はしがき(『女靴の跡』)
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著者名:宮本百合子 

 一九三三年ごろから最近までの十二、三年の間日本の文学者たちの経験したさまざまの苦しい境遇は、ほんとうに日本の全人民の辛苦と共通なものであった。みんなが、自分の思うこと、正しいと信じる自分の判断について、口をふさがれていたとおり、作家もあらゆる率直な表現をはばまれて来た。小説が、真実に人民的な歴史を映すテーマで書けなかったように、評論も客観的なよいところを抹殺されて、文芸評論でさえ、文学史を逆行した鑑賞批評しか存在を許されなかった。その時代に一つの現象として随筆の流行が見られた。いろいろ個性的な色彩をもった随筆がうかがわれたが、その中には、一応随筆の体裁をもちながらも、その奥には何となく魚のような背骨をひそめていて、小さくても弱くても、人間の生活と芸術のまともさを守り、その希望の閃きを見失うまいとした随筆もあった。評論も小説も、自分にとって自然な形で書けなかった何年かの間に、わたしがいくつかの随筆のようなものをかきはじめたきっかけには、そういうところもあった。
 こんどはじめて、随筆集という形で一冊の本にまとまるにつけて『明日への精神』や『私たちの生活』に収録されている随筆のうちからいくつかを選び「郵便切手」そのほかの最近書いたものに、未発表のいくつかを加えた。「兄と弟」「書簡箋」「ベリンスキーの眼力」などは太平洋戦争中、作品の発表できなかった時分のノートから。「真夏の夜の夢」「デスデモーナのハンカチーフ」「復活」などは、珍しく芝居につき、この集のために新しく書いた。
   一九四七年十二月
〔一九四八年二月〕



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