“慰みの文学”
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著者名:宮本百合子 

 菊池寛の文学が大衆文学として広く愛されたというならば、その理由は菊池寛の文学と生活の基本的な調子、もっとも日本の半封建的な社会生活におかれている生活の常識に固く立っていたからだと思う。
 例えば「忠直卿行状記」などをみると大名の君主とその家来との間にあった極端な形式主義を足場にしたのに対して割合に人間らしい常識を持っていた忠直卿がジリジリしてその腹立ちを当時の君主らしい乱暴狼藉に現わした。そして大名を辞めて殿様でなくなったらすっかりカラッとすんだ気持になった物語である。
 昔あれを読んだとき、忠直卿の人間真実の追究というふうに理解したけれど、その後「俊寛」を読んで忠直卿の基礎は常識であると理解した。「俊寛」にしろ謡曲ではああいう哀れな物語にはなっていない。すべての物語が鬼気せまるように書かれていた。けれども菊池寛の「俊寛」は鬼界ヶ島で坊主の衣をぬいだらスッカリ丈夫になって土地の女を女房にして子供も何人か生んで毎日勇しく大きな魚などを釣ったりしている姿で描かれている。
 菊池寛は英国文学の根柢にある常識性(例えばバーナード・ショウなど)と彼が曾つて貧しい大学生として盗みの嫌疑さえかけられたような生活を経てきたのが年と共に度胸の据ったあのような常識を持つに至ったのであろう。
 だから菊池の大衆文学には読者を「なるほどネ」といわせる力があっても、しかし読者を深く考えさせ、自分に疑問を持たせる、社会の進歩というのはどういうことなのかと反問させる力は絶対にない慰めによむ小説であった。こういうような性質を持つ菊池文学が愛された(換言すれば広く受入れられた)のは当然のこと、従って菊池の常識性の反面は戦争になればそれに適応した戦争を鼓吹し、戦争宣伝もどしどしやって疑問を持たなかった。戦争が一般人民にどんな犠牲を与え、しかも戦争物で自分がもうけてますます競馬馬を買うことが出来ても少しも疑問を持たなかった。「世の中とはそういうものさ」と思っていたのであろう。
 こういうふうにみてくれば菊池寛が広く読まれたというのは日本の人民の社会的批判と自分の運命についての意思がハッキリしなかったということの反映だと思います。
 たとえば講談社の出版物は広く読まれているが、しかしそれが日本の人民の幸福にどう役立つかといえば、戦争を鼓吹し、いまでもどこやら反動的な調子を持込んで明るい民主化をそらそうとしている。一人の作家が広く読まれるという場合、いつもそれは歴史の爪先の方向で読まれているか、おくれた踵の方で読まれているかということを私共は深く考えなくてはならない。
 常識というものは、その時の社会の歴史が可能にしている進歩の最小限を表し、同時にその社会の持っている偏見や保守などに最大限であるものだから。〔一九四八年三月〕



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