追想
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著者名:宮本百合子 

 去年のちょうど今頃、自分は、福島に在る祖母の家に行っていた。暫く東京を離れ、子供の時分から馴染深い田園の裡に静かな時を過したいと思ったのである。行って、一週間も経ったかと思う頃、K町の家から転送された沢山の書簡に混って、一つ、私には判らない葉書が来た。
 差出人は、同級会幹事の誰それとしてあり、宛名は、まぎれもない自分だ。けれども、内容がはっきり心に写らない。文句は、深田様がお産で去月何日死去されましたから、御悔みのしるしに何か皆で買ってあげたい、一円以上三円位まで御送り下さい、というのである。
 広い耕地を見晴す縁側の柱の下に坐り、自分は、幾度も、幾度も繰返して文面を見た。第一、なくなられたという深田という人が、誰であったか、どうしても思い出せない。女学校を出てから、殆ど五年ばかりになる。学校にいた時分と同じ姓なら、いくら、人の姓名に対して記憶の薄い自分も、これほど忘れ切ることはないだろう。ところが、卒業後五六年迄の間に、何という友達の苗字の変ることか。一人一人と結婚し、一人一人と、変った姓で呼ばれることになる。結婚してから幾年か経ちでもすれば、良人の姓にも馴れ、記憶に刻まれるのだけれども、今迄、呼びなれていた友の名が、何時の間にかまるで違ったものになり、前に現れると、自分は、すっかりまごついてしまう。また、誰でも、一々友達じゅうに、自分の結婚を告げ歩く人はいない。時には、十人の中四人も知らないうちに、その人の名は、すっかり異ったものになっていたという有様なのである。
 勿論深田さんという人も、同級会の幹事が知らせて来る以上、組の中の一人であったには相違ない。誰だろう。お産で死なれたとは気の毒に思う。誰だろう。――考えても、当が付かない。
 自分はちっとも心に誰という明かな感じもなく、従って、真面目にさほどの悲しみをも感じない空な名に、御香奠を送る気にはなれなかった。何だか嘘で、自分はただ出せと云われた金を出したという心持ばかりがする。
 漠然と、誰かが死んだというだけの感で、私はそのままにしておいた。他に迫った用事があり、夜はもうすっかりそのことを忘れていたのである。
 それから一ヵ月ほどそこに滞在して帰京して間もなく、級(クラス)会があった。私は、正月から、まだその年は一度も出席していない。余り御無沙汰になるので、雨の降る中を出かけて行った。そして、皆の、賑やかな、笑い、喋る姿を見ると、ふと自分の心に、先達っての名が浮んで来た。私は、幹事をしていた人に、
「先達ってのお葉書ね、私、深田さんという方が、どなただか、まるで分らないからあのままにしてしまったけれど。どなた?」と訊いた。
「ああ。おつやさんなのよ」
 友は、非常に力を入れて返事をした。
「おつやさんが去年の初お嫁にいらっしゃって、深田さんとおなりになったの」
「まあ! おつやさんなの? まあ……」
「思いがけないわね。何てお気の毒なんでしょう――」自分は、言葉なく、友達の顔を見守った。深い、深い愕きが心を打った。
 思いがけないという以上だ。気の毒という以上に感じられる。それほど、私の心に遺っているおつやさんという人は延々と育ち、非常に美しい皮膚を持ち、軟い花のような人であったのだ。
 女らしい我ままや、おしゃれは、級(クラス)の中で誰よりも持っていた。家が、金持ちの実業家であり、末の娘であることから、ちっとも憎らしくはないたよたよとした処、無意識の贅沢、おっとりした頭の働きが、ありありと思い出される。
 その他、私としては、胆に銘じ、忘れ得ない記憶がその人に就ては与えられている。私は、幾度も、
「可哀そうに」
と云った。思い出すと、可哀そうに、と云わずにはおられない。――
 そのうちに、私共の組の主任であった先生が来られた。五年の間、自分達は、その、がっしりとした体躯の、色の黒い女教師の下に育てられて来たのだ。大抵の者は、もう人の妻となり、或は親となっていても、彼女の眼を見ると、皆、仲間同士の正直な、打明けた表情は圧せられてしまう。堅くなり、他人行儀になり、生徒であった時の義務の感などが甦って来る。十三四から十八九迄、毎日見た顔、指導された心に対して、それほどの距離が、彼女と自分等との間には在る。
 まるで教室にでもいるように、一斉に立って迎えた中を、辞儀と愛素よい笑とを振撒きながら入って来られる様子を見、自分の心は、悲憤ともいうべき激情に動かされた。
 あの平気な顔、自分の仕たことに一つの間違いもなかったのだと云いたげな風。私は、
「深田さんが死んだとお聞きになった時、どんな気持がなさいました」
とききたいほどの心持がした。
 彼女は、いささかの苦痛、可哀そうだった、という悔恨は感じなかったのだろうか。あの笑い!
 毎日毎日、変転して行く生活の裡で、たとい彼女が瞬間、心の痛みを感じたとしても、それを、今、この場所まで持ち続けて来ることは不可能であろう。
 あの時の、自分の激昂した心情は、そのままで彼女に対し、或は公平でないものであったかも知れない。
 然し。――
 ちょうど、私共が五年の時であった。或る春の心持の晴々とする朝、始業の鐘が鳴り、我々は、二階の教室に行こうとしていた。
 どうかして自分はおそくなり、列の後の方に跟(つ)いて行った。皆、さほど大きな声は出さず、然し、若い生活力が漲り溢れるような囁きを交しながら、階段を昇って行く。――
 そこへ、傍の廊下から、受持の先生が出て来られた。列になっているから、皆、お辞儀はしない。が、前に行くと同じように、若い娘らしい謹みを現して通り過る。――
 先生は、手を前に垂れて組み、優しいような、厳しいような微笑を湛えながら、一人一人、注意深く、顔、髪、着物と眼を走らせる。――私共は、皆心の裡で、この、朝の出迎えが、何を意味するか知り、嬉しがってはいなかった。
 私共は、極端に、髪や顔の化粧や着物のことを喧しく云われた。人間の心得として、虚飾(みえ)や、いかものの化粧が、実に無価値であることを、教えられるより、細々、一々、実際について、批評される。それも、
「あなた、そういう風は、しない方がよくはありませんか、お嬢さんらしくないから」とか、
「おやめなさい」
と、率直に、慈愛を以て、ひそかに告げられるのではない。
 実に、厭味、苦しめる暗示で、大勢の中で、神経的に云われる。云われた者は、教えられた感謝より、いつも、苦々しい悪感、恥かしさ、敵慨心を刺戟されるように扱われるのである。
 中には、一人二人、特にいつも目をつけられ、ことごとに冷笑を浴びる者もある。
 それでも、その朝は無事で、大抵の者が通り抜けた。もう少しで皆行ってしまおうとする時、傍にいた先生の眼は俄にきっと鋭くなった。何事かと思う間もなく、一二歩前に出、
「今沢さん!」と、大きな叱る声で呼ばれた。
 今沢さんと呼ばれたおつやさんは、無邪気な歩きつきから、はっとして先生の方を向いた。
「何です、その顔は! 早く洗っていらっしゃい。すっかり落していらっしゃい!」
 見る見るそこにいた六七人の者は、緊張した。真赤になったおつやさんの顔を見ると、少し濃い目ではあるが、のびよく美しく白粉がついている。
 どうなるかと思う自分の眼の前で、おつやさんは、さっと涙に眼を曇らせ、訴えるように、哀願するように、先生を見た。が、先生の顔には、相手が、未だ十八の、少女であるのを忘却したほどの憤り、憎しみが燃えている。
 一二秒、立ち澱み、やがておつやさんは、矢絣の後姿を見せながら、しおしお列を離れて、あちらに行った。
 彼女は素直に、顔を洗いに行ったのだ。
 暫くして、皆席についてしまってから、水で、無理に顔をこすったおつやさんは、赤むけになったように痛々しい面を伏せて、入って来た。
 その心持を思い、無惨な、若い女の感情を、些(ちっと)も労わる真心のない先生に対し、私は、いたたまれないばかりの苦痛を覚えた。
 若し、自分の生んだ娘であっても、彼女は、あれほど、烈しく、恥しい、辛い思いをさせるに堪えただろうか。何故、時間でもすんだら、そっと陰に呼んで、
「少しお拭きなさい。明日からは、もう少し分らないようにつけましょうね」
と、必要な警告なら、与えてやらないのだろう。
 愛のないこと。それが、若い心には、骨髄に滲み徹る。自分なら、恐らく、そのまま家へ帰ってしまったろう。それを、心持を忍んで、また、皆の裡に戻って来たおつやさんのしおらしさが、同い年であった自分に、いいようのない感銘を与えたのである。
 おつやさんも、恐らく死ぬ迄、その時の心持は忘れ得なかったろう。
 彼女が死んだときいた時、先生の心には、これほど短く一生を終るのであったら、あんなに辛くは当らなかったものをという思いは湧かなかっただろうか。
〔一九二二年六月〕



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