかれ、発表された。主題とすれば、一九三二年以来、作者にとってもっとも書きたくて、書くことの出来ずにいた主題であった。この二つの作品は、日本のすべての人々にとって忘却することのできない治安維持法と戦争のために犠牲とされた理性と善意のために捧げられる。生けると死せるとにかかわらず、この二つの悪虐な力によって破壊を蒙った人間性の恢復と未来の勝利のためにささげられる。二つの作品には自然発生的な萌芽として、新しい日本の人民生活の文学の端緒と、現代文学が私小説から脱却してゆく可能の方向及びこれからの日本文学が実質的に世界文学の領野に参加し、そこでになってゆくべき現実の性格などについて、示唆をふくんでいる。
「播州平野」と「風知草」とは作者にとって第二の処女作のように思われる。それらがほんとに思わずも溢れる川のように溢れてかかれた作品であり、ほんとに書かずにいられない題材と主題とによっているというまじりけなさの点で、これら二つの作品のかげには、人生の初秋において妻として甦った一人の女の豊かな秋のみのりへの生と文学への息づきがある。
 この二つの作品は一九四七年度の毎日出版文化賞をうけた。
   一九四八年九月
〔一九四八年十月〕



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