一票の教訓
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著者名:宮本百合子 

 日本の新しい出発にとって意義深い総選挙は、四月十日に行われ、十五日までには全国の成果が知らされた。
 前もって数えられていた全国の有権者は三千九百八万九百九十人といわれ、そのうち婦人有権者は二千九十一万七千五百九十三人とされていた。永年の戦争で、夥しい男子を家庭から失っている日本の姿がここに示されていたわけである。
 婦人の参政権が認められてから、総選挙まで、私たちは幾度、日本の婦人は政治に無関心だという批評をきいて来ただろう。また、何度、どうせ棄権さ、という言葉をきかされて来たであろう。選挙準備の期間を通じて、新聞が報じたのは、選挙に対する一般の気のりうす、低調ということであった。
 ところが、いよいよ結果が検べられてみると、先ず棄権率が非常にすくなかったことがわかった。全国平均僅か二割七分七厘の棄権しかなかった。そして、意外に多勢の婦人立候補者が当選した。婦人立候補者の四割八分ほどは当選して、二十八歳から六十六歳まで、三十九名の婦人代議士が、新しい明日に向って選び出されたのである。しかも、これらの婦人代議士の中には、それぞれの選挙区で最高点を得た人が五名もあった。棄権率のすくなかったこと、予想外に婦人に投票が集まったこと、この二つを世界が注目すべきこととした。
 同時にこの総選挙の結果は、日本が民主の国として再建設されてゆくことがいかに困難な事業であるかということをも、おおうところなく国際間に証明した。総選挙という方法は民主の方法であろうが、その方法を通じて反映された今日の日本の現実は、どんなに国内の保守の権力が根づよく、組織的で、日本が民主化して行こうとする進路をふさいでいるかという事実が、外人記者の観察にもはっきり語られたのである。総数四六四名の代議士が、各自所属している政党を眺めても、これは一目瞭然であろう。
自由党 一三六名 (婦人) 五名 計 一四一名
進歩党  八七名 (婦人) 六名    九三名
社会党  八四名 (婦人) 八名    九二名
協同党  一四名 (婦人) ナシ    一四名
共産党   四名 (婦人) 一名     五名
諸派   二九名 (婦人)一〇名    三九名
無所属  七一名 (婦人) 九名    八〇名
                総計 四六四名
 これらの新代議士の職業別一覧表は次のようである。
      自由  進歩  社会  協同  共産  諸派 無所属
社長重役 五七名 二九名  六名  三名   ― 一三名 一〇名
弁護士  一七名  九名 一九名   ―   ―  一名  三名
会社員   三名  三名  七名   ―   ―  一名  二名
医師    五名  一名   ―   ―   ―  三名  一名
農業   一四名 二一名  五名  六名   ―  三名  三名
役人    九名  三名  一名  二名   ―  一名  六名
漁業    三名  一名   ―   ―   ―   ―  二名
酒造家   一名  五名   ―  一名   ―  一名  二名
著述家   四名  二名 一〇名   ―  四名  二名  六名
教員    八名  三名  三名  一名   ―  二名 一七名
無職    六名  四名  四名  一名  一名  四名  六名
其他   一一名 一二名 三五名   ―   ―  八名 二〇名
僧侶    三名   ―  二名   ―   ―   ―  二名
 備考 「其他」には職業政治家をふくむ。
 そして、婦人代議士となった婦人たちの社会的地位も、おのずから彼女たちが名のりをあげた政党の特徴を反映している。自由党の竹内茂代女史が大日本婦人会の理事であったことは知らぬもののない名流女史であるし、校長、自由党支部長夫人、病院長などが出ている。進歩党その他の婦人代議士も、大体元代議士夫人、女流教育家、社長夫人、娘、重役、病院長、婦人会関係の知名婦人等が多数を占めていることは注目される。僅かに社会党の山崎道子氏が、多年社会事業方面の事業の経験者であり、共産党の柄沢とし子氏が、労働組合活動の深い経験をもっているのが目につく。一人一人の婦人代議士についてきけば、それぞれに立志伝はあるであろう。小学校訓導をふり出しにして、今は高等女学校の校長となり、或は小学校を卒業したばかりで、どういういきさつにもせよ、今度立候補して当選する度胸がつくまでに、これまでの日本は、女一人をたやすく歩ませては来なかったに相違ない。しかし、この個人個人の奮闘史は、今日の彼女たちにとっては、誇りある経歴となっている。そのことが、とりも直さず、現在のこれらの人々が功成りたる地位にある人々であることを語っているのである。
 私たち婦人にとって、婦人の棄権のすくなかったということは、慶賀さるべきことであったろう。婦人代議士がどっさり出たことも、婦人有権者の数の大きさから見て、そう不自然なことではないのかもしれない。しかし、この現象について飾りなく私たちの感想を求められたら、今、日本の婦人たちは、果して何と答えるであろうか。生活の現実は、これらの婦人代議士が、初めての政治経験において「女のことは女の手で」解決するには余りに重大な社会情勢であることを直感しはじめているのではないだろうか。
 諸新聞には、三土内相その他政党首領たちの言葉として、制限連記制が不適当な方法であったことを強調された。婦人代議士のどっさり出たことも、この不適当な選挙方法の欠陥のあらわれのように語られた。市川房枝女史も、今の日本に三十九名もの婦人代議士の出たことはよろこぶべきよりも、寧ろ一般有権者の政治的水準の低さという点で反省、警戒されなければならないことと注意した。それにつれて、婦人参政の先輩諸国の経験が示された。一九一八年に婦人参政権が認められたイギリスでは、その年一七名立候補して当選者なく、一九二三年に八名、一九二四年に六名、一九三一年には、代議士六一五名中、婦人は一五人という数を示している。アメリカのワイオミング州では、参政権を得てから四十年後の一九三〇年に上院一名、下院六名の婦人を出している。
 第一次欧州大戦後のドイツが、ワイマール憲法をきめて、共和国となった当時(一九二〇年)最初の婦人参政権が行使され、一時に三十人の婦人代議士が出た。今年、はじめて選挙権を与えられた第二次大戦後のフランス婦人たちは三十二名の婦人代議士を選出し、なかに十七名の共産党代議士があった。そして、日本は、三十九名の婦人代議士を当選させて中に一名の共産党代議士を出しているのである。
 この、歴史的な起伏のあらましのうちに、私たちは、何か感じるものがありはしないだろうか。一部の人々によって批評されているように、連記制のおかげで女が得をした、珍しがられて得をした、というだけのことでもないと思えるし、同時に、数の多さは、婦人有権者たちだけの質の低さを示すものともいい切れない。又、婦人が生活の切迫に目ざまされて民主へ進歩の結果とも、買いかぶりかねる。現実にはこの三種三様の心理が極めてごたごたとまざり合って、今日の日本らしく複雑にあらわれて来ているのだと思われる。
 二月以来のモラトリアムは、経済生活を建て直す実効はなかった。特に、生活資金の二百円削減は、日常生活に甚大に響き、物価高、米の配給遅延の悪条件、失業の増大等、どんな婦人の心にも、このままではやってゆけない切迫感を湧きたたせている。婦人立候補者の大部分は「政治と台所の直結」といい「女の問題は女で」といい、その現実めいた言葉は、藁にでもすがろうとする婦人の要求に訴えるところがあったに違いない。女なら女のことを解決するかもしれない、というぼんやりした婦人たちの期待は、時期尚早のうちに強行された選挙準備のうちに、決して、慎重に政党の真意を計るところまで高められようもなかった。連記制は、この未熟さに拍車をかけて、三名選挙するのなら、それぞれ全く反対の立場の政党の有名人一人ずつに、男へ投票するなら女も、と、婦人一名という工合に、気まかせに組合わされた。つまり、政府で売出す富くじみたいに、三様に書いてみれば、どれか一つには当るかもしれないという、不信頼と心だのみの入れ交った気分が動いたろうと思う。
 総選挙がすんで、ほぼ二週間経とうとしている。今日、わたしたちが日々目撃している光景は、全く独特なものである。ドイツと日本の食糧事情は最悪であると、警報がかかげられている。その記事の傍らに見るものは、連日連夜にわたる幣原、三土、楢橋の政権居据りのための右往左往と、それに対する現内閣退陣要求の輿論の刻々の高まり、さらにその国民の輿論に対して、楢橋書記翰長は「院外運動などで総辞職しない」「再解散させても思う通りにする」と、どんな背後の力をたのんでのことか、心あるすべての人々を憤らせる居直りぶりが示されている。『世界の顔』で、国際的信望を失いつつある鳩山一郎氏が、自由党という第一党の首領であり得ることも、おどろかれるし、現職のまま幣原首相が進歩党の総裁となって入党したことも、民主とはかかることにさえつけられる名称かと、日本の民主主義の異常さに、目を瞠るのである。
 四月二十日の各新聞によれば「内閣即時退陣せよ」と進歩党をのぞく四党代表者会議の決定が首相に示された。その席上で幣原首相は、私も自分の利益のために粘っているのではない、国を憂えることは諸君と同じだが、方法が違う、と意見を披瀝しはじめたら、傍から楢橋書記翰長が、なお言をつごうとする首相に「『ストップ』と命じ、首相にこれ以上の発言を許さなかった」(四・二〇、毎日)という意味深長な寸劇が行われた。この「ストップ」について、私たちの心には、計らずもつい四日前、朝日新聞紙上によんだ一つの記事が思いおこされた。それは「偽装の魅力『国民戦線』」という見出しの記事であった。「与党工作の舞台裏」で楢橋氏が首相を動かしているいきさつが解剖され、極めて興味あるくだりがあった。これからつくろうとする新党の性格にふれて、十四日、楢橋氏は首相に向い次のような意味の話をした。「あなたは三菱の婿であり、これまで資本家の代表であるかもしれないが、これからの日本を再建するのは労働力以外にはない。住んでいるのは今の家でもいいが、裸になって労働者の代弁者になった気でおやりにならねば駄目だといい、幣原首相を驚かせた」というのである。総辞職を求めて来た四党代表に向って、首相が自由にものをいったら、そして、その場での誠意を表明しようとしたら、彼は、国を憂えているという自身の心を証明するために、更にどう話をつづけたであろうか。楢橋氏の「ストップ」令は、何をストップさせたのであったろうか。バルザックの小説の場面が髣髴(ほうふつ)される。仮に、首相が楢橋氏の進言に従って三菱の婿としての立場を考え直す、ということで、国を憂える真意を裏づけようとでもしたら、政府は、目下試みているような憲法草案を仮名まじり文にしただけの押しつけや、労働法の骨抜き作業などをつづけることは全く不可能であり、東京だけで五万人の失業者の群をつっ切って政権争奪の自動車を駆らせていることは出来ないことになって来るのである。
 このようにあくどい動きのある側らで、三十数名の婦人代議士たちは二十五日に女ばかり集って、市川房枝女史の世話役で婦人代議士のクラブを作り「女は女で」やろうとしていることが告げられている。
 婦人代議士たちは、いま危険な立場にある。自由党、進歩党の首領たちは、過日「婦人に得票をくわれた」と表現した。自党から立った婦人代議士に対して、これら保守の党は、どんな責任と義務とを感じているのだろうか。今のところ、まるでその実在性を念頭においてさえもいないように見える。保守の党が中央部、又は執行機関に婦人代議士を一人も包括しようとしていないばかりか、社会党も、婦人代議士は婦人部で、という風で、一政党の政策というよりも社会政策的な婦人部案を発表している。これらの立場は女としてはた目にも切ない。婦人代議士たちは代議士になってみて、今更切実に、既成政党が婦人代議士に求めていたものは、宣伝の色どりであって、実質的な政治への参加でもなければ、婦人の社会的、政治的成長でもなかったことを知らされているのである。婦人代議士の質が低いためばかりでなく、既成政党の本質的な封建性のあらわれなのである。
 婦人代議士ばかりがかたまろうとするならば、その集団の力で内外へ働きかけ、各自の党が、婦人代議士たちの存在に組織的な現実性を賦与するよう、組織の内部へ正直に婦人代議士をも編み込むよう活動することに、最良の、そして最も適切な方向がある。もし、女ばかりの小集団になれば、既成各党は、何の苦痛も感じることなく「ああ、それは御婦人たちの提案で」とスーとわきを通過してしまうだろう。既に、米の三合配給などを公約した婦人たちは、途方にくれる立場にさらされている。自由党はそのような公約はしないといい、進歩党は「俺は知らないよ」といい、社会党は、落選代議士の公約であるという説明を与えている。婦人代議士は、私たち日本の婦人があらゆる場面で経験しているように、今や「婦人のことは婦人で」解決するためにも、日本の封建性と既成政党の腐敗とに対して、精力を傾けて闘わなければならないという教訓に面することとなったのである。
 各婦人代議士たちが、公約履行の責任を明らかにするためには、自党の封建的な性格と組合ってそれを打破してゆかねばならず、そのためには、自身既成政党への再認識を明らかにして、一般の民主的輿論の圧力と結合し、自党内における婦人代議士の位置と「彼女達の公約」を政党としての公約として確立しなければならないのである。反民主的な演説の筋書きを与えられ、おくれた日本の、ものの考えかたにアッピールした婦人代議士は、今日自身の存在のために、そのようにして自身を立たしめた保守の力に向き直って闘う必要に迫られているのである。
 今回選ばれた婦人代議士たちの質がどうであろうと、明日において更に成長しようとする私たちは、これらの事情を、日本民主化の過程にあらわれた一教訓として見る。そして学び得る最大のものを、今回の一票から学びとろうとしているのである。〔一九四六年六月〕



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