見つくろい
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著者名:宮本百合子 

 たとえば半襟のようなものでも、みつくろって買って下さいね、とたのまれると、私たちは相当閉口する。自分が見てあのひとにはこれと思って選んだ色にしろ、果してその色を本人が好きと思うかどうかは不安であるし、見つくろって、と買物などをひとにたのむことは、相手を立てているようでその実は困りもののときが多い。
 菓子屋などへ電話をかけて、見つくろっていかほど、と云ったりしているのをきくと、やはり嬉しい気がしない。菓子屋の職人で、すこしは美味い菓子をつくっている自信のあるのがそんな注文をうけたりしたら、やっぱりまかせられたうれしさよりも、そういう大ざっぱな味いかたを幾らか腹立たしく感じそうに思われるけれど、どうかしら。
 いろいろ日本の生活の感情の細かいところにふれて考えてゆくと、ひとに判断の責任をゆだねたこの見つくろいが、案外様々のところに行われているのではないだろうかと思われる。媒酌ということが日本の結婚のしきたりでは単に紹介をする人というのとは異った役割をもっているし、その関係で娘さんは見つくろわれる側にまわることも微妙な作用である。西洋の女のひとは、見つくろって下さい、という感情を人生のいろんな局面でずっと少ししか持っていないような生活の姿である。
 この頃は不思議な世の中で、本屋が見つくろいの注文を受けた話をまたぎきした。或る本屋へ電話で、もしもしこちらはどこそこですが、本を四十円ほど届けて下さい、という若い女の声である。本屋は腑に落ちなくて、しかし四十円ほどという響もはっきり耳にしみたのだろう。承知しましたが、本はどんな種類のにしましょうか、とききかえした。すると、一寸お待ち下さいと引こんで、又電話口での返事は、わかりませんから何か見つくろって四十円ほど、と云うことであった。
 そこで本屋はあれこれを風呂敷につつんで行って見たところが、そこは新築したばかりの邸宅で、西洋間の応接室に堂々たる書架がついている。が、そこが空っぽで入れるものがないからという注文であったことが判明した。
 本屋は早速見つくろって幾通りかの本をその書架につめたら、金額は四十円を超過して二百円ばかりかかった。しかし、その新邸の主人は、これで大層立派になったと云ってよろこんだそうだ。
 本がよく売れるという昨今の文化のありようには、こんな見つくろいで買われる本もあるのだと、可笑しくて悲しい気がするのであった。
〔一九四〇年六月〕



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