働く婦人の歌声
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著者名:宮本百合子 

 今日いろいろの職場に働いている若い婦人たちはただ自分たちがそうやって毎日勤めに出て働いているということにだけ誇りを感じているような単純な心で社会を見てはいない。
 勤勉なこれらの女性たちは、自分たちの働きに酬いられるものが自分一人を食べさせ、住ませ、着させ、人間として向上してゆくために決して十分でないことをよく知っている。友達としては積極に社会へ出て働く婦人を好んでも、妻としての女性を考えるとやっぱり職場にいるひとでない対象を念頭に浮べるような男のひと達の矛盾した感情をも、直接自分たちの人生に関係をもっていることとして、複雑に感じとられている。
 日本の若い働く女性たちのことごとくが置かれている、この職場と家庭生活との板挾みの状態は極めて深刻な性質をもっている。日本の社会が近代化して来たテムポは明治このかた非常に急であるが、そのことは、一方に前時代の様々な習俗が自然に常識の中で変化されてゆくだけの時間がなかったことをも意味していて、社会の激しい動きはどんどん若い女性を社会的な職場へ招きよせているにもかかわらず、女について云われる家庭の婦人らしさの内容は、常に一番多く昔ながらの習慣しきたりを負うているのである。
 近代的な社会要素と封建の要素とが最もいり組んだ関係で絡みあっているのが、日本の働く女性たちの境遇である。
 これまでは一日きまった時間だけ働くと、あとはちりぢりに帰って、自分の趣味は自分だけでみたし、お稽古にも一人で通っていたようなひとたちが、この頃は集団的に自分たちの教養や趣味を培ってゆく方法をとっていることは、はやりと云って過ぎてしまえない意義をもっていると思う。
 一緒にそういう稽古事もすることで、生活の一層多様な面が互に働いている女性としての共通な感情で結ばれて、日本の女性につきものであった因循さも失われ、初歩的な下手なところから明るく臆せず皆でたのしむという気分がゆたかにされる。稽古事やスポーツは、上達だけが目的ではなくて、それを愉しくやっているというそのことのなかに本当の愉しさが在るのだという、生活を立体的にたのしむ術も、身につけられようとしている。
 勤勉な日本の女性たちは、頭と体とを強壮にして、独特に複雑な自分たちの歴史に、一条でも明るい光を、一筋でも合理な生活の道を自分たちの力でつくり出してゆかなければならない。

 それぞれの職場によって、そこに働いているひとの気分が違う。それは自然な事実であると思う。同じ会社でも半官的なところと小さい個人会社とでは、気風も働く条件も随分ちがっているのが実際であるし専門によってもおのずから相異がある。具体的に云えば一つ経営の下でさえ、課が違えばそこの空気も違うというものだろう。
 しかしながら、そういう具体的な細部がそれぞれにちがっているほど、日本の働く女性として社会にもっている条件に大差があるのだろうか。このところは私たちを深く考えさせる点だと思う。
 実際の条件は同じによくないのだが、勤め先が世間で通っている名のよいために、それで微かななぐさめや自分への矜持を保とうとする若い女性の心理が、今日の働く婦人たちの心からどのくらい無くなって来ているだろう。その点どのくらい成長して来ているだろうか。
 工場に働く女性と他の経営に働く女性との間にはちっとも共感のないのがこれまでの普通であった。よその経営に働く婦人たちは自分たちの境遇のつまりのところは、日本の製糸工場で同性たちが受けている待遇とつながったものであるという現実に対して、実に無智であった。自分たちの居場処や服装が糸取りをして働いている同性たちと違っているということだけに視野をとざされていて、働く婦人として社会にもっている関係の本質の共通性をみる生活の力をもっていなかった。ちょうど、小さい鏡の中で顔と帽子のうつり工合だけ見ていて、自分の靴の踵のねじれ工合をまるで知らない若い娘のような無知さであったと思う。
 集団的にリクリエーションを愉しむことを学びつつある日本の働く女性たちは、社会的な集団の感覚で、あらゆる職場で働いている同性たちの生活への理解、共力を新鮮に育てて行くべきであろう。そして、働く女性の強大な合唱によって、旧い習俗の壁を崩さなければなるまいと思う。
〔一九四一年二月〕



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