短い感想
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著者名:宮本百合子 

 古いころから文学に関し、或はエレン・ケイの思想紹介に関し、様々の文化的活動をされた本間さんのお家で、そのお嬢さん達が友達をも交えて、親御さんをもともに座談会をもたれたという事は、私に何か印象を与えた。本間さんのところにいつしかもうそんなに大きい娘さんがたがおられるということ、私の少女時代に暗いロマンチックな作品をよんだことのある小川未明さんが今日では二十三歳になる若い女のかたの父親であられること。それらは、私に明治時代から今日までの社会生活と文学のうつりかわりをおのずから思いおこさせたのである。
 いかにも屈託のない家庭らしい。速記録をよんで、私はいろいろの暗示をうけ面白く感じた。若い娘とその両親とが、公人としてそれぞれの立場から結婚の問題や婦人と職業の問題について睦じく公然と意見を話す時代になって来たのは、社会的に云っても、家族生活にとって一つの積極性であると思う。親と子とが、ひとの前ででも、しゃんと互を傷けずに各自の意見を表示し得るようになれば、多くの家庭を今日重く複雑にしている面倒な気心のさぐり合いが減って、楽になるだろうと考えたのであった。
 ところで、この座談会では、多くの部分が婦人と職業との問題に費されたのであるが、私は本間氏が、娘さん達が独立して何か職業を持ちたいという心持はつよいが、さて自信をもって決行するところまでは行けないでいられる心持を評して、一般的に男はその職業で一家を支えなければならないから、職業に対し熱をもっているし「遊ぶという気持がない」と云い、夫人がすぐそれについて極めて自然に「どうしても、女よりも男の方が偉くなる訳ですね」と云っていられる点に強い注意を喚び起された。
 本間氏はつづけて女が職業をもてばそれだけ男の就職線にふみこむことになるから、問題だと考えられるに対して、二十二歳の久美子さんは、さすがに今日の社会の現実は、決して男にも夫婦が食えるだけの収入を与えていないこと、既に女は経済の必要から職業を持たねばならなくなっていること、婦人労働者の低賃銀と児童搾取のことにも触れておられる。
 私が心をうごかされたのは、その久美子さんの聰い観察力をもってしても、父である本間氏と母である本間夫人との間に交わされた前述の短い会話のやりとりの間に、如何に深刻な新しい歴史の担い手の社会的内容が暗示されているかを見やぶっておられない事実である。
 本間氏夫妻は生活の必然から職業につく男は職業に忠実であり熟練し、当然の結果として遊半分職業をもっている女より偉くなると正しい結果論をしておられるのであるけれど、娘である久美子さんは、漠然とながら実際の必要から職業を求める女が増大して来ているという社会の事実をあげておられる。具体的に本間さんのところのお嬢さんたちは、目下食うために職業を求めておられないが、客観的にひろくこの世の中を見渡せば本間氏が主として男の側の負担としてあげられた一家の経済的支柱という役割は、特に昨今激しいテムポで婦人の肩にもその重みがうつって来ている。中流生活者の経済的窮迫は世界的な事実であり、知識階級の男女が自分のうけた教養を活かす余地なく教養の程度としては低い労働にも従わなければならない現実は、日本の婦人の就職率にもあらわれ、専門学校出の淑女より却って女学校、下って高等小学出の娘さんの方がよくはけているのである。
 勤労階級の娘さん達は、殆どすべて何かの程度で生活の必要から職業についている。職業について遊び半分の気分はすくないのである。現在の社会構成は人間が一箇の人物として完成する可能性を極度に剥奪しているから、職業に熱心であれば人間として偉くなれるという簡単な結論はなり立たぬにしろ、本間氏夫妻はその会話の裏に計らずこめられた現実によって、例えば職業についても遊び半分の気のすくない勤労階級の娘が、フラフラして片手仕事に勤めている有産階級の娘より偉くなる可能性をもっているという重大な歴史の発展性を、私達に暗示しておられるのである。
 久美子さんが職業に突きすすみ切れずにいることに対し、本間夫人がその原因を久美子さんの性質にあるという意見を示しておられると思うが、私はこの点をも、興味ふかく感じて読んだ。一人のひとの性質というものも生活環境の複雑な関係によって作用されているものであるのだから、久美子さんがそういう内輪な気質であるとしても、その気質にしたがって、別に目下生活問題として職業につかねば食うに困るということはない本間家の生活状態が反映していると見られるのである。
 本間氏も久美子さんたちも、職業に対する見解に忌憚(きたん)なく云えば生ぬるいところを持ちつつも、職業の選択については、社会的な或る正義感を抱いておられることは意味ふかいことであると思った。
 私は、聰明な久美子さん達がいかなることがあろうと救世軍に入ったら、今日生産面を土台とする社会の日々の生活において婦人と子供が受けている惨苦を根絶し得るなどと愚かなことを考えられることのないことを安心してよいと信じるのである。〔一九三五年四月〕



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