手づくりながら
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著者名:宮本百合子 

 正月元日に巖本真理のヴァイオリン独奏の放送をきいた。そして、その力づよくて純潔な音色からつよい印象をうけた。シゲッティというヴァイオリンの名手が来朝したとき、もう地下活動をしていた小林多喜二がこっそりききに行って、ひどく感動したという話をきいたことを思い出したりした。そしたら、新聞に、巖本真理が半年ほどアメリカ、カナダの演奏旅行に出発するという記事がのっていた。
 わたしの心の火に、藤田嗣治のおかっぱの顔が浮んだ。彼の出発は、何だか特別な感じだった。飛行機でとび立つその日まで、ひたかくしにかくされていて、その日にとられた写真での彼の表情は、まるで一刻も早く飛行機のエンジンがまわりだすのを待ちかねている風情だった。その顔に不安があった。彼に「アッツ島玉砕」という悽惨きわまりない絵がある。彼の年とったおかっぱの顔にある不安をながめて、彼はあの絵に追われているという感じがした。その絵が自分をつかまえないうちに、早く! 早く! そう思っている不安のように思えた。
 巖本真理のおばあさんは明治初期の婦人英学者若松賤子である。このひとには「小公子」の名訳がある。おじいさんの巖本善治は、明治初期の進歩的女子教育家であった。おかあさんは、多分アメリカの婦人だったように思う。二十三歳の才能ゆたかなヴァイオリニストは、世界の舞台に立つことを、どんなに、真剣に、まじめに、音楽のこととして感じていることだろう。
 わたしの心にはやさしい同感がある。その同感を追っているわたしの心に、また一つの感想がわいた。それはヨーロッパ列強に分割されたポーランドで生れたショパンのことである。それから崔承喜をはじめ、朝鮮出身の歌手たち舞踊家たちのことである。日本の権力は植民地であった朝鮮の人民の間からすぐれた政治、経済面の活動家が、成長してくることを極力ふせいだ。そして、いわゆる文化面といっても朝鮮人民の言葉と思想感性のおのずから主張される文学よりも、歌や踊りへよりたやすい才能のはけくちを与えた。軍国主義時代の日本の文壇的な存在として成功するためにはよつんばいにでもなるといったと語りつたえられた張赫宙のような朝鮮の作家のだれ一人も、きょう民主朝鮮の民族文学の担当者とはなっていない。
 わたしたちの間へ、ソヴェト同盟から手づくりのヴァイオリンやセロや太鼓をもった人々が帰って来た。人民の歌うべき歌は何であるか、そして、それはどのようにうたわるべきかということを学び知った人々だ。――ここに新しい世界史という芸術の展望がある。
〔一九五〇年二月〕



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