身辺打明けの記
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著者名:宮本百合子 

        朝と夜

 わたくしは、朝は大抵九時前後に目がさめます。最も前夜十二時頃か、一時二時頃までも夜ふかしをすると、朝もつい遅くなって、十一時頃でなければ目がさめません。わたくしは一体、たくさん睡るのが好きですから、眠られるだけ眠るようにしております。目がさめるとわたくしは床の中にじっとしていられない方で、すぐに起きてしまいます。
 夜は電燈を消して眠ることにしております。が、わたくしはどうも寝つきの悪い方で、それにはいつも困るのです。床の中で本を読むということは殆どありませんが、でもこの間、あんまり睡れないので、本でも読んでみたら、と思って横になったまま読み始めたら、却って目が冴えて一そう困ってしまいました。自分の書いたものでも読んだら、厭気がさして、飽々して、早く眠れるかしら、と思うのですが……。

        新聞

 新聞は今、『時事』と『日日』と『報知』と、それに芝居のことを知りたいために『都』と、都合四つとっております。それらの紙面で先ず目をつけるのは社会欄です。社会記事から創作の材料を得たことは一度もありませんが、「なるほど、こういうこともあるのか」と思うような、さまざまの世相を見たり考えさせられたりするので、かなり興味をそそられます。そうした記事をすぐ小説に書けたら面白かろうと思います。も一つわたくしが、ひまな時に必ず見るのは、『時事』のよろず案内や『日日』のいろいろの案内記事です。あれを見ると、例えば、家政婦に住み込みたいとか、家政婦を求めるとか、というようなことが、何か知ら曖昧な、いろいろの世相が、これにも感じられ味わわれるような気がして、わたくしには面白い。広告欄はたいして注意しませんが、でもブック・レビューなどは目を通します。
 新聞を読むのは、平常は朝ですけれど、創作中は、朝食後すぐ机に坐りますので、いつもお昼御飯のときに読むことにしています。

        食事

 朝は、起きてから洗面や化粧――といっても、わたくしの化粧は、ちょいちょいと手早くすませてしまうのですが――そんなことに約三十分ほど費して、それから食事をいたします。朝の食事はいつもきまって、パンと卵と紅茶とだけです。夏は卵のかわりにトマトをたべます。
 昼はごく簡単な日本食をとります。
 夜は六七時頃、三度のうちでは一ばん御馳走のある食卓にむかいます。

        嗜好

 わたくしは支那料理が非常に好きです。日本料理も西洋料理も、おいしければ大好きですけれど、まずい西洋料理よりは、たいしておいしくなくとも日本料理の方を好みます。
 魚類では、夏なら「あらい」にしてたべるものがすきです。けれどもわたくしは一体、お魚がひどくすきというのではないので、牛肉などなら毎日でも結構ですけれど、お魚をそう続けられては見るもいやになります。肉類にしても、東京の堅い鶏肉はあまり好みません。特に好物といえばあい鴨です。
 野菜では、胡瓜とかサラダとか、見た眼に新鮮な感じのするものを好みます。殊に五月時分、はしりの胡瓜をなまのまま輪切りにして塩をつけてたべるのは、毎年その季節の楽しみの一つです。
 嫌いなものといえば、何よりも先ず納豆です。北国の人は一体納豆を好むようですが、わたくしは、福島県の生れですし、父祖の生れは山形県ですし、それに父も母も納豆が嫌いではないのですが、わたくしはどうも駄目です。母なぞは「お前は国の納豆をたべないからだよ、たべず嫌いなんだよ」と申しますけれど、わたくしも、その国の納豆――山形県の――を見て知っていますが。――東京の納豆の三分の一ほどの、それは小さな納豆で、東京の納豆のような変な臭いもないのですが、兎も角わたくしには手が出ません。
 煙草はのみませんが、そばで匂いをかぐのはすきです。

        間食

 間食はずいぶんいたします。果物では、ネーブルのような酸っぱいものでないかぎり大抵のものはいただきます。何に依らずわたくしは酸っぱいものを好みません、といっても、おすしとか酢の物なぞはたべますが、つまりわたくしのは、どぎつい酸っぱさを含んだものがたべられないのです。

        飲料

 わたくしは緑茶をずいぶん飲みます。御飯をたべるにも緑茶を飲み飲みたべるのです。ですから人に「米搗き」なぞとからかわれます。越後の米搗きはお茶を飲み飲み御飯をたべるのだそうです。としてみるとわたくしの嗜好というものなぞは、レファインされない嗜好なのでしょう。
 果物よりも甘いものの方がずうっと好きです。仕事に疲れた時なぞ、甘いものでさえあれば何んでも構わずたべる位です。甘いものといえば、いつかたべた京都の「川村」の栗ようかんのおいしかったことは未だに忘れません。

        服装

 洋服は形がいろいろあって、それが着る人の性格を現わせるから好きです。気に入った洋装をしてみたいと思いますけれど、その機会がないので、この頃わたくしは和服ばかりです。家にいる時からして、筒ッぽの袖の広いのを着ています。着るものや持ちものについての趣味をいえば、例えば、一見して、帯とか傘とか羽織とか、それらの一つが際立って目につくというような拵えはいやです。そういういやな刺戟のない、全体がまとまった感じの身なりが好きです。けれども、そうはいっても、その場所とその人の装いとが合致していれば、人々個々のことはどうでもいいことです。

        動物

 好きなのは先ず犬、馬、牛――牛もミルク・カウェーもいいけれど、朝鮮牛も悪くないと思います。そのほか蛇や毛虫なぞにしても、たいして嫌いではありません。尤も、そばにいられてはいやですけれど、遠くから見るなら別段いやとも思いません。毛虫なぞ綺麗じゃありませんか。そういえば、どんなに綺麗な蛾にしても、灯のまわりを煩(うる)さく飛びまわられては嫌いです。嫌いといえば、何よりもたまらないのはノミ。

        植物

 わたくしは机上に年中花を絶やしたことがありません。花はいつも小さいのを選びますが。
 樹木も好きです。わたくしは樹のない家に住む気はありません。その上庭に、苔があり芝生があれば、猶更らうれしいことです。

        机のまわり

 わたくしの机の上には、満州辺の山羊のような、少し黄色がかった文鎮があります。それに瑠璃色の硯屏と白い原稿紙、可愛い円るい傘のスタンド、イギリス産の洋紅に染めつけた麻の敷物なぞ、どれもわたくしの好きなものばかりです。

        音楽、絵画その他

 近頃は音楽を聴くよりも絵を見ることの方が多いのですが、どちらも好きです。絵は、日本のも西洋のも、支那のも、素晴らしくいいものには区別なく惹きつけられます。
 芝居は歌舞伎劇や文楽の人形浄瑠璃なぞ好きです。新劇は築地小劇場のものや、武者小路さんのものが好きです。嫌いなのは、黙阿彌張りか何かで、それでいて新作まがいの中途半端の芝居です。
 活動写真も好きです。しかし網野(菊)さんほどではないかも知れません。網野さんの活動好きにはおどろきます。
 わたくしは他にお能を好んで見ます。あの衣裳の色の配合なぞ立派なもので感心させられます。この頃も桜間金太郎氏の「巴」を見て、その狂言の、罪のない、好意のもてるずるさ、というようなもののあるのを非常に面白いと思いました。

        旅行

 旅行にはよく出かけます。今年もお正月は湯ケ島と北海道へ旅をしましたし、四月から五月へかけて九州を一週したりしました。わたくしは海より山の方が好きです。山に変化はないという人がありますが、わたくしはそう思いません。霧だの靄だの雲だの虹だののさまざまな変化は容易に見飽きるものではありません。殊にわたくしは、湖水や溪流のある山を好みます。ですから、わたくしは今まで「疲れた、海へでもゆこうかしら」なぞとは言ったことがない。いつも「山へ」と思います。
 温泉もすきです。しかし、設備のいいところでなければいやです。尤も設備の整った温泉場となると、ドンチャン騒ぎの遊山客がくるので困ります。ドンチャン騒ぎも一日や一晩ぐらいなら、わたしだって面白いと思いますけれど、毎日毎晩ではやりきれません。

        入浴、髪

 風呂はすきですから毎日はいります。髪は今まで人の手で結んで貰ったことは一度もありません。いつも自分でグルグルと巻きつけて置くだけです。

        創作前後のこと

 創作にとりかかると、そのことばかり頭にあって、前述のとおり、朝食後新聞も読まずに机にむかうという風で、そして、一つ創作が出来上らないうちに、他のものを書くというような器用なわざはわたしには不可能で、あちこちから三つ四つと一ぺんに頼まれても、一つ一つ順繰りに書き上げてゆくのです。
 朝、ペンを執るとお茶も飲まず何もしないで一気に書きつづけます。それでも遅筆の方で、一日平均五枚ぐらいしか書けません。
 執筆中、これという気になることもありませんが、ただ風の音は嫌いです。

        書斎と原稿用紙

 書斎の光線は薄暗いのが好きです。夏なぞ、わざと障子を閉め切ります。暑くて辛らいのですけれど……。
 原稿用紙は、本郷松屋の四百字詰青罫のを用いております。ペンはGペン、一日一本です。
〔一九二七年十二月〕



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