次が待たれるおくりもの
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著者名:宮本百合子 

「チボー家の人々」第一巻「灰色のノート」と第二巻「少年園」とを、ひきいれられる興味と文学における真面目な労作の快よさをもって読んだ。この最初の二冊を読んだ人々は一層熱心に第三巻を待っているのであろうし更に第十巻全部が滞りなく完訳されることを切望しているのであろうと思う。山内義雄氏はフランス文学のうつし手として、これまでも多くの意義ある業績を示しておられるが、この「チボー家の人々」は訳者の努力をも記念すべき位置におく種類の作品であると思う。
 今の日本には、十数年来なかった程長篇小説が氾濫しているが、そのような今日にあって、「チボー家の人々」を描き、一九一四年にいたる時代を描こうとしている作者ロジェ・マルタン・デュ・ガールの人生態度の慎重さ、誠実さ、文学作品としての完成度のほんもの工合が、特に解毒剤のような清涼さで読者の感情にふれて来るというのは、その反面に何を語っているのであろうか。構成も念いりであって、磨かれ削られ、危な気がない。描写の手法も長篇小説の分野に或る生新さを与えるものをもっている。フランス文学が「ジャン・クリストフ」(ロマン・ローラン作)を持っていることは、一つの誇りであるが、この「チボー家の人々」はその後の世代の姿を、描かれている内容によってばかりでなくその描きかたにおいても語っている一つの傑れた収穫である。ジイドの「贋金つくり」と引き合され、これらの二つの作品と、二人の作者の態度が全く対蹠的であることで目立つというのは尤もであろう。「贋金つくり」において作者の興味をとらえているのは、人間性の時代的なこわれかたとその各破片のままの閃きの姿である。「チボー家の人々」を通して時代を描こうとするデュ・ガールの関心は、時代の矛盾激突によって破壊されようとしても猶こわれまいとする人間性の意欲とその本来の一貫性に向けられている。このような態度で人生にうちかっている作者の心持が、描写の含蓄ある手法や構成における善意ある緊密さに、統一をもって滲み出しており、その面でも「贋金つくり」と対比的であると感じられる。心をとらえて真面目にする力はそこから湧いていると思われる。「少年園」におけるジャックの苦悩の描きかたは感銘的で、人間の或る耐えがたき瞬間口をあけるが、その悲しみと心の痛みとを訴える声さえ出ない苦悩にうたれる、そのような刹那をも描き得る作家であることを語っている。生きこす生命力としてとらえて、それを描き得る作者であるらしいところに、明日への親密さがある。
 大戦後、欧州諸国の文学が陥った社会的混乱、自己解体の奥から根気づよく徐々にこの「チボー家の人々」がつくられて行ったということには、深く学ぶべき点があると思う。




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