文学精神と批判精神
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著者名:宮本百合子 

 文学に関することとしての批判精神の問題とその解釈とは、この三四年来、随分特別異常な待遇をうけて来ていると思う。
 今から四年ばかり前、日本には批評文学、或は文学的批評という一種の風が発生した。これまで文芸批評と云えば文学現象の客観的評価をその当然の任務として来ていたし、作家と読者とに対してその評価の責任をも明らかにしているものと思われていた。ところが、四年前のその時期頃から、批評の多くは文学現象を客観的に省察してそれへの評価を与えてゆく自身の本来の役割をみずから放棄してしまった。そして、様々の文学現象が次々と現われて来るに跟(つ)いて動いて、そのような現象のおこる動機をひとしなみに社会的・文学的必然として尊重し、結果としては現実に対する自己欺瞞の意識や擬態を正当化するようになった。作家と読者との相関のいきさつのなかに文学の動向の諸相を明らかにしてゆく現実の作用は喪われて、批評はそれを書くひとの主観の流れに応じて肆意(しい)的に自身の渦巻きを描くものとなった。批評の論理性の喪失、その随筆化ということがその頃一般の注目をひいたのも当然のことであった。
 批判精神のそのような衰微が皆の注目をひきながら、その時分それの健康な道への恢復のための努力が充分されなかったという理由はどこに在っただろう。或は少数の努力がその功を十分に発揮せず大勢としては益々衰弱的方向が一路辿られて今日に及んでいるというのは何故だろう。
 それこそは、四年前に、批判の精神が自身の性能の本来なる力の放擲をあからさまにしたとき、その根源の理由として、従来文学に携って来た一部の知識人の最も深刻な歴史的な自己放棄・自己の存在価値への人間的確信の失墜が生じたからであると思う。当時批判の精神というものは、殆ど感情的な反撥をもってほかならぬ批評家自身に見られていた。批評家にとってそこから自身の骨肉をわけて来た筈のその精神が、そんなに邪魔っけで憎らしい荷物に思われるように成ったというのは誰の目にもただごとではあり得ない。
 当時より更に数年前にさかのぼってプロレタリア文学時代を顧みると、この時代には、批判の精神というものはこの文学における独自な性格である自己の存在意義への歴史的な確信と主動性とともに極めて溌剌と動いた。けれども、文芸理論としての若さから、批判の精神は文学以前の社会的見地というものと多かれ少なかれ混同して考えられていた。そのことは世界観と芸術性とが、文学の内部で対立するものであるかのような混乱があったことにもうかがえる。文学作品と読者とに対して評価の責任ある作用を営むものとしての批判精神は、その場合とかくそれぞれの作品の、文学以前の現実現象に対する作者の観かた如何から、評価の一歩を踏み出してゆくことになった。作品の内容、形式と、二つの別のもののように見られる困難が克服されていなかった。所謂(いわゆる)形式はとりも直さず内容そのものの具顕であって、その内にそれぞれの芸術性として生かされている世界観がふくまれているという生きたままの肉体を対象として、批判が縦横の洞察を行うことは出来なかった。そこには、その時分まだ批判精神は理知的・論理的・意志的なものであり、芸術性は感情的・感性的なものであるというような昔風な知情意の区分が、統一された人間精神の発動の各面という理解にまで高められていなかったことも現れているのである。
 プロレタリア文学時代の文芸批評にあった以上のような未熟さは、当然その発展成長のための強い批判を必要としたのであったが、非常に興味あることは、当時その理論的未熟な点に向って行われた批判は、常にその文学の本質に対立する社会的層から発せられていたという事実である。プロレタリア文学はその創作方法において大衆を対象としているものであったし、それと対立する所謂純文学は、従来の個人主義に立っての個人の文学の主張であり、それにふさわしい創作方法として対象は自我であり自己の世界であり、私小説の伝統に立つものであった。後者は純文学の芸術性の擁護、文学精神としての芸術至上の論拠に立って、批判を行っていたのである。
 事情は推移して、プロレタリア文学時代は過ぎたのであったが、この文学を押し流した時代の波は、純文学を主唱した知識人の社会的ありようにも激しく荒っぽい動揺を加えた。そしてそのひどい震盪は、純文学の枢軸であった人間としての自我の拠りどころを全く見失わせるに至った。この純文学の悲劇は、しかしながら既に数年に亙って準備されていたものであったとも云える。何故なら、プロレタリア文学との対立の時期に於ても、純文学の自我は、その自我の歴史的な成長の過程として、よりひろい動的な社会の客観的現実としての関係の中に自我を見る目を育てようとはせず、反対に個性という自我の一つの属性の範囲に人間の自我の可能性をちぢめて、その個性の芸術的完成の意味での芸術性のみを強調して来ていたのであったから。その必要に立って、自我の拡大のための重大な消化機能である現実的な批判精神というものは拒否して来たのであったから。
 社会情勢の波瀾が内外の圧力で純文学末期の無力な自我から最後の足がかりを引攫おうとしたとき、そのような苛烈な現実を歴史的な動きの中に把握してゆく精神を既に喪っていた自我がそれぞれのとりいそいだ転身の術によって自ら歴史の中に立つ気力を失った自我を託すべき地盤をさがし求めた。急速に移り動く何かのよりつよい力に自我の破船を結びつけなければならなかった。その力が、どのようなものであるかということを省察する責任を自分に向って求めることはもう止められた。人間的自己の尊重の精神は我から捨てられて、批評はそれぞれのそのような文学以前の現象、又そのような事情から発する雑多な文学現象の動機への肯定的尊重となり、その結果文学批評として本質的な客観性を失い、評価の力を失ったということは、避けがたい必然の成行であったと思う。
 批判の精神という声さえ、憎悪をもって聞かれた当時の心理も、こう見て来れば肯けよう。批判の精神が人間精神の不滅の性能であることやその価値を承認することは、とりも直さず客観的観照の明々白々な光の下に自身の自我の転身の社会的文学的様相を隈なく曝すことになり、それは飽くまで主観的な出発点に立っている精神にとって決して愉快なことであり得ない。のぞましいことでもない。日本文学の歴史において一つの画期を示したこの自我の転落は、当事者たちの主観から、未来を語る率直悲痛な堕落としては示されず、何か世紀の偉観の彗星ででもあるかのような粉飾と擬装の下に提示され、そこから、文学的随筆的批評というようなものも生じた次第なのである。そして、純文学の悲劇は、自我をより強力な文学以外の力に托さなければならなくなったことから、やがて文学を語るに、文学の外のところから云い出すということにもなった。嘗て純文学の精神の守護であった芸術性はとんぼ返りをうって、鬼面人を脅かす類のものに転化したのである。
 以上の瞥見は、私たちに今日、何を教えているであろうか。現実に即した観察は、批判精神というものが決して抽象架空に存在し得るものではなくて、それどころか実に犇々(ひしひし)と歴史のなかに息づき、生成し、変貌さえも辞せないものであることを理解させると思う。批判精神は情緒感性と切りはなされて存在し得るものどころか、人間の精神活動の諸要素の極めて綜合されたものにほかならないことも肯ける。
 文学精神を云い更えれば批判精神である、と云われるが、この場合批判精神の実体を、文学以前の社会的現実を明瞭確実に把握、判断する社会的見地或は社会を見る眼というだけの内容づけに止るべきではなかろうと思う。文学との現実なかかわり合いに於て見られるとき、批判の精神は一人の作家の内面に発動してその作家が現実社会の下で置かれている一定の関係を通じて与えられた多種多様な社会的現実に対して客観的な評価を与えるばかりではなく、その主題が芸術化されてゆく創作の過程で、作品の対象と創作方法との間にあるべき必然の繋がりをも、吟味してゆく精神でなければならない。
 嘗て純文学は、対象を自我において、従って読者というものは作者の創作過程の内部へ及ぼす有機的な関係をもたなかった。自我が喪失されるとともに純文学は創作の内面的対象としての読者大衆ではなく、外面的な転身の足がかりとして読者を意識し、大衆生活を描くに不可欠な創作方法の探求はぬきに、作者の主観で、自己の作品の購読者としての読者を意識した。そのことで、具体的な人間群としての大衆は作品の中に生かされていないようになったとともに、自己の作品の世界に対する作家の人間的社会的な責任というものも無視されたものとなって来てしまっている。
 文学に人間が再生しなければならないとは昨今頻りにきく要求である。明日に向って人間の自己は、より成長し、より責任ある社会的な性格をもって文学に甦らなければならないのであるが、その目安をもって私たちが自己の再発見をなし得るための客観的な力として、現実に在るのは、批判の精神をおいて他に無い。
 文学がどんなに社会的のものになろうとも、創作の現実ではめいめい一人一人の人間の極めて具体的な綜合的な社会意識の内部から作品が生まれるものである限り、益々批判の精神の役割は重大になって来るばかりなのである。批判の精神の無私な努力だけが、世紀の諸相の示している歴史の制約と各自が属している社会層の限界との間にある相互的な矛盾や対立を自身のものとして作家に自省せしめるものであるし、文学作品そのものの形象的な統一のあらわれのうちにその矛盾や対立を克服してゆこうとする人間の心情の動向を発見させて行くのである。〔一九四〇年六月〕



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