飛行機の下の村
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著者名:宮本百合子 

 旧佐倉街道を横に切れると習志野に連る一帯の大雑木林だ。赤土の開墾道を多勢の男連が出てシャベルやスコップで道路工事をやっている。×村から野菜を○○へ運び出すのに、道はここ一つだ。それを軍馬が壊すので、村民がしなければならない。爺さんまで出て腰の煙草入を振り振りモッコの片棒担いでいる。
 附近に陸軍飛行機学校、機関銃隊、騎兵連隊、重砲隊などがある。開墾部落はその間に散在しているのだ。
 南京豆と胡麻畑の奥に、小さい藁葺屋根の家が見えた。われわれ一行三人が、前庭に入って行くと、
「よう!」
 低い窓からこっちを見て勢のいい声をかけたのは主人××君だ。土間で手拭をかぶって働いてたお神さんが、
「さ、おあがりな」
 春から懇意の△△君が作家同盟から今度文学新聞が発行されること、そこへ記事や写真を載せたくてやって来たことなどを話した。
   ×
 洗いざらしだが、さっぱりした半股引に袖なしの××君は、色のいい茄子の漬物をドッサリ盛った小鉢へ向って筵の上へ胡坐(あぐら)を掻き、凝っときいている。やがて静かな、明晰な口調で、
「どうだ、今夜居られるかね?」
と訊いた。
「僕らはいいです」
「それじゃ結構だ。みんな集めるのは夜の方がいい」
 ××君は元からプロレタリア文化運動の基礎は工場・農村の中へ置かれなければならないと実践から主張して来たんだ。
 この部落十七軒が団結して独占地主××と闘争をはじめたのは昨日今日のことではない。旧労農党時代からだ。近隣の三部落も全農支部を組織して勇敢に闘争している。中でもこの部落は四・一六と二・一六とに犠牲者を出した。組合員は地主との闘争の焦点をハッキリ土地問題において勇敢にやっているのだ。部落の小作料はもう五年間も未納だ。
   ×
 この一見何の奇もない四十男の××君が、このためには口で云えない努力をつづけて来ているのだ。
 途中で見て来た道普請のことが出た。
「組合員は反対なんだ。強制賦役反対、弁当代を出せろと云っているんです」
 やがて、美味いウドンの昼飯をすませ、山芋掘の鍬をかついだ××君を先頭に家を出た。栗鼠(りす)が風の如く杉の梢を、枝から枝へ飛び移って行く。栗の青いイガが草の中へ落ちている×××老人の家で夜まで遊ぼうというわけだ。四・一六の時、×××老人は婆さまもろとも引っぱられたが、六十日ブタ箱にたたきこまれている間一言も物を云わなかったというんで、部落の一つ話になっている。
「看守が来ると、おーい、年とって目が見えんからお前見とくろっちゃ、毎日虱とっとった」
 ×××老人は、皺だらけの顔で言葉少にその時のことを話し、愉快そうにハッハッと笑った。
 まわりの手入れの行届いた畑には、薯、菜、大根、黍(きび)、陸稲なんかが育ってる。部落組合員は、経済恐慌と闘争の激化につれて「闘いのための生産へ!」というスローガンで市場へ売り出す白菜や南京豆の代りに、こういうものを作りはじめたんだ。
   ×
 天井の棟から、五分芯ランプが下ってる。左翼劇場のビラの下に壁へ濃い陰影をおとしながらギッシリつめかけて坐ってるのは、婦人部の連中だ。二十すぎから四十前後の組合員のお神さんたちで、子供づれもある。隅の布団にくるまってもう二人の子がスヤスヤ眠っている。
 ××君の非常にうまい司会で、ソヴェト同盟の農村と婦人の話がすんだところだ。四・一六の前から、救援運動を通じごく実践的に組織されて来た婦人部だし、みんな年配で経験は深いし、ソヴェト同盟農村託児所の話、産院、休みの家、勤労婦人の種々な権利についての話は、実際の興味をひいた。
 ソヴェト同盟の話は、われわれの今日の情勢とひとりでに結びつき、戦争の話も出た。「市太郎やーい」の活動写真が村へ来た話をしてくれた。
「ただで見せるちゅうからやらずばなんめえてやったら、七銭とられただよ」
「しようねえな。支那とこんなことんなってはあ早速豆板(肥料)が上っただよ。こないだ××さんが買った時は一円二銭だったのがは、一円二十二銭しるだアよ」
「おーさ。石油も上りはじめただよ」
「こいでまた繭の値はがた落ちだし、どっち向いてもいいことはねえ」
 が、愚痴じゃない。そう云った五十ばかりのお神さん自身活々と輝いた眼をしてランプの下で笑ってるし、みんなも「おーさ!」と答えつつ、悄気ているどころか! 段々本気に子安講のことを討論しはじめた。部落で一戸ある裏切者を中心に四五人がかたまってその講をたて飲んだり食ったりしているんだそうだ。
「――みんなあ、産が安かんべと思って、講さ入ってるのよ」
「講さ入んねえばって生めるよ。入っていてくれたって赤ん坊は勝手に出て来るもんだ」
 どっか後の方に坐ってるお神さんが云った。
「でも……講からはずれた××さんは、赤ん坊の頭だけ出て、あとえらい難産したアだとよ」
「そら、お前四日も食わなかった揚句だもの! 体に力がないところさ、どうして安々生れべ! 子安講さ入っててもわれわれが食えるようにはならねえよ」
「おーさ!」
「子安講をやるんだら、いっそ組合総体が入ってしるべ! あんな裏切もんの指図でしるこたねえだ」
「おーさ!」
 月の光がガラス戸の外一面に流れ、宵の口は薄ら寒かったが、今はみんな熱心に喋るもんで水が飲みたいぐらいになって来た。××さんが提議して大きな西瓜が切られた。かれこれもう一時過ぎているのに西瓜の盆をかこんで活溌に討論し、陽気に笑い「さ、そろそろ帰るべ」とは云いながら誰ひとりランプの下から動かない。婦人部維持費五銭積立の件、××さん出産祝の件、組合内に購買組合を組織する件、日頃の団結の強さと未来の勝利への確信が何とも云えない熱となってこの屋根の下に燃え輝いている。
   ×
 翌朝は日が出ると間なし起床だ。
 いい天気で、朝靄が緩やかな畑の斜面や雑木林の彼方にかかっている。朝日のさす部落の梨の木の下で、昨夜集まった連中その他がわざわざ『文学新聞』のためだからといって集まり、写真をとった。
〔一九三一年十月〕



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