『労働戦線』小説選後評
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著者名:宮本百合子 

 四十篇の原稿のなかから新日本文学会の書記局で予選された二十篇をよんだ。そのどれもが、それぞれかかれた環境においてのねうちをもっていて、等級をつけるのがむずかしかった。同時にそのことはとびぬけた作品はなかったことも意味し結局入選は紙上で知らせたようになった。
「雛菊寮雑記」(代々木暁夫)――若い婦人車掌だけの寮雛菊寮に暮す佳子、美代、文江、喜久枝たちが笠井重吉という学校出の運転手をかこむ女車掌らしい感情のいきさつを描いている。奔放で傍若無人な美代子が婦人部長としてはがっちり働いてゆきつつ重吉に対する佳子の傾倒にちょいと意地わるしたりする動きがよくとらえられている。重吉にうかれる佳子が雛菊寮の中の共産党毛ぎらいのふん囲気におのずから一致しかねているところも無理がない。ただ、おしまいに近いところで佳子が間接に重吉の自分に対する好意をきいてうれし涙にぬれる顔を井戸ばたで洗うところの描写は誇張されている。この作者は、達者にならないように心がけていいと思う。
 作品のほとんどすべてが、文学として非常に素朴であった。作品にとりあげられている現実においてどの作品にもうそがなく、その範囲でテーマは正しく題材の中につかまれている。けれども、文学の作品という点からいえばどれもほとんど小説の骨子を物語っているにすぎない。
 古い文学のポーズをまねたり作者の真実でない感情や心理をかりて来たりしていないところがこれらの作品の新しい力である。作者たちは、これらの作品の土台にある態度をくずさないで段々もっとこまかに現実を観察することを学んで行ったらたのしみである。語りたいテーマが、職場や人生そのものがそうであるようにそれぞれの人物の特徴のある動き、ふん囲気をとおし、かたまったり散ったり、考えたり行動したりする人間と歴史のからみ合いの中に盛り上げられてゆく面白さこそ、リアルであって、しかも平板な現実の一片ではない文学の味である。小説は現実を追っかけるものではない。現実を整理して人生を改めてその人にしらしてゆくところにつきない興味がある。
 働く人には時間が足りない。三日のところを五日かけて成長してゆく根気が新しい文学を生むためには必要である。〔一九四八年十月〕



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