序(『歌声よ、おこれ』)
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著者名:宮本百合子 

 こんにち、わたしたちの生活と文学との建設のために、いくつもの大きい課題があらわれて来ている。苦しく、いきどおろしい人間理性否定の暗黒がすぎて、明るい光のさしそめるときになったが、過去十数年の惨澹たる傷あとは、日本の知性の上から、そう急に消え去らない。日本の現代文学の苦痛は、こんなに急なテムポで世界の歴史は前進しているのに、戦争中萎縮させられた人間性とその創造力がそれにふさわしい強壮な恢復をおくらしていることであると思う。
「歌声よ、おこれ」以下、この本の前半にあつめられた評論は、それぞれの角度から、日本のすべての人がおかれた非人間的なきのうをかえりみ、きょうを眺め、明日の可能を歴史の現実のうちに発見しようとしたものである。文学を中心として語られているけれども、広い意味で人間復興そのものの課題に立っている。
 第二部をなす作家論は、大体これまでの十二三年の間のそれぞれの時期にかかれたものである。これらの作家論は、当時の日本の権力が戦争推進のためどんなに現実を歪めた観念を社会のあらゆる面に流布しはじめたかということと、近代市民社会の生活史をもたない日本の文化人が自身の内なる封建性と非社会性によってどんなにその強権に屈伏したか、それらとのたたかいは、どんなに困難であったかということを示している。
 これらの作家論のなかで、「山本有三氏の境地」などは、こんにち読むと、いくらか甘いものに見えてきた。これが書かれたのちの人及び作家としての山本有三の動きには、外面にあらわれない政治的な複雑さもあったらしく判断される。近い将来にもっとずっとつっこんだ立体的な山本有三論がかかれなければならない。
 バルザックやジイドについての評論は、過去の外国文学紹介者が共通に陥っていた一つの欠点に対して関心を示したものであった。日本の民衆生活に世界的感覚がつちかわれていないためにまた、社会史の上でヨーロッパ市民との間にくいちがいがあるために、或る場合、或る種の人々が、一定の利害を合理化すために外国作家をかつぎあげることがはやった。もう、わたしたちは、きょうになってまでも、また再びそういう悲喜劇をくりかえしたいとは思っていない。
 こまかく言えば、ここに集められている評論のあるものは未熟であるし、あるものは、問題を追究しつくしていないところもある。けれども、未来の達成を信じて生きてゆくものの一人として、わたしはこの一冊の小さい本を、すべての人々の明日の可能性にむかってささげる。
   一九四七年六月
〔一九四七年八月〕



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